Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年11月23日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/プラグラティズム8(六百七)
 我々人間の思考の全ての根元にあり、普段は理解し解り切っているとされる真実が、実は其の正否・真否は微妙に揺れ動き、それらを比してどれも優れたものがない場合は混沌が待ち構えます。自身がある対象に関して考証する際に、プラグラティズムでは思考に完全な明晰さを得るには、其の対象が持っている実用的な種類の認識できる効果をのみを考える必要があるとします。其処から三者択一的が生まれ、どのような精神感応を期待し反応を用意するのかを思考する訳です。ウィリアム・ジェームズは友人C・S・パースと同様に可謬主義に立ち位置を持ちますが、真理論における真理の対応理説は拒否していますが、パースとは異なり、理性主義・主知主義・実証主義の哲学や唯物論などには反対し、生きている「生」、「生の哲学」が体験としての生の直接的把握を目ざしたと同様に真理の有用説に立つとする立場です。「生の哲学」とはカントやドイツ観念論を初めとする「本流」の哲学の認識論、実在論などをあくまで理性を中心に見据えた理論に比して、極めて文化闘争的なものであり、「生物」としての人間の生{人生」といった限定的意味を範疇とするのではない。寧ろ、理性に対する生の優位、とどの詰まり、理性とは理性によっては捉えることのできない非合理的な生を実現するための「道具」にすぎないものであるという価値を含んだものなのであり、生を脅かすものは「病」であるとする。「生」とはどのようなものかについては、論者によっても差異があり、ショーペンハウアーはただ生きんとして生きる盲目的な暗い意志としていたが、ニーチェは彼とは反対にすべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志とし、ディルタイは歴史の流れの中にある客観的精神体としており、それぞれにニュアンスには違いがあるが、合理的な理性に対する、非合理な生の優位を主張する点でおおまかな一致をみることが出来得ます。此のことを鑑みウィリアム・ジェームズは、真理には信念が世界については事実が、その他の背景的信念及びこれら信念の将来的結果を含むと主張します。また真理には実際に複数の正しい答えがあると思考するところはC・S・パースとは異なり多元論者だとも云えます。ウィリアム・ジェームズは対象間の関係は対象自体と同じくらい現実であると主張するその徹底的プラグマティズム、究極の実在はある種のものであり、精神的でも肉体的でもないという唯物論や観念論と対立しつつも、其の両者の中間的位置を取る中立一元論を説きます。実在・非実在を問わない或る「有」的存在、インド大陸の仏教哲学の「空」的存在が仄(ほの)めかされています。
cap-hiroのプロフィール
Wilhelm-Dilthey1

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最終更新日  2016年11月23日 06時31分27秒
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