Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月18日
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カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」 第三講 1920年 3月23日 ドルナハ*1998.11.21.改訳 1-3
本講1-3
 さて、人間の外郭、外部の自然においては事態は非常に広範囲にわたっています。例えば次のようなことが観察できるのです。山の斜面にある植物が生えていると考えて下さい。こういう植物は、葉を形成させないようなかたちで特定の葉柄を発達させる、ということが起こるのです。葉が生えてこないのです。これに対して葉柄は湾曲して、支持する器官になります。葉は萎縮し(図)、葉柄は湾曲して支持器官となり、自らを支えます。これは変形した葉柄を備え、葉の萎縮した植物なのです。植物というものが、その環境に限定された生存様式に広範囲に適応することができるということは、植物において作用している内的な形成力の存在を示しています。さて、この内部で働いている諸力は、とりわけ下等生物においてきわめて興味深いかたちで現れてきます。たとえば、原腸胚段階まで進んだ胚を取りあげてみましょう。この原腸胚(Gastrula:原腸胚、嚢胚=卵発生における胞胚の次の段階)を切断し、真ん中で切り離すと、切り離されたおのおのの断片は再び丸くなり、それぞれ前腸、中腸、後腸の三つの部分を形成する能力を自らのうちに養成します。つまり私たちが原腸胚を切断すると、二つの断片はそれぞれ、切断されていない全体がしたであろうことと同じことをするのがわかります。ご存知のように、この試みは、下等動物、ミミズにまで広げることができます。何らかの下等動物の一部を切り取ると、その部分は新たに補充されます。自らの内的な形成力から、切り取られたものと同じものが元通り得られるのです。こういう形成力は、事実に即して指摘されねばなりません。何らかの生命力を想定することで仮説的に指摘するのではなく、事実に即してこういう形成力が指摘されねばならないのです。なぜならば、そのとき実際起こっていることをより正確に見て本当に追求するならば、次のようなことがわかるからです。たとえば、非常に初期の段階のカエルの生体組織のどこかを切り取ると、切り取られた組織の状況によって、新たな別の組織が生じてきます。いくらか唯物論的な考えかたをする人は、次のように言うでしょう。傷口のところに弾力(Spannkraefte)というものがあるではないか、この傷口の弾力によって、ここに新たに成長してくるものが生えてくるのだと。けれどもそういうことはあり得ないのです。なぜなら、もし私がある組織をここで切断して(図)この傷口のところに、ここにある弾力によって新しいものが生じてくるとするなら、ここに生じてくるのは、このすぐ近くの部分、すなわち完全な組織のなかで直接隣り合っている部分であるはずだからです。けれども実際にはそういうことはなく、カエルの幼生の一部を切り取ると、末端器官、つまり尾や頭部でも、他の動物の場合は触覚糸といったものでも実際に出現してきます。つまりそこに接しているものではなく、その組織にとってとりもなおさず必要なものがそこから生じてくるのです。ですから、ここに直接内在している弾力によって、自らを形成するものがここに生じてくるということは不可能なのです。この再生に際しては、弾力ではなく、生体組織全体がなんらかの方法で参加していると考える必要があります。このように、下等生物において起こっていることを実際に追求していくことができます。私は、今日まで文献に記載されたあらゆる経験までこのことを拡張していくときこれをどのように追求していくかという道を皆さんに提示したわけですが、この道を通ってしかこういう事柄についての見解には辿り着けないのだということを、いたるところでご確認いただけると思います。皆さんは、人間の場合だったらこういうことはあり得ないのだという以外の思いはほとんど抱かれないのではないでしょうか。実際、指や腕が切断されてもそれを補充できるとしたら、とても素晴らしいでしょう。でもそれは不可能なのです。そこでこういう問いが生じます。この、かつての成長形成力であり、ここに非常に顕著に現れている力、こういう力は、いったい人間の生体組織においてはどうなっているのか。この力は人間においては失われてしまったのか、そもそも人間にはまったく存在していないのかという問いです。
記:「生体再生能力」は英語で (biological regenerative capacity または regenerative ability と表現します
参考画:Ambystoma mexicanum



 事実に即して自然を観察することを心得ているひとは、人間における精神的なものと物質的なものとの関連についての自然に即した見解に至ることができるためには、そもそもが、この道を通って行くしかないということを知っています。つまり、私たちがここで造形的な、と申しますか、そういうものとして始めて出会う力、ここで実質から直接形態を創り出す力、こういう力は、人間の場合には諸器官からすっかり取り出され、人間の魂的・霊的なもののなかにのみ存在しているのです。つまり、魂的・霊的なもののなかにあるわけです。この力が諸器官から取り出され、それがもう諸器官の形成力ではないことによって、人間はこの力を特別なかたちで所有しています。人間はそれを、自らの霊的・魂的機能のなかに有しているのです。私が考えたり、感じたりするとき、私は、下等動物や植物界において造形的に働いている諸力と同じ力によって考えたり、感じたりしているのです。私が、物質素材から引き出した力を使って思考し、感じ、意志することを行わないとしたら、私は考えることなどできないでしょう。従って下等生物を眺めると、私はこう言わざるを得ません。この下等生物の内部にひそんでいるもの、造形的な力であるもの、これと同じものを私も自らのうちに有している。けれども私は、これを私の器官から取り出し、自分自身のために所有している、そして、外部の下等生物の世界では造形的に働いているこの同じ力を用いて、私は思考し、感じ、意志していると。今日の心理学を構成しているような単なる言葉によってではなく、自らの心理学的組成における実質によって心理学者になろうとする人は、そもそも思考、感情、意志のプロセスを次のように追求しなくてはならないでしょう。つまり、下方では造形的な形態化のなかに現れている出来事を、ここではまさに霊的・魂的にのみ経過しているものとして、思考、感情、意志のプロセスのなかに明確に示していかなければばならないのです。もはや生体組織においてはできないことを、私たちがいかに内部の魂的なプロセスにおいてはやってのけているか、ちょっと考えてみてください。私たちは、忘れてしまった一連の思考を他のものから補完できます。このときの私たちのやり方は、先ほど私が、下等生物の再生について直接隣り合ったものではなく、そこからずっと離れたものが現れると説明したこととよく似ているではありませんか。私たちが内的・魂的に体験しているものと、外的世界において形成する自然の諸力、形成する自然の原理であるものとの間には、完全な平行現象が成立しています。そこには完全な平行現象が成立しているのです。この平行現象に注意を払わねばなりません。そして、人間にとって根本的に外界における形成原理としてあるものは、人間が魂的・霊的生活として自身の生体組織から取り出したものであり、その結果それは自身の生体組織においてはもはや物質素材、実質の基礎とはなっていないということを示さなければなりません。とは言っても、私たちはそれを生体組織のすべての部分から同じ度合いで取り出したというわけではなく、その取り出しかたはそれぞれ異なっています。ただ今展開してまいりましたような予備知識をいわば身に備えている場合にのみ、人間の生体組織に、それにふさわしい方法で近づくことができるのです。と申しますのも、私たちの神経系を構成しているすべてのものを観察してごらんになれば、次のような特徴に気づかれるでしょう。つまり、通常神経細胞あるいは神経組織(Nervengewebe)などと呼ばれるものはまさに本来的な形成物であり、比較的初期の発達段階にとどまっていて、それほど進化した細胞形成物ではないということです。従って、こうしたいわゆる神経細胞は、初期の原始的な細胞形成の特徴を示していることを期待せざるを得ない、と言わねばならないでしょう。けれども別の関連においてはまったくそうではありません。なぜなら、神経細胞はたとえば増殖力を持たないからです。神経細胞は、血液細胞と同じく、形成されると分割不可能で、増殖できないのです。つまり、人間以外のものの細胞に与えられた能力が、比較的初期の段階に神経細胞から奪われているのです。この能力は取り去られているわけです。神経細胞は初期の進化段階にとどまり、いわばこの進化段階で麻痺させられています。この神経細胞のなかで麻痺させられたものが、魂的・霊的なものとして、自らを分離するのです。その結果私たちは実際に、自らの魂的・霊的なプロセスによって、かつて器官的実質のなかで自らを形成していたものに立ち返るのですが、これに到達するのは、私たちが比較的初期の段階で殺した、少なくとも麻痺させた神経実質を自らのうちに有していることによってのみ可能なのです。このようにして神経実質の本質に近づくことができます。さらに、この神経細胞が、一面ではかなり原始的な形成に似ているように見え、さらにそれが発達した段階においてさえ原始的な形成に似ているように見えるのにもかかわらず、それが通常人間において最高のものとされる精神活動に奉仕するという特性を備えているのは何故かということがわかってきます。

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最終更新日  2024年08月18日 06時08分14秒
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