Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年08月28日
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カテゴリ: 霊魂論
「四次元/Die Vierte Dimension」数学と現実
第二部 質疑応答 シュツットガルト 1920年3月11日 - Ⅱ
◎最初の質問:質問は、そのような理解(*純粋に形式的な数学が単に象徴的に表すことができるだけの数、そして、ある意味で抽象化とは追加的な対応する点を特定の空間領域に適用すること)は現実に対応しているかというものです。私たちが単純な幾何学において行ったことは、数学のすべての領域においても可能である筈であることから、数学的な対象を元型と物理的なイメージとを仲介するつなぎ目として理解するということは、恐らくこの講義の中で提示された物理学をサポートするのに必要なタイプの計算を行うための基礎を提供することができると考えてよいでしょうか。
◎第2の質問:これ(*形式的な数学)は、私たちの思考をコントロールし、高めることによって私たちが到達することができるところのいわゆる超経験的な領域への道であり得るのでしょうか。
答弁:あなたの最初の質問を正しく理解しているとすれば、あなたは元型と物理的なイメージとの間の中間的な段階としての数学の領域にアプローチすることができるかどうかを尋ねられているのだと思います。数学の各領域を純粋に精神的、経験的な観点から眺めてみましょう。数学の空間的、幾何学的な領域とは何でしょうか。それとも、あなたは算数についても考えていたのでしょうか。(*アレクサンダー・ストラコシュ:幾何学について考えていました。)。この連続講義の中で、私は既に、どのようにして通常の幾何学図形に到達するかについて強調的に示唆してきました。私たちは経験的なアイデアから抽象化によってそれらを見いだすのではありません。まず数学的かつ幾何学的な図形はある種先験的なものです。それらは人間の意志の本性から導き出されますから、私たちが数学的な図形を経験するときには、数学的な領域において活動的であるとともにその現実に関わることがいつでも可能であると云うことができます。ですから、そのような図形は、経験的なレベルにおいてさえ、外的な現実(*それを私たちは単にイメージの形でのみ有することができます。)と存在の直接的な内容(*それを私たちは内的に経験します。)との間の一種の中間的な段階を既に表現しているのです。精神的な意味で経験的な見方をすれば、私たちが幾何学を理解するときには、元型と物理的なイメージとの間の中間的な段階を把握しているということが示されるでしょう。けれども、この一連の思考を検証するためには、まだやらなければならないことがあります。もし、幾何学的、数学的な図形が本当に元型とイメージとの中間的な状態であるならば、イメージが有していないようなある一定の非物質的で理想的な属性を持っているはずです。とはいえ、それがそのように非物質的なものとなるのはイメージの領域においてのみです。イメージは組み合わせである可能性もあり、必ずしもその元型に対応してはいません。私たちが直面する単なるイメージがどれも元型に対応しているとは限らないのです。然し乍ら、仮に私たちがある一定の量の現実を取り込んだ中間状態を有しているならば、私たちに必要なのは、対応する特定分野の現実を見いだすことができるということです。そして、私たちにはそのような領域を勝手に結びつけることはできません。私たちには元型を日常的な仕方で結びつけることは決してできないのです。私たちはそれらを、それらが明確な経験として存在するところのそれら自身の領域の中に探さなければなりません。こうして、この中間領域、すなわち、皆さんが数学的対象の知覚された合法性の領域と呼んだところのものを正しい方法で把握するためには、私たちはその構成を絶対的で固定された元型と際限のない数のイメージとの間の中間状態としても理解しなければならないのです。つまり、私たちは数学のすべて、特に幾何学を、本来的に動きのあるもの、少なくとも潜在的な形態においては、すべての現実の中に存在しているものとして説明しなければならないでしょう。例えば、私たちは三角形を動きのないものとして想像することはできません。そうではなく、その概念についての全体的な視界を見通すようにしなければなりません。三角形とは何でしょうか、それは直線に囲まれた領域であり、その角の和は180°です。私たちはその三辺の長さを無限に変化するものとして想像しなければなりません。この定義は無数の三角形もしくは流動するひとつの三角形を生み出すことになるでしょう。このようなものの見方は結果として流動的な幾何学を生じさせることになります。私たちは、この流動的な幾何学が自然界にとっての何らかの意義があるということ、例えば、それが結晶化の法則に関するひとつの側面に対応しているということを証明できなければならないでしょう。ですから、あなたの質問に対する答えは「イエス」です。この観点は実際、現実に対応するひとつのアイデアに基づいているのですが、その概念全体を明確にするためには、やるべき多くのことが残っています。
