Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年04月07日
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カテゴリ: 霊魂論
「神秘学」解析
シュタイナーのキリスト観-2- 2:四つの福音書のキリスト叙述
第1講 福音書の光に照らした人類生成の深遠な秘密の三 マルコ福音書-2
 キリスト(*ここでは人類の救世主、霊的世界の最高霊)と見做す高き太陽存在について、私たちがヨハネ福音書の意味で、霊的な意味における地球に注ぐ太陽の光(Tauschen mit der Erdensonne)について語るように語り、ルカ福音書の意味で、キリストの地球太陽から迸る(ほどはしる)愛の熱について語るなら、マルコ福音書の意味においては、私たちは霊的な意味での地球太陽の力そのものについて語ります。地球における諸々の力として存在するすべて、秘されかつ開示された地球の諸力・活力として此処彼処(ここかしこ)で活動するすべてが、マルコ福音書に注目して考察するときに私たちに現れてくるでしょう。ヨハネ福音書の意味で自分を高めるとき、地球に到来した理念を予感するのみではあっても、キリストの地球上での思考のように理解することが許されるなら、ルカ福音書の熱を自分自身を通して流出させるとき、供犠の愛の熱い息吹を感じることができるでしょう。つまりは、ヨハネ福音書のなかにキリストの思考を、ルカ福音書を通してキリストの感情を予感することができるなら、マルコ福音書を通してキリストの意志を良く知るようになり得ます。キリストが愛と叡智を実現するための諸力そのひとつひとつを知るようになるのです。
 ヨハネ福音書およびルカ福音書についての考察に、マルコ福音書についての考察を付け加えることができれば、三つの特性を予感しつつ把握していることでしょう。そのときひとはこう言うでしょう、畏敬の念をもって私たちは御身(おんみ)に近づき、御身の思考[Denken]、感情[Fuehlen]、意志[Wollen]について、御身の魂のこれら三つの特性が地球上の最高の模範として私たちの前に高く掲げられているのを予感しますと。
 私たちはこのような考察をしました、ちょうど小さな規模において私たちが人間を考察し、人間は感受魂、悟性魂、意識魂から成ると言い、今度は感受魂、悟性(*理性までにはいかない理解)乃至は、心情魂、意識魂の特徴を考察する場合のように考察したのです。私たちが意識魂という語をキリストに適用するなら、私たちは次のように言うことができるでしょう。意識魂はヨハネ福音書において私たちに予感的に理解される、心情魂はルカ福音書を通じて、その意志の力のすべてを伴う感受魂はマルコ福音書を通じて、私たちに理解されると。私たちがそれを一度考察することができれば、これは私たちに、開示されかつ隠された自然力について、私たちの世界にあり、キリストという唯々(ただただ)ひとりの個性(Individualitaet)に凝集された自然力について明らかにするでしょう、それは私たちに、宇宙に存在するあらゆる力の本性について明らかにするのです。私たちはヨハネ福音書においては思考内容のなかに、ルカ福音書においてはこの存在の感情のなかに沈潜しましたが、このマルコ福音書の場合人間はそれほど深くこの個性に入り込む必要はないので、この考察は単にマルコ福音書において私たちに宇宙のあらゆる隠された自然力および霊力の組織(spiritual organization)として立ち現れてくるものに対してのものとなります。このすべてはアカシャ年代記に記(しる)されています。マルコ福音書の圧倒的な記録を私たちに作用させるなら、すべては私たちに反映されるのです。そのとき私たちは予感しつつ、キリストという単一の存在のなかに凝集されているもの、通常は宇宙という単一の存在全体に振り分けられているものを理解するでしょう。そして、私たちがさまざまな存在たちの基本的な原理原則として知っていたものが、さらに気高い輝きと光のなかで私たちに現れるです。全宇宙意志の秘密を含んだマルコ福音書を私たちに明らかにするとき、私たちは深い敬意とともに宇宙の中心点に、キリスト・イエスに近づいていくのです、キリストの思考、感情、意志を徐々に会得しながら。
 思考、感情、意志が相互に入り混じって作用しているのを観察すると、まるごとの人間のおおよその像(表象[Bild])が得られます。けれども私たちは、ひとりの人間の場合ですら、思考、感情、意志を分けて観察しないわけにはいきません。私たちがすべてを統合する場合、私たちの眼差しはすべてを見通すことができるためにはもはや十分ではないでしょう。この三つの特性を分けてそれぞれ別個に考察することによって私たちは課題を比較的軽減しているのですが、他方私たちがこれら三つの特性を人間の魂のなかで統合的に見ると、私たちの思い描く像は色褪せてくるでしょう。すべてを一緒に考察するには私たちの力は不十分なので、私たちが原因でそういうことになるのです、私たちが諸特性を統合すると、像は色褪せるからです。
 ヨハネ、ルカ、そしてマルコ福音書という三つの福音書を考察して、それによってキリスト・イエスの思考及び感情、その意志について予感を得たなら、これら三つの特性を再び調和(Harmonie)へと導いているものを統合することができるでしょう。但し、このときにはどうしてもその像は朧げな色褪せたものになってしまわざるを得ません、人間のどんな力も、私たちによって分けられたものを十分に統合することはでき得ないからです。と申しますのも、本質においてあるのはひとつの統一(Einheit])であって分離(Trennug)は存在しないからです、私たちは究極において漸くそれをひとつに統合することを許されます。けれどもそのときそれは私たちの前で色褪せたものになるでしょう。そのかわりには究極において私たちの前には、初めて人間としての、地上の人間としてのキリスト・イエスとなったものが立っているのを知ります。



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最終更新日  2023年04月07日 06時10分05秒
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