Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年09月01日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/フォイエルバッハ40(五百二十七)
 フォイエルバッハの神を観想する眼は、まさしく自己の深層に眠る理性との問答です。人間理性を神から伝授されたものとは見做さない人間が自然のままに神を見る、言い換えれば、「世界理性」の意思を自己の精神が共鳴するとでも云うのでしょうか。「世界理性」の意思を自己の精神が共鳴するためには、インド大陸に始まった仏教では「行」の思考方法が浮かび上がります。フォイエルバッハの思考が西洋思想史で異質なのは、人間の主体性、其処から神を論じることです。キリスト教に近似した信仰においては、本質的には、仏教概念で言う「行」の思考概念や方法は出て来ません。西洋・西アジアではナザレのイエスの苦行は描かれていますが、あくまでも、父なる神に殉ぜんがための与えられた「行」の意味合いが濃く、超越者としての「神存在」が宗教意識に含まれてくるところでは、人間の主体性はそのことに応じて無くなっており、「啓示」の概念が浮上します。人間が「神」を信じるのは、人間の努力によるのではなく、あくまでも、「神」が「神存在」を「啓示」することによるほかはない、ただ人間はそれを受動的に信じうるだけであるとするのに特徴があります。片や、仏的哲学の思考は、あくまで「仏」とは自らの真相のことであり、それを覚り自ら「「仏存在」になることが思考の基底となります。其処には能動的主体的で実践的な「行」の実践方法と思考の過程と経緯が説かれます。人間は自らの発心の「行」によって、自分の奥底に眠る理法と他者にもある仏性を聞き取らねばならない。仏道とは神を感じることではなく自然と同期することを探求する道を示しているのです。世界が自然として、宇宙が無に帰さないかぎりは此の道は正論だと云えます。反的に言えば、「有と無」を反復する世界が考えられ得るならば、創造者であり世界とは隔絶した存在を離れた超越者「絶対意思」が必要となります。
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千日回峰1

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最終更新日  2016年09月01日 15時00分41秒
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