Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年12月31日
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カテゴリ: 霊魂論
内的霊的衝動の写しとしての美術史
第1講 ドルナハ  1916年10月8日-LXIII
第63  ジオット派フラ・アンジェリコ-十字架降下
 さて、63フラ・アンジェリコ-十字架降下以下に人間的なものの個人的な把握、地上的ー純粋に人間的なものの超感覚的なものからの解放をより精神的に描き出す写実的な方向性を、いくつかの絵画とともにあれやこれやと逍遙したあとで、私たちは、フラ・アンジェリコのなかにその偉大な代表者を見出す別の潮流へと至ります。私たちが彼に見るのは、ひとつのより魂的な潮流とでも申し上げたいものです。私たちが今までその展開のようすを見たものは、より霊的なものに捉えられているのですが、他方フラ・アンジェリコにおいては、心情が、魂的なものが、人間のなかに入り込もうと試みているのが見られます。そして、いかにこの芸術家が、これ程すばらしい愛すべき絵画において、まったく別の側面から同じしかたで、個人的なものの把握に近づこうとしているか。まったくもってずっと魂的に、それを見るのは興味深いことです。このことは、独特の、ここには再現できないフラ・アンジェリコの色彩にも見られます。彼の場合、すべてはまさに(Seele)から、より多く感じ取られるのですが、その他の写実的な潮流の場合、自然に即したものを模して創造する精神(霊・ガイスト/Geist)から、そこに解放として現れるものが表現されます。64フラ・アンジェリコ-磔刑にもいわば魂という迂回路をとって、キリスト教の魂的なものが、フラ・アンジェリコを通じて今入り込んできます。そしてこのことがまさにフラ・アンジェリコという現象において興味深いことなのです。私たちが見ましたように、以前は、超感覚的なものー霊的なものがキリスト教のの発展を貫き、そして芸術をも捉えていました、次いで、人間が自然へと向けられ、魂的なものという迂回路をとって自然へと向けられ、そしてアッシジのフランチェスコのなかに宗教的な熱狂としてのみ生きていたのと同じ衝動が、先ずは23・63そして64とジオットが其の流れの中でのなかで育成されましたが、その観ること(シャウエン/Schauen)はますます外的な自然主義へと駆り立てられ、そして今、いわば内なる生が、写実主義に対して魂的なもののなかに救済され、これはまたも個人的なものを薄れさせようとする傾向ではあっても、それだけいっそう、外的にも魂的なものとして表現しようと努めます。何故かと問えば、フラ・アンジェリコの場合、個別的なもののすべてから魂的なものが働き放射しているからです。キリスト教の魂的なものがフラ・アンジェリコのこれらの絵画のなかへと逃れ入り込んでいます、これらの絵画はいたるところに広まりましたが、もっとも見事なものはフィレンツェのドミニコ会サン・マルコ修道院に見られます。私たちは、超感覚的なものを観照する際に働く精神、この精神が、自然物の観照のなかへと注ぎ出したのを見ます。魂はこの芸術方向のなかに逃れ、表現に刻印された顔貌、表現に刻印された精神を捉えるよりは、表現を通して働きかける魂的なものを捉えようとしたのです。

第63:ジオット派フラ・アンジェリコ-十字架降下
記:フラ・アンジェリコの「キリストの十字架降下」は、1432年から1434年にかけて制作された、初期イタリア・ルネサンスの代表的な祭壇画です。フィレンツェのサン・マルコ修道院の礼拝堂のために制作され、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。この作品は、キリストの十字架降下を描いたもので、キリストの遺体を支える聖母マリア、聖ヨハネ、聖ニコデモ、そしてマグダラのマリアなどの人物が描かれています。画面の中央には、十字架から降ろされたキリストの遺体が描かれています。キリストの身体は木の像のように見え、肌はくすんだ緑色で、顔には表情がまったくありません。これは、キリストの死の深さと悲しみを表現したものと考えられています。キリストの遺体を支える人物たちは、それぞれに異なる表情を見せています。聖母マリアは、悲しみと絶望の表情を浮かべています。聖ヨハネは、悲しみと憤りの表情を浮かべています。聖ニコデモは、悲しみと尊敬の表情を浮かべています。そして、マグダラのマリアは、悲しみと愛の表情を浮かべています。画面の背景には、トスカーナ地方の丘が描かれています。この風景は、当時の人々にとってなじみの深いものであり、作品に現実感を与えています。この作品は、初期ルネサンスにおける宗教画の新たな表現様式を確立した作品として評価され、その特徴は、自然主義的な表現、明るい色彩、人物の感情表現で、キリストの十字架降下という宗教的なテーマを、自然主義的な表現と明るい色彩を用いて、人物の感情表現を重視することによって、より身近なものとして表現しています.



