Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年10月30日
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カテゴリ: 霊魂論
ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」第10講 1920年 3月30日   ドルナハ
第10講-4
 私たちは、人間における二元性を、人間のなかに現われている地上を越えたもの、宇宙的なものと、本来性(*地球)が地上的なものとの二元性として見ることができます。人間の生体組織のなかに、まずもって明確な素質として現われてくるのは、地上を越えたものと地上的なものでしょう。そして人間が精神機構(Geistorganisation)というものを備え、さらにそれと対極的な親和関係にある消化機構も持っていることによって、末端部のもの、地上を越えたものがいかに人間にいわば反映しているか、昨日私はすでに示唆いたしましたが、これは実際繰り返し指摘してまいりましたことです。つまり、消化に向かう分泌と関係するものと、精神の働きの基盤である、脳における分泌と関係するもの、これらはすべて、根本的に、末端部の、天的な(himmlisch)人間を私たちに示しているのです。いかに奇妙に、逆説的に思われようと、そうなのです。これに対して、人間において、液体的プロセスであれ、気体の形状でのプロセスであれ、尿形成および汗形成と関係するもの、これらすべてが私たちに示しているのは、自己を個別化する人間としての地上的人間です。私たちは、人間の本性の、この互いに離れようとする両極のなかに非常に重要なものを見なければなりません。さて、近代においては残念ながら、この二元性、私がまさに人間の本性のなかに指摘したばかりの二元性を、治療のためにいくらか役に立つように指摘するようなきっかけは、少なくとも私の知る限りでは一度もありませんでした。と申しますのも、皆さんもおわかりのように、私たちがここで考察しておりますような事柄はすべて、治療的なものと病理学的なものをひとつに纏めようというものだからです。病理学と治療法は、二つの互いに分離した分野であってはなりません。このことはまた、私がここで提示することをすべて、いわば治療法へと方向づけるよう導きます。そうすれば、病理学的に理解することが、さらに治療的に考えることを可能にするようになるのです。ですから私はまさにお聞きの通りの言い方でこういうことをお話ししているわけです。こういう治療法的なものへの方向付けということをほとんど考慮しないなら、非難するのはきわめて容易でしょう。よろしいでしょうか、このように、そうですね、例えば梅毒の外的な発生を知ろうとする人にとって問題なのは、実際確かにそうなのですが、本当に梅毒が現われるには、その都度どのくらい感染がなければならないのか、少なくともだいたいどのくらい感染していなければならないのかということなのです。これを単に確かめるだけであれば、まさにこういう確認が進んでいくうちに、病理学をいわば自立(emanzipieren)させて解放する、自由にするしまうことになるでしょう。なぜならば、いささかおおざっぱな比喩を用いるのをお許しください。こういう感染というのは、そもそも、実際梅毒の場合においてさえ、だれかが頭にこぶをこしらえたと聞けば、石か何かがぶつかったにちがいない、つまり何か打撃を受けたにちがいないということ以上に重要であるとは言えないのですから。打撃をこうむることがないなら、あるいは、れんがが頭に飛んできたりしないなら、こぶができるようなことはない、ということが正しいのは申すまでもありません。しかしこれをことさらに特徴づけてしまうと、治療プロセスを実り多いものにするような特徴付けに行き着くことはできません。なぜなら、結局のところ、頭に石か何かが飛んでくるということがどのように起こるのか、それというのは社会的には非常に意味のあることかもしれませんが、治療に行き着くための生体組織の探究ということにとっては、このことがきわめて普遍的な意味を持っているとは言えないのではないでしょうか。人間の生体組織は、引き続き治療学においても役割を果たしてくれるような事柄を見つけだすように探究されねばならないのです。さて、梅毒の治療においても、私がお話しした事柄は大きな役割を果たします。治療プロセスはまさにこのことによって解明されるのです。ここでお話したことは、病理学的な重要性よりも、まさにこの両者病理学と治療学との間に橋を架けるためにお話ししたのです。私がこのことをお話しするのは、それによって、これらの議論はここである種の精神から、これは日毎に際だってくるでしょうが、育成されているということを特徴づけたいと思うからです。しかも今日においては病理学をますますいっそう自立させ、治療学の方へ導かないという傾向が出てきていますので、思考の方も、正しいしかたで追求されれば治療プロセスの探究にとってきわめて意味深い実り多い事柄から排除されているのです。するとこのような問いが出てきます、いわば宇宙的に末端的である人間と、地上的、地球的に中心的である人間との間にこういう二重性が成立していることは、人間の生体組織一般にとっていかなる意味があるのかという問いです。人間のこの両方の部分は、力の組織が異なった現われかたをしているのです。末端的なものはすべて、形成するものとして現われてきます。そして末端的なもののいわば究極の行為は、人間のまさしく末端部に発現して、それに他ならぬ人間の形態を与えることなのです。ほとんどが次のように言うことができるでしょう。人間の末端部において、人間そのもののなかの形成するものが、いかに珪素のなかの形成するものと共に作用しているかを。髪の毛の珪酸に対するふるまいという点でひとつ研究してみるとよいと。皆さんは、人間が自らに介入させる度合い、あるいは、この介入に抵抗する度合いを、珪酸が人間の頭部形成に対していかなる力を保持しているかいないかというまさにこの点において研究することができるのです。ただ、人間を常に他の体格とともに一括して見なければならないのはもちろんですが。今日通りを横断して、はげ頭の人を総覧できれば、その人たちがどれほど珪酸形成プロセスを受け容れているか、それに抵抗しているか、その傾向がわかります。ここで与えられるのは直接的な直観(Anschauung)なのですが、これは本当の霊視ができなくても獲得できるとはいえ、自然そのものの働きにまで深く入り込んでいかなければ獲得できないものなのです。ここに現われてくるのは主に形成力なのですが、これは細胞形成力ではなく、人間の形態そのものがその究極の現われである総体的な形成力(Totalgestaltungskraefte)なのです。毛がたくさん生えているかどうかなどの皮膚の構成全体も、勿論この形態とみなします。これに対して、もっと中心に置かれているもの、炭素及び炭酸とより関係しているもののなかにあるのは、形態を解体するものであり、そこでは破壊、解体が作用しています。私たちは実際、私たちの内部で絶えず形態を破壊、解体しようとし、そして再び絶えず宇宙から形態を作り出そうとするということによって生きています。私たちは人間として、絶えず形態に関して自分で自らを変形させようとし、そしてこの変形が繰り返し宇宙から調停される、ということによって生きているのです。人間のなかに存在しているのはこの二重性、形成(Gestalten)と変形(Deformieren)というこの二重性なのです。これらは人間の生体機構において共に作用しています。ここで想像してみてください、一方では、末端部の宇宙的な形成力(図参照、上からの矢印)があって、人間のなかへと作用しています。この力は心臓で地上的な力と出会います。ここで心臓によって均衡が作り出されることは皆さんにお話しいたしました。今度はこう仮定してみてください、人間のなかで作用しているこの末端部の力、本来心臓まで到達しようとする傾向を持っているこの力が、心臓そのものの機構において心臓のせき止め作用を受ける前に(図参照、右からの矢印)、先に膨張してしまい、滞留してしまうと。この力が、心臓での大きなせき止めに至る前に、いわば、せき止めの予行(Vorstauung)のように、膨張し、滞留する、と仮定しますと、人間のなかに低い度合いではあってもやはり、宇宙的、地球外的な形成力が人間に現われていることを示すものがあると云え得るのです。さて、対抗するこちらの力、消化と消化プロセスの変遷を通じてやはり心臓にまで作用する力、この力もまた、心臓に到達する前に、先に膨張してしまう。