Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年01月24日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・ジョセフ・ローレンツ・シュタイナー
内的霊的衝動の写しとしての美術史
第2講  ルネサンスの三人の巨匠 レオナルド ミケランジェロ ラファエロ
ドルナハ  1916年11月1日-5 ミケランジェロ
 ミケランジェロがローマで、フィレンツェの偉大さと自分が体験したものを思って悲しみながら時を過ごしたその後、フィレンツェにとって良い時代がまた始まり、帰郷すると、彼はふたたび高揚した印象のもとにありました、けれども、この高揚したというのはまさに、フィレンツェにはまた自由が到来していたからという理由からです。そしてこの変化した感情を、彼は「ダヴィデ」立像(129)の筆舌に尽くしがたいほど偉大な人物のなかに注ぎ込みます。このダヴィデのなかに生きているのは、伝統的な聖書のダヴィデでなどではありません、このダヴィデのなかに生きているのは、押し迫る大都市主義に対する自由なフィレンツェの異議申し立て(プロテスト/Protest)であり、この像の巨大さはこういった感情と関わりがあるのです。そして、システィナ礼拝堂の壁画を描くためにユリウス法王に呼ばれるとき、彼ははじめて正しい意味で彼のフィレンツェをローマへと携えていきます。いったい何をローマに携えていくのでしょうか。 このとき彼がローマに携えていくのは、ひとつの全体的な世界把握、新たな時代を示していると言える世界把握です、ローマにおいてミケランジェロがシスティナ礼拝堂のなかで世界生成と聖書の物語の生成のうちに創造するもの(127-133)のなかで、古い世界観が没落していくと言うことができるのと同じくらい、新たな時代を示していると言うことのできる世界把握、そういう世界把握を携えていくのです。ひとつの世界をまるごとミケランジェロはローマに携えていくのです。彼は、当時ローマでは生じ得なかったもの、魂的にローマでは生じ得なかったもの、フィレンツェにおいてのみ生じることができたものを携えていきます。人間の預言的および巫女の能力のすべてとの関連における、太初から歴史的なものにまで入り込むこの世界連関の観照、 私の以前の講義のなかに、まさにこういう事柄についての言及を見出されるでしょうが、この連関がフィレンツェでは感じ取られなければなりませんでした。と云うのも、当時ミケランジェロが感じ取っていたもの、フィレンツェにおいてその高みに達していたものから感じ取っていたものについて、前の時代へと精神科学的に移行することなしには、今日もはや追感することはできないからです。ですから、こういう事柄について通常の美術史においては、これほど多くのナンセンスが見られるのです。もはや追感することができないからです。ミケランジェロが創造したように創造することができるのは、こういう事柄をほんとうと信じ、この事柄の内部にいる場合のみなのですから。ひとは世界の生成を描くということがよく言われます。今日でもそうできると信じている芸術家もいるでしょう。とはいえ、感じるところのあるひとは、それに同意することはできないでしょう、ミケランジェロがそのさなかに立つことができたほど、まるごとの魂生活をもって、そのなかに立つことのない者は、世界の生成を描くことはできないという単純な理由からです。

参照画:ミケランジェロ-ダビデ像




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最終更新日  2024年01月24日 08時23分06秒
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