Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2013年07月04日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」創世記 第40章・獄中のヨセフ
 40:1これらの事の後、エジプト王の給仕役と料理役とがその主君エジプト王に罪を犯した。40:2パロはふたりの役人、すなわち給仕役の長と料理役の長に向かって憤り、40:3侍衛長の家の監禁所、すなわちヨセフがつながれている獄屋に入れた。40:4侍衛長はヨセフに命じて彼らと共におらせたので、ヨセフは彼らに仕えた。こうして彼らは監禁所で幾日かを過ごした。40:5さて獄屋につながれたエジプト王の給仕役と料理役のふたりは一夜のうちにそれぞれ意味のある夢を見た。40:6ヨセフが朝、彼らのところへ行って見ると、彼らは悲しみに沈んでいた。40:7そこでヨセフは自分と一緒に主人の家の監禁所にいるパロの役人たちに尋ねて言った、「どうして、きょう、あなたがたの顔色が悪いのですか」。40:8彼らは言った、「わたしたちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません」。ヨセフは彼らに言った、「解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、わたしに話してください」。40:9給仕役の長はその夢をヨセフに話して言った、「わたしが見た夢で、わたしの前に一本のぶどうの木がありました。40:10そのぶどうの木に三つの枝があって、芽を出し、花が咲き、ぶどうのふさが熟しました。40:11時にわたしの手に、パロの杯があって、わたしはそのぶどうを取り、それをパロの杯にしぼり、その杯をパロの手にささげました」。40:12ヨセフは言った、「その解き明かしはこうです。三つの枝は三日です。40:13今から三日のうちにパロはあなたの頭を上げて、あなたを元の役目に返すでしょう。あなたはさきに給仕役だった時にされたように、パロの手に杯をささげられるでしょう。40:14それで、あなたがしあわせになられたら、わたしを覚えていて、どうかわたしに恵みを施し、わたしの事をパロに話して、この家からわたしを出してください。40:15わたしは、実はヘブルびとの地からさらわれてきた者です。またここでもわたしは地下の獄屋に入れられるような事はしなかったのです」。40:16料理役の長はその解き明かしの良かったのを見て、ヨセフに言った、「わたしも夢を見たが、白いパンのかごが三つ、わたしの頭の上にあった。40:17一番上のかごには料理役がパロのために作ったさまざまの食物があったが、鳥がわたしの頭の上のかごからそれを食べていた」。40:18ヨセフは答えて言った、「その解き明かしはこうです。三つのかごは三日です。40:19今から三日のうちにパロはあなたの頭を上げ離して、あなたを木に掛けるでしょう。そして鳥があなたの肉を食い取るでしょう」。40:20さて三日目はパロの誕生日であったので、パロはすべての家来のためにふるまいを設け、家来のうちの給仕役の長の頭と、料理役の長の頭を上げた。40:21すなわちパロは給仕役の長を給仕役の職に返したので、彼はパロの手に杯をささげた。40:22しかしパロは料理役の長を木に掛けた。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである。40:23ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった。
 恋の逆恨みで無実の罪で投獄されたヨセフ(Joseph)ですが、監守長の目にかない、囚人を皆ヨセフの手に委ね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになります。この監禁所にファラオの給仕長と料理長が、王に過ちを犯して投獄されたのです。妻を寝取られた筈の牢獄の責任者であるポティファルは、ヨセフにこの二人の身柄を預けて世話をさせています。ある朝、ヨセフが二人のところに来てみると、二人とも「妙な夢を見た。何か意味がありそうな夢なのだけど、夢解きをしてくれる人がいない」と憂鬱な顔をしています。ヨセフは「神が見せた夢は神が解き明かされる」と言って、どんな夢なのかを聞き出しています。給仕長の夢は幸運の夢、対する料理長は不運な夢、その夢は正夢となりファラオの誕生日の3日目に給仕長は復職しますが、料理長は木に掛けられ鳥が屍を啄みます。ヨセフは、給仕長が復職したときには、無実の罪でファラオの牢にいる自分のことを、ファラオにとりなしてくれるようにと頼んでいたのですがなしのつぶて。折角、給仕長の夢を解き明かし、復職したときには、無実の罪でファラオの牢にいる自分のことを、ファラオにとりなしてくれるようにと頼んだのにヨセフは給仕長の弁護によってただちに牢から出され、ということにはなりませんでした。「給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。」と記録されているのです。恩知らずの給仕長は、ヨセフのことなどすっかり忘れてしまったと記されていますが、聖書では「忘れる」は見捨てるという意味で使われることが少なくないのです。たとえば「主よ、いつまで私を忘れておられるのか」という詩が聖書に見出されますが、此の「忘れる」は「いつまで私を苦しみの中に放置されるのですか」という意味です。給仕長も、折角許され復職したのに、収監されているユダヤ奴隷のことでファラオを煩わせては、良からぬことになると思って、ヨセフを「忘れる」ことにしたに違いありません。神が給仕長と自分を引き合わせたと思ったのはヨセフの勘違い、否、二年後には給仕長がヨセフのことを思い出すことになる大いなる出来事が起こります。

ブログランキング・にほんブログ村へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年07月04日 06時30分04秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: