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先週は雨による予定変更、今週は家族のインフルエンザによる中止と、このところ消化不良気味の早朝散歩。次回以降の予定も立て直しになります。でも、実は、この時が楽しみだったりもします。地図を片手にどのルートを歩こうかなとあれこれ推察するのは、変な話、ストレス解消になっていたりもします。で、もう一度、考えた。今後の早朝散歩にて最優先で行うのは「郡山~仙台間の東北本線の(散歩目的での)未乗降駅をゼロにすること」。その観点でルートをチョイスすると、こんな感じになるかな? (1)「日和田駅」~国道4号線郡山バイパス~安積永盛駅(2)「本宮駅」~二本松市(旧岩代町)小浜(3)「杉田駅」~二本松市岳温泉~二本松駅(4)「安達駅」~二本松市針道(5)やながわ希望の森公園駅~丸森町耕野~「越河駅」(6)「船岡駅」~南角田駅(7)「岩沼駅」~阿武隈川河口付近~亘理駅(8)「館腰駅」~県道仙台館腰線~「長町駅」(9)「南仙台駅」~名取市閖上(ゆりあげ)~仙台空港(駅)(10)東北福祉大前駅~仙台市中心部~「太子堂駅」※「 」で囲った駅は、早朝散歩での未乗降駅で、どのルートから手をつけよう? 一応、自宅から近い順かな。となると、初っ端は(5)で次が(6)。あとは(4)、(7)、(3)、(8)、(2)、(9)、(1)、(10)の順で、歩いてみることにしましょう。大体5月中旬までのスケジュールになるかな? また、仙台空港アクセス鉄道も、(9)の帰途に乗ってみようかと思っています。
2007.03.19
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昨日のインフルエンザ。下の子は快方に向いつつありますが、妻の方が高熱と悪寒に苦しめられている状況です。これでは、明日の早朝散歩も、断念せざるを得ません。散歩はあくまで道楽。しかも妻のバックアップがなければできないことです。今日訪れる予定だった仙台近郊の二つの新駅については、また次の機会に歩こうかと思っています。今日も、上の子の面倒は、義母が見てくれていました。夜10時過ぎに仕事から帰宅すると、臥せっている妻の代わりに出迎えてくれたのは、「エンタの神様」を観ながらくつろいでいた義母と上の子。本当に有り難いです。エンタを観ながら夕食を摂り、11時少し前に上の子と一緒に寝ました。上の子は元気ではあったものの、鼻が少し詰まり気味の様子。伝染ってなければいいけれど… ちょっと心配になりながら、上の子とともに夢の世界へと向う私なのでありました。風呂にも入らずに(おいおい)
2007.03.17
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今月最後の土日となる24、25の両日は、久々に連休が取れそうです。となれば、当然早朝散歩(笑) 今から地図片手に予定を組んでいます。まず24日は、11日に断念した安達~針道間に再チャレンジ。地図で再確認すると結構起伏が激しそうなルートですが、頑張って歩きたいと思います。そして、翌25日も、起伏の激しいルートに挑みたいと思っています。阿武隈急行のやながわ希望の森公園前駅を出発点とし、県境を越えた宮城県丸森町の耕野地区を経て東北本線の越河駅まで行こうというもの。距離にして15キロぐらいでしょうか。丸森町から越河、あるいは白石までの間には何本か道路がありますが、そのいずれも通ったことがないので、どんな風景が展開するのか楽しみです。今年の早朝散歩は、もう完全に、「散歩目的で乗降したことのない東北本線の駅」の制覇目的にシフトしちゃってますね。18日にはこの日に開業する太子堂を訪れる予定だし。4月1日も恐らくそのパターンになりそうですが、どうせ出かけるんだったら花見がてら歩いてみたいなぁ。今度は地図と開花予想、両方とニラメッコの日々が続きそうです。
2007.03.13
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今朝、4時半に起床したら、茶の間の電気が点いていました。あれ、寝る時に消し忘れたかな? と思いながら行ってみると、なんと妻が、一昨日録画した「花より男子」なんて観てました(笑)休日の夜明け前に起きている我々夫婦って、睡眠に関していったいどういう感覚を持ってるのだか…今日は雨または雪という予報でしたが、自宅近辺は雲がだいぶ低い位置で垂れ込めているものの、何も降っていません。だもんで、当初の予定通り、安達駅から二本松市針道までのルートを歩くことにしました。「雨大丈夫かなぁ? 気をつけてね」と心配する妻に見送られて、5時半に自宅を出発。いつものように5時42分桑折発の上り電車に乗り、まずは安達駅を目指します。薄暗かった空模様も、福島を出る頃には明るくなっています。ところが、ここで異変が。路面が濡れている!!そう、懸念していた雨が、降り出してしまったのです。安達には6時25分に到着したものの、ここでも天候は雨。安達からの散歩も断念せざるを得ません。仕方なく、6時38分発の下り電車に乗って、福島方面へと戻ります。実はこの時点で、私は「安達からの散歩」を諦めていたのであって、散歩そのものは諦めていませんでした。上り電車の車窓から確認した限りでは雨が降っていたのは福島以南。だから福島まで行けば、ひょっとして散歩は可能なのではないかと思ったのです。6時57分、福島着。ここで天候を確認するため、駅舎の外へ出ます。すると、雨が降っていない!! これなら大丈夫そうです。という訳で、今日は予定を変更して、福島駅を起終点として福島市中心部を一周するコースを歩くことと相成りました。7時ちょうどに福島駅を出発。まずは駅前通りのアーケードを直進した後、左折して繁華街を南北に貫くパセオ通りへと入ります。パセオ通りは福島市の目抜き通りのひとつですがここ数年は商店街の空洞化が著しく、半ばゴーストタウンのような状況。特に通りの北部は空き商店の後継として飲み屋が入居するケースが多く、早朝だと異様な寂寥感があります。パセオ通りは万世町にある福島銀行本店の手前で終わりますが、その延長となる道路はまっすぐに信夫山の麓へと続いているので、引き続きそこを歩きます。沿道は、商店と住宅が程よい割合で入り交じった地域。こういう景観は繁華街の外延でしか見られないので、歩いていると妙に新鮮な気持ちになります。そんな通りを1キロ近く歩くと、信夫山の麓へ。このあたりでは一番目立つ建物である福島テレビの前で右に折れ、今度は山麓に沿って流れる祓川(はらいがわ)の沿岸を進みます。祓川は幅2メートルにも満たない小さな川ですが、福島市の河川としては珍しく、親水空間が整備されているのが特長。だからでしょうか、沿岸には犬の散歩やジョギングをしている人を何人か見掛けました。ちなみに、この辺になると商店は姿を消しています。その代わりに文教施設が多くなっており、学法福島高校、福島県文化センター、福島東陵高校、福島市音楽堂、信夫山子供の森公園と次々と現れます。親水空間に沿った道路をそのまま進むと、国道4号線と交差して国道115号線へと入ります。しばらく直進し阿武隈川に架かる文知摺橋(もちずりばし)を渡ります。この辺りを流れる阿武隈川は白鳥の飛来地で、橋の上からは、かなりの規模の白鳥の群れを見ることができます。文知摺橋を渡り終えたら、今度は阿武隈川に沿って南下。先週訪れたばかりのヘルシーランド福島の前を通過し、市街の南東にある渡利を目指します。渡利といえば、有名なスポットが花見山公園。今年は桜の開花が早そうなのであと半月もすれば周辺も慌ただしくなるのでしょうが、遠目で見た限りでは現在は花も咲いておらず、嵐の前の静けさといった風情でしょうか。花見山よりむしろ私が気になったのは、渡利の街並みでした。総じて道路が狭く、数十年前の日本の街並みといった風情なんですよね。ただ、こちらの日記で紹介した国道114号線渡利バイパスに代表されるように渡利にも広い道路がいくつかできているから、近い将来その姿は大きく変わるかもしれません。例えば、天神橋を渡った先にある五月町や清明町のように。渡利から福島駅に戻る道中でこの界隈を通りましたが、街路が拡張したせいで、もはや十数年前の街並みすら思い出せなくなっています。結局、福島駅には、8時36分に戻りました。即興の散歩とはいえ、なかなか充実した内容でした。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。なお、いつもの早朝散歩では目安表を30分単位で作成していますが、今回は循環コースということもあり、15分単位にて作成しております。【出発地点=福島駅】15分後 福島市御山町 福島テレビ前30分後 福島市入江町 観音寺入口45分後 福島市岡部 文知摺橋(阿武隈川)1時間後 福島市渡利 三本木橋(阿武隈川)1時間15分後 福島市渡利 渡利小学校前1時間30分後 福島市五月町 福島県建設センター前1時間36分後 福島駅着(終点)
2007.03.11
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昨日の日記で、次回の早朝散歩のルートを安達駅~二本松市針道と決めましたが、気の早い私は、次々回のルートも、決めていたりします(笑)次々回の散歩の予定日は、3月18日。JRのダイヤ改正がある日です。今回の改正では空港アクセス鉄道の開業や二つの新駅設置(東北本線の太子堂駅と仙山線の東北福祉大前駅)など仙台近辺が何かと騒がしいので、その様子を覗いてみたいと思っています。もっとも、アクセス鉄道と新駅とをいちどきに回るのは難しいので、アクセス鉄道は別の機会に回すことにし、東北福祉大前を起点、太子堂を終点とし、二つの新駅の間を歩く予定でいます。このルート、駅自体にも興味があるのですが、もっと気になるのは、途中のルート。柏木、木町通、片平… 喧騒とは無縁の古き良き仙台が堪能できそうなコースです。片平からはそのまままっすぐ愛宕大橋を目指すか、それとも霊屋橋を渡って向山に出る手もあるかな? 広瀬川の近くを歩くので、好みに合わせてコースを多少変えてみるのも面白そうです。私の早朝散歩は大抵田畑の中を行くのですが、今回は完全に市街地の中。魅力的な街並みやスポットがそこかしこにあるので、どこを歩こうか目移りしちゃいますね。
2007.03.06
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今度の日曜日は、前回延期した安達駅起点の早朝散歩に、出掛けようかと思っています。ただし、行き先は、当初の川俣町から、二本松市(旧東和町)針道に変更することにしました。理由は簡単で、針道の方が、帰りのバスの便がいいから(笑)土日祝日だけ針道を通過して福島駅東口まで行くという何とも珍しい運行形態のJRバスが走っており、それに乗ってみたいなと思ったのです。散歩も楽しみですが、ローカルバスの小旅行もまた、ワクワクするものがあります。あともう一つ、針道に惹かれたのは、そのあたりをクルマで走った経験が殆どなかったせいも、あります。その辺を通ったのは、確か一度あったかどうか。10年ほど前に福島から国道349号線経由であぶくま洞(田村市)、リカちゃんキャッスル(小野町)、スパリゾートハワイアンズ(いわき市)と回った経験がありその時通っているはずなんですが、風景が全然記憶に残っていないのです。川俣から田村市船引までの間が、完全に欠落している状態で(苦笑)だからそういう意味では、次回の散歩のコースは、私にとってかなり新鮮味の濃いものになります。早く出かけたいなとウズウズしてしまいますが、残念なことに、当日の天気は雨模様だとか。それだけは勘弁して欲しいのですけどね…
2007.03.05
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当初の予定では今日は東北本線の安達駅から川俣町までを歩く予定でしたが、散歩後に外出する予定ができたので、もう少し近場を歩くことにしました。地図とニラメッコした結果、選んだのは、阿武隈急行の福島県内最北端の駅・兜(伊達市梁川町)から東北本線の藤田駅(国見町)まで歩くというルート。距離にして11.6キロ(goo地図にて調査)とやや短めですが、これだけ歩けるコースがまだ自宅近辺に残っていたのかと思うとちょっと嬉しくなります。まだ夜が明けきらない5時半に自宅を出発し、桑折発5時42分の始発電車に乗車。5時49分着の東福島で下車して阿武隈急行の卸町駅まで歩き、卸町発6時13分の電車で兜へと向います。本来阿武隈急行の列車の始発駅は福島で、今回乗った東北本線の電車は5時56分福島着、阿武隈急行の電車は6時06分発だから福島で乗り換えても十分間に合うのですが、そうしなかったのは電車賃の節約のため。私の選んだルートだと桑折~兜間は730円(JR190円、阿武隈急行540円)かかりますが、福島で乗り換えた場合860円(JR230円、阿武隈急行630円)にまで跳ね上がってしまうのです。話を阿武隈急行に戻すと、卸町~兜間は19.6キロしかありませんが、途中に駅が12個も挟まっているので、所要時間は33分もかかります。急行とは名ばかりの「阿武隈鈍行」状態。窓越しに見える伊達市内ののんびりとした田園風景を眺めていると、何しに出かけているのかわからなくなりかけてしまいます。6時46分、ようやく兜に到着。「民話の里」のキャッチフレーズがついていますが、確かに周囲を見渡すと、盆地が尽きて阿武隈高地の只中を阿武隈川が刻んでいるところ。民話の三つや四つは転がっていてもおかしくなさそうな雰囲気です。人家も少ないところだから乗降客も少なく、私が降りると言うと電車の乗務員は少し驚いた表情を見せました。「帰りの切符はどうなさいますか?」なんて訊かれたりして(笑)優等列車ならともかくローカル線の小駅で帰りの切符の心配をされたのは初めての経験です。さて、いよいよ散歩スタート。駅近くの橋で阿武隈川の対岸に渡り、まずは国道349号線を西へと向います。この349号線は、福島県と宮城県とを結ぶ主要道路のひとつではありますが、特に県境付近の幅員が異常に狭く、その役割を果し得ていません。特に福島県中通りから宮城県南部にかけては東北自動車道と国道4号線とが絡み合うように走っているため、県境あたりで大規模な自然災害が発生した場合、両地区間の貨物輸送は完全に麻痺してしまう可能性があります。その回避手段のひとつとして、国道349号線は早急に整備されるべきだと考えます。そんなことを考えながら歩いていると、何時の間にか山そして阿武隈川は国道から離れていき、また国道も、幅員が広がります。人家も若干増えます。ここは五十沢(いさざわ)の集落。それほど大きくはありませんが小学校や郵便局があり、体裁は整っています。しかし、ここでちょっと困ったことが。五十沢には犬を飼っている家が非常に多く、その前を歩く度にワンワン吠えられるのです。番犬の役目は十分に果しているし飼い主にとっては立派な忠犬なのでしょうが、何回も連続して吠えられる側はたまったものではありません。冗談抜きで、オバQ並みの犬嫌いは、五十沢を歩かない方がいいでしょう。五十沢の集落の西のはずれで、国道は南に向きを変え、阿武隈川を渡って梁川の町へと向います。しかし私は、橋を渡る手前で県道五十沢国見線へと入り、国見町藤田へと歩を進めます。県道に入って初めて入る集落が、東大枝。驚いたことに、県道に沿って家々が街村状に集まっています。聞いた話だと、この県道はかつて奥州街道の貝田宿と梁川の城下町とを結んでいた街道で、東大枝はその宿場町だったとか。ちなみに、貝田と東大枝とを結ぶ道(県道大枝貝田線)は、集落のすぐ西で分岐しています。分岐点のすぐ先には、大枝小学校があります。伊達市と国見町との組合によって運営されており、福島県では唯一の組合立小学校です。そもそもこの小学校の学区は伊達郡大枝村だったのですが、戦後の町村合併で東部が旧梁川町、西部が国見町に分割されてしまったため、この措置が採られました。国見町が伊達市に参画すればスンナリ伊達市立の小学校になっていたのですが当分自立の道を歩むことになったため、今後も組合立小学校として存続することになりそうです。が、大枝地区自体の小学生が減少傾向にあるので、小学校の統廃合に伴う組合立の解消も、そう遠くない将来に起こるかもしれません。小学校の少し先が、伊達市と国見町との境界。国見町側に桜華楼という中華料理店があります。ラーメンがとびきり美味いお店です。国見町に入ると、五十沢や東大枝のようなまとまった集落はみられず、田畑の中に人家がチョボチョボという風景になります。当然歩道もなく、狭い路肩を歩かざるを得なくなります。時折通過するクルマが、私を大きく避けていきます。眺望がきいてくるので、観月台文化センターや公立藤田総合病院など、国見町を代表する建物がいくつか見えてきます。兜を出てまだ1時間半。ちょっとあっけない気がします。そしてこれらの建物の更に向こうに見えるのが、半田山。半田山というと桑折町のシンボルのように言われますが、桑折から見る半田山は稜線が周囲の山にかき消されてしまっており、特段目立つ山ではありません。むしろ国見や梁川から見た方が、存在感が際立っているような気がします。国道4号線、そして藤田の町を通りぬけ、藤田駅に着いたのは8時37分のことでした。歩行時間は、1時間50分でした。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【起点=兜駅】30分後 伊達市梁川町五十沢 福島交通岡崎バス停付近1時間後 伊達市梁川町東大枝 大枝郵便局前1時間30分後 国見町藤田 福島交通森江野バス停付近1時間50分後 藤田駅(終点)
2007.03.04
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今度の日曜日に、家族で温水プールに行ってきます。泳ぎに行くなんて何年ぶりだろう? 大学時代の体育の授業以来かもしれません。妻とは、交際したいた頃も海やプールには行かなかったしなぁ。というか、スキーにも行ってないし。つまり、スポーツ系の外出経験は殆どなかったりする訳で、その意味では、新鮮な気持ちになれるかもです(笑)あと、子供達にも、泳ぎとか教えてあげたいですよね。上の子は幼稚園でプールの経験があるから水は平気だけど下の子が若干水恐怖症気味なので、まずは水遊びからというパターンになりそうですけどね。ところで、温水プールに出かけることが決まったために、この日の早朝散歩のコースが、変更になります。事前の予定では安達駅から川俣を目指すことにしていましたがそれは別の機会にすることにして、自宅近くを歩こうかなと思っております。
2007.02.28
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今日の散歩で東白石駅を利用したため、これで東北本線の福島~仙台間の駅は、すべて乗降経験ありとなりました。郡山~福島間の未乗降の駅も、近々散歩で利用するので、解消する予定です。でも、どうせだったらより完璧なものを目指したいと思ったりもするんですよね。どういうことかと言うと、郡山~仙台間の全駅を、散歩で利用したいな… ということ。今日現在の利用状況を図で示すと、(○=散歩で利用経験あり、△=近々散歩で利用予定、▲=散歩以外で利用経験あり)郡山=○日和田=△五百川=○本宮=▲杉田=△二本松=○安達=△松川=○金谷川=○南福島=○福島=○東福島=○伊達=○桑折=○藤田=▲貝田=○越河=▲白石=○東白石=○北白川=○大河原=○(今日の散歩で、村田から大河原経由で帰ったため)船岡=▲槻木=○岩沼=▲館腰=▲名取=○南仙台=▲太子堂=△(3/18 開業予定)長町=▲仙台=○となるのですが、遅くとも4月上旬までに利用する予定の△の駅に加えて、当分利用予定のない▲の駅も、ゆくゆくは○にしていきたいと思うんです。さしあたっては、▲の駅を起終点に、コース案を作ってみました。(1)本宮駅~磐梯熱海駅かつての二本松街道のルート。距離にして約12キロのコースです。終点が温泉なので、ひとっ風呂浴びるのもいいかも(笑)(2)白石市小原~藤田駅白石から小原までバスで出、そこから小坂峠を越えて藤田に至るルート。高所を歩くので、夏場にチャレンジしたいですね。あと、ここを歩く時には、熊にも注意しなきゃ…(3)越河駅~丸森駅越河から丸森町耕野地区は意外に近く、私の脚だと徒歩1時間程度で着きます。それでは物足りないので、更にそこから10キロほど先の丸森駅まで行ってしまいましょう。(4)船岡駅~南角田駅船岡からはかつて角田、丸森、相馬方面へのJRバスが発着していたので、その跡をたどろうかと思っています。終点が角田駅ではなく南角田駅なのは、散歩の過程で角田の街を見てみたいが故。(5)岩沼駅~亘理町荒浜~亘理駅岩沼まで出るのであれば、阿武隈川の河口にある荒浜は、ぜひ訪れたいところ。私の散歩では「海」がなかなか登場しないので、景観的にも面白そうです。(6)館腰駅~名取市高舘~南仙台駅名取市西部の愛島(めでしま)、高舘は、まだ訪れたことがない地域。距離的には多少短いですが、歩いてみようかと思います。(7)長町駅~秋保温泉長町駅から旧国道286号線をひたすら歩き、秋保温泉を目指します。秋保温泉は山中にありますが、バスの便は比較的いいです。しかし、このルート、いつ行けるのだろう? 早くて来年かなぁ?
