Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年03月29日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-363
 スピノザの云う精神感情は現実的には他からの働きがけのみに起因する悲しみの感情と、他からの働きがけのみならず、他者への働き掛けをする喜びあるいは欲望に関する感情をすべての感情の基底に置き、他の多数の感情の特質は此れ等三者の絡み合いの具合の加減だと云うことです。味覚には、甘味・酸味・塩味・苦味・旨味はありますが辛味や渋みなどはありません。然し乍ら、辛味・渋みそのものを極上の旨味そのものととる人がいることも事実です。其の関係はスピノザの云う基本の精神感情と対応させてみれば何に某しらの共通点は見い出されます。:記
 定理五九 すべて、働きをなす限りにおいての精神に関係する感情には、喜びあるいは欲望に関する感情があるだけである。
 証明 すべての感情は、我々が与えたその定義から分かるように、いずれも欲望、喜びあるいは悲しみに関係している。ところで悲しみとは精神の思惟能力を減少しあるいは阻害するものであると我々は解する(この部第三部の定理一一 すべて我々の身体の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものの観念は、我々の精神の思惟能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害する。およびその備考
 要項:身体と精神の認識的存在の人間身体と精神存在の状況の有る無し。により)。したがって精神が悲しみを感ずる限り、精神の認識能力すなわち(この部第三部の定理一 我々の精神はある点において働きをなし、またある点において働きを受ける。すなわち精神は妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きをなし、また非妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きを受ける。により)その活動能力は減少されあるいは阻害される。したがって働く限りにおける精神にはいかなる悲しみの感情も帰せられえない。帰せられうるのはただ、働く限りにおける精神にも関係する(この部第三部前定理五八 受動である喜びおよび欲望のほかに、働きをなす、つまりは能動的である限りにおける我々に関係する他の喜びおよび欲望の感情が存する。により)喜びおよび欲望の感情のみである。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。
 備考 妥当に認識する限りにおける精神に関係する諸感情から生ずるすべての活動を、私は精神の強さに帰する。そしてこの精神の強さを勇気と寛仁とに分かつ。勇気とは各人が単に理性の指図に従って自己の有を維持しようと努める欲望であると私は解する。これに対して寛仁とは各人が単に理性の指図に従って他の人間を援助しかつこれと交わりを結ぼうと努める欲望であると解する。かくのごとく私は、行為者の利益のみを意図する行革を勇気に帰し、他人の利益をも意図する行為を寛仁に帰する。ゆえに節制、禁酒、危難の際の沈着などは勇気の種類であり、これに反して礼譲、温和などは寛仁の種類である。
 これでもって私は三つの根本的感情、すなわち欲望、喜び、悲しみの合成から生ずる主要な感情および心情の動揺を説明し、これをその第一原因によって示したと信ずる。これからして、我々は外部の諸原因から多くの仕方で動かされること、また我々は旋風に翻弄される海浪のごとく自らの行末や運命を知らずに動揺することが明白になる。しかし私は単に主要な感情を示したとは言ったが、存在しうる心情の葛藤のすペてを示したとは言わなかった。というのは、我々は上と同じ方法を継続して、愛が後悔、侮蔑、恥辱などと結合することを容易に示しうるからである。のみならずまた、上に述べたことからして、もろもろの感情がこのように種々の仕方で相互に組み合わせられて、それから数えきれないほど多くの変種が生じうることは誰にも明瞭であると信ずる。しかし私の計画にとっては、単に主要な感情のみを数え上げただけで十分である。なぜなら、私が省略したその他の感情は、実用的価値というよりは好奇的価値を有するにすぎぬからである。
 だがしかし、愛についてまだ注意することが残っている。それは次のようなことがしばしば起こることである。すなわち、我々が我々の衝動の対象物を享受する間に、身体はこの享受によって新しい状態に達し、この状態が身体を別様に決定し、事物に関する別な表象像が身体の中に喚起され、それと同時に精神は異なったことを表象し、異なったことを欲し始める、ということである。例えば、その味が我々を楽しませるのを常とするある物を我々が表象する時、我々はそれを享受すること、すなわち食うことを欲する。ところがそれ亨1うして享受する間に胃は充実して、身体は別様な状態に置かれる。だからもし身体がすでに別様な状態になっている際、同じ食物がなお現在するためにその表象像がまだ保存されており、したがってそれを食おうとする努力ないし欲望も保存されているとすれば、あの新しい身体の状態はこの欲望ないし努力と矛盾するであろう。したがってさきに我々の衝動の対象であった食物の現存が今は厭わしくなるであろう。これは我々が飽満および厭悪と呼ぶところのものである。
 そのほかもろもろの感情において見られる身体の外的諸変状、例えば震え、青ざめ、すすり泣き、笑いなどは割愛した。それらは単に身体のみに関係し、精神とは何の関係も持たぬからである。
 最後に、もろもろの感情の定義について若干の注意すべきことがある。だから私はここでそれらの定義を秩序だてて繰り返し、おのおのについて注意すべき事柄をその間に挿入していくであろう。
 スピノザの精神感情の分析は、後世の実験心理学の父と称されるヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴント(Wilhelm Maximilian Wundt、1832年 - 1920年)の先駆けともとれる考察は、まさに認識哲学が齎したものでしょう。:記



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最終更新日  2022年03月29日 06時06分52秒
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