Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2021年12月14日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-259
 スピノザは、真を観想したものは真の妥当な観念を、虚偽や誤謬を観想したものは非妥当で混乱した観念を導き、逆に、真を観想したものが非妥当で混乱した観念に、虚偽や誤謬を観想したもの真の妥当な観念を導き出すことは有り得ないとします。
 定理三六 非妥当で混乱した観念は、妥当なあるいは明瞭判然たる観念と同一の必然性をもって生ずる。
 証明 すべての観念は神の中に在る(第一部定理一五 すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物も在りえずまた考えられえない。により)、そしてそれは神に関する限りにおいて真であり(この部第二部の定理三二 すべての観念は神に関係する限り真である。により)、また(この部第二部の定理七の系神の思惟する能力は神の行動する現実的能力に等しいことになる。言いかえれば、神の無限な本性から形相的に起こるすべてのことは、神の観念から同一秩序・同一連結をもって神のうちに想念的に、即ち観念として起こるのである。により)妥当である。したがっていかなる観念も、それがある人間の単独の精神に関する限りにおいてでなくては、非妥当でもなければ混乱してもいない(これについてはこの部第二部の定理二四 人間精神は人間身体を組織する部分の妥当な認識を含んでいない。および、この部第二部の定理二八 人間身体の変状の観念は、単に人間精神に関連している限り、明瞭判然たるものではなく、混乱したものである。を見よ)。それゆえに観念は、妥当なものでも非妥当なものでも、すべて同一の必然性をもって生ずるのである(この部第二部の定理六の系 思惟の様態でない事物の形相的有は、神の本性がそれらの事物を前もって認識したがために神の本性から起こるのではない、むしろ観念の対象たる事物は、観念が思惟の属性から生ずるのと同一の仕方・同一の必然性をもって、それ自身の属性から起こりあるいは導き出されるということになる。により)。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 絶対者の存在をスピノザのように自然(世界)と捉えるのではなく、見えざるものとして捉える一部の形而上哲学は論理的矛盾を見えざるものとしての絶対者に帰す傾向があります。逆に、実相から真を捉えようとする理論物理学は神がいようがいまいか、神を持ち出さないで結果をだそうとします。真の「神の観念」とは何れが正当な道なのでしょう。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年12月14日 06時10分05秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: