Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月11日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-256
 スピノザにすれば神の中にあるのは「絶対完全な観念」が在するのは当然ですが、我々人間が思惟するものから生じる絶対的な、言い換えれば神に帰すことが出来得る我々人間の観念も妥当だと言います。
 定理三四 我々の中において絶対的なあるいは妥当で完全な観念はすべて真である。
 証明 我々の中に妥当で完全な観念が存すると我々が言う時、それは(この部第二部の定理一一の系の帰結として 人間精神は神の無限な知性の一部であるということになる。したがって我々が「人間精神がこのことあるいはかのことを知覚する」と言う時、それは、「神が無限である限りにおいてでなく、神が人間精神の本性によって説明される限りにおいて、あるいは神が人間精神の本質を構成する限りにおいて、神がこのあるいはかの観念をもつ」と言うのに他ならない。また我々が「神が人間精神の本性を構成する限りにおいてのみでなく、神が人間精神と同時に他の物の観念をも有する限りにおいて、神がこのあるいはかの観念をもつ」と言う時に、それは「人間精神が物を部分的にあるいは非妥当的に知覚する」と言う意味である。 により)、我々の精神の本質を構成する限りにおいての神の中に妥当で完全な観念が存すると言っているのにほかならぬのであり、したがってまた(この部第二部の定理三二 すべての観念は神に関係する限り真である。により)そうした観念が真であると言っているのにほかならないのである。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 すべての観念は神に関係する限りとは、我々人間の思考が確信を持っていた観念、たとえばアインシュタインの宇宙定常説も妥当でない、つまり、世界自然法則の観念の毀損だということです。人類がスピノザの云う妥当な観念から絶対的な観念に近接するには、南アジアのインドの山奥で修行すれば兎も角も、現代最先端物理科学の観測をもってしても、見ること能わずの領域があり甚だ難があります。物理科学が自然哲学を超え、人類が「神の法理」を手中にするのを夢見ます。



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最終更新日  2021年12月11日 06時10分05秒
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