2007.02.25
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今週は休日が日曜日だけですが、早朝散歩にはしっかり行ってきました。目的地は、宮城県南部、最近は「蔵の町」「みやぎの小京都」として売り出し中の村田町。いつものように桑折発6時30分の小牛田行普通列車に乗り、6時55分に、白石川の河畔に位置する東白石着。今日はここから、散歩をスタートさせます。村田に行くにはもう少し先の大河原で降りた方が距離も短く便利ですが、敢えて東白石を選んだのは、福島~仙台間で唯一この駅だけが乗降経験がなかったという超個人的な理由。東白石は駅周辺に集落がない上に数年前までは普通列車の約半数が停車しないという継子扱いを受けていたので、使う機会がなかなかなかったのです。そんな東白石駅のホームに降り立ち、今時珍しい構内踏切を渡って、いよいよ散歩のスタート。まずは、白鳥の来訪で賑やかな白石川に沿って歩きます。駅から500メートルほど下流にある橋を渡ると、そこは白石市ではなく蔵王町。今回の散歩の目的地は村田ですが、ルートの大半はこの蔵王町となります。橋を渡ったすぐ先にあるのが、昨年9月10日に歩いた宮の集落。約半年ぶりの来訪なのであれから特に変わった様子はありませんが、残暑が厳しくTシャツと短パン姿だった前回に対し、今回はジャージの下に上着を羽織りしかも手袋まではめるという散歩にしては重装備。改めて、我が国の季節の移り変わりの激しさを実感します。宮の集落を南北に貫く奥州街道を、まずは北へと直進。その中心にあるT字路で奥州街道は右に折れ大河原方面へと進みますが、今回は更に直進し、蔵王町役場がある永野へと向かいます。集落が尽きると、右手に松川が寄り添います。宮、永野、そして宮城蔵王の玄関口となる遠刈田温泉と、蔵王町内の主要集落の多くは、この松川の沿岸にあります。川沿いということもありアップダウンの少ない道路を、しばらくの間北上。沿道には田んぼが多いですが、不思議なことにこれまで田んぼの散歩で何度か体験した寒気を、今回は感じません。時計を見ると、もう8時近く。陽が昇って2時間は経過しているから、地表からの放射冷却も殆どなくなっているのでしょう。ずっと右手にあった松川が左にカーブを描き、私が歩いている道と交差した先が、永野の集落。町役場所在地とあって、宮と同じぐらいの規模の集落です。そうそう、この永野でようやく、蔵王の山容が姿を現します。道路標識には、遠刈田温泉まで7キロの表示。蔵王見たさに一瞬心が揺らぎますが、あくまで初志貫徹。名残惜しさはあるけれど、蔵王を背に東に位置する村田へと向かいます。永野から村田への道筋にも、円田、平沢など、小学校を有する比較的規模の大きい集落が点在しています。蔵王町は、田舎の町村には珍しく多核分散型の集落構成。少し歩くと集落に遭遇するので、淋しさはあまり感じません。ただ、道路自体は歩道が整備されておらず、かなり歩きにくいものでした。路肩の狭いスペースを右に左にタイトロープのように移動しながら歩きます。この道路は宮城蔵王から東北自動車道の村田ICまでのアクセス道路としても機能しているので、大型車の通行も結構多く、歩くのはやや危険かもしれません。平沢の集落を通り抜けて低い丘陵を越えると、いよいよ村田町。分水嶺の近くに蔵王を望む展望ポイントがあり、蔵王の山容をかなりハッキリと確認することができます。もうひとつハッキリ確認できるのが、東北自動車道。村田ICのすぐ近くを道路が通っていて、ICに出入りする車両の様子を、目の前で眺めることができます。そのICの前から物産館や公園が整備されたある意味小京都らしからぬ区域を通り抜けると、いよいよ村田の町。蔵造りの旧い建物は中心部の一角の狭いスペースに集中していて小京都と呼ぶには若干の無理があるような気がしますが、嬉しかったのは蔵の町を意識してか敢えて蔵っぽい外観にする新しい建物が目立っていたこと。地域住民のベクトルがハッキリしているので、数十年後の村田の町並みが、逆に楽しみになります。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【起点=東白石駅】30分後 蔵王町宮 ミヤコーバス川原田バス停付近1時間後 蔵王町曲竹 松川橋(松川)1時間30分後 蔵王町円田 蔵王町役場円田出張所前2時間後 蔵王町小村崎 ミヤコーバス小村崎バス停付近2時間30分後 村田町村田 村田町役場前2時間32分後 村田町村田 宮城交通村田中央バス停(終点)
2007.02.25
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今日、仕事を終えた時間が、19時50分でした。この時刻だと、仙台発20時34発の福島行の電車に間に合わず、21時56分発の福島方面への最終電車に乗らざるを得ません。実は、このような事態は、私にとって喜ぶべきことだったりします。だって、仕事帰りに散歩ができるから(笑) これまでも職場から仙台駅まで約7キロの道のりを歩いたりしていましたが、今日はちょっと趣向を変えて、東仙台駅まで歩いてみました。若林区東部にある職場を、19時55分頃に出発。まずは終業後で人気のない工業地域を、テクテク歩きます。私は馴れているので平気ですが、怪しい人が潜んでいそうで結構不気味かも。あまりオススメではないコースではあります。できるだけ広くてクルマの通行が多そうな通りを歩き、国道45線へ。更にそこから梅田川沿いを西に進み、宮城野区にある仙石線の小鶴新田駅まで歩きます。小鶴新田は3年前に開業したばかりの、仙石線でもっとも新しい駅。開業当時は周辺の区画整理が進んでおらず更地が目立っていましたが、今ではマンションが建ち並び、立派な街並みが形成されつつあります。駅前にはヨークベニマルを核としたショッピングモールが、また駅から少し離れたところにもみやぎ生協が進出し、商業も充実。宮城野区の中心地は古くからの商店街がありまた区役所もある原町(はらのまち)地区ですが、小鶴新田の街並みの立派さは宮城野区随一と言えるでしょう。小鶴新田まで来れば東仙台駅までは徒歩20分程度の距離となりますが、区画整理の区域から東仙台駅方面へと歩を進めると、木造家屋が建ち並ぶ古くからの住宅街に入ります。駅に近くなればなるほど、その傾向は強くなります。東仙台駅周辺は終戦直後に計画的に住宅が造成された仙台のベッドタウンのはしりとも言える地区。ですが近年では古くからの住宅が取り壊され、跡地にアパートが建設されるケースが目立っています。この傾向は、東仙台のみならず、青葉区旭ヶ丘や泉区将監(しょうげん)など、仙台近辺の造成時期が古い住宅地でよく見られます。そんな街並みをしばらく歩くと、東仙台駅に到着。この駅が開業したのは1932年のことですが、恐らく駅舎は開業当時そのままのもので、かなり古びています。でも個人的には、そこがまた味があっていいなとも思います。時計を見ると、21時ジャスト。1時間ちょっと歩いたことになります。次の仙台方面への電車は21時15分発。この電車が仙台駅に着くのは21時20分前後と予想されるから、時間的にはまだまだ余裕があった「夜間散歩」でした。
2007.02.22
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今日も早朝散歩に出かける予定を組んでいて朝6時前に起きていたのですが、天候が悪かったため、中止にしました。午後になって晴れ間が覗いているので、ちょっと悔しい中止です。なお、次回の散歩予定は、福島~仙台間で唯一乗降経験がなかった東白石駅を出発し、蔵王町の宮~永野~円田と経由して、村田町まで行くというもの。片道15キロの長丁場でしかも丘陵地帯を行くので、やはり天候には気を遣わざるを得ないんです。ところで、この村田町、人口1万2千と小さい町ながら、観光資源の発掘には見習うべき部分が大きいところです。モータースポーツファンにはSUGOの所在地として以前から知られていましたが、この他にも、最近では蔵造りの建物が多い町並みを「仙南の小京都」としてクローズアップさせたり、また町の特産品としてそらまめをアピールしたりといった動きが目立っています。元々柴田郡という地域を考えた場合その中心にあるし、人口だって終戦直後までは大河原といい勝負で郡内一、二を争そっていたし、加えて宮城県人唯一の夏季五輪金メダリスト(64年東京及び68年メキシコの男子重量挙げ・三宅義信)を輩出した町でもあるから、何かと目立ちたい! という気持ちが強いところなんでしょうかね。散歩は25日に予定していますが、村田町のそんな元気な部分を覗けたらいいなと思っております。<追記>ただ、村田町まで行くのはいいとして、帰りの足には、若干の不安があるんですよね。到着が予想される午前9時台にあるバスの便は、30分台に大河原行きの便と、50分台になんと遠刈田温泉始発仙台行きの高速バスがあるのみ。なるべくなら前者に乗りたいですよね。後者に乗ってしまうと、帰宅はお昼を過ぎてしまいます…
2007.02.18
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前日の雪でまたも実施が危ぶまれた早朝散歩。幸い雪も溶けたので、今日、行ってきます。こちら以来、2ヶ月半ぶりの散歩です。今日の行き先は、自宅から南東に13キロほどのところにある、伊達市霊山町。クルマでは何度か出かけたことがあるところですが、歩くのはもちろん初めて。どんな風景が展開するのか、ちょっと楽しみです。夜明け前の午前5時に、桑折町の自宅を出発。奥州街道に沿って細長く続く桑折の町を、まずは歩きます。町の南端にある旧伊達郡役所前で奥州街道と分かれて坂道を下り、国道4号線へ。未明にも関らずトラックやトレーラーがひっきりなしに走っていて、歩道を歩いていても肝を冷やします。でも、そんな国道4号線とはすぐにお別れ。桑折町と伊達市との境界を過ぎたすぐ先の交差点で左に分かれる道(県道保原桑折線)に入り、阿武隈川に架かる大正橋を渡ります。道路名が示すようにこの道が桑折と伊達市役所のある保原とを結ぶ最短ルートなのですが、それもそのはず。というのも、大正橋はその名の通り大正時代初期に、伊達郡全体を挙げてスッタモンダした挙句に当時郡役所所在地だった桑折に有利なルートで架けられたもの。今でこそ日中でさえクルマの通行が少なくひっそりとしていますが、かつては郡のメインルートのひとつだったのです。大正橋を渡ると、伏黒の集落に入ります。阿武隈川の対岸に位置する伊達町の一部だった地域ですがかつては独立意識の強かったところで、当時伏黒村だった戦後の町村合併においても東隣の保原町との合併を推奨されますがこれを拒否。同じく合併で揉めていた旧・伊達町を編入(合体ではない!)する形で新・伊達町を成立させたという経緯を持っています。そのせいか、政治的には発言力が強い地域でもあり、新・伊達町の発足から伊達市合併に至るまでの伊達町長の大半が、伏黒の出身でした。そんな伏黒の集落は、今歩いている道路に沿って細長く続きます。この道路の500メートルほど南には国道399号線が走っていますが、そちらに比べても家々の密度が高いです。この点からも、この道路がかつて重要視されていたことがわかります。伏黒の集落を通り抜けると、保原の町に入ります。町の入口に位置する交差点で、国道399号線と合流。ここで自動車は国道にシフトしてしまいますが、よく見ると交差点から先も県道からの延長線と思われる細長い道が伸びているので、徒歩の私はそちらを行きます。そうそう、このあたりで、ようやく空が明るくなりだしました。東側に霊山の稜線がきれいに見えています。細い道は現状では単なる裏道で特段のものはありませんでしたが、唯一目を引いたものに、厳島神社があります。来月上旬にこの保原で開催される奇祭・つつこ引きはこの神社の例祭。祭りの時期には、神社近辺は賑わうのでしょう。なお、細道はここでかつては厳島神社の参道だったと思われる道路と合流します。少し歩いた先で、保原のメインストリートである国道349号線と直交します。いや、この表現は正しくありませんでした。地図で見ると、国道349号線は保原の町を南北に縦貫するメインストリートからこの参道の延長となる道路にシフトしているのです。クルマのすれ違いすら厳しい細道ですが、一応いっぱしの国道であり、沿道には国道を示すおにぎりマークもあります。古い地図を持っていないので断定はできませんが、この道路は、1971年まで保原とこれから目指す霊山町掛田とを結んでいた福島交通軌道線のルートでもあったのでしょう。沿道には商店も結構あり、伏黒の道と同様に、この道がかつて重要視されていたことが伺えます。町はずれで南東に進路をとった国道349号線は、いかにも軌道跡だったという雰囲気を携えながら、まっすぐに進んでいます。阿武隈急行のガードを過ぎると一面の水田となります。稲刈りが終わった後の水田は、ある意味荒れ地と同じ。土地に保温力がないので寒さが肌身に染みます。そんな風景が、保原の町から2キロ先にある柱田の集落まで続きます。柱田から先は、緩やかな登り勾配となります。峠越えと呼ぶほどの厳しさはありませんが、3キロ近い長距離にわたってダラダラと続くので、軌道にとっては結構きつい坂道だったものと思われます。かつての保原町と霊山町との境界が分水嶺となりますが、その少し手前に、ちょっと気になるものが。「四十九院」という福島交通のバス停があるのですが、その訓み方が、どうだかわからないのです。単純に「しじゅうくいん」でOKなのかもしれませんが、難読がしばしば見られるのが数字絡みの名詞、特に固有名詞! 十五夜は「じゅうごや」ですが十六夜は「いざよい」だし五十嵐さんは「ごじゅうあらし」ではなく「いがらし」。そういえば、九十九一(つくもはじめ)なんて芸人もいましたよね。地名の世界においても、宮城県石巻市牡鹿には十八鳴浜と書いて「くぐなりはま」(9+9=18なの)というのがあるし、富山市には四十物とかいて「あいもの」というのがあります。この伊達市においても、北端の梁川町に五十沢と書いて「いさざわ」というのがあるし、やはりこの四十九院というのも、訓み方には頭を悩ませてしまうところ。福島交通のバス停標には通常ローマ字表記も併記されているのですが、ここのは旧式のバス停標でローマ字表記もなし。謎はますます深まります。話を分水嶺に戻すと、ここを越えるとかなり急な下り坂になります。軌道もかなり苦労したことでしょう。その下り坂の勢いそのままに、国道は霊山町の中心・掛田の町へと入っていきます。掛田の白眉は、今も残っている軌道線時代の駅舎でしょう。町の北端にある駅舎は、今でこそバスターミナルとなっていますが、当時の面影が十分に残っています。周辺にも運送会社やタクシーの営業所、食堂が揃っており、いかにも「駅前」といった風情です。ところで、ここで懐かしんでばかりもいられません。帰りのバスの時刻を確認しなくては。駅舎内に貼られた時刻表を見ると、次のバスは7時15分発の宮下町経由福島駅東口行。掛田から福島方面へと出るバスはこの宮下町経由と保原を経由するものとに分かれます。先ほど気になった四十九院は後者のルートにあたるので車内放送で訓み方が確認できすちょっと残念ですが、その代わりといってはなんですが宮下町経由のバスは掛田の町を南北に通りぬけてから国道115号線に入って福島に向かいます。今は午前7時。残り時間は少ないですが、掛田の町をじっくり見てみたいので、少し南のバス停まで歩いてみることにします。人口9,000人ほどの旧霊山町ですが、掛田の町は、商店の充実度の面では人口で上回る桑折や国見町藤田と遜色のないものでした。各種のお店が揃っているし、なんと結婚式場まであります(ついでに言うと、今回歩いたルートから外れたところに斎場もある)。惜しむらくは、新しい家屋や商店が妙に目立つこと。部外者の勝手な言い分ですが、これさえなければ、街並み自体が観光資源になったのに、と思います。結局、町の南端にある伊達市役所の総合支所の前まで歩きました。この支所、かつての霊山町役場ですが、壁面には未だに霊山町の町章が貼られています。これが地元住民の意志によるものなのか単なる外し忘れなのかはよくわかりませんが、今の世の地方自治の急激な変動を思わずにはいられませんでした。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=自宅(桑折町)】30分後 伊達市伏黒 大正橋(阿武隈川)1時間後 伊達市保原町 国道399号線と県道保原桑折線との交差点1時間30分後 伊達市保原町柱田 Aコープ柱沢店前2時間後 伊達市霊山町掛田 掛田駅前2時間12分後 伊達市霊山町掛田 伊達市役所霊山総合支所前(終点)
2007.02.17
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最近、仕事で必要以上にイライラしたり、妙に疲れを感じることが多いです。やっぱり、このところ早朝散歩に出掛けていないせいか、ストレスが溜まっているのかなぁ? そんな気がします。私にとって、早朝散歩は、「ここまで歩けたぞ!」という自己満足(笑)の証。もちろんいい運動にもなるし、身の丈に合ったストレス解消法の一面があるんですよね。一応、今度の土日に連休が取れそうなので、そのどちらか、願わくば両日に、散歩に行きたいと考えています。天候はどうかな? こないだみたいに雪など振らなければいいのですが。あと、花粉も、そろそろ心配になる季節ですね。今年は暖冬で花粉の飛散が例年よりかなり早目と聞いています。この日記でも毎年取り上げているように私は重度の花粉症患者なので、用心しなければ。防御できる部分は防御して、少しでも楽しい、ストレス解消になる散歩にしたいものです。
2007.02.14
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先日こんな話をしていてこの連休中に本当に出掛けるつもりだったのですが、結論から言うと、行きませんでした。昨日終日雪が舞っていたことと、上の子が発熱してしまったのが、その原因です。子供が熱出しているのに父親が道楽してるんじゃ、ただのダメオヤジですものね。という訳で、今朝、歩く予定にしていた時間帯は、自宅近くの総合病院の急患待合室で、子供に付き添っていた次第。という訳で、散歩も延期です。順調にいけば18日には行けるかな? 立春を過ぎてからなにかと不安定な天候が続くのでまたまた延期になってしまいそうな嫌な予感はするのですが、今度こそ、行けたらいいなと思うのであります。
2007.02.12
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今月は11、12と久々に連休が取れるので、そのいずれかを、早朝散歩の再開日にしたいと思っています。初回のルートは、桑折町の自宅を出て阿武隈川を渡って伊達市保原町へ、更にそこから国道349号線を通って伊達市霊山町の中心地・掛田までを考えています。距離は約13キロ。2時間半程度の歩行時間になる見込みです。ただ、問題となるのは、帰りの足。掛田には現在鉄道が走っていないので、帰途はバスに頼らざるを得ません。とりあえずバスで福島駅(バスの経由地によっては伊達駅)まで出るしかないか、と思っています。なお、こちらの日記にて予定した散歩ルートのうち、今回の掛田及び東白石駅~村田町、安達駅~川俣町、仙台駅~富谷町の4ルートでは、帰りに路線バスを使わざるを得ません。いずれもバスの便は地方にしては比較的いい方なので何とかなるかなとは思うのですが、電車より時間にルーズなバスが相手なだけに、若干の不安もあります。ちゃんと時刻通りに走ってくれていればいいのですが…
2007.02.07
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昨年12月3日を最後に中断していた早朝散歩ですが、いよいよ今月から再開しようかと思っています。昨年郡山~仙台間を歩いた奥州街道(というか、東北本線の沿線)の延長戦はもう少し暖かくなってからやることにして、2~4月は上旬にかけてはとりあえずはオープン戦ということで、下記のルートを考えています。1回目 桑折町(自宅)~伊達市保原町~伊達市霊山町2回目 東白石駅~蔵王町~村田町3回目 安達駅~二本松市東和町~川俣町4回目 大河原駅~柴田町船岡~逢隈駅5回目 杉田駅~二本松市岳温泉~二本松駅6回目 太子堂駅~仙台空港(駅)7回目 日和田駅~国道4号線郡山バイパス~安積永盛駅8回目 仙台駅~富谷町まずは自宅近辺を歩き、次回からは北、南、北と歩く場所を変えていく方式。郡山~仙台間にある未乗降の駅、更には来月18日に開業する太子堂駅と仙台空港鉄道も、抜け目なくルートに組み込んでおります(笑)そして9回目に該当する回から、昨年から継続している奥州街道(というか、東北本線の沿線←くどい)を歩く予定。まずは郡山駅~須賀川駅ないしは鏡石駅間を歩く予定です。
2007.02.05
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眼が覚めたところで(笑)あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。さて、今年の目標なんですが、何と言っても成し遂げたいのは、北は仙台~平泉、南は郡山~宇都宮を歩き通すことですね。昨年、まがりなりにも郡山~仙台間を11回に分けて歩いたことが、それなりに自信になっています。北行きが8回、南行きが9回の予定で組んでいますが、月に3回ぐらいのペースで、4~10月ぐらいにかけて行えればいいかなと思っています。ただ、散歩をする前に仕入れておきたいのが、沿道の知識。特に歴史ですね。実のところ宮城県北部も栃木県も、それほど足を踏みいれたことがない地域だし、歩く前にある程度の予備知識が欲しいです。そうすれば、歩く楽しみも倍加しますしね。行き帰りに新幹線を利用するケースもあり金銭的にもきついものがありますが、何とか頑張りたいと思っています。なお、歩いた時の様子は昨年同様当日記でお知らせしたいと思っていますので、宜しくお願い致します。
2007.01.01
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一昨日の日記で浜通りをどこまで歩けるか机上の試算をしてみましたが、今度は会津でどこまで行けるかも、ちょっとやってみました。なお、会津行きのコースは郡山を起点とし、原則としてJR磐越西線沿いを歩くこととします。1回目 桑折5:42~郡山6:53~徒歩2時間45分~磐梯熱海9:59~桑折12:132回目 桑折5:42~磐梯熱海7:12~徒歩3時間15分~関都10:39~桑折13:133回目 桑折5:42~関都7:29~徒歩2時間30分~翁島10:27~桑折13:134回目 桑折5:42~翁島7:41~徒歩3時間15分~会津若松11:07~桑折14:145回目 桑折5:42~会津若松8:07~徒歩3時間~喜多方11:41~桑折15:14一応、喜多方まで行くのは可能のようです。一番のネックは、翁島~会津若松間。この区間の磐越西線は200メートル以上の標高差を羊腸ともいうべきカーブの連続で通り抜けているため23.5キロもありますが、今回の試算では磐越西線から離れて国道49号線~旧国道49号線(二本松街道)~飯森山を経由する予定。目測距離では16キロ程度まで縮まると読んでいますが、果たして机上の計算通りにいくかどうかは正直いって未知数です。
2006.12.29
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自分の日記を振り返ってみると、奥州街道や羽州街道の沿道には関心が強い一方で、いわゆる浜通りに対しては、ほとんど言及していないんですよね。別に関心がなかった訳ではないのですが、歴史的にも観光的にも際立ったものが少なく地味な地域だし、早朝散歩でも特に歩いてみようとかは思っていなかったんです。でも、少しぐらい足を踏みいれた方がいいのでしょうか? このルートを早朝散歩した場合どこまで行けそうなのか、ちょっと試算してみました。1回目 桑折6:30~岩沼7:18~徒歩2時間30分~亘理10:03~桑折11:112回目 桑折6:30~亘理7:35※~徒歩2時間30分~山下10:21~桑折12:003回目 桑折6:30~山下8:09~徒歩2時間30分~新地11:21~桑折13:104回目 桑折6:30~新地8:18~徒歩2時間15分~相馬11:11~桑折13:105回目 桑折6:30~相馬7:56※~徒歩2時間30分~鹿島10:57~桑折13:106回目 桑折6:30~鹿島8:42~徒歩3時間15分~小高11:57~桑折14:037回目 桑折6:30~小高8:19※~徒歩2時間45分~双葉11:44~桑折14:038回目 桑折6:30~双葉8:32※~徒歩3時間~富岡11:30~桑折14:03※特急スーパーひたちに乗車した場合の時刻この辺が限界かな?このルートのイマイチなところは、行き帰りが東北本線~常磐線と乗り換えになる関係で散歩の現場への往復時間がどうしても増える傾向になる点と、特に宮城県側で肝心の散歩のルートである国道6号線や旧国道(陸前浜街道)が常磐線から意外に離れており駅と街道との往復に時間がかかってしまうため街道を歩く妙味が減殺されがちな点。申し訳ないけれど、やっぱり奥州街道ほどには食指が動かないんですよね。
2006.12.27
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来年の早朝散歩はこちらとこちらを軸に据えていきたいと考えているのですが、その半面、休日の度にそんな遠くまで出掛けていられないよな~ とも思います。そこで、上記の企画を行うのは基本的に連休のとれた週ということにし、それ以外の週については、比較的近場で散歩をこなしたいなと考えています。基本的にはこちらに記したルートで行く予定ですが、特に力を入れたいのが、「未乗降の東北本線の駅をなくす」こと。今現在該当する駅は郡山~仙台間に限って言えば日和田、杉田、安達、東白石の4駅があり、また来年3月に南仙台~長町間に開業する太子堂駅が加わりますが、とりあえずはこの5駅、そして同じく来年3月に開業する仙台空港鉄道の仙台空港駅を起終点としたルートを、優先的に歩きたいと思っています。一応、候補となるルートを示すと、(1)日和田駅~郡山バイパス~安積永盛駅(2)杉田駅~岳温泉~二本松駅(3)安達駅~二本松市木幡~川俣町(4)東白石駅~蔵王町円田~村田町(5-1)太子堂駅~仙台市太白区袋原~名取市下増田~仙台空港(5-2)太子堂駅~宮城野萩大通り~東仙台駅といったところでしょうか。なお、安積永盛、東仙台も未乗降の駅であるため、ちゃっかりルートに組み込んでしまいました(笑)
2006.12.26
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12月2日以来散歩に出掛けていないので、「散歩に出るようになってせっかく痩せたのに、冬肥りでリバウンドしないかな?」と妻に心配されました。確かに、自身でも気になる部分ではありました。しかしこのところ仕事が詰まっているせいもあり、休日はもっぱら疲れた身体を休めると自称して自宅でゴロゴロ。「せっかくだから、日中に散歩してきたら?」妻は言います。そうしてもらえるなら有り難い。ただし「近場でね」と釘を刺されましたが(笑)近場といっても大方制覇しているので、行けるとすればせいぜい福島市内かな? 散歩がてら、福島県や福島市の図書館、あと信夫山の麓にある福島県文化センターの歴史資料室にも行ってみたいですね。夏場だったら汗まみれになってしまうのでそんな所は恐れ多くて入れないのですが、今の時期なら大丈夫でしょう。丁度いい休憩にもなりますしね。でも、散歩の再開は、どっちにしろ年明けの1月7日以降のことになりそうです。
2006.12.19
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…更に夜更かしの続き(笑)北行きが平泉まで行けると決まったら、南行きも、どこまで行けるのか調べてみたくなります。こちらの方は、奥州街道を白河までは歩こうと考えていたのですが、そこから先は躊躇していました。というのも、白河から栃木県さくら市氏家にかけての奥州街道は、現在国道4号線や東北本線が通る那須塩原市~矢板市ルートからかなり東、那須町芦野~大田原市~さくら市喜連川のルートを通っていたからです。宮城県北部と同様に、あくまで奥州街道に拘っていれば、行き帰りの交通機関に難儀する、という訳。でも、その宮城県北部同様奥州街道に拘らないルートにするのならばどこまで行けるのか? 郡山を起点に、試しにルートを作成してみました。1回目 郡山駅~郡山市安積~須賀川市 約12キロ(見どころ)安積永盛駅付近から須賀川駅の少し北にかけて阿武隈川に接近。奥州街道がこれほど阿武隈川と接するのは意外に珍しいこと。2回目 須賀川市~鏡石町~矢吹町 約12キロ(見どころ)須賀川駅は市街の北端にあるので、須賀川の街の様子を窺えるのはこの回のことになります。3回目 矢吹町~泉崎村~白河市 約16キロ(見どころ)沿道に小さな宿場町が連続。歴史を堪能できるかな?4回目 白河市~白河市白坂~那須町豊原 約12キロ(見どころ)白河以南は、奥州街道でも国道4号線でもなく、1920年まで利用されていた旧東北本線の跡をたどります。調べてみたところ、廃線跡の多くは舗装されているようで、歩行には支障なさそうです。5回目 那須町豊原~那須町黒田原~那須塩原市黒磯 約16キロ(見どころ)この回も前回と同様、廃線跡めぐりとなります。6回目 那須塩原市黒磯~那須塩原駅~那須塩原市西那須野 約12キロ(見どころ)那須塩原市の主要部を、東北本線、そして東北新幹線に沿って歩きます。7回目 那須塩原市西那須野~大田原市野崎~矢板市 約10キロ(見どころ)諸街道の合流点であった矢板の街の様子を、見てみたいです。8回目 矢板市~東北自動車道矢板IC~さくら市氏家 約15キロ(見どころ)氏家でようやく、奥州街道に合流。宿場町の様子が気になります。9回目 さくら市氏家~河内町~宇都宮駅 約17キロ(見どころ)この区間は、東北本線や国道4号線の通る高根沢町を経由せず、さくら市南端の阿久津から鬼怒川を渡って河内町に出、あとは奥州街道を宇都宮まで進むことにします。何と、こちらのコースは宇都宮まで行ってしまった(笑)ちなみに行き帰りの列車の時刻の方は、桑折発5時42分の始発電車でスタートしたと仮定すると、1回目 郡山6:53着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 須賀川9:43発 ~ 桑折11:13着2回目 須賀川7:13着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 矢吹10:19発 ~ 桑折12:13着3回目 矢吹7:23着 ~ 徒歩3時間 ~ 白河11:00発 ~ 桑折13:13着4回目 白河7:38着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 豊原10:47発 ~ 桑折13:13着5回目 豊原7:52着 ~ 徒歩3時間 ~ 黒磯11:20発 ~ 桑折13:13着※16回目 黒磯8:06着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 西那須野10:35発 ~ 桑折13:13着※17回目 西那須野8:29着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 矢板11:06発 ~ 桑折13:13着※18回目 矢板8:38着 ~ 徒歩3時間 ~ 氏家11:51発 ~ 桑折14:14着※29回目 氏家8:52着 ~ 徒歩3時間30分 ~ 宇都宮12:58発 ~ 桑折14:14着※2※1那須塩原に出て新幹線で帰宅した場合の時刻※2宇都宮に出て新幹線で帰宅した場合の時刻やはりこちらも、夕飯には間に合いそうですね。
2006.12.14
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…昨日の夜更かしの続き(笑)大崎市縦断が駄目なら、もう少し別のルートがあるのかな? そう思い、再び地図を繰ります。このルートだったら行けるかな? 思いついたルートを、メモにとってみます。こんな感じで。1回目 仙台駅~仙台市宮城野区岩切~多賀城市山王 約11キロ(見どころ)仙台と石巻とを結ぶ石巻街道を進みます。岩切付近に宿場町的景観がどこまで残っているか?2回目 多賀城市山王~塩竈市~松島町 約15キロ(見どころ)1回目と同じく、石巻街道を歩きます。今回のルートでは唯一、海が見える(しかも松島だ!)区間。3回目 松島町~松島町品井沼~大崎市鹿島台 約14キロ(見どころ)かつては水害のメッカだった品井沼の干拓の歴史が見れそうです。4回目 大崎市鹿島台~大崎市松山~美里町小牛田 約10キロ(見どころ)松山は小規模ながら城下町だったので、じっくり見てみたいです。5回目 美里町小牛田~大崎市田尻~栗原市瀬峰 約16キロ(見どころ)小牛田(JR駅付近ではなく、江合川沿岸の集落)や田尻は比較的歴史のある町なので、どんな所だか興味があります。6回目 栗原市瀬峰~栗原市築館~栗原市志波姫(くりこま高原駅) 約16キロ(見どころ)ここから東北本線と離れ、進路を北西に取ります。栗原市の中心・築館で一旦奥州街道に入りますが、最後は国道398号線でくりこま高原駅へ。7回目 栗原市志波姫~栗原市金成~栗原市金成有壁 約16キロ(見どころ)くりこま高原から名勝・姉歯の松を経由して、栗原市金成沢辺で奥州街道に再合流。最後は宮城県最北の宿場町・有壁へ。8回目 栗原市金成有壁~一関市~平泉駅 約14キロ県境を越え、一関、更には平泉へ。中尊寺は駅から2キロほど北にあるので、今回は立ち寄らない予定。毛越寺なら、駅の近くだから立ち寄れるかな?なんと、岩手県入りしてしまった(笑)ルート的には、1回目から5回目までが概ね東北本線沿線、6回目以降は東北本線に沿う主要道路がないので奥州街道寄りに徐々にシフトしていき、最終的には奥州街道に合流していくという感じです。肝心の列車の時刻も、恐らく大丈夫でしょう。桑折発6時30分の始発電車でスタートしたと仮定して念のため時刻表で確認すると、1回目 仙台7:39着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 陸前山王10:30発 ~ 桑折12:00着2回目 陸前山王7:55着 ~ 徒歩3時間 ~ 松島11:03発 ~ 桑折13:10着3回目 松島8:07着 ~ 徒歩3時間 ~ 鹿島台11:19発 ~ 桑折13:10着4回目 鹿島台8:19着 ~ 徒歩2時間30分 ~ 小牛田11:11発 ~ 桑折13:10着5回目 小牛田8:28着 ~ 徒歩3時間 ~ 瀬峰11:33発 ~ 桑折14:03着6回目 瀬峰9:00着 ~ 徒歩3時間 ~ くりこま高原11:56発 ~ 桑折14:03着7回目 くりこま高原8:26着 ~ 徒歩3時間 ~ 有壁11:25発 ~ 桑折14:03着※8回目 有壁9:28着 ~ 徒歩3時間 ~ 平泉12:26発 ~ 桑折14:43着※※一ノ関に出て新幹線利用で帰宅した場合の時刻こんな具合。夕飯には悠々間に合いそうです。
