Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2024年09月20日
XML
カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」第六講 第六講本文・解説 1920年 3月26日  ドルナハ
●第六講本文 - 中半部
 いわゆる外惑星、これには当然に火星、木星、および土星を含めばなりません。天王星と海王星は、天文学的にのみ、この太陽系に加えることができます。この両者は本当はこの太陽系の一部ではなく、この系の外部にあった異物が、いわばこの系に接続したことによって、この系に入り込んできたのです。したがって、この太陽系によって招かれたこれらの物体、つまりこの太陽系創成時に一緒にやってきた本来お客様であるものは度外視して語るのが正しいのです。これらの外惑星の力は、通常は単に葉の螺旋にのみ現われているであろうものを押しとどめて、花・種子形成に作用することによって、上へ向かう力を後退させる作用を及ぼすのです。つまり植物生成を、葉の形成から上へと観察してごらんになれば、皆さんはその起源を、太陽的なものと、火星的なもの、木星的なもの、土星的なものとの相互作用から成立した諸力に帰せざるを得ないでしょう。しかし、これら二つの要素、太陽系創成時の独自生成した惑星とキャッチした外惑星は単に一緒に作用しているのではなく、この両者に対してさらにまた、とりわけ月(*霊的太陽系においてシュタイナーは、月を惑星として数ていることに注意、神秘学霊的魂の環太陽系世界特有の世界観)から発しているものと、いわゆる下位惑星、すなわち水星と金星から発しているものが作用を及ぼしているのです。水星、金星、月は、植物のなかに、地球への、つまり下方への傾向を生み出すものであり、その最も顕著な現われは根の形成のなかに見出されます。したがって、地上的に現われているものは、すべて実際には同時に、月と関連しつつ、太陽の下位にある惑星に影響を受けているのです。つまり植物のなかには、私たちの一部であるこの太陽系全体が表現されていると申し上げたいのです。植物のなかには私たちの一部であるこの太陽系全体が表現されていて、他面では人間のなかにもこの太陽系が表現されているということを知らないうちは、そもそも植物組織と人間の組織との間の関係を見通すことなどできません。
参考画:ヘリオスフィア(環太陽系)



 皆さんは実際次のような事実に目を向けてごらんになりさえすればよいのです。根的なものに傾いている植物、つまり、花形成に傾いている植物ほどには、花・種子形成のプロセスを成し遂げていない植物を燃やすと、あるいは全般に植物の根を燃やすと、花を燃やすときよりも、あるいはヤドリギや樹の類の植物を燃やすときよりも、はるかに多量の灰成分が出るという事実です。この違いは端的に、太陽の下位にあるもの、つまり月的なもの、水星的なもの、金星的なものは、根の形成に向かって強い傾向性を示すような植物に対してより強く作用しているということに由来しています。灰のなかには、鉄、マンガン、珪石(Kiesel)といった、実際直接的な薬を析出(せきしゅつ)し、植物から何かを利用するときにも薬として現われてくる成分が見出されます。これに対して、これとは反対の種類の植物を燃やすときには、灰の成分は少ししかないでしょう。この燃焼プロセスのなかに現われているもの、これは何はさておき、植物が単に地球上に見い出されるものだけに属するのではなく、宇宙全体の一部であることを示す正確な外的ドキュメントなのです。植物プロセスをもっと完全に観察してごらんなさい。一年生の植物の場合、植物プロセスはいわば、種子の形成とともにある特定の季節に中断されます。つまりこの種子形成を、私たちはおもに地球外のものに還元しなければならないのです。けれどもこの種子形成は中断され、それは地上的なものに委(ゆだ)ねられて、古い年にはある意味でもっと高い段階に達していたものが、新しい年には、いわばそれより低い段階で再び継続されていかねばなりません。ですから皆さんは植物の成長全体のなかに、独特な進行を観察することができるのです。ここが地球の表面だと考えて下さい。さらに、植物全体が地上から生えて、地球外のものに向かっています(図参照)。けれども、地球外で形成されたものは、再び地球へともどされ、循環が新たに始まるのです。したがって、皆さんが植物の成長全体を観察されるなら、本来、天の諸力が毎年地球へと降下し、地球の諸力と結びついてこの循環が新たに完了するというわけです。つまり天の諸力は毎年、花・実的なものを根的なもののなかに沈降させ、それによって、植物の成長全体を支配している円環を達成するのです。お解かりでしょうか。ここで皆さんに指摘されていることは、私たちは実際のところ、地球の植物相とみなしているもののなかに、地球そのものと地球外のものとの相互作用を、完全なかたちで示しているものを有しているということなのです。これは、単に形態にまで及んでいるのみならず、内的な化学的現象(Chemismus)と器官組織全体にも及んでいます。なぜなら、ちょうど地球的なものが、形態の機構において、宇宙的なものに克服されるように、いわば植物における地球的な化学現象も、地球外のものによって克服されるからです。そしてこれがある程度まで克服されると、今度は地上的な化学現象を示すために、またもや地上的なもののなかに戻されるのです。さらに、地上的な化学現象は、灰的なもののなかに現われているすべてのものに外的に示されていること、つまり地上的な化学現象は、生命的なものから抜け落ちるものによって表わされるということが皆さんにほとんど明確になるでしょう。