Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年01月08日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-284
 この部第二部定理四九の系・証明に次いで長文の備考が載せられています。此の備考は当時のオランダの政治情勢でオランダ総督を戴いた教会派神学者に無神論者と指摘される程のスピノザに、思想的に近隣とされたデカルト主義者が、好意派だと目されるとばっちりを避けようとの思いがスピノザ批判に追い撃ちをかけ、そのデカルト主義者への鋭い批判が憤りとなって追記されたものでしょう。
 備考 これでもって我々は通常誤謬の原因とされているものを取り除いた。ところでさきに我々の示したところによれば、虚偽〔乃至は誤謬と解せられる〕とは単に毀損し混乱した観念の含む欠乏にのみ存するのである。ゆえに偽なる観念は偽である限りにおいて確実性を含まない。だからある人間が偽なる観念に安んじて少しもそれについて疑わぬと我々が言う場合、それは彼がそれについて確実であるというのではなくて、単にそれについて疑わぬというだけのことである。あるいは彼の表象を動揺させる原因、言いかえれば彼にそれを疑わせる原因が少しも存在しないから彼はその偽なる観念に安んじているというだけのことである。これについてはこの部第二部の定理四四の備考(我々は物を現在に関してもあるいは過去ないし未来に関しても偶然なものとして表象するであろう。)を見よ。したがってある人間が偽なる観念にどこまでも固執する。そして誰も彼にそれを疑わせることができないと仮定しても、我々は彼がそれについて確実であるとは決して言わぬであろう。なぜなら我々は確実性をある積極的なものと解し(この部第二部の定理四三 真の観念を有する者は、同時に、自分が真の観念を有することを知り、かつそのことの真理を疑うことができない。および、その備考 要約 我々の精神は物を真実に知覚する限りにおいて神の無限な知性の一部分である。したがって精神の有する明瞭判然たる観念が神の有する観念と同様に真であることは必然である。を見よ)、疑惑の欠乏とは解しないからである。これに反して我々は確実性の欠乏を虚偽と解する。



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最終更新日  2022年01月08日 06時10分05秒
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