Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月08日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-253
 スピノザは我々の身体の持続は身体の本質に依存しないし、人間精神の身体の持続の認識の観念にも疑問を呈します。人間精神の観念の観念の持続の認識にも疑問符を持ち込むのでしょうか。確かに常有という意味では人間精神のみならず個物にも持続の永遠性はありません。但し、世界の側である神の領域には絶対的持続の永遠性があります。人間が神の思惟を観想さらに観相出来うれば持続の永遠性を実相することを獲得できないのでしょうか。
 定理三一 我々は我々の外部に在る個物の持続についてはきわめて非妥当な認識しかもつことができない。
 証明 なぜなら、おのおのの個物は人間身体と同様に他の個物からある一定の仕方で存在し作用するように決定されなければならぬ、そしてこの後者もまた他の物から決定され、このようにして無限に進む(第一部定理二八 あらゆる個物、すなわち有限で定まった存在を有するおのおのの物は、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。そしてこの原因たるものもまた、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。このようにして無限に進む。により)。ところが我々は(前定理三〇 我々は我々の身体の持続についてはきわめて非妥当な認識しかもつことができない。)において、我々が我々の身体の持続についてきわめて非妥当な認識しか有しないことを個物のこの共通の特質から証明した。ゆえに個物の持続についても同じことが結論されるであろう。すなわち我々は個物の持続についてはきわめて非妥当な認識しかもつことができない。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 系 この帰結として、すべての個物は偶然的でかつ可滅的であるということになる。というのは、我々は個物の持続について何ら妥当な認識をもつことができないのであり、そして我々が物の偶然性とか可滅性とか言っているのは結局そうしたことを指しているのだからである。実際この意味以外ではおよそ偶然的な物は一つとして存在しないのであるから(第一部定理二九 自然のうちには一として偶然なものがなく、すべては一定の仕方で存在し・作用するように神の本性の必然性から決定されている。)により。
 持続とは多分に「時間・連続性」を帯びています。原因→作用→決定の連続性です。スピノザは此の連続性は神の側に有るべきものであり、人間精神の側には個物同様にないとします。対して、アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson*bɛʁksɔnと発音 /1859~1941)は時間の流れを「持続」という独自の概念でとらえています。



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最終更新日  2021年12月08日 06時10分04秒
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