2006.12.14
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今日も、地図を見ながら散歩のコースを考えていました。主に宮城県中部から北部の地図を見ていたのですが、奥州街道沿いの散歩は、やっぱり諦めざるを得ませんね。大和町吉岡までは何とか行けそうなんですが、そこから大崎市三本木までの旧道がズタズタの状態で、しかも公共交通機関の便が非常に悪いときています。一日中歩くつもりならば行けなくはないのですが、私のようにせいぜい2、3時間の散歩で何度かに分けて歩き通そうとなると、相当きついです。それではと目線を変えて、今度は東北本線沿いを眺めます。いつものように10~15キロのスパンで輪切りにすると、仙台~陸前山王(約11キロ)、陸前山王~松島(約15キロ)、松島~鹿島台(約14キロ)と順調な行程が組めそうです。どうせだったら、鹿島台から鳴子まで、大崎市を縦断してみるのも面白そう。鉄道も通っているし、やってみる価値はありそうです。以下、ルートを組んでみると、鹿島台~古川(約18キロ)古川~岩出山(約13キロ)岩出山~川渡温泉(約12キロ)川渡温泉~鳴子温泉~中山平温泉(約13キロ)一応こんな感じになれそうです。悪くない間隔ですよね。でも、念の為に時刻表を覗いてみたら、古川~鳴子間の陸羽東線のダイヤがかなりの閑散ぶりで、歩くペースによっては一日がかりの行程になりそうな予感… やっぱり、仙台以北のルートは、石巻を目指した方が得策かな? 松島~陸前小野(約14キロ)、陸前小野~石巻(約13キロ)とスパンも適度だし、何と言っても仙石線の本数がそれなりに確保されていますからね。…こんな感じで散歩ルートを夢想しては、ついつい夜更かししてしまうんだよなぁ(苦笑)
2006.12.13
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12月に入り、ここ福島でも寒い日が続いています。朝5時半に自宅を出ると、外は小雪。いよいよ本格的な冬の訪れです。でも、外に出られる限り、早朝散歩は続けたいと思います。今日の行き先は、東北本線の金谷川駅から東へ歩いて阿武隈川東岸の立子山へと進み、そこから国道114号線を通って福島に戻る、というもの。寒い日に丘陵地帯の立子山を選ぶというのもある意味物好きというかチャレンジャーなんですが、とりあえず行ってきます。例によって桑折発5時42分の始発電車に乗り、6時16分に金谷川着。通常早朝の電車では小駅からお客さんは降りないものなのですが、金谷川は福島大学の最寄駅ということもあってか、学生が何人か降りてきます。今日は日曜日だというのに、早朝から学校で何するんだろう? いやそれとも、早朝まで福島市内で遊んでいて、今帰宅したとか(笑)金谷川の駅前は、これでもか! というかのように、学生アパートが建ち並んでいます。駅からちょっと離れると農村風景が広がっているだけに、やや不気味というか、不自然に人工的な光景です。私がここに住んでいた頃は、そこまで極端じゃなかったけどなぁ。そのアパート街を過ぎ、8月27日に歩いた奥州街道との交差点を過ぎると、あとは立子山まで一直線に、東へと進みます。周囲は田畑そして丘陵が連なる典型的な農村風景なのですが、どういう訳か道路だけは立派で、歩道も両側にしっかりついています。でもその割には交通量が少ないのが、ちょっと寂しいところ。似たような風景の中を30分ほど歩いていると、田畑に代わって雑木林が目立ちはじめ、道も軽い登り勾配になります。普通ならここから山登りか、となるところですが、ここはどういう訳か丘陵の真只中を切れ込むように阿武隈川が流れているのが他とは違うところ。この辺りでの阿武隈川は阿武隈峡という深い渓谷を形作っており川に架かる上蓬莱橋からはその様子を眺めることができますが、ちょっと不思議に思うのは、どうして阿武隈川が、そんな山の中を選んで流れているか、ということ。素人目にはもう少し西側の方が流路を確保しやすかったのではないかと思うのですが。ちなみに、阿武隈峡はちょっとした観光地になっていて、上蓬莱橋のたもとからは河畔まで降りることが出来る遊歩道が整備されていました。茶屋の建物もありましたがこちらは残念ながら現在は営業していない模様です。さて、橋を渡った先が、立子山です。凍豆腐(しみどうふ。高野豆腐のこちらでの呼称)の産地として知られるところだけあって、金谷川より寒さが一段と厳しくなっているような気がします。雪も少し、強くなってきました。立子山に入って最初の集落となる春田の交差点で北に折れ、国道114号線を目指します。周囲は田畑もほとんどなく、ひたすら雑木林。左手遠方には時折阿武隈川の向こう岸の様子が覗けます。そちらも雑木林が広がっていますが、新興住宅地らしい住宅群もちらっと見えます。福島市最大の住宅団地である蓬莱ニュータウンでしょうか。そんな鄙びたところをひたすら歩いていたのですが、不思議なことに道路そのものはこれまた新しくて立派なもので、もちろん歩道つき。今日は天候に恵まれない代わりに道路に恵まれています。ちなみにこの道路はJRバス東北のバス通りでもあり、福島駅と田村市船引町とを結ぶ路線が走っています。といってもこの路線、福島と船引とを直接結ぶ便は1日わずか2往復に過ぎず、あと福島から飯野町や二本松市東部とを結ぶ便もあるもののこれらを含めても1日4往復しか走っていないという超閑散路線。若ノ内というバス停でバスとすれ違いましたが、お客さんは誰も乗っていませんでした。奇妙なバス通りをしばらく歩くと、国道114号線に合流。ここからは交通量も増え、これまでの寂寥感ともオサラバです。が、寒さは相変わらず。やはり丘陵地帯を歩いているからでしょう。小雪も相変わらずチラついているし、また歩道も軽く凍結していて、これまでの道よりも歩くのにやや難儀します。国道を2キロほど歩くと、道が二股に分かれます。左に行くと阿武隈川の河畔をひたすら進む旧道、右に行くと2004年に開通した渡利バイパスです。旧道はクルマで通ったことがあるので、今回はバイパスを歩きます。新しい道だから当然かもしれませんが、ここでも歩道は道の両側についています。今回の散歩では、本当に歩道に恵まれています。バイパスに入ると程なく、中山大橋という橋を渡ります。もっとも、この橋が跨いでいるものは阿武隈川でもその支流でもなく、なんと真下にある集落。人家の真上を、バイパスが堂々と渡っている訳です。どこにでもあるといえばある風景ですが、新しい道路のある意味残忍な部分を、見た気がしました。こんな感じで、バイパスは、総じて標高が高い丘陵の中腹部を走っています。その様子は南福島あたりから仰ぎ見ることができるのですが、不思議なことに、バイパスからの眺望は、あまりききません。見えるのは左右の雑木林ばかり。少しだけ阿武隈川を見ることができましたが、特段の絶景でもありません。あ、そうそう。こんなところにも新興住宅地があったりします。が、沿道で開発が進んでいるのは、そこだけ。ロードサイドショップの類もその住宅地の入口にあるコンビニぐらいしかありません。そして住宅地を過ぎると、バイパスはトンネルに入ります。トンネルの中を歩いて通ったのは久しぶりのことですが、コンクリートから冷気が伝ってくるのか気温が外よりも寒い気がするし、クルマの通過音が反響してちょっと不気味だし、歩いていてあまりいい気はしません。意識的に歩く速度を速めます。トンネルを出るとようやく、眺望の利く地点に出ました。上蓬莱橋で渓谷をなしていた阿武隈川はすっかり普通の川となっていて、その向こうにはヨークベニマルと日東紡の工場… って、ここ南福島の景色じゃん! 時計を見ると、もう8時を過ぎています。今日は福島発9時ちょうどの電車で帰る予定でしたが、間に合うかどうかは微妙な状況になってきました。更にギア・チェンジしてスタスタ歩きます。その後もう一つトンネルを通ると、出た先は渡利の町。阿武隈川を挟んで福島の市街地の外延にあたる地域で、久しぶりに「街」の雰囲気を味わいます。でも、時計を見るとそんな感慨はすぐに吹き飛びます。何時の間にやら8時半になっていて、歩く速さも散歩ではなく競歩同然の状態。阿武隈川に架かる渡利大橋を渡り、国道4号線との交差点を駆け足で渡り、割烹が何軒かあり趣のある仲間町、福島稲荷神社、新町や置賜町の飲み屋街… まとめて早足で通過します。いずれも時間に余裕があればゆっくり堪能したいスポットなのですが、致し方ありません。国道13号線を渡る辺りからは、ずっと駆け足でした。おかげで8時53分に福島駅に到着。電車に間に合ったのは良かったのですが、最後はまさに駆け足で、悔いの残る行程となってしまいました。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=金谷川駅】30分後 福島市松川町浅川(特に目標となる建物、構築物なし)1時間後 福島市立子山 若ノ内バス停前1時間30分後 福島市渡利 中山大橋2時間後 福島市渡利 渡利トンネル内2時間30分後 福島市宮町 福島稲荷神社前2時間37分後 福島駅着
2006.12.03
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早朝散歩のルートを模索しに地図を見るのがこのところの日課となっているのですが(だから子供にもこんなこと言われる訳で・苦笑)、今日は、一日中歩いたらどこまで行けるか、ちょっと考えていました。こちらの日記で試算した限り、私の歩く早さは時速5.7キロ程度。このペースを保てば、1日8時間歩いたとして45.6キロは歩ける計算です。疲労度やアップダウンなどを考慮すればさすがにそこまで歩けないかもしれませんが、まぁ40キロ前後なら、何とかなるでしょう。ちなみに福島県桑折町の我が家からだと、北なら宮城県柴田町槻木、南なら福島県本宮町までは行けそうです。ところで、このペースをずっと保てると仮定して、奥州街道を東京・日本橋の起点から青森県外ヶ浜町三厩の終点まで歩き通したら何日かかるか、暇つぶしに試算してみました。すると、こんな感じになるのかな?1日目…東京都中央区日本橋~埼玉県春日部市2日目…春日部市~茨城県古河市3日目…古河市~栃木県宇都宮市4日目…宇都宮市~栃木県大田原市5日目…大田原市~福島県白河市6日目…白河市~福島県郡山市7日目…郡山市~福島県福島市8日目…福島市~宮城県白石市9日目…白石市~宮城県仙台市10日目…仙台市~宮城県大崎市古川11日目…大崎市古川~岩手県一関市12日目…一関市~岩手県北上市13日目…北上市~岩手県盛岡市14日目…盛岡市~岩手県岩手町15日目…岩手町~岩手県二戸市16日目…二戸市~青森県十和田市17日目…十和田市~青森県野辺地町18日目…野辺地町~青森県青森市19日目…青森市~青森県外ヶ浜町蟹田20日目…外ヶ浜町蟹田~外ヶ浜町三厩20日もかかるのか~ すごいな、こりゃ(笑)
2006.12.01
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12月に入りすっかり寒くなりましたが、今度の日曜日も、早朝散歩に出掛けたいと考えています。行き先は、福島市南東部を走る国道114号線。一昨年の1月に開通した渡利バイパスをまだ通ったことがなかったので、歩いてみようかと思っております。かつての国道114号線といえば阿武隈川の川べり、しかも崖の下を延々と進むイメージがあったのですが、この渡利バイパスは崖の上を通ります。眺望も、さぞ利くんだろうなぁ。バイパスにはトンネルがあり、その部分を含めて歩道の確保が出来るのかいまいち不安な面はありますが、とりあえず行ってみます。ところで、このルート、歩くとなると福島駅を起点としてバイパスを通り抜け、凍豆腐(しみどうふ。高野豆腐のこちらでの呼称)の産地として知られる立子山を経由して金谷川駅で終点となるのですが、実は所用があって10時前には帰宅する必要があり、その行程だと福島出発は5時56分になりますが金谷川に8時10分頃までに着かなければリミットとなる福島発9時00分の桑折方面への列車に間に合いません。そこで、前回の行程と同様に、逆に金谷川を起点として福島を終点としたいと考えています。こうすれば、金谷川出発6時16分で、福島を起点とした場合に比べ30分近くの余裕ができます。私の脚だと徒歩30分=約2.85キロになるので、こういった時間の節約は、やっぱり必須になるんですよね。
2006.12.01
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昨日は結局、午後8時過ぎに帰宅しました。夕食も済ませてきたので、あとは風呂に入って寝るだけ。寝る時、妻が「ねぇ、明日も散歩に行くの?」と訊いてきます。「そのつもりだけど」と私。「え~ 起きれるかなぁ?」と妻は半信半疑の表情を見せます。で、今朝。結局起きれませんでした(苦笑)という訳で、早朝散歩、今週はお休みです。天気が良ければあと1、2回ぐらい出掛けられると思うんですが、あとは来年までお休みかな? このところ散歩のおかげもあってせっかく痩せてきたのに、リバウンドが来そうでちょっと怖いです。ところで、来年の早朝散歩の予定ですが、下記の二本柱でやっていきたいなと思っております。1・今年仙台~郡山まで歩いた奥州街道沿いの延長戦2・奥州街道沿道から脇に入って十数キロ歩く1については、南は「郡山~須賀川」「須賀川~矢吹」「矢吹~白河」の3回に分けて白河を目指し、北は鉄道が通じていない奥州街道沿いをあきらめ、逆に鉄道をつたって石巻を目指そうかと考えています。ルートとしては「仙台~陸前山王」「陸前山王~松島」「松島~陸前小野」「陸前小野~石巻」かな?2については、下記のルートを考えています。北から順に紹介しましょう。「仙台~大和町吉岡」…鉄道のない奥州街道を諦めたといっても、どこまで行けるかは試してみたいもの。吉岡まではバスの便も結構あるので、試しに歩いてみようかと思っています。「仙台~仙台市青葉区愛子」…この区間を通る旧国道48号線は実は私にとってあまりなじみのない道路のひとつ。そこで歩いてみようかと思った次第。帰りの足も仙山線が使えることですしね。「長町~太白区秋保温泉」…愛子までのルートが旧48号線なら、こちらは旧286号線。クルマやバスでは何度か通ったことのあるルートですが、歩いてみたらどんな風景が展開するのか見てみたいものです。「太子堂~仙台空港」…太子堂は、南仙台~長町間に来春開業する新駅。ここから仙台空港まで歩いてみたいと思います。帰りの足も、実はこれまた来春開業する仙台空港鉄道だったりして。散歩より新線乗り潰しが目的?「大河原~逢隈」…実は今年の早朝散歩で大河原~船迫~槻木と白石川北岸ルートで歩いたため、南岸の船岡を無視する形になってしまいました。なんとなく申し訳なく思ったので、この散歩にてフォローします。終点は、槻木ではなく常磐線の逢隈を予定。地図上での距離は意外に近いですが…「東白石~村田」…福島~仙台間の東北本線で唯一未乗降だった東白石駅を起点に、最近「蔵の町」として脚光を浴びつつある村田を目指します。帰りの足がちと不安ですが(苦笑)「白石~角田」…国道113号線をひたすら東進してみたくなりました。角田の街も歩いてみたいのですが、駅が街の西端にあるのがやや難点。「越河~丸森」…越河から丸森町の耕野~あぶくま駅近辺~阿武隈川河畔を経て、丸森駅に至るルート。「桑折~伊達市霊山町」…桑折の自宅から伊達市保原町を経て国道349号線を霊山町掛田へと向かいます。掛田へは、福島から国道115号線を経由するルートも面白そうですね。「福島~国道114号線渡利バイパス~金谷川」…今年中に歩けそうだったら行きたいルート。高所を走る渡利バイパスから福島の街を眺めてみたいものです。「松川~福島市土湯温泉」…福島市の南端を東西に歩きます。松川の町の西にある東北自動車道のスマートICの様子や、新しくなった土湯温泉付近の国道115号線が見どころ。「松川~川俣町」…1972年に廃線となった国鉄川俣線の跡をたどる行程ですかね。川俣もかれこれ10年以上は訪れていないので、どのように変わったのか見てみたいです。「本宮~磐梯熱海」…本宮から若松街道を歩き、峠下の温泉町・磐梯熱海を目指します。お湯に浸かる余裕はなさそうですが、足湯ぐらいなら大丈夫かな?「本宮~三春」…磐梯熱海とは逆方向に、三春を目指します。三春も何度か通ってはいますがきちんと訪れたことがないところなので、城下町散策ができるといいなと思ってます。「須賀川~福島空港」…須賀川の街を通りぬけて、丘の上にある空港へ。帰りの足は郡山までの特急バスですが、運行本数が少ないんだよなぁ…
