Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2021年10月13日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-198
 スピノザにあって特殊の意味を有する「形相的有」とは、代表例としてアインシュタインの 「E=mc²」、「ほんのわずかな物質にも、膨大なエネルギーが秘められている」人間の理知が捉えた法則、即ち人間思考が捉えた思惟を意味します。 E=mc²によると、物質からエネルギーを引きだせ、また逆に、エネルギーから物質を生みだすことができるのは、神の思惟するものだという訳です。
 定理五 観念の形相的有(エッセ・フォルマーレ)は、神が思惟するものと見られる限りにおいてのみ神を原因と認め、神が他の属性によって説明される限りにおいてはそうでない。言いかえれば、神の属性の観念ならびに個物の観念は観念された物自身あるいは知覚された物自身を起成原因と認めずに、神が思惟するものである限りにおいて神自身を起成原因と認める。
 証明 これはすでにこの部の(定理三 神のうちには必然的に神の本質の、ならびに神の本質から必然的に生起するあらゆるものの観念が存する。)から明白である。なぜなら、我々はそこで、神がその本質の観念およびその本質から必然的に生起するすべてのものの観念を形成しうることを、単に神が思惟するものであるということに基づいて、神が自己の観念の対象であるなどということに基づいてではなく、観念の起生因であり結果であり完全体であるがゆえに神が思惟するものは世界であると結論した。ゆえに観念の形相的有は、神が思惟する物である限りにおいて神を原因と認める。
 しかしこのことは別に次のような仕方でも証明される。観念の形相的有は、それ自体で明白なように、思惟の様態である。言いかえれば(第一部定理二五の系 個物は神の属性の変状(アフエクテイオ)、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態(モードス)、にほかならぬ。)により、思惟する物である限りにおいての神の本性をある一定の仕方で表現する様態である。そこでそれは(第一部定理一〇 実体の各属性はそれ自身によって考えられなければならぬ。)により神の他のいかなる属性の概念も含まず、したがってまた(第一部公理四 結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む。)により、思惟以外のいかなる他の属性の結果でもない。ゆえに観念の形相的有は、神が思惟する物と見られる限りにおいてのみ神を原因と認め云々。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年10月13日 06時10分04秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: