Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年03月23日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/イマヌエル・カント-37(三百九十六)
 あれだけ実生活においても自己の思考其のものといえる倫理を現実生活に実践(通常の意味合いで)していたカントが、「物自体」に要請される、人間の「意志の自由」と「霊魂の不滅」及び「神の存在」をどの様に取り扱い、尚且つ、信仰のみに制限されない自己の精神の自由を得るのかを「道徳」に求めます。カントの哲学の主要な課題は「人間の意思の自由」にこそ重きを置くからです。「道徳(moral)」といえば我々が通常抱く概念は、字句の如く「道」と「徳」からなり、「道」とは世の中で人が従うべき道のことであり、「徳」とはそれを体得した状態のことと受け止めています。此の和漢の言語は中国の古典「易経」に「(聖人は道徳に和順して義を理(おさ)め、理を窮(きわ)め性を尽くして以て命に至る」というのように表現され、道徳は「天道」でもあり、人間の従うべき理法と自然の理法とが一体であることが示されているように、西田哲学の「理法」がカント哲学の「物自体」に要請される「道徳(moral)」と受け止めるのが適切です。人間が道徳法則に従うこととは、カントは「道徳的な振る舞いは、自分の損得を乗り越えた結果、出てくるものでなくてはならない」とします。行動の理非を道徳的に正しいかどうかの正邪を決めるのは、行動の結果ではなくて心構えなのだちします。道徳律を心に留めて行動していると自覚している時だけ人間は自由意志でいられる。人間が或る特定の目標の指針に自ら命ずるのではなく、世界理念の法に従うか従わないかは人間の自由であるが、其の道徳律に反することは人間を拘束する。詰まりは、世界理念に自己の意思を開放して同期させることが、人間を柵(しがらみ)から解放させ真の精神の自由、シッダルタ説く我執の柵(しがらみ)から離れた奔放な自由精神を手にすることを可能だとするのに対応します。此処で問題とするのは「自由」とは現実生活における権威や権力関係を排除し、自らの精神生活を謳歌することなのです。「最高の幸い」即ち理念との一体化は理性が思考する深層に隠された世界であなたを待ち受けます。
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最終更新日  2016年03月23日 10時11分11秒
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