Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年08月02日
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カテゴリ: 霊魂論
「四次元/Die Vierte Dimension」数学と現実
第4講:1905年5月24日、ベルリン 1-3 錬金術師たちがいうところの「変容」
[第一のテキストバリエーション(variation)]
 もし、私たちが四次元空間についての真の観点を獲得したいのであれば、非常に特別な訓練を行わなければなりません。まず第一に、私たちは私たちが水と呼ぶところのものについての非常に明晰で奥深い視覚像(ヴィジョン)、但し、心的な表象(イメージ)ではないものを育てなければなりません。そのような視覚像を達成するのは難しく、長々と瞑想することが要求されます。私たちは大いなる正確さをもって水のなかに沈潜しなければなりません。私たちはいわば水の本性の内側に忍び込まなければならないのです。第二の訓練として、私たちは光の本性についての視覚像を創造しなければなりません。私たちは光についてよく知っていますが、それが外から来るのを受け止めるときの形態においてのみ知っているだけです。瞑想することによって、私たちは外的な光の内的な対応物を獲得します。私たちは光がどこで、どのようにして生じるかを知っていますが、私たちは自分で何か光のようなものを造りだすことができるようになります。瞑想を通して、ヨギ(*ヨギ♂・ヨギニ♀は、本来の意味ではただヨガをする人という意味ではない。インドでは、本来、最高のサマディを得た人、ニルバーナ、ムクシャに達した人を指す。)あるいは秘儀の学徒は光を造りだす能力を獲得します。私たちが純粋な概念について真に瞑想するとき、つまり、瞑想もしくは感覚から自由な思考の間に、これらの概念が私たちの魂に働きかけるようにするとき、その概念から光が生じるのです。私たちの周囲のすべてが流れる光として現れます。秘儀の学徒は自分で涵養(*醸成)した水の視覚像をその光の視覚像に「化学的に結合」しなければなりません。光に完全に浸透された水は錬金術師たちが「水銀」と呼んだところのものです。錬金術の言葉では、水プラス光はすなわち水銀なのです。然し乍ら、錬金術の伝統においては、水銀は単なる金属の水銀ではありません。私たちが純粋な概念に自ら働きかけて光を生じさせる能力を目覚めさせた後、水銀はこの光と私たちの水に関する視覚像とが混じり合ったものとして生じます。私たちは、アストラル界の一要素であるこの光に浸透された水の力を自分のものとします。
 第二の要素は、ちょうど私たちが以前に水の視覚像を涵養したときのように、空気の視覚像を涵養するときに生じます。私たちは精神的な過程を通して、空気の力を抽出するのです。そのとき、ある種の方法で感情の力が濃縮されることによって、感情に火がともされます。あなた方が空気の力をいわば感情によって点火された火に化学的に結びつけるとき、結果として生じるのは「火の空気」です。ご存じかも知れませんが、この火の空気はゲーテの「ファウスト」のなかで触れられています。それには人間の内的な参加が必要です。ひとつの成分は存在している要素、空気から抽出されますが、私たちはもうひとつの火、もしくは暖かさを自分で造りださなければなりません。火プラス空気から産みだされるのは錬金術師たちが硫黄と呼んだもの、もしくは輝く火の空気です。聖書が言うところの「そして、神の精神が水の面に立ちこめていた」が本当に意味しているのは、水の要素のなかにこの火の空気が存在しているということなのです。
 第三の要素は私たちが地の力を抽出し、それを音のなかにある精神的な力に結びつけるときに生じます。その結果生じるのは「神の精神」と呼ばれるところのものです。それは雷とも呼ばれます。活動する「神の精神」は雷、地プラス音です。このようにして、「神の精神」はアストラル実質の上を漂っていたのです。聖書が言う「水たち」とは、通常の水のことではなく、私たちが四つのタイプの力から構成されているのを知っているところの水、空気、光、そして火のことです。これら四つの力の連なりはアストラル空間の四つの次元としてアストラル的な視界の前に現れます。これがそれらの本当の姿です。アストラル空間は私たちの世界とは非常に異なって見えます。多くのアストラル的な現象と思われているものは単にアストラル世界の側面が物理世界に投影されたものに過ぎません。
 お分かりのように、アストラル実質は半主観的なもの、つまり、主体に対して受動的に与えられるもの、半分の水と空気です。一方、光と感情(火)は客観的なもの、つまり、主体の活動によって現れるようにされたものです。アストラル実質の一部だけが外部に見いだされ、周囲の環境のなかで主体に与えられることができます。その他の部分は、個的な活動を通して、主観的な方法によってつけ加えられなければなりません。概念と感情の力は、私たちが能動的な客観化を通して与えられるものからその他の側面を抽出するようにさせます。アストラル界においては、私たちは主観的・客観的な実質を見いだすことになるのです。デバチャンにおいては、私たちは完全に主観的な要素だけを見いだすでしょう。主体に対して与えられるだけのいかなる客観性ももはやそこにはありません。其のこと故に、私たちはアストラル界において、人間によって創造されなければならないひとつの要素を見いだします。私たちがここで行ういかなることもより高次の世界の、つまりデバチャンの象徴的な表現に過ぎません。この連続講義のなかであなた方にお話ししてきたように、これらの世界は現実的なものです。これらの高次の世界のなかに横たわっているものに達することができるのは、視覚像への新しい可能性を発達させることによってだけです。これらの世界に至るためには、人間は能動的でなければならないのです。



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最終更新日  2023年08月02日 06時10分05秒
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