Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年08月31日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/フォイエルバッハ39(五百二十六)
 「仏法」とは西田哲学の理法への探求を追跡すれば、いま現在自己が生きて存在する其のことが「法或いは理」に照らし、誠に殉じていれば、「仏法」其のものだと云えます。「法或いは理」は此の世界における人間が人間として生きる社会生活基本を示しており、世間と隔絶しているものではありません。其の「法」を覚った人間が「仏」となるのであって、<仏と衆生に異相のものが別々に実存するわげではありません。とは言え、釈尊が自己を含めて認めるほぼ同時代に現れた「六仏」(此処で云う六仏は、仏教の説く過去七仏(かこしちぶつ)とは違い、同世代の大聖人される行者連)とが衆生と全く同一かと問われれば、同一の種から育つ蓮も開花の様子に異相が在るように、世間の濁水に混みれた巷から育つ睡蓮は「仏子」はあれども開花しないのが常道です。人間思考の「迷」と「悟」の差異が浮上します。「理」すなわち法的には、仏も衆生も同一での立ち位置ですが「現時の事」すなわち社会環境世界では、他者への関わりや生活の中では「仏」と「衆生」は全く異なります。此の語彙がフォイエルバッハの説くフォイエルバッハが自分の人間学を「宗教」と呼んだ理の要請なのでしょう。フォイエルバッハが神を観想する眼、其処に映るのは「仏」だといっても差し支えがないとも云えます。
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最終更新日  2016年08月31日 06時54分50秒
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