Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年11月12日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第4講 月期における地球の内的側面-Ⅶ
ベルリン 1911年11月21日  
記:ハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist/1777年10月18日 - 1811年11月21日)は、ドイツの劇作家、ジャーナリスト。直情奔放で極端に走る性格は当時の社会と馴染まなかったが、その作品は20世紀に入ってから評価が高まり、現代ではドイツを代表する劇作家の一人に数えられている。現実生活は苦しく、世間からも認められないクライストは自殺を決意し、癌を患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルの胸をピストルで撃ち抜き、直後にそのピストルを自らの口にくわえ、引き金を引いた。共に1811年11月21日ポツダム近郊のヴァン湖畔でピストル自殺した。
 ハインリッヒ・フォン・クライストが友人に宛てて次のように書き送っているのを見ますと、魂の憧れの中に香油のように自らを注ぎ出すこの精神科学を未だ手に入れることができなかった時代に生きていた人の言葉で、いかにそれが表現されているかを聞き取ることができます。「この地球の上で幸せになりたいってか。そんなことを言うやつがいたら、殆(ほとん)ど恥を知れとでも言いたい。すべてが死で終わるところで、そんな目的に向かって努力するなんて、いかにも先が読めない御立派な人間がすることだ。我々は出会い、三度の春をお互いに愛し合い、そして、永久にお互いから逃げ出す。愛がないのに、その努力にどんな価値があるというのか。ああ、何か愛以上の幸せ以上の、名声以上の、xyz以上の何か我々の魂が夢想さえしないようなものはないのか。世界の天辺(てっぺん)にいるのは悪い精神ではあり得ない。それは何か不可解なものに過ぎない。我々だって、子供が泣いているときに笑わないか。この無限の広がりについて少し考えてみたまえ。無数の時間領域、それぞれがひとつの生命、それぞれが我々のこの世界のように、顕現した存在なのだ。嗚呼(ああ)、静止した瞬間よ、教えてくれ、これは夢なのか。我々が夜間に仰向けになって見る二枚の菩提樹の葉の間には、その先見性において、我々の思考が捉え、言葉が表現することができるよりもずっと豊かな見通しが広がっているではないか。よし、何か善い行いをしよう、そして、それをしながら死のう。我々は既に無数の死のひとつを死に、そして、未来にもまた死ななければならない。まるで、ひとつの部屋から別の部屋に行くようなものだ。ほら見てごらん、僕には世界が大も小もなく一緒くたに箱詰めにされているように見える。」
 これらの言葉で表現された憧れは、この人物を促し、その友人に宛てたこの手紙を書かせました。けれども、この精神は、現代の魂が精力的な理解力をもって精神科学に近づくような仕方では、まだその憧れに対する充足を見いだすことができませんでした。というのも、この精神は、百年前に、まず友人のヘンリエッテ・ヴォーゲルを、次に 彼自身を撃ってその涯を閉じたのですが、今は、一世紀前に彼の亡骸が最初に葬られたヴァンシー河岸にある寂しい墓の下に眠っているからです。クライストが表現した事柄ついてここでお話しすることができるというのは、特筆すべき天啓です。カルマの行為と言ってもいいでしょう。それは、差し止められた犠牲への意志が憧れへと変化させられたことについて、今まで私たちがお話ししようとしてきた ことがらを、運動霊によるあこがれの緩和、その最終的な充足に向けた衝動、そして、それが「贖いの惑星」上で達成されるであろうということを最もよく記述しているのです。この焦点の定まらない憧れを最も気高い言葉で表現へと齎し、そして、この切なる望みを、それが体現し得る最も悲劇的な行いへと注ぎだした魂を思い出させる事柄について、今日、正に私たちがお話ししていることは特筆すべきカルマの解消なのです。それに気づこうとしさえすれば、この男の精神は、それが私たちの前に立つときの全体性において、本当に魂の奥深くに生き、私たちを地上的な存在性以外の存在性へと連れ戻すものの生きた体現であるということに気づかないことなどあるでしょうか。クライストが最も意義深い仕方で私たちのために記述してくれているのは、自分を越えたところに横たわっているものを探し求めるように人間に強いるものについて人間が経験できるもの、それは、もし、彼が彼自身の生命の糸を未成熟なまま断ち切らなかったとしたら、後になって理解することになった筈のものについてではないでしょうか。正に皆さんが「個人と人類の精神的な導き」の最初のページに書いてあるのを見いだされることを、彼は経験したのでしょう。フォン・クライストの「ペンテシリア(アマゾンの女王ペンテシリアとアキレスの血みどろの戦いについてのギリシャの伝承に基づいて書かれた凄惨な悲劇)」について考えてみてください。ペンテシリアの中には、彼女自身の地上的な意識をもって推し量ることができるよりも、いかに遙かに多くのものがあることでしょうか。