2006.11.26
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ここ3ヶ月ばかり早朝散歩をやってると、すっかり「歩きグセ」がついてしまいました。今日も、職場から仙台駅までの約7キロの道のりを歩いた次第です。で、歩きながら考えていたのが、どういう訳か、宮崎俊三のデビュー作「時刻表2万キロ」のこと。1978年に発表された中年男が国鉄全線完乗を目指すという「乗り鉄」ものですが、この本には「列車に乗るために駅まで歩く」という記述が、何ヶ所か見られるんですよね。新潟県の魚沼線(現在は廃線)の終点・西小千谷から都内の自宅に帰宅するために上越線の小千谷駅まで歩いたりとか、徳島県の小松島線(現在は廃線)と牟岐線とをまとめて乗るために小松島線の終点・小松島港(臨時駅)から牟岐線の南小松島まで歩いたりとか。圧巻だったのは、福島県会津の会津線(現在は第三セクターの会津鉄道)と日中線(現在は廃線)とを日帰りでまとめて乗りたいがために東武鬼怒川線の鬼怒川温泉からバスで国道121号線を北上して(当時は東武鬼怒川線と会津鉄道とを結ぶ野岩鉄道は未開通。また、鬼怒川温泉から福島県方面への路線バスは現在走っていません)国道121号線と国道352号線との分岐点にある早坂というバス停で下車し、そこから当時会津線の終点だった会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)までの約4キロの道のりを歩いたというものでした。確かこの本には「歩いたせいで列車に乗り遅れたことはない」という記述があったと記憶しています。徒歩は確かに移動手段としてはもっともスピードに劣りますが、他方ではもっとも計算が立ちやすい移動手段でもあります。自分の歩くスピードさえ把握していれば、どんな状況でも確実に目的地にたどりつくことができる、意外な便利さを持っているのです。時刻表の愛読者でありこれを微に入り細に渡って調べ上げた上で旅行のスケジュールを立てるのが常だった宮脇が徒歩を活用していたというのは、何だか嬉しくなっちゃいますよね。
2006.11.21
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前の日記にも書いたように昨日は仕事が忙しく深夜の帰宅になったというのに、今朝も4時45分にしっかり目覚めました。早朝散歩となると、体内時計の調子がまったく違うようです。ただ、昨日の夕飯からそれほど時間が経っている訳ではないので今日の朝食はパス。久々の朝食抜きでの早朝散歩となりましたがお腹が空いている訳でもないので、何とかなりそうかな。前回のフルーツライン行きと同様に、桑折発5時42分の始発電車で、南へ。途中福島で寝台特急北斗星の追い越し待ちのため5分ほど遅れましたが、6時15分に今回の散歩の起点となる南福島に到着します。今回の散歩は、この南福島から国道13号線バイパス(福島西道路)を経由して東福島駅まで行く、というもの。クルマでは何度か通ったことのあるルートですが徒歩で改めて訪れてみて新しい発見があるのかどうかが楽しみです。南福島駅の南側にあるガードをくぐり、まずは駅の真西にある旧城下町・大森の集落を目指します。この区間は私が学生だった15年ほど前には、特に駅から500メートルばかり西に進んだところにある福島明成高校以西に田んぼが目立つ地域でしたが、今では住宅が建ち並んでおり、南福島と大森は地続きの市街地となっています。大森の集落もまた、昔の面影はあまり残っていませんでした。ここは16世紀後半まで伊達氏の分家が拠った所ですが、旧宿場町だった瀬上、松川(八丁目)、あるいは庭坂と同様に、この地域でどんな歴史が刻まれたのかということが集落内のどこにも明記されていないのです。結果、大森は「ただの、商店がちょっと多い住宅地」と化しています。ただ、集落の西に位置する丘で城跡でもあった城山公園は、現在でも桜の名所として、地元の人々に親しまれています。大森からは、福島西道路の起点・吉倉を目指して北上。ただしこの区間は広い通りが皆無で、あぜ道を舗装しただけといった風情の狭い道を歩きます。あぜ道と書いた通り、周辺からは住宅が消え失せ、一面の田んぼと化しています。福島市の農地は水田と果樹園がほぼ同じぐらいの面積となっていますが、大森近辺に関して言えば、水田9に対し果樹園1ぐらいの割合です。そして遠くまで見渡せる田んぼの向こうには、吾妻山がハッキリ姿を現しており、そこから吹き付ける風の影響か田んぼには一面の霜。そして気温も、これまで歩いてきた住宅地よりも若干下がっているような気がします。田んぼの中を15分ほど歩いて、ようやく吉倉の起点に到着。ここから先が、ようやく本日のメインテーマである福島西道路。約6キロの道のりを北上します。なお、福島西道路は現在ここで国道115号線から分岐し北上している訳ですが、国道115号線から南への延伸が決定し、将来は国道4号線と接続する予定。いつ完成するのかわかりませんが、その時はまた歩きに訪れたいものです。福島西道路は沿道にロードサイドショップが建ち並ぶイメージが強いのですが、吉倉から荒川に架かる西大橋までの区間に関して言えば、ロードサイドショップは殆どありません。旧国道115号線、微温湯(ぬるゆ)街道と既存の幹線道路との交差点付近では住宅が建て込んでいるものの、そこを外れると田んぼや果樹園であり、未だ発展途上地域の様相です。が、西大橋以北は、区画整理が進んだ市街地へと変貌。沿道にはロードサイドショップが並びます。西大橋を渡るとまず目につくのが、テレビユー福島の鉄塔。何故か「中央」(東中央、南中央、西中央、北中央)の町名を持つこの地域のど真ん中にそびえ目立つ鉄塔ではありますが、どうにも不思議なのが、鉄塔に書かれた「TUF」というこのテレビ局の略称。テレビユー福島の「ユー」は「YOU」を想起しがちですが、実はただの「U」なんですよね。UHFの略なのかなぁ? 会社のHPを見ても、いまいちよくわかりません。福島西道路はまた、橋梁が多い道路でもあります。TUFを過ぎるとすぐに、奥羽本線をオーバークロスする高架橋が登場。ただしこの高架橋には歩道がなく、歩行者は橋の真下にある地下歩道を歩きます。その先もヨークベニマルやトイザらス(コープマートとの共同店舗)などロードサイドショップ街をちょっと歩くと福島交通をオーバークロス、また少し歩くと今度は松川を渡河と、上ったり下ったり。福島西道路沿道の地形はいたって平坦ですが、これらのアップダウンのおかげで、いい運動になります。が、歩いても歩いても、ちっとも汗が出てきません。気温が低いせいです。特に松川を渡るあたりでは濃い霧が発生し、体を動かしていても肌寒い状況。大森では望めた吾妻山も、まったく見えなくなりました。松川を渡った先、福島では随一の郊外型ショッピングセンターである福島サティの前を過ぎると、福島西道路は国道13号線に合流。国道を少し歩き、北矢野目の交差点で東に折れます。ここから福島市中央卸売市場の前を通って東福島駅を目指します。北矢野目の交差点で後を振り返ってみましたが、吾妻山はおろか福島サティすらも見えなくなっていました。霧は更に深くなっているようです。天候不順が、歩く足を速めます。東北本線をアンダークロスし、広い敷地を誇る卸売市場前を早足で通過。交差点を北へ折れて市場に隣接する卸商団地や阿武隈急行の卸町駅前を通り、大原医療センターの脇を通って東福島駅に到着。この間約30分かかりましたが、早く帰りたいと思っていたせいかあまり沿道の風景が頭に入りませんでした。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=南福島駅】30分後 福島市大森(特に目標となる建物、構築物なし)1時間後 福島市西中央 テレビユー福島前1時間30分後 福島市泉 清水大橋(松川)2時間後 福島市北矢野目 福島市中央卸売市場前2時間16分後 東福島駅着
2006.11.19
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次回の早朝散歩は、19日の日曜日。福島市西部を縦貫する福島西道路(国道13号線バイパス)を歩く予定です。これまで早朝散歩のコースは常に桑折の自宅より近い方から遠い方へ、次回のルートで具体的に示すと東福島駅から南福島駅まで歩くのが常だったのですが、今回はちょっと趣向を変えて、南福島を起点、東福島を終点として歩いてみようかと思っています。その理由は、帰りの電車の時刻を考慮してのこと。東北本線の普通列車は東福島と南福島の間にある福島駅が起終点になっているケースが多く、仮に南福島から自宅に帰ろうとした場合、列車によっては福島で30分以上の待ち時間が生じてしまうケースがあるのです。それを防ぐための、東福島終点策という訳。外はもうだいぶ寒くなっているし、散歩後の汗ばんだ身体を外気にあまり晒したくないですからね。それはともかく、次回のルートは、新しい道路で沿道にロードサイドショップや新興住宅が建ち並んでいるのが最大の特徴。これまでそのテの道路を歩くのは極力避けていたのですが、今回は「福島の新しい姿を見てみたい」ということで敢えてチャレンジしてみました。このルート選定もまた、いつもとは趣向を変えていますね(笑)
2006.11.15
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今日も、早朝散歩に行ってきました。行き先は、福島市西部を走るフルーツライン。ちょうど今日、このフルーツラインをルートとしている東日本女子駅伝が開催されるので、開催直前の様子を覗いてみようと思ったんです。福島方面への早朝散歩ではいつもお世話になっている桑折発5時42分の電車でまずは出発。でも振り返ってみると、早朝散歩目的でこの電車に乗ったのは10月1日以来およそ一月半ぶりのことです。しかも降りた駅は、桑折の隣の伊達。何故伊達で降りたのかというと、フルーツラインの正式名称が「主要地方道上名倉飯坂伊達線」というから。フルーツラインは独立した道路としては国道115号線より分岐する福島市上名倉から同じく福島市の飯坂まででフルーツラインと呼ばれる区間もそこになるのですが、そこから先も主要地方道福島飯坂線や国道399号線との重複区間を経て伊達市伊達町を終点としているのです。従って、伊達からフルーツラインに至るのはある意味当然の帰結。今回は、ここから奥羽本線の庭坂駅までを目指します。まずは伊達から国道399号線を飯坂まで。薄暮の道を、テクテク歩きます。国道399号線はかつてはその上を伊達から飯坂(湯野)まで軌道が走り現在も飯坂から国道4号線に出る際のメインルートですが、残念なことに伊達から飯坂までのほぼ全区間を通じて、歩道が整備されていません。仕方なく歩けそうな路肩を探しては右に左に飛び移って歩きます。今は早朝だからまだいいけれど、交通量の多くなる日中の散歩はオススメできない区間です。しばらく歩くと、飯坂の東端に位置する湯野の町。ここで10月21日に歩いた桑折からの道が合流します。ここから飯坂の南端に位置する医王寺前駅付近までは、10月21日とまったく同じルートを歩きます。医王寺前駅手前のT時路で、ようやく本来のフルーツラインが分岐し、西へと向かいます。しばらくの間は住宅街を通りますが、国道13号線との交差点を渡るとその先は果樹園が広がるまさにフルーツライン。といっても、果物の季節はもう終わりかけており、木々には辛うじてリンゴの赤い実が実っているだけ。近くの里山の葉っぱも紅葉がかなり進んでおり、秋ももう暮れかかっているんだと痛感します。そんな所を通っていると、右手から不意に、お寺の鐘の音が聞こえてきました。音のする方向には、たしか中野不動尊があったはず。そこを訪れるのも一興だったかなと思います。フルーツラインの中核をなす地域は、その中野不動尊にも通じている万世大路(旧国道13号線)と交差する大笹生(おおざそう)の座頭町というところ。旅行会社と提携しているのか「歓迎 ○○ご一行様」などと看板が掲げられた観光農園が並び、ちょっとした観光スポットとなっています。ただし、小学校や簡易郵便局がある大笹生本来の中心地はここから2キロほど南西にあり、どういう訳かこの区間のフルーツラインの沿道は、果樹園ではなく田んぼが広がっています。大笹生小学校付近で、フルーツラインは南へと向きを変えます。ここから庭坂まではあと4キロ。最後のひと踏ん張りです。再び果樹園が沿道に広がる道を歩いていると、東日本女子駅伝関連の表示板が目立つようになってきます。まず折り返し点の大きなパイロンが目に入ったかと思うと、「第5中継所」「あと1キロ」「中間点」などの看板が沿道に既に設置されており、本番近しを感じさせます。でもさすがに、選手や報道スタッフなどの関係者は不在。まだ8時前だから、宿舎で食事中でしょうか。ところで、大笹生ではリンゴ畑が目立ちましたが、庭坂が近づくにつれて、梨畑の比率が高くなってききます。このあたりは、萱場梨という梨の産地。桃、梨、ぶどう、リンゴと多彩な果物が収穫されるフルーツライン沿道ですが、よく考えてみるとブランドというか、地元独自のネーミングがなされているのはこの萱場梨しかありません。その萱場梨の、とっくに収穫の終わった畑の中に場違いのように広がる福島県運転免許センターが見えると、いよいよ庭坂です。庭坂は米沢街道の宿場町だったところで、今でもその面影はわずかながら残っており、また集落の規模自体も結構大きいです。ただ残念なことに、当地にある奥羽本線の庭坂駅は、無人駅。駅舎自体は3年前にリニューアルされた新しいものですが、かつて窓口があったと思われる箇所は、壁で塞がれていました。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=伊達駅】30分後 福島市飯坂町湯野 明神町バス停付近1時間後 福島市飯坂町平野 医王寺南側入口付近1時間30分後 福島市大笹生(特に目標となる建物、構築物なし)2時間後 福島市笹木野 JU福島前2時間18分後 庭坂駅着
2006.11.12