第64  ジオット派フラ・アンジェリコ-磔刑
 さて、人間的なものの個人的な把握、地上的ー純粋に人間的なものの超感覚的なものからの解放をより精神的に描き出す写実的な方向性を、いくつかの絵画とともに逍遙したあとで、私たちは、フラ・アンジェリコのなかにその偉大な代表者を見出す別の潮流へと至ります。私たちが彼に見るのは、ひとつのより魂的な潮流とでも申し上げたいものです。私たちが今までその展開のようすを見たものは、より霊的なものに捉えられているのですが、他方フラ・アンジェリコにおいては、心情が、魂的なものが、人間のなかに入り込もうと試みているのが見られます。そして、いかにこの芸術家が、これほどすばらしい愛すべき絵画において、まったく別の側面から同じしかたで、個人的なものの把握に近づこうとしているか--まったくもってずっと魂的に-- を見るのは、興味深いことです。このことは、独特の、ここには再現できないフラ・アンジェリコの色彩にも見られます-- 彼の場合、すべてはまさに魂[Seele]から、より多く感じ取られるのですが、その他の写実的な潮流の場合、自然に即したものを模して創造する精神(霊・ガイスト[Geist])から、そこに解放として現れるものが表現されます。64フラ・アンジェリコ   磔刑いわば魂という迂回路をとって、キリスト教の魂的なものが、フラ・アンジェリコを通じて今入り込んできます。そしてこのことがまさにフラ・アンジェリコという現象において興味深いことなのです。私たちが見ましたように、以前は、超感覚的なものー霊的なものがキリスト教のの発展を貫き、そして芸術をも捉えていました、次いで、人間が自然へと向けられ、魂的なものという迂回路をとって自然へと向けられ、そしてアッシジのフランチェスコのなかに宗教的な熱狂としてのみ生きていたのと同じ衝動が、まず23 63 64ジオットのなかで育成されましたが、その観ること(シャウエン[Schauen])はますます外的な自然主義へと駆り立てられ、そして今、いわば内なる生が、写実主義に対して魂的なもののなかに救済され、これはまたも個人的なものを薄れさせようとする傾向ではあっても、それだけいっそう、外的にも魂的なものとして表現しようと努めます。と言いますのも、フラ・アンジェリコの場合、個別的なもののすべてから魂的なものが働き放射しているからです。キリスト教の魂的なものがフラ・アンジェリコのこれらの絵画のなかへと逃れ入り込んでいます、これらの絵画はいたるところに広まりましたが、もっとも見事なものはフィレンツェのドミニコ会サン・マルコ修道院に見られます。私たちは、超感覚的なものを観照する際に働く精神、この精神が、自然物の観照のなかへと注ぎ出したのを見ます。魂はこの芸術方向のなかに逃れ、表現に刻印された顔貌、表現に刻印された精神を捉えるよりは、表現を通して働きかける魂的なものを捉えようとしたのです。

第64:ジオット派フラ・アンジェリコ-磔刑(たっけい)
記:フラ・アンジェリコは、ドミニコ会の修道士で、「天使のような修道僧」という意味です。絵筆をとる前には必ず祈りの言葉を唱え、キリストの磔刑図を描くときにはいつも頬を涙で濡らしながら描いていたと言われています。



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最終更新日  2023年12月31日 06時10分06秒
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