 私はこれらのことすべてに関係してくるもうひとつ別の課題についても触れないわけにいきません。ご存じのように、最近、人々は、より高次の現実の領域に参入しようとするとき、より高次の次元に頼るという習慣を形成しています。私たちの秘教概念の基礎を形成した形式主義の場合、必ずしもそうではありませんでした。以前の時代の人々は、通常の物理的な図形は三次元的なものとして考えるべきであるのに対して、アストラル空間に属する図形は二次元平面にあるものと見るべきであると言いました。ここで注意していただきたいのは、私が今お話ししているのは存在の領域あるいは平面についてであり、そのため、「アストラル」という言葉は、私がブリュンメルさんとのお話の中で、物理的な体と「自我」の間の段階を記述するときに用いたのとは異なる意味で用いられているということです。次の段階であるルーパ平面は一次元の範囲内にあるものとして想像されなければなりません。そして、アルーパ平面について想像するときに私たちは点へと至るのです。このように、私たちがより精神的なアイデアへと向かうときには、次元の数は増えるのではなくて、むしろ減らなければならないということができます。私たちが上方から下方へと向かうときにも、この現象に出会います。例えば、次のような一連の思考を試みるときにもそうです。私たちは精神、魂、そして体を問題なく区別することができます。けれども、地上を歩き回っているような人間の中にある精神的な要素とは何でしょうか、この精神的な要素は極端に濾過された形態で存在していると言わなければなりません。私たち人間は私たちの抽象的な思考を精神に負っています。つまり、それは私たちの中の精神的な要素なのです。それ自体では、単に感覚的に知覚可能な対象やできごとだけを感じ取りますが、その知覚方法は精神的なものです。私たちが思考の精神性を体的な要素にまで下って辿るとき、それは人間の物理的な体の中にひとつの表現を有しているのですが、一方、より包括的な精神的要素はそのような表現を有していないということが分かります。大まかにいいますと、私たち人間が役割を演じるところの精神的な世界の三分の一は物理的な人体の中に表現を有しています。これが魂となりますと、人間が役割を演じる精神的な世界の三分の二が物理的な人体の中に表現を得ます。そして、物理的な体にまで行き着きますと、三分の三が表現を得ることになります。私たちが上から下へと移行するとき、私たちは、元型からそのイメージへの発展において、元型は容易にその存在の側面を後に残す。そして、この現象は私たちの物理的な側面についての本質的な特徴を提供すると想像しなければなりません。反対に、私たちが上方に移動するときには、イメージの中に取り込まれていない新しい要素を発見することになります。然し乍ら、私たちが下方に移動するとき、私たちが出会うのは単なるイメージではありません。現実がその中に入ってくるのです。夜間に肉体とエーテル体がベッドの中に横たわるとき、アストラル体と「自我」は単にそこから抜け出して、それを空にするというのは本当ではありません。アストラル体と「自我」が離れている間に、より高次の力が肉体とエーテル体に入り、それらを生き生きとさせるのです。同様に、ひとつのイメージもその元型に起源をもつ要素だけを含んでいるのではありません。そのイメージがひとつのイメージとなり、実体に属するようになるとき、これらの要素が入ってくるのです。そのとき、興味深い質問が生じるのですが、それは、単に想像的に結びつけられたイメージは、いかにしてひとつの現実的なイメージになるのかというものです。それは私が触れた別の課題が入ってくるときに生じる質問ですが、ここではさらに、私たちが二次元について考えるときには、最初の一連の思考は第一の次元を照らし出すことができる第二の次元に直接導くというコメントをさせていただきたいと思います。