Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年04月16日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-381
 第四部序言の中文の前半部
 ある物を製作しようと企てそしてそれを完成した人は誰でも、その物が完成された、完全になったと言うであろう。これはその作品の製作者自身ばかりでなく、その製作者の精神ないし意図を正しく知っている者、あるいは知っていると信ずる者はみなそう言うであろう。例えば、ある人がある作品、それがまだ仕上げられていないと仮定する、を見て、その作品の製作者の意図が家を建てることにあると知るならば、その人はその家が完成されていない、不完全であると言うであろうし、これに反して、その作品に製作者の与えようと企てた目的が遂げられたのを見るや否や、それは完成された、完全になったと言うであろう。しかしある人がいまだかつて他に類例を見たことのないようなある作品を見、かつその製作者の精神をも知らない場合には、その人はもちろんその作品が完成されているか完成されていないかを知ることができないであろう。こういうのが完全および不完全という言葉の最初の意味であったように思われる。
 しかし人間が一般的観念を形成して家、建築物、塔などの型を案出し、事物について他の型よりもある型を選択することを始めてからというものは、各人はあらかじめ同種の物について形成した一般的観念と一致するように見える物を完全と呼び、これに反してあらかじめ把握した型とあまり一致しないように見えるものを、たとえ製作者の意見によればまったく完成したものであっても、不完全と呼ぶようになった。
 もろもろの自然物、すなわち人間の手で製作されたのでないものについても、人々が通常完全とか不完全とか名づけるのはこれと同じ理由からであるように見える。すなわち人間は、自然物についても、人工物についてと同様に一般的観念を形成し、これをいわばそれらの物の型と見なし、しかも彼らの信ずるところでは、これを自然(自然は何ごとも目的なしにはしないと彼らは思っている)が考慮し、型として自己の前に置くというのである。このようにして彼らはあらかじめ同種の物について把握した型とあまり一致しないある物が自然の中に生ずるのを見る時に、自然自身が失敗しあるいはあやまちを犯して、その物を不完全にしておいたと信ずるのである。
 これで見ると、人間が自然物を完全だとか不完全だとか呼び慣れているのは、物の真の認識に基づくよりも偏見に基づいていることが分かる。実際、我々は自然が目的のために働くものでないことを第一部の付録で明らかにした。つまり我々が神あるいは自然と呼ぶあの永遠・無限の実有は、それが存在するのと同じ必然性をもって働きをなすのである。事実、神がその存在するのと同じ本性の必然性によって働きをなすことは我々のすでに示したところである(第一部定理一六)。したがって神あるいは自然が何ゆえに働きをなすかの理由ないし原因と、神あるいは自然が何ゆえに存在するかの理由ないし原因とは同一である。ゆえに神は、何ら目的のために存在するのではないように、また何ら目的のために働くものでもない。すなわち、その存在と同様に、その活動もまた何の原理ないし目的も有しないのである。
 *スピノザの云う「神即自然」とは実体を自己原因としてとらえ、デカルトにはじまるアリストテレス的実体概念の革命を徹底し,無限に多くの属性から成る唯一の実体を神と呼んだ。いっさいの事物は様態すなわち神の変状であり、神は一切の事物の内在的原因であり、すべての事物は神の必然性によって決定されているとして、神即自然の汎神論的体系を展開し、思惟と延長を神の二つの属性、すなわち同一実体の本質の二つの表現と見て、心身平行論の立場をとり、デカルトの二元論を乗り越えたとされる主張です。こうして彼は自己の個体本質と神との必然的連関を十全に認識するとき、有限な人間は神の無限にあずかり、人間精神は完全な能動に達して自由を実現してそこに最高善が成立すると説いた。汎神論はキリスト教の正統からは変装した無神論として非難され、当時はスピノザを極悪の無神論者と見る見解が支配的であった。後に 1785、,F・H・ヤコビとM・メンデルスゾーンとの間でG・E・レッシングがスピノザ主義者であったか否かについて論争がはじまり,カント哲学の評価ともからんでドイツの知識人の非常な関心をひき,ヘルダー及びゲーテやカントをも巻き込み「神即自然というスピノザ思想の再評価をめぐる大論争に発展し,その過程でスピノザの名誉回復がおこなわれ、ゲーテやヘルダーは彼の影響のもとに汎神論的思想を形成した。これを汎神論論争といいますが、現代量子重力理論では宇宙の始まりがビッグバンを遡りインフレーションそのものを超えた「無」のエネルギーそのものが問われようとしています。量子重力理論では「無」とは数学的「0」ではなく、「点有」としての無限エネルギーを秘めた何者かという、我々の存在の有無の概念を超えた何者か、我々の存在の虚と無の境界も甚だ曖昧となりつつあります。スピノザを超えるのは、宗教なのか哲学なのか、不確定性原理に成り立つ量子理論なのかは、文字通り「神(未来の時or永遠の瞬間)を知る」ものだとも今は待つしかあるまい。



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最終更新日  2022年04月16日 06時09分50秒
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