Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年06月22日
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カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
ゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)
第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項
第四項
 ある若い物理学者たちは、物質的な動きというアイデアに対して、彼らの感覚的な経験に対してよりも高い要求はしないと主張します。その中にアントン・ランパがいます。
記:科学者としてオーラの存在を最初に主張したのは19世紀ドイツのカール・フォン・ライヘンバッハといわれる。ライヘンバッハは、宇宙に存在するすべてのもの(特に星々や惑星、水晶、磁石、人間など)から発出している物質が存在すると考え、オドの力と名づけた。オドの力には重さも長さもないが、計測可能であり、観察可能な物理的効果を及ぼすことができるとした。カール・フォン・ライヘンバッハ(Karl Ludwig Freiherr von Reichenbach/ 1788年2月12日 - 1869年1月19日)は、ドイツの化学者、地質学者、博物学者、実業家、哲学者である。 クレオソートやパラフィンなど多くの化学製品の精製を行った一方で、人間の精神に作用する未知の力についての多くの著書を書いた。参考画:カール・フォン・ライヘンバッハ



 彼には、機械論的な科学者であると同時にインド神秘主義の追随者であるという顕著な功績があります。彼はオストヴァルドの発言に対して、次のように反論します。「彼の科学的な唯物主義との戦いは風車を槍で突いているようなものに過ぎない。科学的唯物主義という巨人がどこにいるというのか。それは存在すらしていない。かつては、ビュフナー、フォイクト、そしてモレショーの科学的唯物主義があった。それはまだ存在しているが、自然科学の中にではない。何故なら、それはそこでは居心地がよくないからだ。オストヴァルドはそれを見逃していた。そうでなければ、彼はただ「唯物論的な」観点に反対する立場を取っていただけであっただろう。けれども、彼は、その誤解のゆえに、たまたまそれを行ったに過ぎない。そして、もし、彼の誤解がなかったとすれば、恐らくそうすることは全くなかっただろう。そのとき、科学が、キルヒホッフによって切り開かれた道を辿りながら、唯物主義がそうしたように、物質について考えるというようなことがあり得ただろうか。それは明らかな矛盾であり、あり得ないことである。物質についての概念が意味を持つのは、力についての概念と同様、最も単純な記述に対する要求によって正確に決定されるとき、あるいは、カントの言葉を借りれば、経験主義的な意味においてだけである。そして、もし、科学者が「物質」という言葉にさらなる意味を付与するとすれば、科学者としてそうするのではなく、唯物主義的な哲学者としてそうするのである(「時代」ウィーン、1895年11月30日)。」。これらの言葉から判断すると、ランパは私たちの時代の典型的な科学者であると考えなければなりません。彼はより便利で機械論的な説明の仕方をしますが、そのような説明の現実的な性質についてさらに考えることを回避します。それは彼が彼には解決不可能な矛盾の中に巻き込まれることを恐れるからです。どうすれば明晰な心を持つ人が、経験の世界を越えていくことなく、物質についての概念を理解するなどということができるでしょうか。経験に基づく世界の中には、様々な大きさと位置を持った物体が存在し、動きや力が存在し、光、色、熱、電気、生命等々の現象が存在します。けれども、経験は、大きさ、熱、色、等々が「物質」に付随するものであるということを私たちに告げることはありません。物質が私たちの経験の中に見出されることはあり得ません。もし、私たちが物質について考えたいのであれば、それを案出し、私たちの経験に「つけ加え」なければなりません。現象的に経験された世界への物質のこの知的な付加が目につくのは、カントやヨハネス・ミュラーの影響を受けた今日の自然科学の中でもきわめて一般的な物理学的あるいは生理学的な考察においてです。それらは、耳の中の音、目の中の光、熱を感知する器官の中の熱へと続く外的な事象は、音、光、そして熱の「感覚」とは全然関係がないと私たちが信じるように仕向けます。これらの外的な事象は単に特定の物質の動きであると思われているのです。科学者たちは、音、光、あるいは色を人間の魂の中に生じさせるのはどのような種類の外的な動きなのかを決定します。彼らは、赤、黄、あるいは青は人間有機体の外側に存在しているのではなく、繊細で可塑的な物質であるエーテルの波に似た動きがあり、それが目を通して感知されるとき、赤、黄、あるいは青として知覚されると結論づけます。もし、目がなかったならば、色は存在せず、あるのはエーテルの動きだけだったでしょう。彼らは、エーテルはひとつの客観的な事実であるが、色は主観的で、人体の内部で創造されるようなものであると主張します。今日のドイツにおける最も偉大な哲学者の一人として高く評価されているライプチヒのヴント教授は、物質とは基質であり、「決して直接に観察されるものではなく、その効果を通してのみ観察され得るものである」と言います。そして、彼は、「自らと矛盾しない現象についてのいかなる説明も」そのような基質を仮定しなければならないということを見い出します(「論理学」第2巻参照)。明晰で混乱した心象についてのデカルトの妄想は、物理学においては、物質を表現する基本的な方法となったのです。
記::デカルトの機械論的アプローチは物理学や化学において非常に有効です。複雑な現象を理解するために、現象をより小さな部分に分解して研究します。例えば、化学反応は分子や原子レベルでの相互作用を研究することで理解され、物理学では物体の運動を力やエネルギーの観点から分析します。ただし、量子力学の世界では機械論的アプローチには限界があります。量子もつれ現象などでは、部分に分解しても全体像を把握することは困難です。
    (第17章 ゲーテ対原子論 第四項了)

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最終更新日  2024年06月22日 06時30分43秒
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