「思考と直覚」デカルトにみる思考(九十九) 社会契約論を著したトマス・ホッブズと同時代の中フランスにプラトンに遡る「イデア」という理論を思考するルネ・デカルト(仏: René Descartes, 1596年-1650年)が10歳のときにイエズス会のエリートが集められたラ・フレーシュ学院に入学、スコラ哲学をカリキュラムに取り入れられたなかで論理学・形而上学・自然学のみならず神秘学の書物まで読んでいます。しかし、殊らに彼が好んだのは同僚達を困惑させた数学的な手法を用いた哲学です。其の彼が好んだ数学的な手法を厳密さを持って取り入れた思考法に対して、ラ・フレーシュ学院に導入された神学及びスコラ哲学学の非厳密性は、彼の骨頂ともなる「懐疑」精神を浮上させます。彼は神の代わりに人間を置く近世の意味での「イデア」、即ち人間の思考内容を意味するイデアを、持って生まれた「生得観念」と外界に由来する「外来観念」及び自己の精神が創りあげた観念「自己観念」の三つに分類します。外界から付与された印象から創造された「外来観念」、自分自身が生成した想像の産物(例えば一角獣や人魚)ともいえる「自己観念」には懐疑は持たず、自己である「我」其のものの深層にあって人間の本性そのものとされる永遠不変なる観念についてはルネ・デカルトは懐疑心を起こします。そこで彼は精神と物体とを厳正に区別することに努めますが、犬や猫を物体として認めることには何ら懐疑心は怒らない、其処には内精神が宿っていないから、一種の機械だとしても可能だと説きます。日本の犬型癒し系精密機械が同様だというのです。其れと際立って異なるのが「身体」と「精神」の二元を持つ人間、人間のみが精神と物体を共に持つ「二元論」を説きます。彼は人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現し、合理的解決を心懸けたことが「近代哲学の父」と称される所以であるのですが、此の「二元論」に対してはデカルト以降の思想家が多くの問題を提起します。現代的には生命そのものを科学が誕生させていないため生命其のものを物体と定義することには難儀が伴います。此処に唯物史観と観念論に揺れ動いたデカルトの思考の危うさが垣間見え隠れしています。しかし、「思考と直覚」からの観点からは人間精神の特別性を唱えたことには共感を覚えます。