すなわち、地球的なものがここで膨張してしまう(図参照、右側)と仮定してみましょう。そうすると、ここで膨張し、凝縮しているのは、人間において霊的、物質的に形成するもの、頭部及び腸でのすべての分泌に関係しているけれども、心臓の活動には直接対抗しておらず、前もって一種の副次的活動をしているもの、そういったすべてのものということになるでしょう。するとここで得られるのは、一種の副次的消化といったものであって、これは、地球とその中心から発するものが、人間のなかの変形させるものとして、人間のなかの形態を解体するものとして、先に膨張することによって成立するのです。ここで私たちは人間のなかのこの二重性を器官的に固定させたわけです、つまり、一方の場合には女性の生殖器官、女性の性的なものが、後者では男性の性的なものが与えられたのです(図参照)。
図の文字(左から):Weibl.(女性的なもの)、Maennl.Geschl.(男性的・性的なもの)
 女性の性的なものを研究することができるのは、私たちがそれを、その宇宙的・末端的な、形成する力への依存性という点で観察する場合です。そして、男性の性的なものを、その個々の形状に至るまで観察することができるのは、私たちがそれを、その地球的な解体力への従属という点で観察する場合です。
 人間の生体機構を真に科学的にこの点に至るまで深く探究する道がここにあるのです。この道においてはまた、そうですね、自らのうちに形成力を担っている植物的なものは、どのようにして形成力の麻痺している子宮であっても再び形成するように作用するのかということもわかるのです。人間の生体組織のなかの形成力をこのように研究すれば、皆さんは、植物界、鉱物界の形成力をも真に見出すようになるでしょう。このことは個別に観察していくつもりですが、もちろんまず最初に、ここで大きな関連全体に触れておかなくてはなりません。よろしいでしょうか、ひとたびこのような事柄が見通されれば、私たちもようやく真の胎生学というものを手にすることができるでしょう。今日いまだそれは得られておりません、なぜならば、胎生学上の発達の当初において宇宙的なものが強力に作用を及ぼしていること、宇宙は男性の精子と同様、女性の生体組織を受胎させるものであること、こういうことはそもそもまったく顧慮されていないからです。人間の胎生学上の発達の初期段階というのは、ぜひとも人間と宇宙との関係から観察されねばなりません。男性の精子によって植え付けられるものは、時間の経過とともに現われてきます。それによって、このとき宇宙が女性の生体組織のなかに移し入れようとしている形成力が変形される、つまり、宇宙が全体の形態に作りあげようとするものが、男性の精子によって個々の器官へと特殊化されるように変形されるのです。女性の生体機構の持ち分は、人間の生体全体の組織化にあり、男性の生体機構、男性の精子の力の持ち分は、個々の器官への特殊化、差異化、つまり個々の器官を分離させること、統一的な全体形態を変形させることにあります。このように言えるかもしれません、すなわち、女性的な力によって、人間の生体機構は、球体を形成することを目指し、男性の精子によって、人間の生体機構は、この球体を心臓、腎臓、胃などに特殊化していくことを目指す、と。女性的なものと男性的なものなかで、地球と宇宙というこの両極性が私たちに直接現われてくるのです。これはまたしても、人間の太古の叡智を前にして私たちが大きな敬意を抱き始める一点であり、ウラヌスがガイアを身ごもらせる、あるいはクロノスがレアを身ごもらせる、云々と語られるとき、私たちはまったく別の感情をもって耳を傾け始めるのです。この古代の意味深いイントゥイションに大きな敬意を示すにしても、それが単に神秘的な朦朧とした感情である必要はまったくありません。このような事柄を洞察し始めた人々が、私がしばしば耳にしたような、神話は現代の自然科学より以上に生理学を含んでいる、という箴言に同意するのは、最初は意外なことです。最初はひとにショックを与えるのです。それは理解できますが、そのなかには途方もなく多くの真実が含まれているのです。そもそも前進すればするほど、ますます次のように告白するようになる、ということです。