Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月26日
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カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」 第四講 1920年 3月23日 ドルナハ*1998.11.21.改訳 本講:本文・解説
第四講●解説
■●テーマ概観
■●1/病理学から治療法を取り出す理性[Ratio]
■●2/植物化に対抗するプロセス
■●3/植物化の止揚
■●4/植物化プロセスの下部における活性化
■●5/腺から引き出した形成力としての魂生活
■●6/人間は自らの中で光を変容させている
■●7/マクロコスモスへの視点の重要性
■●8/鳥は、人間の生体組織のマクロコスモスにおける写像である
■●9/鉱物化傾向と鉱物治療
■●10/人間の二元性
■●11/松果腺と脳下垂体の真の緊張関係

■テーマ概観・■1 病理学から治療法を取り出す理性(Ratio)
●テーマ概観
 この第四講では、次のようなテーマが扱われています。
1.単に経験的・統計的な方法からではなく、病理学から治療法を取り出す理性[Ratio]の重要性。
2.炭素に酸素を対抗させ、炭酸に加工することで、植物化に対抗するプロセスを形成する必要性。
3.人間は植物化を止揚することで生きているが、その認識が生体組織と植物薬との関係を探求するためには必要である。
4.人間の上部と下部の相互関係において、上部の下部に対する反作用が少なすぎるため、植物化プロセスが下部において活性化する可能性。
5.人間の魂的霊的生活における体験は、我々が腺から引き出した形成力である。
6.人間は自らの中で光を変容させている太陽光とそれを内的に変容させることとの均衡が崩れることで人間は結核菌に適した土壌となる。
7.顕微鏡での観察は、真のプロセスから目をそらせる。マクロコスモスへの視点が重要である。
8.鳥は、人間のより精妙な生体組織のマクロコスモスにおける写像である。人間は鳥よりも下降した存在であるといえるが光を変容に導く活動において、つまり膀胱と大腸に関わるエーテル体に関して、鳥と同じ位置にある。
9.人間は自らの内に鉱物化しようとする傾向を有している。その点に関して、鉱物治療の視点が重要になるが、それは鉱物をそのまま取り入れるというのではなく、ホメオパシー原理が重要になる。
10.人間は上部と下部という人間性として自らを開示し、下部において形成されているものは、常に上部で形成されているものの平行器官である。人間の霊的・魂的活動は、脳形成と同時に腸形成とも結びついている。
11.上部と下部は、常に緊張関係にあり、それを制御することが治療においては重要になる。松果腺には、上部の力であるすべての力が現われており下部の力である粘液腺、脳下垂体の力との真の緊張関係という観点がさらなる治療プロセスのための基本原理となる。

●1 病理学から治療法を取り出す理性(Ratio)
1.単に経験的-統計的な方法からではなく、病理学から治療法を取り出す理性の重要性
注:この講の最初には、治療に関する基本的なシュタイナーの考え方が示されています。
 治療、治療薬と器官、症状との関連は非常に複雑なものなので、それを見出すためには、「基礎的問題」を扱う必要があります。薬(*自己再生・回生能力を持つオートファジーは夢想さえされない医科学時代です。)人間の外部から人間に投与されるわけですが、それによってそうした人間と人間外のものとの関係の認識の有効範囲についての洞察が可能となります。昨日の午後の議論はなるほど極めて興味深いものではありましたが、私が今しがた目にいたしました質問との関連で、既にもう行ったことではありますが、やはりもう一度、次のようなことを強調しておく必要があります。すなわち、個々の治療薬と個々の症状との関連を見出すために十分な方法は、ここでの考察のなかで前もってある種の基礎的問題を処理してしまってからでないと得られないだろうということです。これらの基礎的問題によってようやく私たちは、人間と人間の外部のもの、この人間の外部にあるものから薬が取り出されるのですが、この人間と人間外のものとの関連についての認識の有効範囲を推し量ることができるようになるのです。とりわけ、個々の治療薬と個々の器官との関係について語ることは、これらの基礎的問題を処理することなしには不可能なのです。その理由は明白で、この薬と器官との関係というのは全く単純なものではなく、いささか複雑なものであって、私たちがきょう、あるいはもしかすると一部は明日にも処理していくべき基礎的問題を処理してからでないと、この本来の意味を推し量ることはできないからです。それに続いて、この治療薬とりわけ治療処置と、個々の器官疾病との具体的な関係を実際に議論する可能性がでてくるでしょう。けれども、きょうさっそく前置きとして申し上げておきたい今一つのことも、とりあえずは皆さんに取り入れていただきたいのです。そのことからある種の光が当てられることもあるでしょうから。と申しますのは、こういう事柄は当然のことながら最初はショックを与えるものですので、これらはいささかショッキングな事柄なのだということを先に強調しておかなければなりません。昨日の午後ここで検討されたこととの関連で申し上げたいのは、皆さんが物事の別の側面に留意してくださるようお願いしたいということです(*ここで、シュタイナーは、治療ということに関して、思いきった、けれども極めて原則的な意味での、問題提起を行なっています。それは、現代の唯物論的な医学に対する一種のアンチテーゼです)。一見、効果的な治療が行なわれているように見えるそうした医学ですが、それは個々の「病人」を治療するという視点のみが重要視され、病気の本質への探求ということがなされているとはいえないのです。それは一面的なアプローチであるといえます。個々人の治療ということと同時に、「人類の治癒ということを全体として見る」という視点が重要だというのです。現代の医学は、まるで新興宗教の御利益のように、特定の症状に「効く」ということばかりが重要視され、その「効く」ということがいったい病気の本質とどう関係しているのかといったことに対する視点が希薄です。従って、ある症状が起こるとそれを専門別に「~科」ということで分類し、その症状別にそれに対処するということになってしまい、その病気を全体としてとらえるということさえなされないのが現状です。肝臓が悪ければその担当の先生がいて、目が悪ければその担当の先生がいるという感じで、それらの症状の連関やそれらがどういう原因から生じているのかということを見ようとせず、クロスワードパズルのように部分のピースだけを扱うのが医者であるというようになってしまっているわけです。だから、それでどうにもならなくなると、急に御利益を求めて新興宗教に走ることどもがあり得るわけです。そんな馬鹿げた状態から脱するためにも、病気の本質へのアプローチが重要になってくるのです。昨日ここでまったく特定の治療について非常に啓発される事例が数多く紹介されたことは、私たちにとってきわめて満足のいくことでした。さて、私はこういう治療をおそらくは稀少なものにしていくごく単純な手段を皆さんに示すことができます。けれども私は皆さんがこの手段を用いないようにするためにこそ、これを用いることは当然考えられることですが、この手段をご紹介したいのです。この手段については、むろん人智学的な素養のある方々のもとでしかお話しすることはできません。この手段というのは、皆さんがリッターの治療法(☆1)を普遍的なものにしようとあらゆる策を講じるという点にあると言えるでしょう。皆さんは治療の成功に関しては、自分は個人的としてひとりの医師であるということを尊重するわけにはいきません。なるほど、個人としては次のようなことを意識しておられる方もいらっしゃるかもしれません。つまり、自分はひとりの医師として、大きな医師集団というものに対して戦わなければならない、けれどもリッターの治療法を大学の要件にしたとたんにそれに染まってしまうだろう。もはや反対の立場には立たず、非常に多くの、すべてのとは決して申しませんが、病気が癒されるので、自分の治療の成果は著しく減少するという経験をするだろう、このように意識しておられる方ももしかするといらっしゃるかもしれません。現実の生活においてはこういうこともあり得ます。つまり、ものごとは普通考えられているのとは異なっていることが多いのです。医師個人としてはひとりひとりの人間を治療することが最大の関心事であるのは当然のことですが、現代の唯物論的な医学は、それどころか、ひとりひとりの人間を治療することに単に挑みかかるしかないということの一種の法的根拠と申しますか、そういうものをこの方法で探し求めてきたわけです。
原注1 リッターの治療法:「M・リッターの光力学的治療の実践的応用のための手引き」(ミュンヘン、1913) 及び「神経・力学的治療法ーー蛍光素材及び発光(ルミネセンス)素材の細胞領域と神経死に対する作用に関する研究と経験との関連で」(ライプツィヒ、1905)参照。
 実際、この法的根拠は、そもそも病気などというものは存在しない、存在しているのは病人だけだと言われているところにあるのです。当然のことながら、人間が病気に関しても、今日外面的に見えているとおり切り離されているのだとしたら、このような根拠も真の根拠となるでしょう。しかし実際に起こっていることは、人間はこのようなことが大きな意味を持つほどには実際に切り離されてはおらず、ちょうど昨日E.博士が言及されたように、ある種の病気のスパンは、かなり広範囲にわたっており、皆さんがある人を治したとしても、別の場合にはまた別の人たちに病気を押しつけたこともあるかも知れない、といったことは決して確定できないのです。個々の病例をプロセス全体のなかに置いてみないと、こういう事柄は個別的にははなはだ驚愕させられるものです。けれども、人類の治癒ということを全体として見ようとする人は、やはり別の角度からも語らなくてはならないのです。
記:シュタイナーは、「単なる経験的ー統計的な」在り方に、病理学から治療を引き出してくるという一種の理性[Ratio]をもたらさねばならないと言います。
 理性[Ratio]というとわかりにくいかもしれませんが、これは、「経験的ー統計的な」いわば帰納法的な在り方に対して、演繹的な在り方だといってもいいと思います。病気という現象の根底にある原理そのものから、個々の治療法を取り出してくるということです。病気はなぜ生じるのか、その病気である状態をどのようにすれば治療の可能性が生じるのか、そういった「なぜ」の部分を重要視しているのだといえるでしょう。このことから、一面的に単に臨床的な方向付けをするだけではなく、完全に病理学をもとにして治療というものを引き出してくることがぜひとも必要となってくるのです。私たちがここで試みようとしていることはまさしく、通常は単なる経験的ー統計的な思考であるものに一種の理性(Ratio)をもたらすことなのです。
参照図:医療や医学の分野



   第四講●解説 テーマ概観・1病理学から治療法を取り出す理性(Ratio)了

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最終更新日  2024年08月26日 10時53分20秒
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