Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年07月27日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-483
 定理七 理性から生じあるいは理性によって喚起される感情は、時間(*持続)という点から見れば、不在として観想される個物に関する感情よりも強力である。
 証明 我々が物を不在として観想するのはその物自身から受ける刺激によってではなく、その物の存在を排除する他の刺激を身体が受けることによるのである(第二部定理一七 もし人間身体がある外部の物体の本性を含むような仕方で刺激されるならば、人間精神は、身体がこの外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、その物体を現実に存在するものとして、あるいは自己に現在するものとして、観想するであろう。により)。ゆえに、我々が不在として観想する物に関する感情は、その本性上、人間のその他の活動や能力を凌駕するようなものではなく(これについては第四部定理六 ある受動ないし感情の力は人間のその他の働きないし能力を凌駕することができ、かくてそのような感情は執拗に人間につきまとうことになる。を見よ)、寧ろ反対に、その外部の原因の存在を排除する諸刺激によって多かれ少なかれ阻害され得るようなものである(第四部定理九 感情は、その原因が現在我々の前にあると表象される場合には、それが我々の前にないと表象される場合よりも強力である。により)。ところが、理性から生ずる感情は必然的に物の共通の諸特質に関係し(第二部定理四〇の備考二 要項:第一種の認識、意見(オピニオ)もしくは表象(イマギナティオ)、我々が事物の特質について共通概念あるいは妥当な観念を有する第二種の認識
における理性の定義)により、この共通の諸特質を我々は常に現在するものとして観想し、何故なら、そうしたものの現在的存在を排除する何ものも存しえないから、そして我々はこれを常に同じ仕方で表象する(第二部定理三八 すべての物に共通であり、そして等しく部分の中にも全体の中にも在るものは、妥当にしか考えられることができない。により)。故に、こうした感情は常に同一にとどまる。従って、また(この部の公理一 もし同じ主体の中におのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力ならば、両者が相反することを止めるまでは、両者の中にか両者の一方の中にか必ずある変化が起こらざるをえないであろう。により)そうした感情に相反するしかも外部の原因から支えられない感情は、次第次第に、そうした感情に順応して、ついにはそれと相反しなくなるところまで来ざるを得ないであろう。こうした限りにおいて、理性から生ずる感情の方がより強力である。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 参照:ベルクソンの持続と自由に時間(*持続とは、一般に、長く保ち続けること、長く続いていることを意味する。また、ベルクソン哲学の主要概念の一つであり、間断なき意識の流れを意味する。)。純粋持続と真の時間、たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、こま切れにしたりすることはできない。このように概念や言葉から離れて内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、止めようなき自発、能動によるものである。これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。というのも、空間化とは数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、それはもはや流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって、古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。したがって、真の実在認識は、もちろんカントのいう感性的直観や悟性によってではなく超知性的な直観によって可能となる。
    持続と自由
 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。通常、自由といえば、選択の自由を意味する。たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか自分の意志に基づいて選択できる。そこに自由があるとされる。しかし、ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、「現在」において不断かつ連続的に創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての純粋自我による行為である。
 他方、物質界は一瞬前の過去を惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。物質は「自らを破壊する」のに対して、生命は「自らを形成する」。つまり、生命には、「物質が降りていく坂を登ろうとする努力」をみることができる。宇宙の万象は、この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開なのである。そして、緊張の極にあるのが、エラン・ビタール(生の躍動)である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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最終更新日  2022年07月27日 06時10分06秒
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