つまり、このような関連についてもはや何も見ていない今日の方法は、人間の生体機構のなかに真に入っていくのにいかに適していないか、ますますいっそう告白せざるを得なくなるのです。この機会を逃さず再度申し上げておきたいことは、ここで私がお話ししていることには、例えば古代のものを研究することによって得られたものはひとつとしてないということです。ここでお話ししていることは、まったくもって事実そのものから実際に取って来られたものなのです。ただ、太古の叡智と一致していることを指摘することもあります。かと言って、私がここで皆さんに講義していることが、太古の叡智から取って来たものであるというのではないのです。ですから、ここで皆さんに特徴をお話ししてきました経過を追求して行けば、まず直観というものが現われてきて、それからそれが太古の叡智のいくつかに私たちを導いてくれるのです。例えば私自身は決して、そうですね、パラケルススの研究によって何かあるものに到達することを使命として表わすことはないでしょう。そうではなくて、私自身が発見したことが、どのように見えるか、パラケルススをひもといて調べてみたいという欲求にかられることがあるということです。ですから、私が提示しようするものを、このような意味で理解してくださるようお願いいたします。とはいえ、私たちが人間の生体機構の奥深くまで見つめると、精神科学的な見地から、太古の叡智に対して大きな畏敬の念を抱くようになるということも、ひとつの事実として認めなくてはなりません。けれども、これは、むろんこことは別の知の領域で扱われねばならない問題です。このことについては、さらに明日お話ししましょう、その前に、二つの二重性からの、女性的なものと男性的なものの出現について、ここで皆さんにお話ししたことを消化していただいていたわけです。これは明日見ていきますように、さらに深い関連を示唆するものなのです。
参考画:gender



■原注
☆1 Walter Johannes Steinは、オーストリアの哲学者、Waldorf学校の教師、Grailの研究者であり、人智学の先駆者の1人でした
■訳注
*1 アニス  セリ科の香草。一般的には種子をスパイスとして用いることが多く、甘い芳香に特徴がある。焼菓子に入れたり、リキュール類の原料にも用いられる。多くの図鑑では、アニスの学名は、Pimpinella anisum となっている。ヨーロッパでは民間で催乳薬として用いられる。
*2 チコリ  キク科、和名キクニガナ。明るい空色の花をつける。若葉は野菜として食される。根をコーヒーの代用品とすることでも有名。一般の薬草学においても、葉、花、種子、干した根、いずれも、利尿、健胃緩下等の薬効があるとされている。中国では全草が肝炎や黄疸の薬として用いられる。
*3 スギナ  トクサ科の多年生植物。これの胞子茎がツクシ。スギナの全草は利尿薬とされる。いわゆるトクサ(木賊、砥草)は Equisetum hyemale。 地上茎は円筒形で分枝しない。茎は珪酸を多く含み、固いので、18世紀まで、鍋類、特に白銅製品などを磨くのに用いられた。第五講(小冊子15ページ)参照。
*4 野イチゴ ワイルドストロベリー。ヤマイチゴ、エゾヘビイチゴ、シロバナヘビイチゴ とも。葉、根、実いずれも用いられ、冷却、収斂、強壮性のハーブとされる。
*5 ラヴェンダー シソ科の多年草。ハーブとしては最も有名なもののひとつ。花から取れる精油は香料、薬用に広く用いられる。
*6 メリッサ レモンバーム。香水ハッカの異名も持つ。シソ科の多年草。全草にレモンのような芳香がある。ディオスコリデスの「薬物誌」(紀元前一世紀)にも記され、古代から薬草として用いられた。ハーブティーとしても用いられ、リキュールの原料でもある。パラケルススはこれを「不老不死の霊薬」と呼んだと言われる。第八講(小冊子13ぺージ)参照。
ー参考ー
「ハーブ大百科」誠文堂新光社
「花の王国 第二巻 薬用植物」平凡社
「ハーブ 新来の香草たち」朝日新聞社
   第10講-4 了
  「精神科学と医学」第10講 完了

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最終更新日  2024年11月05日 09時34分42秒
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