すべての二次元図形は二次元の中で描くことができますが、三次元空間を占める図形はそうはいきません。私が遠近法のようなものを使うのではなく、色を使って絵を描き始める、つまり、色をコピーし色のイメージを提供すると考えてみてください。そのとき、私はイメージを形成するために、空間を直接平面に取り込んでいるということは誰もが認めるでしょう。この時点で、私はこのイメージの中で色を表現しているところのものは、三次元空間のどこかに横たわっているのか、つまり、三次元に取って代わり得るところの何かを示唆するために、色を用いることは可能なのかと問うかもしれません。ひとたび、色の要素についての概観を得たならば、私たちは、二次元の中に三次元性をもつイメージを創り出す特別な方法で、色を配置することができるようになります。すべての青は退く傾向があり、一方、黄色は前に出てくるということは誰にでも理解できます。このように、私たちは単に色を使うことによって三次元を表現します。三次元の拡張的な側面を表現するために、色の持つ強調的な側面を用いることによって、私たちは三次元を二次元へと圧縮することができるのです。この一連の思考に別の思考を結びつけることによって、私たちは流動的な幾何学に到達します。そして、私たちは次のような考え方を取り込むことができるように、本当に幾何学を拡張することができるかもしれません。つまり、数学において、私たちは合同の三角形AとBを構築することができるが、平面上に描かれた赤と青の三角形の間に拡張された数学的結びつきを見いだすこともまた可能なのではないか。私が青い三角形を描くのと同じ方法で、赤い三角形を形成する単純な線を単に引くことは本当に許されているのか。私が赤い三角形と青い三角形を同じ平面に描くときには、赤いのはまさにそれが赤いという理由で小さくなければならず、一方、青いのは単にそれが青いために大きくなければならないだろうとはっきり言う必要があるのではないだろうかと。今、強さの要素を私たちの幾何学に取り込み、そうすることで、強さを用いて計算を遂行することができるようにすることは可能なのか?という疑問が生じます。このことは、左の目と右の目が一緒に働くことの意義を十分に明らかにしてくれるでしょう。立体的な視野は両目がともに働くということに依存しています。光学の領域において、この現象は私の右手で左手をつかむのと同じです。体の一部で別の部分に触ることが決してできない存在は、「私」について考えることが物理的にできません。私が空間の中で自分を「私」として経験することができるのは、単に通常の経験主義には少しだけ隠された現象、つまり、私の右と左の視野が交差しているという事実によるものです。この事実は、「私」という現実を包含するものではありませんが、私たちに「私」についての正しい概念を形成するようにさせます。
 さて、もし、私たちの目が、多かれ少なかれ対称的である代わりに、ひどく非対称であったとすれば、私たちの「私」について考える物理的な能力がいかに影響されるであろうかということについて想像してみてください。例えば、もし仮に、あなたの左の目が右目よりもかなり小さく、左右の立体像が非常に異なっていたとしたらどうでしょうか。あなたの左目はより小さい像を作り出し、それを絶えず大きくしようと試みる一方、あなたの右目はその反対、つまり、その像のサイズを小さくしようと試みなければならないでしょう。この努力は、あなたの静的な立体的視界に、より生き生きとした視界の形態を付け加えることになるでしょう。けれども、本当の生き生きとした視界は、あなたがイマジネーション的な知覚に接近し始めるやいなや達成されるものであるに違いありません。この知覚は、非対称的な要素を絶えずお互いに適合させなければならないということから結果として生じます。ドルナッハにある彫刻の中心像は、それが精神へと上昇していることを示すために、非常に非対称的なものとして表現されなければなりませんでした。それはまた、人間のあらゆる側面、例えば、私たちの立体的な視覚は、基本的に一方の極か他方の極に絶えず逸れている均衡状態であるということもまた示唆しています。私たちは、上下、前後、左右の間で絶えず均衡状態を創り出していかなければならないということによって人間なのです。(了)



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最終更新日  2023年08月28日 06時00分48秒
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