「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ75 デカルトの懐疑主義ではないが、古来より哲学が抱える大きな課題、其れが人間の体験や経験の感性では捉えきれない形而上の問題です。「唯物論の初めに物ありき」や「信教が説く、初めに言葉ありきが創造の始まり」では、感性では捉えきれないものを扱う形而上哲学では流石に納得はしないでしょう。「何故に何も無いのではなく、何かが在るのか。(Why is there something rather than nothing?)」は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つですが、神学や宗教哲学、また宇宙理論科学の領域などでも議論されています。ハイデッガーの「存在論」も其れを問い、思考しています。何故に「無」ではなく、「何かが存在する」のか、其の理由・根拠を問う問題は人間理性が、或る段階に達すると当然に湧き上がる疑問です。言い換えれば、「何故に宇宙・ 天地万有・万物があるのか。(Why is there a universe?)」、「何故ゆえに世界があるのか?(Why is there a world?)」、「何故に全てが無ではないのか?(Why not nothing?)」なども「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」に収束します。物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問い(The Ultimate Why Question)」、またはより簡潔に「究極の問い」とも呼ばれるものは、宗教説法に使用されること屡々で解答することが著しく困難であることから「存在の謎」(The riddle of existence)とも言われるが、信教では「神」に行き着く説法です。此の説法が効果的なのは原因解明に段を踏んで神に至るまで至るまで追求を差し止まないところにあり、境遇によっては結局は「神格」に辿り着き強烈な信教者が誕生します。 哲学・思想 ブログランキングへ