Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年03月13日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/イマヌエル・カント-31(三百九十)
 カントは「純粋理性批判」の弁証論で、「神はレアールな述語ではない」といっているのに、解釈的にいまいち訳が判らないのは、和訳が「レアールな述語(reales Prädikat)」という言葉に「実在的述語」なる語彙を当てたからです。独逸語の「Realität」は、凡そ、英語に云う「real」に意味合いを同様にしており「実在」を意味しません。此のことはドイツの思想家も永いあいだ誤解していた、カントがデカルトの神の存在証明への異論として立てられた「テーゼ」、詳細に述べると観念をまとめて表現・主張する文章である「命題」を意味します。デカルトによる神の存在証明とは「神とは全能である。全能であれば、存在という属性も備えているはずである。故に神は存在する」という趣旨であり、存在という「モノ」は有ると摩り替え頭の中だけにある神は論理的述語に過ぎない、詰まるところ、人間の精神思考の中だけにある「神」は、カントは考えうる時点で「論理的述語」としては成立していないとします。頭の中だけにある神は思考上は成立しています、しかし、そのことは「レアルな述語」として現実に存在していることを意味しないことを表現するのです。カントによれば何ものかが「存在する」といわれるためには、それが時間・空間に位置するものでなければならず、しかも人間の内なるアプリオリ、先験的で先駆する時間・空間に位置するな四つのカテゴリーである質・量・関係よって分類されるものでなければならないとしています。我々人間存在は「物自体」、なかでも真実在の神の様態の変様であるにしても、精々恵まれて「真実在の神」の言葉の通詞(御霊の賜物及び預言者)なる者、或いは人間が神を真実在のとするならば其の自身の様態の延長は内在的に認識として意識することは有り得ても、実体としての「物自体」であるビリヤードのキューを突く存在は緞帳の彼方にあり不可視なのです。
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最終更新日  2016年03月13日 06時06分25秒
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