この地上的化学現象は重力に屈服し、一方、植物の上へ向かう成長は、重力その他の地球に結びついた諸力を、絶えず克服しているのです。こうして私たちは、重力と光の両極的対立について語ることができます。光とは、絶えず重力を克服しているものです。そしてこの、「光と重力との闘い」、灰へと押し寄せるものと、火へと押し寄せるものとの闘いのなかに、このプロセスのなかに、植物はある意味で拘束されているのです。ここで私たちに示されるのは、灰化していくものと、火のなかに開示されるものとの両極的対立、計測できるものと計測できないものとの対立です。さてここで一面において、宇宙的連関のなかにある植物界が得られたわけです。皆さんが人間の観察をなさるなら、すでに先日来の議論により、ここで人間も両極的に方向づけて考えなければ、うまくいかないことがおわかりになると思います。と申しますのも、一方で私が皆さんに示しましたのは、植物において下から上へと成長しているものが、人間の場合は上から下へと成長していて、そのため人間の場合、性的なものと排泄プロセスにおいて、花的なものと種子的なものは下へ向かい、根付くものは上に向かうということです。ただ、これは人間の場合、機能的にそうなのであって、植物の場合はこれは物質的なプロセスなのです。このことからすでにおわかりでしょうが、人間のなかには、植物のなかに存在するものとは反対のものがあるのです。けれども人間のなかに単に反対のものがあるというのではなくて、この反対のものを担うものがあるのです。従って皆さんは次のように言わなければなりません。すなわち、人間のなかには一面において、機能的に、いわば上に向かって根を張るもの、下へ向かって成長するもの、つまり植物的なものがあり、そしてその回りを取り巻いて、今度は下から上への傾向を有する、物質的なものがあるのだと。そのため、本来植物の場合は、上の領域から取り出してくることと、下の領域に沈降することが、巧妙に行なわれているのに対し、人間の場合は継続的に行なわれているのです。そして本来、人間の健康な生も病んだ生もこの相互変動のなかにあるのです。よろしいでしょうか、今示しましたように、一方で、地球から上に向かって作用する担い手が存在し、他方で、上から下へ作用するものがこの担い手のなかに押し込まれているわけです。健康な状態も病気の状態も、人間の生はこれらの力の共同作用のなかにある、ということを容易に見て取れるのは、いわばなかば絶望しつつ、ひとつの重要な事実の前に立つときです。つまり、人間の生体組織は、上に位置する部分が考察されるときと、いわば心臓の下に位置する部分が考察されるときでは、まったく別様に扱われねばならない、という事実です。この場合人間は別の原理に従って観察されねばならない、とすら言えます。このことはいくつかの事実、たとえば、そうですね、頭蓋癆(ずがいろう/Kraniotabes)の通常のくる病(Rachitis)に対する、多くのひとにとって謎めいた事実のなかに現われているのです。この両者は、人間を統一体として観察するひとにとっては、互いに近接している一方、人間の対極的に異なる領域から出ているために、まったく異なった原理によって観察されることもやむを得ないのです。このことは重要な意味を持って治療プロセスにまで及んでいます。ですから、くる病において何らかのやりかたで、燐療法によってある種の成果を示した医師たちは、おそらく頭蓋ろうの場合この療法によっては全く成果をあげられないでしょう。この場合は、炭酸石灰か何かによる治療によって反対の処置がとられなければならないのです。けれどもこれは、まったく一般的な事実を表わしているにすぎません。この事実はあまりここちよくないことを表明しなければなりませんが、これはまったくの真実なのです。つまりこれは、次のような事実なのです。人間の治療の場合、つまり医学の領域に入っていく場合、何かが言われると、その反対のこともまた、常にある場合においては正しいことがあるということですーーそしてこれは宿命というものなのです、皆さん。誰かが何らかのことに対して、まったく正しい治療法を示し、生体組織における一見まったく同じ症状に対して適用されると、この治療法はまったく治療法にはならず、反対の治療法が取られねばならないということも、十分起こりうるのです。そのため、ひとつの治療法で処置することができるのは人間の一部のみで、人間の他の部分はまた別の治療法で処置せねばならないということを意識していなければ、医学においては常に、ある治療理論を別の治療理論によって撃退してしまう可能性もあるわけです。けれども、ここで重要なのは、いわば植物においては分離されて現われてくるもの、人間においてはその組織化の一面を決定するものを、私たちがきちんと見据えることです。昨日皆さんには、いわば人間外部の自然特有の三つの形成衝動に目を向けていただきました。すなわち、塩的な形成衝動、水銀的形成衝動、そして、燐や硫黄といった特定の物質が、計測できないものの力を自らのうちに保存すること、計測できないものの担い手であることによって成立する形成衝動です。
   第六講本文 - 中半部-了

哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年09月20日 06時32分27秒
コメント(0) | コメントを書く
[霊魂論] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: