Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年03月30日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-364
 スピノザは有り難いことに自己の提起した諸感情の定義をを付録として追記しています。
        諸感情の定義
付録:感情の諸定義、
一、二、三、四、五、六、七、八、九、一〇、
一一、一二、一三、一四、一五、一六、一七、一八、一九、二〇、
二一、二二、二三、二四、二五、二六、二七、二八、二九、三〇、
三一、三二、三三、三四、三五、三六、三七、三八、三九、四〇
四一、四二、四三、四四、四五、四六、四七、四八、 感情の総括的定義、第三部TOP
 付録:感情の諸定義一 欲望
 一 欲望とは、人間の本質が、与えられたそのおのおのの変状によってあることをなすように決定されると考えられる限りにおいて、人間の本質そのものである。
 説明 我々はさきに、この部第三部の定理九の備考 (注:我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するがゆえにそのものを善と判断するということである。)において、欲望とは意識を伴った衝動であり、また衝動とは人間の本質が自己の維持に役立つことをなすように決定される限りにおいて人間の本質そのものであると言った。しかし私はまた同じ備考で、人間の衝動と欲望との間には実際には何の相違も認めないことを注意した。なぜなら、人間が自己の衝動を意識しようとしまいと衝動は同一にとどまるからである。そこで私は同語反復(タウトロギア)を犯すと見られないように、欲望を衝動によって説明することを好まなかった。むしろ欲望を、我々が衝動、意志、欲望または本能という名称をもって表示する人間本性の一切の努力をその中に包括するような仕方で定義しようとつとめた。もちろん私は「欲望とは人間の本質があることをなすように決定されると考えられる限りにおいて人間の本質そのものである」とだけも言いえたであろう。だがこの定義からは(第二部定理二三 精神は身体の変状〔刺激状態〕の観念を知覚する限りにおいてのみ自分自身を認識する。により)精神が自己の欲望ないし衝動を意識しうるということは出てこないであろう。ゆえにこの意識の原因を含めるために「与えられたそのおのおのの変状によって決定されると考えられる限りにおいて」と付加することが必要であったのである(同じ第二部定理二三により)。なぜなら人間の本質の変状ということを我々はその本質のおのおのの状態と解するからである。その状態が生得的のものであろうと、〈外部から得られたものであろうと、〉またそれが思惟の属性のみによって考えられようと、延長の属性のみによって考えられようと、最後にまたそれが両属性に同時に関係しようと、変りはないのである。ゆえに私はここでこの欲望という名称を人間のあらゆる努力、あらゆる本能、あらゆる衝動、あらゆる意志作用と解する。こうしたものは同じ人間にあってもその人間の異なった状態に応じて異なり、また時には相反的でさえあり、この結果人間はそうしたものによってあちこちと引きずりまわされて自らどこへ向かうべきかを知らないというようなことにもなるのである。
 スピノザが感情の諸定義の筆頭に欲望を真っ先に掲げるのは、欲望が如何に喜び・悲しみ等々の精神感情に対しても、人間の精神行動に与えるインパクトは大きく強靭さを持つからです。



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最終更新日  2022年03月30日 06時02分17秒
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