Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年11月17日
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カテゴリ: 霊魂論
内的霊的衝動の写しとしての美術史
第1講 ドルナハ  1916年10月8日-Ⅴ
第9-Ⅱ  ジオット  聖フランチェスコへの忠誠
 ダンテとジオットが実際個人的にぶつかり合うような時代に、近代人類はいったい何に習熟するのでしょう。人類が習熟するのは、私がいつもアトランティス後第五時代の根本特性として描いているもの、つまり、地上的ー物質的現実内部の生活です。これをマテリアリスム(物質主義/Materialismus)の否定的な批判と捉えてはなりません、そうではなく、人類は一度、地上の現実に習熟しなければならなかったということ、チマブエにおいてはまだ絵画においてその残照を示していた超地上的なものを仰ぎ見ることに、いわば一度別れを告げなければならなかったということを明確に理解しておかなければならないのです。
 私たちが、一番最初に物質主義の切っ掛けをつくった最初の紛れない物質主義者とは抑々いったい誰だったのかと問うなら、いくらか通常より高い観点から歴史を考察すれば、私たちはこういう答えを得るでしょう。今日の人間にとっては当然のことながら逆説的に響くでしょうけれども、人類の歴史をもっと深く捉える見地からすればまったく正当な答えです。つまり、私たちは、魂的に物質的な感情を導いた最初の人はアッシジの聖フランチェスコだったという答えを得るのです。アッシジの聖者フランツィスクスを最初の偉大な唯物主義者と特徴づけることが逆説的なのは言うまでもありません。とはいえ、やはりそうなのです。人類の進化をまだ地上を超えたものの観点のもとに見ていた最後の観照は、ダンテの「神曲」において私たちに立ち現れてくる。それで私たちは、ダンテの「神曲」を、地上よりも地球外のものに向けられた観照の帰結と見なければならないということができます。これに対して、ダンテより以前に活動していたアッシジのフランツィスクスの場合、地上的な物々のための眼差し、地上的なものへの共感が際立っています。魂的なものは常に、芸術的なものの表現より幾分早く登場します。したがって、ジオットの芸術的なファンタジ ーとして捉えられたもの(ジオットは1266年頃から1337年まで生存)が後になって捉えられたものと同じものが、傾向や衝動に従って、もっと早い時点にアッシジのフランチェスコのなかに魂的に生きていたことこともわかります。アッシジのフランチェスコにおいて私たちが目の前に見るのは、全くもって外界から出てきた人間、極めて様々な影響の下でローマ文化を次第に受け入れた外界のあの形態から出てきた人間です。アッシジのフランチェスコは最初、まったく外的なものに向かっていて、外的な栄光と富を楽しみ、生活を快適にするもの、そして自分の心地よさを高めるものすべてを楽しみますが、個人的な体験によって、魂生活においてまさに逆転するのです。彼を外的な生活への没頭から内なるものに向けさせたのは、まず身体上の病気です。そして私たちは、若いときには徹底して外面的な快適な生活に、外的な栄光、外的な礼儀作法に向かっていたひとりの人間アッシジのフランチェスコを見、彼が内なる魂生活に純粋に向けられた感情へと改心するのを見るのです。けれども、これは独特に発展して、アッシジのフランチェスコは、ヴィジョン的なファンタジー豊かな古き生に由来するすべてから、今やまったく視線を転じた偉大な人物たちのうちの最初の人となります。彼は寧ろ、直接地上を歩んでいるものに眼差しを向けます、まず人間に眼差しを向けるのです。アッシジのフランチェスコが人間のなかに経験しようとするものは、人間がただ自己自身によってのみ立つものと見られるときに、人間の魂のなかで人間全体において体験されうるものです。アッシジのフランチェスコは、人間の個々の生など問題にされないとでも申し上げたいしかたで地上で展開した出来事に取り囲まれていました、以前の芸術のなかで育成され、人間の感情のなかに地上を超えた存在たちを立ち寄らせせたファンタジーのように展開した出来事にです。フランチェスコは実際、若い頃、そして後になってからも、ゲルフ党とギベリン党の世界史的な争いに取り囲まれていました。いわば、一人ひとりの人間が感じること、個々の人間が体験することは問題にされず、人間をただ群のような大多数としてのみ捉える衝動をめぐっての広範囲で争いです。そしてこの生のさなかへと、今やアッシジのフランチェスコと共にますます増えていくその仲間たちは、人間の内面において関係に即して体験されうるもの総てをもってまさに感情的に、体験的に、どの人間の魂をも貫き通し、照らし出す深い力をもって、一人ひとりの人間の個(Individualitaet)の権利を行使します。眼差しは、彼らを包む宇宙的・霊的なものから離れて、個々の人間的・個人的なものに向けられます。あらゆる人間の個々の魂との共苦・同情・共感・共生、あらゆる人間ひとりひとりが体験することに関心を持つこと。いわば栄光として紡ぎ出された地位や富を離れ、地上を超えたものから地上的なものへと放射されてくる芸術の領域に、オリエント的なファンタジーから人々が形成したいと思ったものから離れます。 こうしたすべてから離れて、地上の貧しい人間が体験する苦しみと喜びに目を向けて、今や個々の人間ひとりひとりが主要なこととなり、一人ひとりがそれ自身の世界となります。即ちあらゆる一人ひとりが一つの世界となるように生きたいと願うのです。永遠・無限・不死のものを、人間の胸そのもののなかに生み出そうとする、いわば、包括する領域としてそれを地球の上方に漂わせることはもはやすまいとするのです。

第9-Ⅱ:ジオット-聖フランチェスコへの忠誠 



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最終更新日  2023年11月25日 07時04分12秒
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