「思考と直覚」フランス観念論(百三十一) フランス革命以前には領主の多くは貴族身分に属していたから,貴族と平民との対立とは領主と領民との対立にをも意味していました。ところが、其れに伴って第三身分即ち平民階級の中から,富裕な商工業者や大借地経営農民など,新しい資本主義的生産様式を担う市民階級と呼ばれるブルジョアジーが興隆し、重税をかけてくる絶対王政や,身分的特権をもって自分たちを差別している貴族の支配や,自由な経済活動を阻害する領主制など,旧体制のいっさいに対して強い不満を抱き,その不合理を批判する啓蒙思想の影響を受けてフランス観念論が起動します。所謂、イデオロギーという言語は本来はフランス観念論が呼称した言語なのですが、唯物論的弁証法を掲げるマルクス主義に非難されることになる多用され、ブルジョアジーは対するプロレタリアートの敵対勢力とされます。イデオロギーという言語は、彼等の観念学1789年のフランス大革命以降、怪しげなものとして見られていたアンシャン・レジーム時代の思想のなかで啓蒙主義的な自由主義を復興させようとし、革命期から帝政にかけてフランスリベラル学派の創始者として指導的立場となったなったデステュット・ド・トラシー(Destutt de Tracy)のイデオロジー原論(1804-1815)に由来しますが、此れは、彼が哲学元来の目的及び課題は観念の解析にあるとして自ら命名したものです。フランス観念論の出発点は、フランスの哲学者であり聖職者でもある、先行世代のジョン・ロックに影響を受けて主に認識論における研究を行い、経験論的認識論、世俗的には感覚論を発展させたエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックにあったのですがド・トラシーは此れを自らの思考に取り込み主観主義的に解釈し観念として昇華させます。フランスはデステュット・ド・トラシーをして観念論に転回します。其の代表的な思考は、霊魂の能動性と物質の受動性を説いたメース・ドゥ・ビラン(François Pierre Gontier Maine de Biran、1766年-1824年)であり、知覚の真の原因は神の霊魂であると説いた、フランス革命中の 1790年にパリのコミューン書記に選ばれたのをはじめ,97年マルヌ党から五百人議会に出て下院議員をつとめた。穏健な革命派で自由主義的正統王朝派に属し,ルイ 18世の信任を得た のロアイエコラールでしょう。然し乍ら、人間の霊魂の能動性と物質の受動性を至上とすれば人間の霊魂が神なみの意思力を得れば世界内存在全てを変えることも不可能とは言えなくなります。其れをロアイエコラールは人間の内精神の深層に眠る知覚を「神の知覚」としての様態の延長として捉えているのでしょう。此処にはスピノザの「エチカ」が頭を擡げます。