「霊魂論」エチカ詳解178(生と死7) プラトンは魂の不死については肯定論であるように想えます。霊・魂のことはプラトンの最大の哲学的課題の一つであり「パイドン/副題:魂の不死について」で「魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引き摺って引きいない。何故なら、魂は其の受容体の生涯において勧んで肉体と交わることがなく、寧ろ肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習していたのである。そして、此の練習こそは正しく哲学することに他ならず、それは亦、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。」と述べ、更に「 魂が以上のような状態にあれば、それは自分自身に似たあの目に見えないもの、神的なもの、不死なるもの、賢いものの方へと立ち去っていき、一度(ひとたび)其処に到達すれば、彷徨や、狂愚の振る舞いや、恐怖や、凶暴な情欲や、そのたの様々な人間悪から解放されて、幸福になるのではないか。そして、秘儀を受けた人々について言われているように、残りの時間を真実に神々と共に過ごすのではないか。」と問いかけます。此れを、スピノザの云う「エチカ」の倫理学思考に当て嵌めれば、日常に人間最大の喜びが絶対存在の意思及び意識並びに精神に感応することの目的故に絶えずの倫理の実践への勧めが、プラトンの云う神の国(Kingdom of God)に近づく努力をしなければならないの実践哲学だと云えましょう。