Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年10月15日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-200
 スピノザの体系は三つの根本概念の二の「属性」の語彙ですが、此処にもデカルトが登場します。デカルトは無限の実体、即ち神のほかに、神によって創造された二つの派生的実体として、精神(思惟)と物体(延長)とを想定していた。この二つである「思惟と延長」、簡略化して云えば「思考と広がり」とは、スピノザにおいても、その下(もと)にあらゆる現実が包摂される二つの根本形式ではあります。しかし、彼スピノザによれば、それらは実体ではなくて、「実体の属性」であるとします。然し乍ら、スピノザの体系である三つの根本概念の二の「属性」が、無限の実体との関係をどう構想し構築するのかは難しい問題です。何故なら、実体の本質はこの二つ属性に尽きることはないからです。二つの属性に尽きるものであったら、実体は規定され限定されたものとなって、それは無限の実体という概念に矛盾を生じます。したがって、もし仮にこの二つ属性が実体の客観的本質の全てないとすれば、それらは、それ自身では無限である実体が、すべてを思考と広がりとに分かつ悟性の主観的認識に現れる規定であるより他はないことになります。そしてこれこそがスピノザの考えの要点です。彼によれば属性とは、「悟性が実体についてその本質を構成していると認めるもの」である。二つの属性はしたがって、実体の本質が知覚する悟性に対してのみ、このような一定の仕方で現れる規定である。実体そのものはこのような一定の存在の仕方に尽きるものではないから、それらはただ実体の様態にすぎない悟性に対してのみ、実体の本質を表現するものとして顕れるにすぎない。悟性がこの二つの属性の下でのみ実体を見るということは、実体そのものとは無関係になります。実体そのものは無限に多くの特性を持っている。すなわち制限でない限りあらゆる可能な属性がそのうちに想定される。右の二属性を実体に帰するのは人間の悟性にすぎず、しかもその人間の悟性が理解しうる諸属性のうちこの二つのみが真に肯定的であるから、言い換えれば実在性を持っているから、この二つも実体に帰するのである。したがって、神すなわち実体は、悟性がこれを思考という属性の下に考察する限り思考であり、広がりという属性の下に考察する限り広がりである。一口に言えば、この二つの属性は経験的に採用された規定であって、実体の本質を尽くすのではない。実体はそれらの背後に絶対的に無限なものとして立っているのであるとします。



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最終更新日  2021年10月15日 06時03分36秒
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