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今日は、2週間ぶりの早朝散歩の日。ところが、天候が芳しくありません。天気予報によると、終日雨とのこと。いつものように朝4時半に起床し、空を見上げます。雨は降っていないようですが路面はしっとりと濡れており、やはり微妙な様子。薄暮となる5時半まで降り出さないかどうか待っていましたが、いつ雨に祟られてもおかしくない雲行き。歩きたい気持ちが強いので一応家を出ましたが、降雨コールドのリスクと隣り合わせの出発となりました。今日のルートは、桑折町の自宅から羽州街道を歩いて国見町にある旧宿場町・小坂へと至り、そこから国見町の中心部・藤田を経由し、徒歩で帰宅するというもの。当初の予定では藤田から県道浪江国見線、桑折町の東端の伊達崎(だんざき)と経由する予定でしたが、この天候だし、無理をせずに藤田から自宅まではこちらの散歩でも歩いた奥州街道のルートで帰ることにします。桑折町内にある奥州街道と羽州街道との分岐点は、今年、小公園が整備されました。ここを右に折れると奥州街道、左に折れると羽州街道となっています。羽州街道はそこから数百メートル歩くと東北本線の線路とぶつかってしまいますが、線路沿いにしばらく進むと高さ2メートルほどの歩行者専用の小さなガードがあり、辛うじて「道」がつながっています。ガードの先は住宅が極端に少なくなり、農村の風景。ここは桑折町の北半を占める半田地区。半田は奥州街道、羽州街道双方の沿道にかかる地域でもありますが、主な集落や行政施設は、この羽州街道沿いに集中しています。まずは、郵便局、JA、小学校が集中する田町の集落を抜けます。田町の集落を抜けると、夜明け前だというのにトラックを中心にクルマがひっきりなしに走っている東北自動車道のガードをくぐります。このあたり、周囲は一面の水田ですが羽州街道自体は緩やかな登り勾配となっており、見た目以上に歩くのがきついです。しばらく歩いた先が、後免町の集落。ここの白眉は、地元の豪農である早田家の邸宅でしょう。建物自体も築300年と伝えられる立派なものですが、代々伝之助を名乗っていた早田家の当主は、江戸時代末期には小坂宿の整備、明治時代初期には当地にあった半田銀山の運営に携わり、更には1960年代には桑折町の町長を務めるなど、地元に残した実績も相当なもの。桑折町長を務めた伝之助の子息も元々桑折にあった早田牧場を北海道新冠に進出させ、ビワハヤヒデやナリタブライアンなどのG1馬を産出させる実績を残しましたが、無理な経営が祟ってか、2002年に早田牧場が自己破産。再起が待たれるところです。後免町を過ぎ、普蔵川を渡ると、国見町に入ります。15分ほど歩いて、小坂宿に到着。集落の南端にある小坂小学校には、小坂宿の成り立ちや歴史についての記述があり、嬉しく感じます。貝田といい小坂といい、国見町には歴史的遺産を残そうという気概の高さを感じます。小学校前から小坂宿の北端まで往復し、そこから藤田へ。東北自動車道の国見インターやJR藤田駅前などを通って奥州街道に出ます。あとは、以前歩いたルートで帰宅するだけ。天候は小坂までは何とかもってくれましたが、藤田を過ぎたあたりから雨がポツポツ… 自然と帰りは急ぎ足になりました。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=自宅(桑折町)】15分後 桑折町南半田 半田醸芳小学校前30分後 桑折町北半田 益子神社前45分後 国見町小坂 小坂小学校前(小坂宿で12分ほど滞留)1時間後 国見町山崎 藤田駅裏手(特に目標となる建物、構築物なし)1時間15分後 国見町塚野目 公立藤田病院入口1時間30分後 桑折町南半田(特に目標となる建物、構築物なし) 1時間45分後 自宅着
2006.11.11
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前の日記でも触れましたが今日は親戚大集合の日だったので、早朝散歩に行くことができませんでした。こんな日は、やっぱり身体に違和感があるんですよね。早朝散歩を始めて3ヶ月近く。散歩することが身体のリズムを形作っているようです。加えて、義妹からも「痩せました?」なんて言われると、やっぱりあるかなきゃな~ と思ってしまいます。早朝の冷え込みはますます厳しくなるけれど来週は3週間ぶりに連休だし、思い切って2日連続で歩いてみたいと思っています。まず手始めに歩くのは、自宅近くの旧羽州街道。とりあえず宮城県境の峠下にある国見町小坂まで行き、あとは国見町藤田経由で帰宅する予定。歩行距離は10キロあるかどうかですが起伏の激しいコースなので、それなりの運動にはなると思います。続いて行きたいな… と思っているのは、福島市西部を走るフルーツライン。実行予定日が(フルーツラインをコースとしている)東日本女子駅伝が行なわれる11月12日ということもあり、駅伝の雰囲気を少しは味わえるかも(笑)また、この散歩では東福島駅(ないしは伊達駅)から庭坂駅までのルートを予定していますが、庭坂から電車に乗るのは初めての経験で、こちらもまた期待度大です。
2006.11.05
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これまでの早朝散歩では、歩いた時間は比較的マメに記録していましたが、歩いた距離は、それほど正確に測っていた訳ではありませんでした。駅から駅までの鉄道沿いを歩く機会が多かったので、鉄道の距離を近似値として大体何キロあるいたかな? と推測していた次第。だから自分の脚の時速なんて考えたこともなかったんですが、こないだの日曜日の早朝散歩の記録を整理していたところ、妙なことに気がつきます。goo地図の経路検索で調べてみると、この時歩いた区間の距離が丁度10キロなんですよね。この区間を1時間45分で歩ききった訳だから、時速(信号待ちもあるから厳密には表定速度か?)は5.71キロということになります。時速5.71キロ… 結構早足だなぁ(笑) 人間の歩く早さは時速4キロぐらいと思っていたんですが、私に限らず成人男子の歩く早さはこのぐらいなんでしょうかね。ところで、今度の日曜日は休日ですが、自宅でちょっとしたイベントを開催するので、早朝散歩はお休みします。次回の散歩は、11月11日(土)を予定しています。
2006.11.03
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休日恒例の早朝散歩も、今年中に歩ける日が残り少なくなってきました。11月は、11、12、19、26の各日ぐらいしか、歩けそうにありません。12月になると寒いし雪も降るのでさすがに歩くのは不可能。となると、残り4回でどこを歩こうか、ちょっと考えどころ。自分の体力や帰りの足も考えると、当初考えていた阿武隈急行沿線制覇は、ちょっと難しそう。地図片手に考え直してみて、一応下記のコースを歩こうかと考えています。(1)自宅~羽州街道~国見町小坂~国見町藤田~県道浪江国見線~桑折町伊達崎~自宅(2)自宅~阿武隈河畔(サイクリングロード)~福島駅(3)東福島駅~福島サティ~福島西道路~福島市大森~南福島駅(4)東福島駅~飯坂~フルーツライン~庭坂駅(5)福島駅~国道114号線渡利バイパス~福島市立子山~金谷川駅※(5)は、もし5回目の散歩チャンスがあった場合の予備ルートです。いずれも、距離は10キロ強といったところでしょうか。当面の目標としている徒歩3時間を突破できるかどうかは微妙なところですが、頑張ってみたいと思います。
2006.10.30
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今朝も、歩いてきました。行き先は、自宅のある桑折の真東にある、伊達市梁川町。梁川は伊達地方では結構大きい町ですが実のところ足を運ぶ機会があまりなく、3年ばかりご無沙汰していたのです。だもんで、今日は自分の足で久々に訪問しようかと思って(笑)桑折から梁川までは、ほぼ東西方向に一直線に県道が突っ切っています。明治時代(?)に「梁川新道」として開通した道路のようですが、現在は福島県道保原伊達崎(だんざき)桑折線、同じく福島県道浪江国見線、および国道349号線に分かれて管理されています。特に浪江国見線ってのは豪快なネーミングですよね。両地区を結ぶ計画があったのでしょうか? ちなみにこの県道、伊達市霊山(りょうぜん)町の霊山山中に未開通区間があります。いったいいつ開通するんだろう?それはともかく、朝5時半に自宅を出発し、一直線に東へと向かいます。桑折の町がある河岸段丘を下ると、伊達崎の集落。ここも桑折町内ですが、どちらかといえば阿武隈川の対岸にある伊達市保原町との関わりが深い地域です。田んぼと果樹園とが入り混じる風景を通り過ぎると、眼前には阿武隈川。ここを渡ると、伊達市梁川町です。阿武隈川は川幅こそ福島県中通り一帯の水が集まっている割にはそれほど広くはありませんが深さは相当のものがあり、橋上から見た限りでは浅瀬らしいものがありません。梁川町に入って最初の集落が、粟野。景色的には阿武隈川の手前の伊達崎と、大して変わりありません。ただ、沿道にある明治時代後半か大正時代に建てられたと推察される粟野の郵便局の旧局舎は、なかなかモダン。特に大切に保存されている様子はないのですが、一見の価値はある建物です。粟野の集落を過ぎ、国道349号線のバイパスを横切ると、梁川の町に入ります。伊達氏や松前氏などが拠った旧城下町の梁川ですが、意外にも新しい建物や区画整理された町並みが目につきます。この地域に大きな傷跡を残した1986年8月の集中豪雨や1988年7月の梁川を経由する阿武隈急行開業が契機となり、旧市街の南半分は、すっかり区画整理されてしまっています。また、梁川は、ハコモノの建設にも熱心な町でした。市街の南端にある町役場(現在は伊達市役所分庁舎)、同じく市街の中心を流れる広瀬川のほとりにある美術館に、広瀬川の親水空間、そして市街の北はずれにあるやながわ希望の森公園… これでもかとばかりに新しい建物や施設を乱立。街中の親水空間は福島県ではなかなかお目にかかれるものではなくいいなと思うのですが、それ以外は見栄の産物のような気がしてなりません。また、これらの建設を促進した結果か、旧梁川町の財政状態は同規模の町村に比べて悪く、結局合併の道を選ばざるを得ませんでした。ところで、先ほど広瀬川の名前が出ましたが、仙台のシンボル的存在とも言える広瀬川の名前は、この広瀬川の名前から採られているという話があります。両広瀬川には一見したところ共通点はなさそうですが、まったくありえない話ではないでしょう。旧い町並みが今なお残る梁川の町の北半分を通り過ぎ、阿武隈急行のやながわ希望の森公園前駅に到着。ここで電車に乗って、帰ることにします。この区間の阿武隈急行に乗るのは6年ぶり。ちょっとした旅行気分を味わいます。阿武隈急行と東北本線が合流する少し手前にある福島学院前駅で下車。そこから東北本線の東福島駅まで15分ほど歩き、東北本線の列車で桑折まで帰りました。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=自宅(桑折町)】30分後 桑折町下郡 伊達崎小学校前1時間後 伊達市梁川町粟野 住吉神社前1時間30分後 伊達市梁川町中町 梁川美術館前1時間45分後 やながわ希望の森公園前駅着
2006.10.29
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今日は日曜でしたが仕事が多少溜まっていたので、午前中だけ出勤してました。休日恒例の早朝散歩が犠牲になった格好ですが、そこは大丈夫。仕事帰りにちゃっかり、勤務先から仙台駅までの約7キロの道のりを歩いてきました。経由地は、若林区東部にある勤務先から若林区卸町~宮城野区萩野町・宮千代~JR宮城野貨物駅(駅の真上を通る陸橋を歩いた)~フルスタ宮城前~宮城野大通というもの。ゆっくり散策するつもりでしたが意外に早足で、1時間10分ぐらいで歩いてしまいました(笑)歩いていていつも思うことですが、街の様子が面白いんですよね。閑散とした日曜日の卸町(ただし、町の東端にある中央卸売市場だけは、一般市民が入場可能なイベントが開催されていて、賑わいを見せていました)、恐らく終戦直後に宅地開発が進み一方通行の狭い道路だらけの萩野町・宮千代、コンテナが所狭しとひしめく宮城野貨物駅、イーグルスが秋季練習を行っていたフルスタ宮城、そして今日ライブが開催されるらしい利府のグランディ21へと向かうシャトルバスを待っている若い女性の長蛇の列… 様々な表情を短時間のうちに堪能できるので、下手なTV番組よりも面白いと思っています。それにしても、1時間10分で行けるとは思わなかったなぁ。今度仕事帰りに歩くことも可能だな(笑)
2006.10.22
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2週間ぶりの、早朝散歩です。今回のルートは奥州街道沿道ではなく、こちらの日記で予告したとおり、桑折町の自宅から飯坂温泉を経由して福島市中心部までの行程。奥州街道よりも多少遠回りになるため、徒歩3時間程度を予定しています。前夜1時に寝たにもかかわらず、午前4時に起床。睡眠時間3時間の割には目が冴えていて、自分のヤル気に驚いてしまいます。午前5時に、自宅を出発。外はまだ真っ暗。早朝の気温も低くなる今日この頃ですが、今日はは寒さを感じるわけではなく、特段歩きにくいということはありません。商業不振で昼間でもシャッター通りと化している早朝の桑折町の中心街を、まず歩きます。開いているのは新聞店とコンビニだけ、という寂しい状況ですが、クルマの通行はそこそこあり、また犬を散歩に連れて行く歩行者もいたりして、思ったよりも閑散とはしていません。また商店街の各店の店頭には、ひまわりの花が大輪を咲かせています。ひまわり? もちろん、夏に咲くひまわりではなく、町内の小学生や幼稚園児が描いたひまわりのイラスト。各店の店先に掲示されたひまわりの絵が、1キロほど続く商店街に掲示されているのです。こういう「細かいところに手の届く」イベントは、小さい町ならではのもの。どこかの市町と合併していたら、こんな企画は潰れていたかもしれません。そのひまわりの絵が途切れる中心街の南端、桑折寺(こおりんじ)の前の交差点で、飯坂への道が奥州街道から分かれます。いよいよここから、本格的な散歩の再開です。分かれた道は、県道飯坂桑折線という名前がついており、近年は特に交通量が増えたせいか改良工事が各所で進んでいますが、元々は湯野街道という名前で、「おくのほそ道」の紀行で松尾芭蕉が通ったこともあるというそれなりに由緒のある街道です。歴史への関心、そして早朝でも大型車が通行し歩くにはちょっと危なっかしい現県道を通りたくない気持ちもあったので、ところどころに残っている旧道を歩くことにします。旧道は、桑折市街の西端を流れる産ヶ沢川の橋のたもとから、分岐していました。もとより短い街道で宿場町の存在など期待できませんが、旧道沿いには家屋が集まっており、それなりの「街道気分」を味わうことができます。ただ残念だったのは、以前あったはずの東北本線の踏み切りが廃止されて地下歩道になっていたこと。ここだけは、真新しくしかも照明が明るい地下歩道を、通らざるを得ません。地下歩道の先も集落が続き、5時半少し前に、睦合小学校の前に到着。今回の早朝散歩にあたってはこちらの日記でおおよその到着時間を予測していたんですが、それより3分ほど早い到着になりました。小学校の前を過ぎてしばらく歩くとと右手から東北自動車道が、更に左手から現県道が近づいて、まず新旧の県道が合流し、その上を東北自動車道が跨いでいきます。ちょうどここを通るあたりで、空が明るくなってきました。東北自動車道をくぐった先も、県道は幅員が広く、新しい道路です。ただ、三日月湖のようになっている旧道があったりして、それを見つけては分け入ってみます。旧道沿いには信達三十三番観音礼所のうち第十六番及び第十七番の観音が所在する松原寺(しょうげんじ)がありますが、他に目立った史跡はなく、芭蕉の面影もありません。むしろ収穫直前のリンゴ畑が目立つ道をしばらく歩くと福島市に入り、摺上川を挟んで飯坂の対岸にある湯野の町へ。町の東端にある西根中学校入口で午前6時を迎えます。ここは予定と同時刻の通過。午前6時の時報と同時に、黄色と赤の点滅を繰り返していた近くの信号が、青と赤の表示に変わります。湯野の町に入ると、県道は一挙に狭くなります。クルマがすれ違えるかどうかの狭い道。逆にこれは、湯野の町の古さを物語ります。商店、そして旅館やホテルが増えてくると左手には摺上川、そして飯坂のシンボルとも言える十綱橋となります。橋の対岸には福島交通の飯坂温泉駅。駅前には芭蕉と曾良の像、そして何故か当地名物のラジウム玉子の像があったりします。飯坂から福島までは、県道福島飯坂線、通称飯坂街道を歩きます。曲がりくねった上に上り下りの坂がある飯坂の町中を抜けるとしばらく離れていた福島交通の線路が寄り添ってきます。飯坂街道はこの路線と一緒に、福島を目指しています。片岡鶴太郎の美術館がある花水坂を過ぎ小川(という名前の川です)を渡ると再び坂を登り、登りきったところが医王寺前の駅。ホームには、福島方面からやってきた列車が停まっていました。東急のお古だというステンレス製の車両には、何故か源義経、静御前、武蔵坊弁慶に、佐藤継信・忠信兄弟のイラストが。実はこのうち佐藤兄弟が飯坂の出身で、墓が医王寺にあるのです。予定ではこの駅でスタートから1時間半となるはずでしたが、実際にその時刻を迎えたのは少し先にある福島県果樹試験場の前でした。その敷地を通り過ぎると、飯坂街道は国道13号線と平面交差します。飯坂街道と並行している福島交通の線路もまた、国道13号線と平面交差。国道13号線は4車線でしかも交通量の多い道路なのに、よく平面交差が今まで続いているなと思います。国道13号線を過ぎると、平野駅に到着。今でこそこのあたりの地名は「福島市飯坂町平野」であり昔からひとつの村であり大字であったような印象を受けますが、実は大違い。明治初期まではここは平田、飯塚、上入江野、下入江野、井野目、佐場野の六つの村に別れていて、それが下記の経緯で合併して、現在の形になったのです。平田村+飯塚村=平塚村、上入江野村+下入江野村=入江野村、井野目村+佐場野村=井佐野村平塚村+入江野村+井佐野村=平野村。平塚、入江野、井佐野は大字となる平野村が飯坂町などと合併して新・飯坂町に。旧村域は大字平野に飯坂町が福島市に編入。平野地区の大字名は飯坂町平野にこのような事例は福島市周辺ではいくつか見られます。平野の南の笹谷もその一つで、これも1876年に下大笹生村と大谷地村が合併してできた比較的新しい地名です。その笹谷で、スタートから2時間が経過。しばらく歩くと松川を渡り、いよいよ福島市の中心部へ。飯坂街道の装いもこれまでとは違い、歩道がきれいになり、そして幅員も広くなっていきます。そして右手には福島市のシンボル・信夫山。その脇を通りぬけると福島交通の線路に東北本線や東北新幹線が近づいてきて束になり、ゴールの福島駅まで並走します。曽根田の手前でこれらの線路の下をくぐった飯坂街道、あとは福島駅まで一直線。到着時刻は、7時43分でした。福島発の下り列車が7時46分発だったので、慌てて切符を買い、駆け込み乗車。あれだけ歩いたにもかかわらずまだダッシュする余裕があったのに、自分でも驚きました。最後に、目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点=自宅(桑折町)】30分後 桑折町成田 睦合小学校西側の交差点1時間後 福島市飯坂町湯野 西根中学校入口1時間30分後 福島市飯坂町平野 福島県果樹試験場前2時間後 福島市笹谷 笹谷駅前2時間30分後 福島市森合 セブンイレブン森合店前2時間43分後 福島駅着