もし、彼女の魂は彼女がそれは偉大な魂で、彼女の地上的な意識をもって包含することができるよりもはるかに無限の広がりを持っているということを私たちが仮定しないならば、彼女をその特殊性において理解することは全く不可能でしょう。ですから、その無意識をドラマの中に芸術的な仕方で引き込む状況が劇中で生じなければなりません。こうして、一連のできごと、クライストがアキレスのために設定するようなできごとが、より高次の意識で検分される可能性は阻止されなければなりません。そうでなければ、私たちはその悲劇の重大さを経験することができないでしょう。ペンテシリアは、アキレスによって囚われの身となるのですが、アキレスの方が彼女の囚人であると思い込まされます。「彼女の」アキレスという言い方がなされるのはそのためです。意識的な気づきの中に生きているものは、無意識の中へと投げ入れられなければなりません。そして、ハイルブロンのカティーの中で表現されているような状況においては、特に、カティーとシュトラールのヴェッターとの間の特筆すべき関係、そして、それは十全たる意識の中で遂行されますが、人間には気づかれることなくその間を行き来する力が潜む魂の奥深いレベルにおいて遂行されます。其処においては、この低次の意識はどのような役割を果たすのでしょうか。私たちは、この状況を目の当たりにするとき、世の中の重力や引力といった通常の力の内部に横たわるものの精神的な本性を感じ取ります。世界の力の内部に横たわるものを感じ取るのです。例えば、私たちは、カティーがその愛する人の前に立つ場面で、何が意識下に生きているかを、そしてそれが、外的な世界の中に生きているもの、諸惑星の引きつける力として無味乾燥に言及されるものと如何に関連しているのかを見ます。一世紀前には、透徹し苦闘する魂でさえ、この意識の深いレベルにまで潜入することができませんでした。今日では、それが可能になっ ています。悲劇「ホンブルグの王子」(1810年に書かれたクライストの最後で偉大な作品)もまた、今日では、一世紀前とは異なる仕方で私たちに感銘を与えます。私は、人間が達成するあらゆることがらを理性に帰属させようとする現代の抽象的な思索家たちが、ホンブルグの王子のような人物、すなわち、彼のすべての偉大な行い、最終的な勝利へと導いたあれらの行いさえも一種の夢の状態で成し遂げた人物を、どのように説明するのかを知りたいものだと思います。 実際、クライストは、王子はその意識的な気づきから勝利を達成し得たのでも、より高次の意識という意味ではとりわけ秀でた人物でもなかったということを、彼は後に、死に直面して、めそめそ泣いたからですが、はっきりと示しています。王子が力を発揮できたのは、 彼の魂の奥深くに生きていたものを途方もない意志の努力によって引っ張り出してきたとき、そのときだけだったのです。人類にとって、「月」の意識からの遺産として残ったものは、何か抽象的な科学によっては引き出してくることができないようなものです。それは、多くの側面を持つ繊細な概念、緩やかな輪郭を持った精神的なことがらを把握することができる概念。つまり、精神科学によってもたらされるような概念でから導かれなければならないような何かです。最も偉大な諸 概念は、中間的で通常の諸概念に自らを結びつけます。こうして、私たちが私たちの今日の魂の中で経験する状態は宇宙と宇宙の総体とに結びつけられているということを精神的な科学は示すということが私たちには分かるのです。私たちはまた、私たちが魂の中で経験できることだけが事物の精神的な根拠についての概念を形成することができるということを理解します。さらに、私たちの時代においては、 私たちの時代に先立つ時代が憧れたけれども、私たちの時代においてのみ与えられることができるものを達成することができるようになったということを理解するようになります。こうして、以前の時代の人間たちに対する、つまり、その心があこがれたものへと続く道を見いだすことができなかった、世界は彼らにそれを与えることができなかった人間たちに対する一種の賞賛が生じます。私たちが、すべての人生はひとつの総体であるということ、そして、今日の人間は人類が既にはるか昔に必要としていたような―彼らの運命は本当にそのことを私たちに示しています 。精神的な運動に彼または彼女の人生を捧げることができるということを思い出すとき、確かに、そのような人物たちに対するある種の賞賛が生じて来ます。ですから、私たちは精神科学を人類の憧れに対する救済を担うものとして指し示すことができるかも知れません。荒れ狂うと同時に悲惨に満ちた人間たちが長い間探し求めてきたものを精神科学は今や与えることができるということを私たちが思い出すのに適した日には。というのも、これらの世界は彼らにそれを与えることができ、憧れに満ちた人物たちのひとりが悲劇的な死を遂げてから一世紀経つからですが、とりわけそうすることができるかも知れません。私たちがこのような考えを、多分、人智学的な考えを胸に抱くことができるのは、ドイツの最も偉大な詩人のひとりが亡くなって百年経ったこの記念の日においてかも知れません。(了)



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最終更新日  2023年11月12日 06時23分58秒
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