Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年08月10日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-4(二百八)
 プラトンの創設したアカデメイアに入門して修業時期のアリストテレスについては真偽の定まらぬ多くの伝記や伝聞が残されていますが、家代々の財を食い潰した挙句、食い扶持のために軍隊に入るも挫折、除隊後に医師として身を立てようとしたのも失敗、それ故プラトンの門を叩いたのだと言う者までいます。其れは兎も角、アリストテレスはアカデメイア第一の読書家と謳われたというから、シケリア滞在で不在のプラトンの書簡は読み耽っていたことは間違いないでしょう。プラトン主催の学園アカデメイアに入門当初は、彼の思想傾向は、アリストテレスが30歳の頃の著作とされる「エウデモス」が、実質的に「バイドン」に拠るところが多々見られることから推定されます。然しながら、其の後の20年間を師プラトンの死、それもアリストテレスよりも遥かに財産に乏しく貧しいものであったことが知られています。また、アリストテレスは師プラトンから「学校の精神」と評されたとも伝えられる程、時には教師として後進を指導することもあったと伝聞にあります。紀元前347年にプラトンが亡くなると、その甥に当たるスペウシッポスが学頭に選ばれますが、この時期、アリストテレスは学園を辞してアテナイを去ることとなりますが、学園を去った理由には諸説あり、有力な説はデモステネスらの反マケドニア派が勢いづいてきた当時のアテナイでは、マケドニアとの縁の深い在留外国人アリストテレス等にとって安寧ではなっかたことも理由のひとつと言われています。その後、アカデメイアは紀元529年に東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第二代皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまでの永きに亘って継続しています。本来のアカデミーとは世界に於ける人間と世界の関係、其の実相をしることにあり、地位・権威・名誉、ましてや生活手段を得る目的の施設ではなかったことは理解すべきでしょう。

Justinian1-1
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最終更新日  2015年08月10日 06時52分22秒
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