Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2013年07月29日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」出エジプト記 第8章・被造物の欲と権益
 8:1主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。 8:2しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。 8:3ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、 8:4あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。 8:5主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。 8:6アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。 8:7魔術師らも秘術をもって同じように行い、かえるをエジプトの地にのぼらせた。
8:8パロはモーセとアロンを召して言った、「かえるをわたしと、わたしの民から取り去るように主に願ってください。そのときわたしはこの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるでしょう」。 8:9モーセはパロに言った、「あなたと、あなたの家来と、あなたの民のために、わたしがいつ願って、このかえるを、あなたとあなたの家から断って、ナイル川だけにとどまらせるべきか、きめてください」。 8:10パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。 8:11そして、かえるはあなたと、あなたの家と、あなたの家来と、あなたの民を離れてナイル川にだけとどまるでしょう」。 8:12こうしてモーセとアロンはパロを離れて出た。モーセは主がパロにつかわされたかえるの事について、主に呼び求めたので、 8:13主はモーセのことばのようにされ、かえるは家から、庭から、また畑から死に絶えた。 8:14これをひと山ひと山に積んだので、地は臭くなった。 8:15ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった。 8:16主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。 8:17彼らはそのように行った。すなわちアロンはそのつえをとって手をさし伸べ、地のちりを打ったので、ぶよは人と家畜についた。すなわち、地のちりはみなエジプトの全国にわたって、ぶよとなった。 8:18魔術師らも秘術をもって同じように行い、ぶよを出そうとしたが、彼らにはできなかった。ぶよが人と家畜についたので、 8:19魔術師らはパロに言った、「これは神の指です」。しかし主の言われたように、パロの心はかたくなになって、彼らのいうことを聞かなかった。 8:20主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。 8:21あなたがわたしの民を去らせないならば、わたしは、あなたとあなたの家来と、あなたの民とあなたの家とに、あぶの群れをつかわすであろう。エジプトびとの家々は、あぶの群れで満ち、彼らの踏む地もまた、そうなるであろう。 8:22その日わたしは、わたしの民の住むゴセンの地を区別して、そこにあぶの群れを入れないであろう。国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。 8:23わたしはわたしの民とあなたの民の間に区別をおく。このしるしは、あす起るであろう」と』」。 8:24主はそのようにされたので、おびただしいあぶが、パロの家と、その家来の家と、エジプトの全国にはいってきて、地はあぶの群れのために害をうけた。 8:25そこで、パロはモーセとアロンを召して言った、「あなたがたは行ってこの国の内で、あなたがたの神に犠牲をささげなさい」。 8:26モーセは言った、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。 8:27わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」。 8:28パロは言った、「わたしはあなたがたを去らせ、荒野で、あなたがたの神、主に犠牲をささげさせよう。ただあまり遠くへ行ってはならない。わたしのために祈願しなさい」。 8:29モーセは言った、「わたしはあなたのもとから出て行って主に祈願しましょう。あすあぶの群れがパロと、その家来と、その民から離れるでしょう。ただパロはまた欺いて、民が主に犠牲をささげに行くのをとめないようにしてください」。 8:30こうしてモーセはパロのもとを出て、主に祈願したので、 8:31主はモーセの言葉のようにされた。すなわち、あぶの群れをパロと、その家来と、その民から取り去られたので、一つも残らなかった。 8:32しかしパロはこんどもまた、その心をかたくなにして民を去らせなかった。
