Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年10月09日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」第七講 1920年 3月27日   ドルナハ  
本文-2
 よろしいでしょうか、人間に作用しているものは、根本において、誕生前から、実際は受胎前からすでに始まっているのです。私はこういう事柄を研究する際に、一般によく用いられている医学書のなかで、「原因不明のとか、その原因を正しく指摘できないようなものとみなされる病気プロセスがこんなにも多いのは、いったいなぜなのか」と自問したことが屡々ありました。その原因は、次のようなことに全く注意が払われていないためです。つまり、昨日私たちが地球外的なものとして示した諸力の複合体は、人間が誕生に近づいていくときのみならず、受胎に近づいていくときにすでにもう存在していて、このように人間に作用するものは、その後、逆転した反対の作用を生み出すこと、すなわち、本来受胎前からすでに存在しているある種のプロセスは、受胎後、あるいはとりわけ誕生後に反対の作用を生み出すということです。そして、人間の生において観察できるのは、誕生後に現われてくるもののみ、受胎前に自然存在とのまったき関わりのなかですでに存在していたものに対する一種の反対の作用であるもののみということもあるのです。私が今申しましたことは、特に骨化(Ossifikation)および硬化症(Sklerose)関連していることすべてと大いに関わり合っています。硬化症、そして骨化も、本来、その反対のプロセスをすでに受胎前に有しているプロセスです。これらは、受胎前に人間のなかで散乱プロセス、拡散プロセスとして作用しているものに対して、全く正常に器官的な形成プロセスとして反対の作用を及ぼしているのです。このことに注目することはきわめて重要です。硬化症のプロセスを、このように、地球外的なもの、誕生あるいは受胎以来人間そのもののなかに現われてくる限りでの地球外的なものと関連づけることができなければ、さらに、受胎前に存在する、人間の外部の、地球外的なプロセスと関連づけることができなければ、硬化症のプロセスを制することはできないでしょう。さてしかし、現われてこなければならないこれらすべてのプロセスは、ある限界を、いわばその振動の中心を越える可能性もあります。硬化あるいは骨化のようなプロセスは、いわば中央の位置に向かう振動であり、度を超す、つまり強くなりすぎる可能性もあるのです。これらのプロセスはさらにまったくちがった形でも現われます。最初これらは素質という形で現われます。そしてこの素質のなかに、人間存在の非常に本質的なものを探究しなければなりません。骨化や硬化症において正常であるもの、あるいは人生の経過のうちにそれ自身の領域で異常になるものが、別の側面へと揺れると、つまりこのプロセスがいわば自身の領域ではなく、人間の他の器官組織のなかで展開すると、受胎前のものの病的な反対像であるものが、私たちがさまざまな種類の癌腫形成(Karzinombildung)のなかに有しているものが現われてくるのです。こうした事柄に注目することができるのは、人間の生成および存在のプロセス全体を真に洞察しようと試みるときのみです。それがなければ、癌腫形成のようなことは、常に人間の生における比較的未知の要因となってしまうでしょう。この要因を、人間のなかで何らかのしかたで作用しなければならないもの、それが変成させられて、別の領域に移行されたものと関連づけることができなければです。さらに別のことも、同様に観察できます。幼年期に、水頭症、脳水腫(Hydrozphalus)のなかに顕われてくるものも、また同様に観察することができるのです。本来的に私たちは皆、水頭症の素質を有していて、水頭症はなくてはならないものなのです。もし水頭症というものが存在しなかったら、私たちの脳と神経組織の正常な形成ができなくなるでしょう。と申しますのも、これは、人間のなかにある液体的な要素から引き出されねばならないからです。したがって、幼年期には常に、水頭症と、水頭症を克服しようとするもの、水頭症を抑えるために人間の生体組織のなかに現われるものとの間の闘いが見られます。実際単に水頭症のようなことについてのみ語るのではなく、その反対のもの、つまり脳内の水が減少しすぎることについても語らなくてはなりません。これはもしかするとほとんど考慮されていないかもしれませんが、実際考慮される必要のある、水頭症の対極にある病気なのです。幼児期の私たちは実際、水頭症と、後に起こるその反対物というこの両極端の間を、常に一方から他方へと揺れ動いているわけです。さてしかし、臨床上のことについては今後さらに詳しく入っていきますが、こういうことに関して、何かを見落とすということが起こる可能性もあります。つまり、水頭症がいわば完全に終わってよいおおよその時期、常に存在する正しい時期を見落としてしまい、水頭症への傾向が、教育によってであれ、食餌療法によってであれ、幼児期、とくに乳児期の治療行為全般によって、あまりに早く取り除かれてしまう、つまり水頭症をあまりに早く消滅させてしまう、と申しますか、そういう事態も起こり得るのです。こういうとき特に、人間の生の経過全体を見ないことの害悪が現われてきます。なぜなら、ここでまた指摘しておきたいのですが、こういう幼児期の水頭症の経過と、梅毒(Syphilis)との関係を、後になって現われる梅毒になりやすい素質において探究することが試みられるとすれば、ここで医学の博士論文が多数提供されることも可能でしょうから。この場合には微生物を追求することによっては、実際何も得るところはありません。私がただいまお話ししましたような事柄が考慮されるときのみ、何かを実際に得ることができるのです。梅毒の予防のためにきわめて多くのことがなされる可能性があるのは、後になってさまざまな梅毒の症状のなかに、私たちがさらに耳にするようにさまざまな症状があるのにあわせて現われてくる可能性のあるものに対して、ほんの子どものころに、いわば機敏に対処することを試みる場合でしょう。少なくとも、診断の際に常に念頭に置いておく必要があるのは、こういう事柄は、常に診断の際に、まさに人間の生成プロセスにおいて本来の原因を示すものへと立ち戻っていかなければならないということです。さてこの点に関してきわめて重要なことは、次のようなことです。すなわち、生体組織のプロセス全体が移動していて、上部人間におけるプロセスも心臓に向かい、下部人間におけるプロセスも下から下腹部を経てやはり心臓に向かうと言えることです。本来の滞留器官としての心臓に向かって、人間の形成全体が、一方からももう一方からも押し寄せていくわけです。けれどもこの移動はさまざまな年齢に起こります。症状に肉薄すれば、つまり、とりわけ少年少女期に現われてくる症状、結局少年少女期における肺炎(Pneumonie)あるいは胸膜炎(Pleuritis)に通ずるものと何らかの関係があるすべてに現われてくる症状を見る目を習得し、ここでこういう出来事に関与してくるすべてのものを総合すれば、これは前進させられたプロセスであること、まだ比較的早い時期に水頭症においてなされたプロセスと同じプロセスであることがわかるでしょう。端的に言って、水頭症が人間の生体組織のなかを一段下へとずらされ、その際肺炎あるいは胸膜炎的症状になりやすい素質を形成するのです。これは幼児期においてこれらの症状と関連するものになりやすい素質でもあります。けれども、幼児期におけるこうした症状の場合であっても、これらの症状が後の年齢になってその反対のプロセスをたどる、つまりこれらの症状は実際後になってまた現われるけれども、今度はその対極のなかに現われるということになります。そして、次のように問いを立てる人は、たとえば急性の場合も含めた心内膜炎(Endokarditis)の場合に、起こることすべてに対して、その見解でやっていけるでしょう。すなわちその人が、「何らかの意味で肺炎あるいは胸膜炎と関連している病状が、以前の年齢にどのように現われたのか、私はひとつ知りたいものだ。」と言う場合です。これは結局、子どもの場合、肺炎や胸膜炎の症状が、早められたり、あまりに急速に追い出されたりするのではないということがわかるということに帰着します。当然のことですが、両親や教育者は、これらの症状をできるだけ急いで後退させようと切に望みます。しかし、人間のこういう状態の場合こそ、これらの症状を、それ自身の運命にゆだねると申しますか、さもなければ有害な作用をする可能性のあるある種の事柄を避けるために医師としてその場に居ること、病気を実際に経過させることが、きわめて重要なのです。ですから、こういう症状の場合ほど、他の症状の場合ももちろんそうですが、胸膜炎や肺炎と関係している、子どもの病気におけるこういう症状の場合ほど、次のようなことが必要な時はありません。つまり、一種の自然的な療法、今日どのように呼ばれているにせよ、自然療法を適用すること。すなわち、病気のプロセスにできるだけ正常な経過をたどらせようとすること。病気のプロセスを早めたり、あまりに早く短縮させたりしないことが必要なのです。これが重要なのはつまり、病気のプロセスがあまり早く短縮されると、比較的すぐに、心臓疾患およびそれに関連するすべてにかかりやすい素質、とりわけ、多発性関節炎その他にかかりやすい素質を招いてしまうからなのです。したがって、とりわけ注意を払わねばならないのは、こういう領域においては、病気のプロセスをいわば妨げないということです。いわば胸膜炎と肺炎が欲することを妨げなかったら、あらゆる疾患、後で「心臓の不規則性のなかに放出されるあらゆる疾患の素質」が取り除かれてしまう人もいるでしょう。あらゆるもののなかに、人間の生成プロセス全体の内部に存在しているこの連関が見られます。このとき実際次のようなことも思い起こすことができるでしょう。つまり、単にその人の病気がほんとうに深刻な状態であるときの、こういう極端な場合を見るだけでなく、その人の病気が比較的軽い場合、つまりその人の治療も比較的容易になって、治療したのかしなかったのか、はっきり区別できないことさえあり、患者に向かって、「あなたがばかなことをしないで、癒されることを欲しないなら、事態はもっと良くなるのですよ」と言わなくてはならないとき、そういう場合にも目を向ける必要があるということです。なぜなら、そもそも人はそう甚だしくは癒されるものではないということも非常に重要なことでしょうから。治療すること自体はまったく結構なことなのですが、次のようなことを考慮に入れておくのも治療のうちなのです。つまり、次のような人物も人生においてはそう珍しくないということ、つまり、彼ら自身の言によれば実際ありとあらゆる可能な病気を体験し、あらゆる治療法も薬も体験してきたので、自分たちが高齢に達したときには、もはや、いずれにせよこの人たちはいつも病気なのですから、元気づけてくれるような何かをまた見出すことは困難であるというような、そういう人もめずらしくないということです。こういう人たちには、次のような意識を少々呼び起こしておくほうが良いでしょう。つまり、そもそもたいていの人は実際には、その人がそう信じているほど病んではいないのだという意識をです。当然のことながら、このことは影の面も持っています。しかしこの場合のこういう関連では言われても良いことではないでしょうか。さて、皆さんはこれらの事柄をすべて光のなかで見なくてはなりません。つまり、人間はまず第一に物質的な生体組織を有していて、さらにエーテル組織が七歳から十四歳まで強く働いて物質的組織に加わり、さらに妊娠のような事態においてはエーテル組織はまた追い出される、こういうことによって、人間はまさに複雑な存在であるということです。さらにまた、考慮しておかねばならないことは、アストラル体が秩序だって加わるのは、十四歳以降になってからであり、自我が加わるのはそれよりさらに後になってからであること、けれども自我というものを、たとえばあたかも外部にあるかのように想定してはならないということです。目覚めている状態のときには、自我はもちろん決して生体組織の外部にあるのではなく、自我が加わって、共同作用が高まるのです。したがって、常に関係してくることは、生体組織に障害があるときはいつも、自我が他の組織の内部で正しく機能することに何らかの困難があるということです。そこで実際次のように言わねばなりません。すなわち、「今日医学はそれと知ることなしに、すでにずっと以前から、この、自我が人間の他の三つの組織とともに完全になることの困難さについて、自我と他の三つの体とのこの闘いについてきわめて教えるところの多い描写をするところまで来ている」と言えるのです。もちろん私たちは唯物論的な時代に生きておりますので、この闘いを内部に見るということはありません。しかし、熱曲線が正しく描かれるときはいつも、この熱曲線のなかに今特徴をお話ししましたこの闘いが正確に写しとられているのです。ですから、こういう連関を洞察するためには、さまざまな病気の状態における熱曲線を追求することほど明らかなことはないのです。なるほどこれは、治療にとっては、病理学にとってよりもずっと重要でないことかもしれません。けれどもこういう事柄についていくらか理解しておかなくてはなりませんし、少なくとも一般的に、これについていくらか理解しておかなくてはならないのです。と申しますのも、よろしいでしょうか、皆さんがたとえば、そうですね、肺炎そのものや、あるいは腸チフス(Typhus abdominalis)のようなものを洞察することができるのは、皆さんが熱曲線の経過について見解を得ているときのみだからです。ここで皆さんが肺炎における熱曲線の二つの主要なタイプを研究されるなら、つまり、たとえば危険な経過での熱曲線とそうでない場合の熱曲線を比較するなら、生体組織への介入を妨げられた自我は、反撃するとき、ある場合と別の場合ではまったく別のやりかたで行なっているはずだということがおわかりになるでしょう。よろしいですか、たとえば肺炎の場合、熱曲線は最初、ここでは図式化して描きますが、皆さんにこの闘いを示し、それから平熱よりも危機的に降下する際に反撃を示しています(図参照)。ここではまさに、その前になされた努力によって、後から反撃をする可能性が提示されているのです。別の、消散性の経過の場合は、反撃する作用を自身の力のなかにつけ加える可能性は少なくなり、したがって別の、より不規則な熱の降下も、より危険な経過だと言えます。けれどもとりわけ皆さんが他の三つの組織に対するこの自我の働き全体を見通せるのは、チフスの熱曲線を観察するときでしょう。この曲線のなかに、自我がそのとき実際どのように戦っているのかについての明白な像が得られます。このことは皆さんに、他ならぬ自然科学が医学に流入することが、いかに人間のこれらのさまざまな組織のことを考慮することを不可欠にするかということを示すことができるのです。医学における混乱は、まさに科学が唯物主義的になり、物質体における出来事を観察することのみに自らを限定してしまったことによって起こったのです。しかしこの物質体における出来事というものは、決して独立したものではなく、そして何よりも、これらの出来事の性質は全く等価なものではないのです。なぜなら、おわかりでしょうか、物質体においてはとりわけ、エーテル体が物質体の内部で働いていること、そして、アストラル体あるいは自我もその内部で働いているということによって、何かが左右される可能性があるからです。それはつねに物質的な出来事ではあるのですが、これらの物質的な出来事は、それを特徴づけ、その物質的な組織のなかで働いている高次の構成要素にしたがって、全く別の性質も持っているのです。
   第七講 本文-2 了
記:アストラル体と自我の関係についてですが、アストラル体は、自分との関係によって成り立っており、対象が自分にとって好ましいか好ましくないかを判断する働きがあります。アストラル体は、私たちの心の状態を形であらわしたもので、成長することができると言われています。アストラル体の成長は、アストラル体の中に生きた生命力のある概念を生かすことができるかによって決まります。アストラル体は、昔から日本では龍とも呼ばれており、東洋でも西洋でも私たちの心の状態を形であらわしたものです。
参考画:Astral-body=Dragon




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最終更新日  2024年10月09日 06時03分24秒
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