Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月17日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-443
 定理四七 希望および恐怖の感情はそれ自体では善でありえない。
 証明 希望および恐怖の感情は悲しみを伴うことなしに存しえない。なぜなら恐怖は(感情の定義一三 恐怖とは我々がその結果について幾分疑っている未来あるいは過去の物の観念から生ずる不確かな悲しみである。により)悲しみであるし、また希望は(感情の定義一二 希望とは我々がその結果について幾分疑っている未来あるいは過去の物の観念から生ずる不確かな喜びである。及び、感情の定義一三の説明 これらの定義からして、恐怖なき希望もないし希望なき恐怖もないということになる。なぜなら、希望に頼ってある物の結果につき疑っている人は、その未来の物の存在を排除するあることを表象し、かくてその限りにおいて悲しみ、したがって希望に頼っている間はその物が出現しないことを恐れもしている、と認められるからである。これに反して恐怖の中に在る人すなわち憎むある物の結果について疑う人は、同様にその物の存在を排除するあることを表象し、かくて喜び、したがってその限りにおいていまだその物の出現しないことを希望してもいるのである。恐怖を伴うことなしには存しえないからである。したがつて(この部第四部の定理四二 快活は過度になりえず、常に善である。反対に憂鬱は常に悪である。により)、これらの感情はそれ自体では善でありえず、ただ喜びの過度になるものを抑制しうる限りにおいてのみ善である(この部の定理四三第四部 快感は過度になり得(う)るしまた悪であり得る。しかし苦痛は快感あるいは喜びが悪である限りにおいて善でありうる。により)。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。
  備考 これに加えて、これらの感情は認識の欠乏および精神の無能力を表示するものである。そしてこの理由から安堵、絶望、歓喜および落胆もまた無能な精神の標識である。なぜなら安堵および歓喜は喜びの感情であるとはいえ、それは悲しみから、すなわち、希望および恐怖云々の先行を前提としているからである。だから我々が理性の導きに従って生活することにより多くつとめるにつれて我々は希望にあまり依存しないように、また恐怖から解放されるように、またできるだけ運命を支配し・我々の行動を理性の確実な指示に従って律するようにそれだけ多く努める。
  記:希望及び恐怖は人間精神の安寧を求める本態的本性から生じるものであり、キリスト教では人体の形態を伴ったヤーウェの仮身或いは分身、神格が人格性を体身し人間の契約違反のために現世界へ降された
ナザレのイエスは「全能の神」の人間への真の幸福への機会を与える最後の恩赦の機会なのです。



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最終更新日  2022年06月17日 06時34分06秒
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