Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年09月20日
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カテゴリ: 霊魂論
「霊的世界の入口/DIE SCHWELLE DER GEISTIGEN WELT」
7:自我感覚について、そして、人間の魂の愛する能力とその元素的な世界との関係について
 人間の魂が意識的に元素的な世界に参入すると、感覚の世界で得ていた多くの表象を変える必要に迫られる。もし、魂が相応しい力を強化していれば、この変化にも対応可能である。ただ、魂がこの強化を自分のものとすることを避けるときには、元素的な世界への参入に際して、その内的な生活をその上に構築すべきしっかりとした基盤を失うような感覚に襲われることになるだろう。物理的-感覚的世界で得られた表象は、そこで得られた通りのものとしてそれらにしがみつこうとする限りにおいてのみ、元素的な世界への参入にとっての障害となる。しかし、それにしがみつこうとする理由は、魂の「慣れ」以外にはない。当初は単に感覚世界と共にある意識がこの感覚世界で生じたその表象の状態を唯一保持すべきものとするのに慣れているというのは全く自然の成り行きである。そして、それは自然の成り行きというだけではなく、必要なことでもあるもし、魂的生活が、ある意味硬直し、厳格に強要された表象の中で生きる意識を感覚世界の中で発達させなかったとすれば、それはその内的なまとまりやそれに必要な堅牢性に至ることは決してなかったであろう。魂は、感覚世界と共に生きることで自分に与えられるあらゆるものを通して、元素的な世界の中でもその自立性や自己完結性を失うことなく、その世界に参入できるようになるのである。元素的な世界への参入に際しては、この自立性が無意識的な魂的特質として存在するだけではなく、意識存在の中にしっかりと保持されることができるためにも、魂的生活の強化は達成されなければならない魂が元素的な世界を意識的に経験するには虚弱すぎる場合には、そこへの参入に際して、鮮明な記憶の中に生き続けるには余りにも弱く魂に刻印された思考が消滅するように、その自立性が消滅する。実際、その場合には、魂が意識的に超感覚的な世界に参入することは全く不可能である。魂は、魂の中に生き、「入口を守る者」と呼ばれ得るあの存在によって、超感覚的世界への参入を試みるたびに感覚界に投げ返されるだろう。それでもやはり、この世界をいわばのぞき見するとともに、感覚世界に再び沈潜した後、超感覚的世界に由来する何らかのものを意識の中に保っているとすれば、そのような別世界からの戦利品によって表象生活の乱れが引き起こされる。感覚世界で獲得し得るような健全な判断力が相応しい仕方で育成されていれば、そのような混乱に陥る可能性は全くない。魂と超感覚的世界の事象や存在との正しい関係はそのような判断力の強化を通して築かれるのである。すなわち、これらの世界で意識的に生きるためには、魂の衝動が不可欠なのであるが、感覚世界においては、その衝動が超感覚的世界に立つほどの強さにまで高められることはない。それは人が体験することがらへの帰依の衝動である人はその体験の中に沈潜し、それとひとつになることができなければならない。すなわち、自分自身の存在を度外視して、自分以外の存在の内側にいるのを感じる程にまでそれが可能とならなければならない。自分の存在による自分が体験する別の存在への変容が起こるのである。人にこの変容能力がなければ、超感覚的世界の中で本当のことは何も体験できない。何故なら、あらゆる体験は、今、お前は「この種類」に変身しているのだから、その本性がお前の本性を「この」ように変化させる存在とともに生きているのだということを意識することに基づいているからである。この自己変容、この他者への感情移入が超感覚的世界に生きるということであり、人はこの体験を通してこれらの世界の存在や事象を知るようになるのである。このようにして、人はある存在とはあれこれの仕方でいかに近縁関係にあるか、別の存在とは、それ自体の本性によって、いかにより疎遠であるかということに気づく。共感や反感として、特に元素的な世界において特徴づけるべき魂的経験の基調が現れるのである。例えば、元素的な世界の存在や事象との出会いを通して、共感と言うべき体験が心に浮かぶのを感じる。この共感体験の中で、元素的な存在や事象を認めるのである。ただ、共感と反感の体験については、単にそれらの強さや程度が問題になると思い描くべきではない。物理的-感覚的世界における共感や反感の体験に関しては、共感と反感それぞれが単により強いか、より弱いかを語ることには確かにある程度意味がある。元素的な世界における共感と反感は、単にその強度によって区別されるのではなく、例えば、感覚世界における色彩が相互に区別されるように区別されるのである。多彩な感覚世界があるように、人は多種類の共感あるいは反感に満ちた元素的世界を体験することができる。ここでさらに考慮すべきことは、元素的なものの領域にとって、「反感」にはその対象から内的に離れるような意味合いはないということである。すなわち、そこで言うところの反感とは、単にある元素的な存在あるいは事象の特徴とでも言うべきものであって、感覚世界において青色が赤色に対しているように、他の事象や存在の共感的な特徴に対するものである。人がそのエーテル体の中で、元素的な世界へと目覚めることができるようなひとつの「感覚」について語ることができるだろう。感覚世界の中で目が色を、耳が音を知覚するように、この感覚は元素的な世界の中で共感と反感を知覚することができる。そして、感覚世界の中で、ある対象は赤、別の対象は青であるように、元素的な世界のある存在からは一種の共感が、別の存在からは反感が霊的な眼差しの中に射し込んでくる。共感と反感によるこの元素的な世界の体験は、必ずしも超感覚的に目覚めた魂だけに起こるものではない。それは、どんな人間の魂にとっても、絶えず手元にあるもの、人間の魂の本質に属するものである。日常的な魂的生活にとっては、この人間の本質についての知識が形成されていないだけである。人間は、彼が担うそのエーテル体を通して、元素的な世界の存在や事象と密接に結びついており、人生のある瞬間には、ある一定の仕方で元素的な世界の共感と反感に織り込まれ、別の瞬間には、別の仕方で織り込まれるのであるとはいえ、エーテル存在としての魂は、自分の中に共感と反感がはっきりと言い表されるような仕方で働いている状態を絶えず生きることはできない。感覚存在においては、覚醒状態が睡眠状態と交代しなければならないように、元素的な世界においても、共感と反感の体験に別の状態が対置されなければならない。魂はあらゆる共感と反感から離れ、自分自身の中で自分だけを体験すること、すなわち、自分自身の存在だけに注意を払い、それを感知することができるのである。確かに、この感知は、自分自身の存在を「欲する」ことについて語り得る程の強さにまで至る可能性がある。ここで問題となるのは、人間が容易には描写できない魂的生活の状態である。何故なら、それは彼にとって純粋で唯一の本性という意味で、感覚世界においては他に類を見ない、強く純粋に私である状態、あるいは魂の自己感知の状態だからである。その状態は、元素的な世界に対して、共感と反感の体験に不可欠な献身とは逆に、「私は私のためだけに、私の中だけに居たい」と言えるような衝動を魂が感じると云えるようなものである。そして、魂は、ある種の意志を発展させることによって、元素的な共感と反感の体験に向けた献身の状態から脱却する。元素的な世界にとって、この「自らの内に生きる」ことはある種の睡眠状態であり、事象や存在への献身は覚醒状態である。人間の魂が元素的な世界の中で目覚め、そして、自己体験への意志を発達させるとともに、「元素的な眠り」の必要を感じるとき、それは魂が十分に発達した自己感情をもって感覚生活の目覚めた状態に戻るために生じる。何故なら、感覚世界におけるこの自己感情に満ちた体験とは元素的な睡眠に等しいものだからである。元素的な睡眠は魂を元素的な体験から引き離すことから成っている。超感覚的な意識にとって、感覚世界における魂の生活とは霊的な睡眠であるというのは文字通り正しい。正しく発達した人間の霊視においては、超感覚的な世界への目覚めが生じるとき、感覚世界の中で魂が体験したことへの記憶は利用可能な状態で残る。この記憶は利用できる状態で残らなければならない。もし、そうでなければ、霊視的になった意識の中には、自分自身の存在ではなく、全く別の存在や事象があることになるだろう。そうなると、人は自分について何も認識できず、自分を霊的に生きることもなく、別の存在や事象が魂の中に生きることになる。そう考えると、正しく発達した霊視にとって、強い「自我感情」の育成が大きな価値を持っていることがよく分かる。人がこの自我感情の中で霊視によって発達させるのは、決してそれによって初めて魂の中にやって来るような何かではない。魂の奥底にいつでも存在しているにもかかわらず、感覚世界の中で展開される日常的な魂的生活には知られないままに留まるような何かを認識するようになるのである。