Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2013年05月06日
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カテゴリ: 夢有無有
「時間」を紐解く(55)精神哲学-時間観(一)ベルクソン
  フランスにH・ベルクソン(1859~1941)はフランス哲学史のなかで、デカルト以来といってよい存在であり、ノーベル賞まで取っているが、その彼が主著「時間と自由」のなかで時間概念の検討を行なっている。ベルクソンが時間について行う主たる目的は、人間の内面の持続として深さをもつものの時間と空間に表象して拡げられた時間とが混同されているのを相互に違いを鮮明に分割することにある。「空間や量」と「時間や質」を対比させて、「時間や質」を「空間や量」として扱う錯誤を訴えます。亦ベルクソンは人間の観想としてのの時間が二種類あると考え、一つは等間隔に刻まれたと表象する「時間」、要は客観的に量を測定できる外延的な、デカルト的な延長としての時間である。もう一つは外延的に対して内包的なもの、例えば、喜びが膨らむ・期待が高まる・悲しみに萎む・痛みが強まる等々、本来ならその量を測定することが出来得ない、本来ならその量を測定することなどあり得ないものを量として測定可能なものとして、感覚そのものを取り違えてしまっている。ベルクソンの考えでは時間には、人間の持つ観念には「空間化された時間」と「純粋で主観的な本来の時間」とがあるということである。すなわち、前者が「過去」であり、後者は「将来(未来)」である。過去とはすでに過ぎ去り、決定され固定された時間であり、分割可能であるのに対して、現在から未来への時間は「流れ」として未決定の状態にある。ここで彼が考える主観的な時間とは、後者の時間であり、純粋な時間の質的な流れ、すなわち「純粋持続」なのである。つまりは、科学的認識は「流れる時間」を「時計」によって量的に記述する。だが、そこで計量される時間は、実は人間が表象するところの時計の針の指し示す「空間」の位置の差を量的に記述するにとどまる。それ故、時計の指し示すものは直接に流れる時間ではない。これは「時計に時間はない」ということでもある。流れた時間の跡付けである「時計の時間」は、真の時間ではなく「空間」にすぎない。このように空間とは区別されるものが「時間」であり、ベルクソンはそれを「純粋持続」「純粋意識」称しています。

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最終更新日  2013年05月06日 06時32分14秒
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