 主がナイル川を打たれてのち七日を経たときに、モーセは、いまだに去らせることを拒むファラオの前に出て、カエルをもって「まだわからないのか」と言うと、アロンに「杖を取って、河川、水路、池の上に手を伸ばし、カエルをもってエジプト全土を覆わせます。王の家も下々の家も関係なく、寝室からかまど、パンをこねる鉢にまで、カエルで溢れますが、エジプトの魔術師が同じことをしたものだから、事態には拍車がかかって来ます。エジプト人の信仰ではカエルも神々の一人、このカエルを殺したりは出来得なかった。エジプト人の母なるナイルを血で染めた主なる神は、今度はエジプト人が神と信じるものによってエジプトに災厄を与えたのです。この事態にはファラオも、はじめて自分のほうからモーセとアロンを呼び出し、「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」と言い出します。そこでカエルは偶然いなくなった、現れたのも偶然だったのかとファラオに言わせないため、ヘブライ人の主なる神によって事がなされるのだとファラオにわからせるために、モーセはファラオに、いつカエルを退かせましょうかと尋ねます。ファラオが「明日」と答えると、モーセは主に祈り求め、カエルはすべて死んでナイル川以外には殆どいなくなります。ところが頑迷なファラオは、カエルがいなくなり、山のようなカエルの死骸の悪臭をしばらく我慢しつつも、とりあえず一息つけるようになると、前言を撤回します。これら今までの奇跡を、即ちナイルが赤く染まったのも、カエルの異常発生も、更には後に続く災厄も、自然現象でも説明がつきます。しかし後になる程、へブラ人の神の思い通りに災厄が発生し、しかもエジプトの魔術師にも真似することが出来なくなります。この何度も前言を翻すファラオに対し、主は予告なしで次の災厄を与えました。アロンが杖で地面を叩くと、舞い上がった塵がブヨとなってエジプト全土を覆い、人と家畜を襲ったのです。今回もファラオは魔術師たちに対抗させようとしますが、もはや彼らは対抗するどころか真似さえ出来ません。彼らが、限界的なものにしろ何か超自然的な力を持っていたのか、それとも仕掛けを使っていたのかはわかりません。どちらであったにせよ、彼らの技術の限界を超える事態に、彼らに神がしたことだと認めさせました。しかしそれでも、ファラオだけは頑迷なままで、第四の災厄をよびます。乾燥地帯の飢餓の報道で、栄養失調の子供達の虚ろな目蓋に蝿・虻がたかっているのは、水分を求めて群がっているわけですが、病害が感染し、失明することすらも珍しくはなくて危険なものです。それをイスラエル人居住区であるゴセン地方だけが無事にして、災厄がエジプト人とイスラエル人を明らかに区別して襲った今回だけは、ファラオの自信は少しぐらつき、モーセとアロンを呼びつけ、あなたたちの神を礼拝したいのなら、エジプト国内でやってもよいと初めて譲歩しています。しかしモーセたちの目的はイスラエルの民の国外脱出ですから、国内でという条件に妥協することなどはもってのほか、モーセは、エジプト人の目の前で牛や羊を生贄にしたら、彼らは我々を殺すでしょう。我々の神、主に犠牲をささげるには、エジプト人を離れて荒れ野に三日路ほど行かねばなりませんと主張します。ファラオとしても、イシス神の聖なる動物である雌牛を、国民の眼前で殺し、しかも奴隷どもの神に捧げるなどを認めるわけにはいきません。イスラエルの主の戦いは、ただイスラエル救出だけでなく、エジプトの神々と偶像礼拝をも追い詰めているのです。やむなくファラオは、荒れ野に出ていってもいいがあまり遠くへ行かないように。そして自分のためにも、この力ある神に祈願してくれと譲歩しましたが、あぶを一匹残らず飛び去らせると、懲りないファラオはまたも前言を翻しています。これは争いがモーセやアロン及びイスラエルという民族とファラオとの争いなどではなくて、ファラオと神の争いであったのです。誰がこの地を支配しているのか、誰が創造者で誰が被造物であるかをはっきりさせるための戦いであるのです。一連の災いは神の創造の業を一方で示しています。創造とは混沌の中に秩序を与える行為であり、その秩序は神が御力のみによってのみ保たれていると説いているのでしょう。人間とは屡々(しばしば)被造物でありながら自らが神に取って代わろうします。その時には、創造の秩序は崩され、地は喘ぐことになるのに気が付きません。ウランやプルトニウムの廃棄の問題、津波の大被害にしても欲と権益を優先してきた人間が引き起こしたといえるかもしれません。

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最終更新日  2013年07月29日 06時05分40秒
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