2006.10.21
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これまでの早朝散歩でのかかった時間の最長は、桑折~福島、北白川~槻木、二本松~五百川、槻木~名取の各間を歩いた2時間半でした。その他の散歩でも初回の桑折~貝田間を除けば最低2時間は歩いており、まぁ、2時間は継続して歩ける自信はつきました。でも、もう少し長い時間を歩けないかな… という思いは、あります。そこで次回以降の早朝散歩では、遠出しない分、歩く時間を少しでも延ばしていこうという考えでおります。さしあたっては、桑折から飯坂経由で福島までを歩く予定ですが、このコースだと、私の脚で3時間程度はかかるようです。予測を示すと、30分後 桑折町成田 睦合小学校前1時間後 福島市飯坂町湯野 西根中学校前1時間30分後 福島市飯坂町平野 医王寺前駅前2時間後 福島市笹谷 桜水駅前2時間30分後 福島市泉 岩代清水駅前3時間後 福島駅着てな具合。多少のズレはあると思いますが、どんなに速く歩いたとしても、2時間45分はかかると踏んでいます。次々回以降も、どんどん距離を延ばして、できれば常時3時間は歩けるようにしていきたいなと思っています。
2006.10.11
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8月から歩いてきた「奥州街道早朝散歩」。とりあえずの目標である郡山~仙台間をなんとか歩き通すことができました。歩いているうちに欲が出て、「南は白河、北は松島」なんて延長戦を考えていた時期もありましたが、現地までの行き帰りの時間・旅費がかさむ上に実は今日の散歩の帰りで強風による列車の大幅遅延があったりしたので、これから段々寒くなる折、今秋中の実行はとりあえずあきらめ、来年機会があれば歩いてみたいと思う次第です。でも、今年の秋は、まだまだ日数が残っています。この間の早朝散歩をどうするか?とりあえずは、近場でと、考えています。さしあたっては、桑折の自宅から飯坂温泉経由で福島まで行ってみようかな… と。その次からは福島を基点として、どこに行こうか検討してみたいと思っております。しかし、振り返ってみると、よく歩いたなぁ… 自分でも、驚いています。
2006.10.08
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昨日の雨、そして強風で実行が危ぶまれた「奥州街道早朝散歩」でしたが、今朝の空は多少雲がかかってはいますが青空も覗いており、それほど悪くない天気。風が強いのが気にかかるけど、来週は所用があって出掛けられないので、今日強引に行ってくることにします。今日の行き先は、前々回の続きで、名取から当面の北側のゴールである仙台市中心部を目指します。いつものように桑折発6時30分の電車で北へと向かい、7時25分、名取着。再開地点は駅から徒歩3分の交差点です。前々回の散歩で「歩道がない」と嘆いてしまった名取市中心部の奥州街道ですが、名取駅の北側に限って言えば、一応歩道はありました。その上を、テクテクと歩きます。道の両側の商店街はすぐに尽きますが住宅街はなかなか消えず、このあたりが完全に仙台のベッドタウンになっていることを痛感します。そんな住宅地の中にひっそりと、仙台市(太白区)に入ったことを示す標識がありました。せっかく仙台市に入ったのに、あまりにも目立たない標識なので、いささか拍子抜けです。もっとも、目立たない要因は、今歩いている中田地区の位置にあるのかもしれません。地図がある方はごらんになっていただきたいのですが、仙台市と名取市との境界線は概ね名取川であるのに、奥州街道の沿道に限っては、名取川以南に位置する中田だけが何故か仙台市に含まれているんです。何故中田地区だけが仙台市に編入されたのかその理由はわかりませんが、やはり「仙台市」という名前には魅力があるのか、中田は名取よりも宅地化が進んでいる印象があります。一応ここも奥州街道の宿場町だったんですが、その面影を語ってくれそうな建造物は全然ありませんでした。中田の町を抜けると、名取川を渡ります。橋の長さは500メートル以上はあるでしょうか。一昨日来の雨で水嵩が増しているせいもありますが、川自体も幅が広く、境界線にするには打ってつけの存在感です。何故中田が仙台市になったのか? この川を見てますます疑問に感じます。また、この名取川からは、仙台市太白区のいくつかのスポットを、まとめて眺めることができます。まず右側から、区内で一番ののっぽビルであるたいはっくる、大年寺山とその頂上にそびえるテレビ塔群、八木山へと至る丘陵いっぱいに広がる住宅地、そして太白区の名前の由来となった太白山、といった具合。これまで歩いてきた所が眺望のきかない平坦な住宅地ばかりということもあってか、突然広がるパノラマには驚かされます。名取川を渡ると、かつては足軽町だったという諏訪町を過ぎ、東北本線の陸橋にさしかかります。いや、現在は元・東北本線の陸橋でしたか。このあたりの東北本線はこの9月に高架化されてしまい、陸橋の下はもう列車が走らなくなってしまったんです。橋から下を覗くと架線は既に取り外され、線路はまだ残っていましたが恐らく近いうちに取り外されるでしょう。この陸橋の二重に悔しい点は、その通り道を塞ぐように新しい東北本線の高架橋が横切っており、これまで真っ直ぐ延びていた橋が高架橋の手前で右に折れざるを得なくなったこと。従って、奥州街道は、新旧の東北本線に挟まれた極めて殺風景な所を、通らねばなりません。旅情もへったくれもありませんが、これも今の時期だけのこと。東側を通っている東北本線跡、及びその東側に広がる貨物ヤード跡では現在副都心開発事業が行われており、10年後には立派な市街地が広がっていることでしょう。しばらく歩くと東北本線、更にはその西側を並行して走っている東北新幹線のガードをまとめてくぐります。くぐった先はもう、太白区の中心・長町の商店街です。長町は中心部を除く仙台市内ではもっとも大規模な商店街が残っている所で、南端の長町駅前から北端の広瀬川河畔まで1キロ近く商店が連なります。数年前までは他の商店街と同様にどこかくすんだ感があったんですが1997にショッピングモール・ザ・モール仙台長町が近くにできたせいか人通りが戻りつつあるようで、賑やかさという点では福島市中心部と互角かもしれません(持ち上げ過ぎか?)。その名の通り長い商店街を歩くと、見えてくるのは広瀬川。都会の清流として知られる存在ですが、残念ながら昨日までの雨のせいで川の水は褐色の濁流で、例年なら今の時期に見られる芋煮会のグループも、まったくいませんでした。広瀬川を渡ると、区が太白区から若林区へと変わります。ここから先はいよいよ、仙台の城下町です。名取から長町までは国道4号線となっていた奥州街道は、城下町の南端にあたる河原町から国道と別れ、下町の裏道のような道となります。裏道といってもそれは単に国道より「狭い」だけの話であって、道の両側には商店街が続き、また城下町特有のクランク状の箇所などもあって、往年の幹線道路の面影は色濃く残っています。そんな商店街を、河原町から南材木町、穀町、南鍛治町、荒町と歩きます。穀町まではクルマの通行が少なく比較的歩きやすい道ですが、南鍛冶町で若林区役所方面からの県道が合流するので、荒町あたりではクルマの量も増えます。一応いっぱしの幹線道路になるのでロードサイドショップの一つや二つできそうなものですが、このあたりの住民は団結力が強いのか、ロードサイドショップの進出を許さないばかりか、シャッターを下ろす商店も殆ど見られません。そう言えば、このあたりは住居表示制度が未実施で、今なお城下町時代のままの町名が残っています。外観的には古い家屋は殆ど消え失せマンションなどもバンバン建っている界隈ではありますが、古き良き時代をできるだけ残そうとの住民の意地を感じます。奥州街道は荒町の東端で国道4号線と直交し、何度もカクカク曲がりながら北西の方角へと進みます。なお、国道を渡った先は、若林区ではなく青葉区となります。このあたりは既に仙台市中心部のビジネス街で、奥州街道はその中の裏道といった風情になります。いや、裏道というか、後年拡張された新しい道路の一部になっている箇所もあります。このあたりの奥州街道は、道路としての一体感を既に保てていないのです。これはちょっと残念なことです。町名もまた、住居表示制度のせいでズタズタになっています。城下町時代の町名は田町、北目町、柳町、南町なのですが、現在の町名は五橋二丁目、北目町、一番町一丁目、一番町二丁目。北目町が辛うじて残ったのをラッキーというべきかどうか評価が別れるところですが、街並み自体は、東北大学や東北学院大学が近く学生街の雰囲気がある田町・北目町、町としての一体感を醸し出すべく道路に緑色の街灯を配している柳町、どういう訳か生保会社の営業所が密集している南町と、各町ごとに個性が見られ、その点は面白いなと思います。南町を過ぎると青葉通りを横断します。けやき並木の葉はまだ青々としていますが夏場に比べると樹勢はなく、落葉が近いなと素人目にもわかります。青葉通りを渡ってすぐ先にあるのが、城下町・仙台の道路原標となった芭蕉の辻。南北方向に走る奥州街道と東西方向に走る石巻街道が交差する地点で、ここを基点に、仙台の街は計画、造成されました。奥州街道は更にこの北も仙台一の歓楽街・国分町などを通り続いていくんですが、私はここで東に曲り、仙台駅方面へと歩くことにしました。なお、芭蕉の辻のすぐ東側を通る東一番丁から仙台駅前までの石巻街道は、現在アーケードの商店街(マーブルロードおおまち、クリスロード、ハピナ名掛丁)となっており、昔も今も、仙台随一の繁華街となっています。最後に、白石駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないこと、また、白石市福岡深谷付近のルートは「単なるバス通り」であり、奥州街道かどうかの確認が取れていない(多分違うだろうなぁ…)ことを、お断りしておきます。【出発地点を白石駅とした場合】30分後 白石市福岡長袋 白石市北保育園入口付近1時間後 白石市福岡深谷 禮讃寺前1時間30分後 蔵王町宮 宮小学校前2時間後 蔵王町宮 宮交仙南バス椚林バス停付近(国道4号線と東北新幹線の直交地点)2時間30分後 大河原町金ヶ瀬 みやぎ生協大河原店前3時間後 大河原町字町 大河原中学校前3時間30分後 柴田町北船岡 サンコア前4時間後 柴田町東船迫 船迫公民館前4時間30分後 柴田町槻木白幡 山崎製パン仙台工場入口付近5時間後 岩沼市南長谷 岩沼市民バス玉崎西バス停付近5時間30分後 岩沼市桑原 岩沼中学校前6時間後 岩沼市梶橋 みやぎ生協セラビ岩沼店前6時間30分後 名取市植松 Aコープ館腰店前7時間後 名取市増田 名取駅前交差点7時間30分後 仙台市太白区中田 中田小学校前8時間後 仙台市太白区長町 JR長町駅前8時間30分後 仙台市若林区南鍛冶町 若林区役所入口交差点9時間後 仙台市青葉区一番町 マーブルロードおおまち9時間10分後 仙台駅着
2006.10.08
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奥州街道沿いに歩いてきた早朝散歩も、今度の日曜日に歩く予定の名取~仙台間で、とりあえずの区切りを迎えます。とは言っても、この区間、特に長町~仙台間は、何度も歩いたことがあるんですよね。沿道の下町っぽい景観が気に入っていて、長町から仙台城下町の道路原標である芭蕉の辻まで歩いたりとか、あるいは南鍛冶町から仙台一高の脇に入って榴ヶ岡まで歩いたりとか、よくやりました。今回の予定では長町~芭蕉の辻~中央通り(マーブルロードおおまち、クリスロード、ハピナ名掛丁)経由で仙台駅までと考えているんですが、芭蕉の辻以北の街並みも、捨て難いんですよね。国分町の歓楽街も歩いてみたいし、その北の、二日町や北鍛冶町(現・木町通二丁目)のどこか懐かしい感じのする商店街も、久々に訪れてみたいし。どうせだったら旧城下町の北端の堤町まで行って近くの北仙台駅から帰るなんてのも、ありかもしれません。他にも、八幡町、宮町、原町などなど、仙台には歩いてみたい街が結構あるんですよね。今度はどこを歩こうか。ちょっと迷います。
2006.10.04
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休日の度に長距離散歩をするようになってからというもの、持病だった腰痛が発生していません。やっぱり、身体を動かさないと、駄目なんですね。腰痛だった頃は腰骨の周囲に多分余計な贅肉があったんでしょうが、歩くようになってからそれがほぐれ出した。そんな感じです。あと、金銭面でも、歩いた方がお得ですよね。腰痛のマッサージだけで月5,000円ぐらいかかっていたんですが、散歩の場合は、電車賃を加味しても遥かにそれより安い金額。やっぱり歩いた方がいい訳で… また、何度もマッサージに通ったのに症状が改善しなかったのに散歩を始めたとたんに痛みがなくなった点でも、散歩の方が断然お得と言えます。ただ、マッサージの気持ち良さ。あれは散歩にはないんですよね。私の場合遠くまで散歩に行っているので景色を見ることで気を紛らわせることができるんですが、その新鮮味も、結局のところマッサージの気持ち良さにはかないません。今はまだ気候がいいので毎週散歩に出られてますが、積雪で散歩どころではない冬場になれば、ひょっとするとマッサージが恋しくなるんだろうなぁ…
2006.10.01
