Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年04月05日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-370
 付録:感情の諸定義 一六:歓喜 一七:落胆 一八:憐憫 一九:好意
 一六 歓喜とは恐怖に反して起こった過去の物の観念を伴った喜びである。
 一七 落胆とは希望に反して起こった過去の物の観念を伴った悲しみである。
 一八 憐憫とは我々が自分と同類であると表象する他人の上に起こった害悪の観念を伴った悲しみである。この部第三部の定理二二の備考(~我々はこれを他人の不幸から生ずる悲しみであると定義することができる。しかし他人の幸福から生ずる喜びがいかなる名前で呼ばれるべきかを私は知らない。さらに我々は他人に善をなした人に対する愛を好意と呼び、これに反して他人に悪をなした人に対する憎しみを憤慨と呼ぶであろう。最後に注意すべきことは、我々は我々の愛したものに憐憫を感ずる(前定理二ー 自分の愛するものが喜びあるいは悲しみに刺激されることを表象する人は、同様に喜びあるいは悲しみに刺激されるであろう。しかもこの両感情が愛されている対象においてより大でありあるいはより小であるのに応じて、この両感情は愛する当人においてもより大でありあるいはより小であるであろう。で示したように)だけでなく、また以前には我我が何の感情もいだいていなかったものに対しても、ただそのものが我々に類似する・同類であると我々が判断すれば我々はこれに憐憫を感ずる、のちに示すだろうように。したがって我々は自分と同類のものに善をなした人に対しても好意を感じ、また反対に自分と同類のものに不幸を与えた人に対しても憤慨を感ずるであろう。および定理二七の備考(~あるものを憐れむことから生ずる、そのものに親切をしてやろうとするこの意志ないし衝動は慈悲心と呼ばれる。したがってこれは憐憫から生ずる欲望にほかならない。なお我々と同類であると我々の表象する対象に善あるいは悪をなした人に対する愛あるいは憎しみについては、この部第三部の定理二二の備考我々は我々の愛したものに憐憫を感ずる(前定理二ー 自分の愛するものが喜びあるいは悲しみに刺激されることを表象する人は、同様に喜びあるいは悲しみに刺激されるであろう。しかもこの両感情が愛されている対象においてより大でありあるいはより小であるのに応じて、この両感情は愛する当人においてもより大でありあるいはより小であるであろう。で示したように)だけでなく、また以前には我我が何の感情もいだいていなかったものに対しても、ただそのものが我々に類似する・同類であると我々が判断すれば我々はこれに憐憫を感ずる。~を見よ。
 説明 憐憫と同情との間には、おそらく、憐憫は個々の感情を眼中に置いたものであり同情は憐憫の習性を眼中に置いたものであるという以外には何の相違もないように思われる。
 一九 好意とは他人に親切をなした人に対する愛である。



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最終更新日  2022年04月06日 04時13分40秒
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