神の存否-126 大乗哲学の「空観」なるものは、 一切のものは、尽く因縁によって生じたものであって、永遠不変の自我や実体といったものはなく、すべて空であると観じることとありますが、此の観念は人間の精神作用を想定したものと捉えます。此れを踏まえて、スピノザの云う「実体」なるものに当て嵌めて考察すれば、「実体」なる「神」、絶対存在としての意識や意思は形体を持たずしてあるものとなります。量子重力理論(Quantum Theory of Gravity)の限りなく零に近づくとも無とは成りえないものの要素が此れに当て嵌まるでしょう。即ち、スピノザの云う「実体」なるものは、物質的に在る物ではなく形体を持たずしてある絶対存在としての意識や意思を指すものと解きます。 定理二八の作用因に対する証明は全ての作用が遡及すれば起生因たる神に帰すことを証明してみせます。 証明 存在または作用に決定されているすべてのものは神からそのように決定されたのである(定理二六 ある作用をするように決定された物は神から必然的にそう決定されたのである。そして神から決定されない物は自己自身を作用するように決定することができない。および定理二四の系 この帰結として、神は物が存在し始める原因であるばかりでなく、物が存在することに固執する原因でもあること、あるいは、スコラ学派(The Ancients and the Scholastics)の用語を用いれば、神は物の「有ることの原因」でもあることになる。なぜなら、物が存在していても存在していなくても、我々はその本質に注目するごとに、それが存在も持続も含まないことを発見する。したがってそれらの物の本質は、その存在なりその持続なりの原因であることができず、ただ存在することがその本性に属する唯一者たる神(定理一四の系一により)のみがこれをなしうるのである。)により。ところが有限で定まった存在を有する物は神のある属性の絶対的本性から産出されることができない。神のある属性の絶対的本性から生起するすべてのものは無限かつ永遠だからである(定理二一 神のある属性の絶対的本性から生ずるすべてのものは常にかつ無限に存在しなければならぬ、言いかえればそれはこの属性によって永遠かつ無限である。)により。ゆえにそれは神のある属性がある様態に変状したと見られる限りにおいて神ないし神の属性から生起しなければならぬ。なぜなら実体と様態のほかには何ものも存在せず(公理一ならびに定義三と五により)、そして様態は(定理二五の系により)神の属性の変状にほかならないからである。しかしそれはまた神のある属性が永遠かつ無限なる様態的変状(モディフィカティオ)に変状(アフェクトゥス)した限りにおいては神ないし神の属性から生起することができない(定理二二により)。ゆえにそれは神のある属性が定まった存在を有する有限な様態的変状に様態化した限りにおいて神ないし神の属性から生起し、あるいは存在ないし作用に決定されなくてはならない。これが第一の点であった。次にこの原因あるいはこの様態もまた(我々がこの定理の第一の部分を証明したと同じ理由により)、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から決定されなければならぬ、そしてこの後者もまた(同じ理由により)他の原因から決定され、このようにして常に(同じ理由により)無限に進む。Q・E・D・=此れが証明されるべきことだったと示します。