Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2018年05月07日
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カテゴリ: 夢有無有
「霊魂論」神秘学48
 ウパニシャッドにおける梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想を紐解けば、インド思想の基底にある思考法が「ウパニシャッド」における思考方式を基幹にしていることは明らかです。ウパニシャッド哲学は紀元前6世紀から紀元後6世紀頃までの、凡そ1000年にわたるインドの思想史のなかで思想だけではなく、其の思想には批判的な思想家ににまで其の思考方法には最も影響が及ぼしたのが「ウパニシャッド」です。紀元前6世紀から紀元6世紀ごろまでのインドを語るうえで重要とされる諸宗教は、凡てがこの期間内に出現していることから思想的には勿論のことですがインドの宗教・哲学は皆が此の思考方法と表現形式を纏っていることは疑いを挟めません。其れ等はバラモン教・ジャイナ教・ヒンズー教及び仏教ですが、なかでもヒンズー教と仏教は「ウパニシャッド哲学」により成り立っていると言っても過言ではありません。「6哲学」の「梵我一如の思想と思考法」はヒンズー教・仏教ともに思考方法の原点なのです。なかでも「梵我一如」の思想、 バラモン教の最高原理でもある宇宙の根本原因を表す「梵」即ち「ブラフマン」インドの正統バラモン教思想における最高原理。梵と漢訳される。、仏教に取り入れられ守護神の一となった梵天と、我を意味する「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとするのが梵我一如の思想なのですが、固定的実体的な自己(我・アートマン)は存在しないと観相する仏教独自の思想。インドの正統バラモン教にては,一般に自己の本体としての我が存在し,それが業の担い手となって生死輪廻すると考え、但し、仏教の開祖シッダルタはこの有我説に反対し,三法印の一つである〈諸法無我〉に唱われるように,一切諸法には実体的我は存在しないと主張した仏教の「無我の我」をウパニシャッドの表現形式で示します。



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最終更新日  2018年05月07日 06時23分18秒
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