Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年10月26日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第2講 太陽紀における地球の内的側面-Ⅳ
ベルリン 1911年11月7日 
 神秘学的顕現あるいは悟り、つまり、照らし出すものとして私たちに提供されるあらゆるものに出会うために醸成されることを待つような認識はどのようにして自らを顕すのでしょうか。私たちのところへとやって来る筈のものは、私たちが十分に準備できたときに、どのようにして現れるのでしょうか。それは、精神的な世界から私たちに出会うためにやって来る贈り物、祝福されるという感情として自らを現すのです。もし、私たちの人生において、そのようにして私たちの前に立つところのもの、恵みに満ち、私たちをその認識で満たしながら私たちの前に立つもの、それが何らかの存在であれ、何か別のものであれ、そのことを記述したいのであれば、それを表現する仕方はただ次のようなものだけです。つまり、私たちは、恵みを与えるものとして、贈り物をするものとして、私たちに何かを与えるものとして、私たちのところへとやって来るものを経験するとしてだけでしょう。ある存在の主な特徴が、付与し、与え提供する恵みを注ぎ出し、降り注ぐ能力で構成されているとき、そのような存在の本性を把握するには、トローネのケルビームに対する犠牲のイメージを自分のものとする必要があるのです!。在が、トローネによるケルビームへの供儀の意味を理解している人のところにやって来る、と想像してください。それは、トローネの犠牲を理解する能力を、与えるという能力、自らの贈り物を自らの周りに恵みとして注ぎ出すという能力に変化させることができる存在です。私たちが薔薇を見て喜びに満たされ、そうすることで、私たちが「美しい」ものとして眺める何かによって祝福される、という感情を経験していると想像してください。そして、また別の存在について想像していただきたいのですが、それは、ケルビームに対するトローネの犠牲の意義を理解し、それが有しているものを周囲のものに捧げる存在であり、与える精神の中で、与えられるものすべてを世界の中へと注ぎ出す存在です。もし、私たちが、そのような存在について想像するならば、それは、「神秘学概論」の中でも記述したように、土星存在期の間に知られるようになったあの存在たちに、太陽存在期の間に付け加えられたあの叡智の霊たちなのです。太陽存在期に現れ、土星存在期を通して既に存在していた霊たちに付け加えられたこれらの叡智霊たちの特徴とはどのようなものかと問われるならば、私は次のように答えなければならないでしょう。これらの霊たちは、その明らかなた特徴として、与え授けるという、恩恵を行使する徳を有していると申せます。私がこれらの存在たちについての定義を見いだそうとするならば、彼らは叡智の霊、大いなる譲与者、宇宙における偉大な与える者たちであると言わなければならないでしょう。ちょうどトローネを偉大な犠牲者と呼んだように、叡智霊については、彼らは偉大な与える者たちであり、宇宙がそれから織りなされ、生かされている正にその贈り物を授ける者たちである、と言わなければならないでしょう。何故なら、彼らは、彼ら自身を宇宙の中に注ぎだし、最初に秩序を創り出したからです。「太陽」上における叡智霊の影響とはそのようなものです。つまり、彼らは彼ら自身の存在をその周囲に向けて与えるのです。けれども、もし、私たちが外的な観察に顕れるものを、より高次の感覚知覚によって見たいのであれば、「太陽」上では何が起こるかと問うかも知れません。私たちが「太陽」を見るとき、私たちが観察するのは「神秘学概論」の中で記述されたところのものです。熱に加えて、「太陽」は空気と光からも構成されています。けれども、単に、「太陽」は熱だけではなく、空気と光からも構成されているというならば、例えば景色について、遠くに灰色の雲が見えるというようなものです。もし画家であったならば、この印象を得たときには灰色の雲を描くかも知れません。しかし、もっと近づいてみるならば、灰色の雲というよりも、むしろ虫の大群のようなものを見い出すかも知れません。実際、灰色の雲のように見えたものは、無数の生きた存在たちだったのです。私たちが遠く離れたところから古「太陽」存在について考えるとき、私たちはそれと同じような状況にあります。遠くから見ると、古「太陽」は空気と光からなる天体のように見えます。けれども、もっと近くからそれを見るならば、私たちはもはや空気と光からなる天体を見るのではありません。そうではなく、叡智の霊による授与という大いなる徳が現れてくるのです。空気を単にその外的で物理的な性質にしたがって記述する人は決して空気の真の本質を見い出しません。これらの性質は単なる幻想(マーヤ)であり、外的な現れに過ぎません。宇宙においては、空気があるところには必ず贈り物を授与するという叡智の霊の行為がその背後にあります。織りなし、働き続ける空気は、大宇宙の霊による授与という徳を有しているのです。空気の真の本質を見る人だけが、私はここに空気の要素を知覚する、しかし、実際には、叡智の霊たちが贈り物を周りに与えている、何かが叡智の霊からその周囲へと流れ出しているのだと言います。こうして、我々は今や、古「太陽」は空気からなっていると言うときには、本当は何について語っていたのかを知ります。私たちは、外的には空気として現れるものは、実際には、叡智の霊たちが彼ら自身の存在をその周囲へと流れ出させている活動であるということを知るのです。ところが、この時点で、超感覚的な視覚の前に、古「太陽」上での顕著なできごとが現れて来ます。このことを理解するためには、与えるという徳についてのもっと正確な考えを魂の生活の中から創造することができなければならないということをはっきりさせておく必要があります。私たちがこれまで記述してきたような、供儀の雰囲気の中での知覚や考えを私たちに浸透させることができるときに持つことができるような感情を、もう一度創り出してみましょう。そのようにして浸透させられた考えは、私たちにいつも特別な感情を起こさせます。それは科学的な考えのようなものではありません。それに非常によく似た経験は、芸術の領域において見いだされるかも知れません。その領域においては、ひとつの独立した実体を世界に提示するために、色や形態が世界の中へと流れ出すその流れ出し方をマスターした考えが必要になります。そのような贈り物を与える能力を持った存在を特徴づけるとすれば、この贈り物に結びつけられるのは生産性・創造性であると言うことができるかも知れません。何故なら、与えるという行為そのものが創造的な活動だからです。そのように考え、その考えが世界に治癒をもたらすと感じ、そして、それを芸術作品の形で提示する人であれば、それが誰であれ、与えるという徳のもたらす果実を正しく理解しています。芸術家の心の中にある創造的な考えについて、そして、その考えがいかに物質の中に顕現するかについて、考えてみてください。つまり、この考えとは、正に空気の精神的な存在なのです。空気があるところには創造的な活動があるということです。そして、この生きた創造行為が「太陽」上にあったことにより、空気と創造的な活動とは関連しているということを事実として見て取ることができるのです。



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最終更新日  2023年10月26日 06時10分06秒
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