強い「自我感情」はいわゆるエーテル体によってではなく、物理的-感覚的な体の中で自己体験する魂を通して利用可能となる。魂が自我感情を感覚世界におけるその体験から霊視状態の中へと持ち込まなければ、それは元素的な世界での体験に向けて十分に装備したことにはならないということが明らかになるだろう。魂の自己感情、その自我体験は、感覚世界の中での人間の意識にとってなければならないものだとしても、抑制されることが不可欠である。それが抑制されることによって、魂には、感覚世界の中で高貴な道徳的力及び同情心の育成を体験する可能性が得られる。感覚世界における魂の意識的な体験の中で強い自我感情が突出していたならば、道徳的な衝動や表象は正しい仕方で発達することができず、愛という実りをもたらすことができないだろう。献身というこの元素的な世界における自然な衝動は、人間的な体験の中で愛と呼ばれるものと同じであると見なすべきではない。元素的な意味での献身とは、他の存在あるいは事象の中で自分を体験することであり、愛とは、自分の魂の中で他者を体験することである。この体験を発展させるためには、魂の内奥に存在する自己感情の上にいわばベールがかけられなければならない。そして、それによって、それ自体の力としては弱まった魂の中に別の存在たちの喜びや悲しみが自分の感情として立ち現れてくる。愛が芽生えてくるのであるが、人間の生活の中で真の道徳性が育ってくるのは、その愛からである。愛は人間にとって感覚世界における体験の最も重要な果実である。人が愛や思いやりの本質に貫き至るとき、それらの中に見出すのは、いかに霊的なものが感覚世界の中でその真の姿において生きているかということである。ここでは、他者へと変容することは超感覚的なものの本質に属している、と言えるだろう。感覚的、物理的に生きる人間の中で、霊的なものが自我感情を抑制し、愛として復活するように変容するとき、この霊的なものはそれ自身の元素的な法則に忠実なままである。人間の魂は超感覚的な意識によって霊的世界の中に目覚めると云えるが、同時に、感覚世界における霊的なものは愛の中で目覚めると言うべきであろう。愛や思いやりが降り注ぐところでは、感覚に深く浸透する霊的なものの魔法の息吹を聞くことができる。したがって、正しく発達した霊視が思いやりや愛を減退させることは決してあり得ない。魂が霊的世界に正しく順応すればする程、不親切や思いやりの欠如を霊そのものの拒絶と感じるようになるのである。上記に関して、霊視的になった意識による体験が示すのは全く奇妙な特徴である。自我感情は、超感覚的な世界の体験には不可欠なものであるとはいえ、容易に抑制され、しばしば弱まり、死にかけた記憶の中の思考のように振る舞う一方、憎しみや愛に欠けた感情、超感覚的世界参入後の魂的経験を強化しようとする不道徳な衝動となる。すなわち、それは生きた疑惑のように魂の前に立ちふさがり、醜く働きかける表象となるのである。そのとき、超感覚的な意識は、これらの表象に苦しめられないように、しばしばこれらの表象による印象を弱める霊的な力を探し求めるという方便にすがる。しかし、そうすることによって、魂は獲得された霊視を堕落させるこれらの力に浸透されることになるのである彼らは霊視を霊的世界の善良な領域から引き離し、邪悪な領域に導き入れる。その対極にあるのが真実の愛、魂の正しい善意であり、その意味で意識の力を強化するような、霊視への参入にとって不可欠の魂的体験である。超感覚的な世界における経験が可能になる前に、魂には準備が必要であるということについて語られるときには、本当に愛する能力、真の人間的な好意や思いやりへの傾向もまた多様な準備手段のひとつに数え入れられるということもまた付け加えられるべきであろう。感覚世界の中で過度に発達した自我感情は道徳性に対抗するように作用する。あまりにも弱く発達した自我感情は、元素的な共感と反感の嵐によって実際に翻弄される魂が内的な確かさやまとまりを欠く原因となる。これらを手に入れることができるのは、十分強い自我感情が、日常生活では意識されないままに留まるエーテル体の中に、感覚的・物理的な体験から働きかけるときである。この自我感情は確かに手に入れなければならない。とはいえ、真に道徳的な魂の気分を発達させるためには、思いやりや愛への傾向を通して抑制されることが不可欠なのである。



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最終更新日  2023年09月20日 06時07分21秒
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