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今日も、二日連続で「奥州街道早朝散歩」行って参ります。こちらの続きとなる今回の目的地は、南側の当面のゴール・郡山。回数を積み重ねてついにここまで… と思うものの、今回は出発地の五百川へ向かう電車で、ちょっと躓きました。遅延していた寝台特急・北斗星の通過待ちのために、本宮で10分以上待ちぼうけ。おかげで散歩再開地点の五百川橋に着いた時には、7時を回っていました。その五百川橋を渡ると郡山市で、少し歩くと奥州街道の宿場町だった高倉の集落があります。南にそびえる高倉山に抱かれるようにして細長く延びる集落で、規模はさほどさほど大きくはありませんが、宿場町らしい雰囲気の残る集落です。高倉宿からその南の日和田宿までの間には、江戸時代初期に植えられたという松並木が残っています。もっとも、並木と言っても電信柱の2倍ぐらいの間隔で松がポツン、ポツンと生えている程度なのですが、往時をしのばせる建物が殆どない現在においては、それでも貴重な遺産。末永く残って欲しいものです。松並木が尽きると代わりに人家が増え、日和田の町に入ります。東北本線から見る日和田の町はとっても小さくて、日和田駅も無人駅だったりするからその感はますます強くなるんですが、奥州街道を通ってみると、結構大きい町だということに気付かされます。この日和田の町には、先日亡くなった作曲家・市川昭介の実家があるということで、歩きがてら探してみたんですが、結局見つけることができませんでした。あと何十年かしたら、町はずれに記念館とか建つかもしれないので、その時がちょっと楽しみです。日和田の町を出ると奥州街道は下り坂となり、藤田川を渡ってから再び上り坂となります。この手の細かいアップダウンは、福島を出て以来ずっと続いてきました。いい運動にはなりますが、郡山に近くなってもこの状況かよ… と多少ゲンナリします。再び坂を下った所にあるのが福原宿。ここは既に郡山の市街地に取り込まれていて周辺には新しい家屋が建ち並んでいますが、宿場の一角だけは瓦屋根の古い家屋が建ち並んでおり、この地域の矜持を見た気がしました。日和田の松並木と同様に、ここの風景も、ずっと残って欲しいもの。普通宿場町の集落を出ると周辺の風景は鄙びたものになりますが、福原の場合は、宿場町から南に行くに従って、沿道に商店が増えていきます。福島でいえば南福島あたりの風景に似てきますが、福島と郡山との都市規模の差か、こちらの方が商店の集積度が高い気がします。前方はるか先には郡山のシンボル的存在の高層ビル・ビッグアイ、そして左手には何時の間にやら東北新幹線の高架橋が近づいてきており、いよいよ郡山が近づきつつあります。磐越西線の高架橋をくぐり、逢瀬川を渡ると、郡山の中心街。郡山に行くといつも思うんですが、飲食店が多い街です。特にビッグアイの真西にあたる大町一丁目に飲食店が集中している感があります。でもそんなケバケバしい街の中にも「右 奥州街道 左 会津街道」などと書かれた道標が建っていたりするから面白い。この道標は、1886年に郡山から磐梯熱海まで会津街道が整備された(ついでに言えば、本宮から磐梯熱海、猪苗代を経由して会津若松に至る街道は、江戸時代に既に整備されていた)時に建てられたものだとか。道標を目にし「会津街道を歩いてみたい!」との衝動に、一瞬駆られます。大町一丁目を過ぎると、広い幅員を誇る駅前通りを横切ります。駅前通りの自慢は、今年新調されたアーケード。アーケードといえば近年は邪魔物扱いされて撤去の憂き目に遭う例が少なくないですが、ここのアーケードは天井がビルの3階ぐらいの高さの所にあるので、邪魔という印象は受けません。いや、むしろ、高い天井のアーケードを可能にしている駅前通り沿いの建物の高さにも注目でしょうか。駅前通りには、10階建て前後のビルがズラリと並んでいます。福島県ではここだけで見られる風景です。駅前通りを真っ直ぐ歩けばそのまま郡山駅に着きますが、私はもう少し奥州街道を歩いて、中町にある地元のデパート・うすいの前から郡山駅に向かう遠回りをしました。うすいは、郡山の奥州街道沿道ではいちばん目立つ建物。だから一応、表敬訪問したつもりなんです。郡山には、8時57分に着きました。五百川駅から2時間ほどの。いつもよりも短い行程でしたが、それなりに疲れました。とりあえず行くと決めた所まで行った達成感と入り交ざった、心地よい疲労感でした。最後に、福島駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市太平寺 オークラボウル前1時間後 福島市清水町 杉妻自動車学校前1時間30分後 福島市金谷川 福島大学正門前2時間後 福島市松川町 福島交通松川町バス停前2時間30分後 二本松市吉倉(場所を特定する構造物等なし)3時間後 二本松市油井 ベイシアスーパーセンター安達店入口付近3時間30分後 二本松市竹田 家具の町竹田坂4時間後 二本松市大壇 岳下小学校入口4時間30分後 二本松市杉田町 杉田橋(杉田川)5時間後 大玉村大山 セブンイレブン大玉大山店前5時間30分後 本宮町中條 本宮郵便局前6時間後 本宮町仁井田 五百川橋北側(五百川)6時間30分後 郡山市日和田町高倉 姉ヶ茶屋(松並木案内板前)7時間後 郡山市福久山町八山田 福島交通牛ヶ池バス停前7時間30分後 郡山市福久山町久保田 磐越西線高架橋付近7時間50分後 郡山駅着
2006.10.01
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今日は、休日恒例の「奥州街道早朝散歩」歩く所は前々回の続きで、柴田町槻木を起点として岩沼市、名取市方面を目指します。前夜の雨で実行できるかどうか心配でしたけど、今朝の空模様はスッキリとはいかないまでも多少青空が覗く曇り空。なんとか歩き通せそうです。いつものように桑折発6時30分発の電車に乗って、槻木着が7時12分。片道42分もかかる訳で、車内でウトウトしちまいました。気がついたら、槻木の手前の船岡。あと5分舟をこいでいたら、危うく寝過ごすところでした。列車は定刻通り、槻木に到着。このコースでは2週間ぶりとなる早朝散歩の再開です。まずは、槻木の町を歩きます。前々回歩いた町南部の白幡地区を歩いても正直宿場町らしさをあまり感じなかった槻木でしたが、駅から東に延びる上町、下町は、奥州街道沿いに商店が建ち並び、それなりに宿場町っぽい町並みでした。ただ、商店街は若干歯抜け気味。宅地開発の波が押し寄せている槻木ですが、新住民は地元じゃなくて船岡や大河原のロードサイドショップまで買い物に出掛けるんでしょう。町並みが尽きると、奥州街道は国道4号線に合流します。相変わらず太い国道です。大型車がひっきりなしに走る道を、テクテクと歩きます。右手には、阿武隈川の堤防。桑折の少し南から阿武隈川と奥州街道は東西に大きく別れますが、約50キロ北上してようやく再会といったところでしょうか。改めて、両者の結びつきの強さを感じます。柴田町と岩沼市との境にあるラーメン屋の裏手で、奥州街道は国道4号線と別れます。しばらくの間阿武隈川に沿って東進する奥州街道は、そのまま岩沼市玉崎の集落に入ります。玉崎は宿場町ではありませんでしたが、かつては阿武隈川の河港として栄えた時期もあったようで、奥州街道沿いに古い住宅が並んでいます。岩沼というと完全に仙台のベッドタウン化されてしまった印象があったんですが、こういうひなびた集落があるとは知りませんでした。玉崎の右側には阿武隈川の堤防、左側には国道4号線が通るという構図ですが、その間は、ずっと田んぼになっています。稲刈りがボチボチ始まっているようで、2割ほどは刈り取られた後でした。玉崎を過ぎると奥州街道は北に向きを変え、岩沼の街へと向かいます。相変わらず田んぼの中を歩きますが、右手遠方には日本製紙の工場が見えていて、モクモクと忙しそうに白い煙を吐いています。この日本製紙の工場、2003年までは大昭和製紙の工場で、工場の所在地がなんと「岩沼市大昭和」。会社が吸収合併されても町名は変更しないという、妙なことになっています。岩沼の街の少し手前で、電車の音が、右手から聞こえてきます。あれ? 東北本線は左側を通っているはずだけど、と思いながら音の方向を向くと、常磐線の列車が走り去っていくのが見えました。そう、ここ岩沼は、常磐線と東北本線の合流地点でもあるのです。先ほどの槻木の阿武隈川とは比較にならない、日暮里以来340キロほどの距離を経ての合流です。それにしても、このあたり、「再会」に縁のある土地ではあります。ちなみに、岩沼市には東北本線、常磐線の他に、もう1路線、鉄道が走っています。日本製紙への貨物引込線がそれで、この路線の踏切を渡ると、いよいよ岩沼の市街地に入ります。はじめは閑静な住宅街を歩きますが、市の中核にある竹駒神社が近づくと、商店が増えてきます。福島県浜通りから北上してきた陸前浜街道が合流すると、岩沼の中心街。竹駒神社の参拝客が宿泊するとおぼしきホテルも何軒か見られ、なかなか賑やかそうな街並みです。すごいなと思ったのはその長さで、南北に1キロは続いているでしょうか。白石も大河原も、そこまで長い商店街ではありませんでした。ところで、竹駒神社は、地元では愛知の豊川、京都の伏見に並ぶ「日本三稲荷」のひとつとして親しまれています。前々回の散歩で大河原に「さくら」の名を冠した施設が多いことを挙げましたが、岩沼もまた、「いなり」「稲荷」の名を冠した医院やタクシー会社が見られ、その愛着心の高さが伺えます。商店街を歩いている時、頭上からキーンという轟音が聞こえてきました。頭上を見ると、飛行機が飛んでいます。岩沼市とその北の名取市との境界には仙台空港があるので、このあたりでは珍しくない光景ですが、馴れてないとちょっとびっくりします。大袈裟ではなく、よくこんな所で生活できるなと思います。商店街が尽きた所に生協やダイソーといったロードサイドショップが建ち並び、そこが奥州街道と国道4号線との合流地点。槻木でも交通量の多かった国道4号線ですが、岩沼で陸前浜街道の後身となる国道6号線と合流したため、ひっきりなしという表現がまさにマッチする交通量になっています。もちろん歩道が設けられていますが、歩道を歩いていてもこういう所は何となく怖いです。ほどなく歩くと、名取市に入ります。入ってすぐの所に歩道橋があり、奥州街道はその手前から国道4号線と再び離れ、そのやや西側を通っています。分かれ出る道はクルマのすれ違いができるかどうかの細道。本当に奥州街道か? と疑問に思いますが、東北本線を横切った時に渡った踏切が「奥州街道本郷踏切」という名前だったので、自信を持って先へと進みます。名取市の西部は、それまで東北本線や奥州街道と常に近接していた丘陵が後方に退いて、広々とした田園地帯になっています。数キロ先まで見渡すことができ、なかなか雄大な眺めです。ただ残念なことに、今は稲刈りの季節。名取の田んぼは岩沼に比べると稲刈りの進捗が進んでいるらしく、半分近くの稲が既に刈り取られていました。そんな田園地帯をしばらく歩くと、今度は住宅地に入ります。一見すると新興住宅地のようですが、家並みをよく見ると奥州街道沿いの家々に限っては古い家々が連なっていることがわかります。さすがは奥州街道だと思う次第です。その家並みの中心に鎮座しているのが、このあたりの地域名・館腰(旧名取郡館腰村)の地名の由来になった館腰神社。地図で見る限りでは竹駒神社にも匹敵する境内の広さだったのでどんな神社なんだろうとの期待があったんですが、それなりに由緒ありげな雰囲気ではあるものの取りたてて立派とも厳かともいう訳でもなく、むしろ隣接する弘誓寺の方が目立っている印象でした。やや調子っぱずれなのは館腰神社のすぐ北側にあるはずの雷神山古墳でも同様でした。奥州街道のすぐ近くにあるはずなのに、高台にあるせいか全然見えずじまい。しかも古墳に至る案内板も全然ありません。東北最大の前方後円墳も奥州街道からでは住宅地の裏山にしか見えませんでした。その後も住宅地をしばらく歩くと、再び東北本線の踏切に。こちらの踏切は「奥州街道飯野坂踏切」でした。踏切の先の奥州街道は、さっきまでとは異なり、幅の広い道です。それもそのはずで、この道も一応国道4号線。大型車の大半は東側を走るバイパスを通りますが、こちらもそれなりに通行量が多いんです。でも、残念だったのは、歩道がまったく整備されていないこと。飯野坂から名取駅前までの奥州街道は名取市の中心街であるはずですが、この間歩行者は、路肩を歩かねばなりません。これは非常に危険です。名取市は今仙台空港鉄道の開業直前ということで各所で開発が進んでいますが、既存の市街地にも、もっと目を向けて欲しいものです。名取駅には、9時44分に着きました。2時間半、歩いた計算になります。喉が渇いたので、キヨスクで缶ビールを買いました。銘柄はもちろんサッポロビール。実は名取駅の西口にはサッポロビールの工場があるんです。これもひとつの「地産地消」かな?最後に、白石駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないこと、また、白石市福岡深谷付近のルートは「単なるバス通り」であり、奥州街道かどうかの確認が取れていない(多分違うだろうなぁ…)ことを、お断りしておきます。【出発地点を白石駅とした場合】30分後 白石市福岡長袋 白石市北保育園入口付近1時間後 白石市福岡深谷 禮讃寺前1時間30分後 蔵王町宮 宮小学校前2時間後 蔵王町宮 宮交仙南バス椚林バス停付近(国道4号線と東北新幹線の直交地点)2時間30分後 大河原町金ヶ瀬 みやぎ生協大河原店前3時間後 大河原町字町 大河原中学校前3時間30分後 柴田町北船岡 サンコア前4時間後 柴田町東船迫 船迫公民館前4時間30分後 柴田町槻木白幡 山崎製パン仙台工場入口付近5時間後 岩沼市南長谷 岩沼市民バス玉崎西バス停付近5時間30分後 岩沼市桑原 岩沼中学校前6時間後 岩沼市梶橋 みやぎ生協セラビ岩沼店前6時間30分後 名取市植松 Aコープ館腰店前7時間後 名取市増田 名取駅前交差点(名取駅前交差点~名取駅 約3分)
2006.09.30
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今週は久々に土日が連休になるので、恒例の早朝散歩も二回できそうです。土曜日は前々回の終点・柴田町槻木から名取市(館腰か増田かは未定)を、日曜日は前回の終点・本宮町五百川から郡山市中心部を目指します。土曜日のコースで気になっているのは、岩沼、館腰、それぞれの街並みです。岩沼については岩沼駅から市内中心部にある竹駒神社まで歩いた時があるのですが、その時は「平凡な街」という印象しかありませんでした。でも、後で調べてみると、この時歩いた道は裏通りであり、奥州街道じゃなかったんですよね。岩沼の街は奥州街道と今の国道6号線の前身にあたる陸前浜街道の合流地点でもあるから、他の宿場町に比べると規模は大きいはずで、特に竹駒神社周辺の街道沿いの街並みには期待しています。館腰については、やはり東北最大の前方後円墳である雷神山古墳と、その少し南側にある館腰神社でしょうか。両者とも来訪する予定はないのですが、奥州街道のすぐ近くにあるので雰囲気ぐらいは味わえるかな、と思っています。日曜日のコースでは、郡山市日和田に今も残る街道筋の松並木を、堪能したいです。また、高倉、日和田、福原と三つの宿場町を経由するんですが、都市化が進む郡山市のなかでこれらの古い町がどのような形で生き残っているのかにも、注目したいですね。
2006.09.26
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早朝散歩を始めてからというもの、地図とニラメッコする機会が増えました。子供にも「またちずよんでる~」と言われる始末です。でも、子供たちも、地図には興味を示しているみたいです。私の読んでいる地図は昭文社のカラー版の地図だし、絵本に似通ったものを感じるのでしょう。特に最近の地図はコンビニが各企業のマーク入りで載ってたりするので、そのマークを見つけては「あっ! セブンイレブンだ!!」なんて喜んだりしてますからね。でも、何と言っても一番嬉しいのは、「パパ、きょうは、どこをさんぽしてきたの?」と訊いてくれること。「ここをあるいてきたんだよ」と自慢げに(おいおい)説明する私。子供達もきちんと聞いてくれるので、説明のしがいがあります。まぁ、どれだけ歩いたのかを理解できるのは、まだまだ先の話なんでしょうけどね。でも、こういうやりとりをきっかけにして、子供達が、地図、ひいては自分達の住んでいる地域により深い関心を示してくれれば、いいなぁと思っています。
2006.09.24
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休日恒例となった(?)「奥州街道早朝散歩」。回を重ねること、8回目となりました。今回は、前々回の終点・二本松を出発して、本宮町内を目指します。これまた恒例の(笑)桑折発5時42分の始発電車に乗り、6時29分、二本松着。福島~郡山間では一番乗降客の多い二本松駅だけあって、早朝にも関わらず、駅構内には結構お客さんがいたのが印象的でした。駅から200メートルほど歩くと、もう奥州街道です。街道沿いの街では「街道沿いの運送業者の仕事がなくなる」といった類の鉄道忌避伝説がしばしば聞かれますが、東北本線に限って言えば、それは史実ではありません。二本松、福島、桑折、白石、大河原… これまで私が訪れた東北本線の駅のうちその開通と同時に開業した駅は、ほぼ例外なく、宿場町の至近に設けられています(松川だけが例外)。今回訪れる本宮もその例に漏れず、宿場町の真ん中に駅が設けられています。二本松市街西部の松岡、若宮の町を抜けると、奥州街道は緩やかな登り坂にさしかかります。左手には東北本線。今回のルートの大半では、東北本線が寄り添うことになるはずです。他地域だと宿場町以外では両者が全然違うルートを走ることが珍しくないのですが。また、今回のルートのは、もちろん奥州街道ではあるんですが、その大半は、県道須賀川二本松線にもなっています。二本松市街地の少し南から須賀川市南部にかけての奥州街道のルートは、ほぼこの県道と一致するんです。その点ではわかりやすいルートではあるんですが、南福島から清水町宿に抜けた時のような意外性とかワクワク感が減殺された格好です。その須賀川二本松線に入ってから1キロほど歩くと、杉田の集落に入ります。奥州街道の宿場町でもあった集落なんですが、ここは少し変わっていて、集落の真ん中を東西に横切る杉田川を挟んだ北と南の集落が日によって交替で宿場を務めていたとのこと。従って、さほど規模は大きくない集落ですが、かなり長い区間にわたって街村が続きます。集落を出外れると、また登り坂。分水嶺に差し掛かるところで右側の眺望が開け、安達太良山の姿を見ることができます。前々回は曇天模様だったため姿を見ることができなかった安達太良山ですが、今日は快晴。頂上から裾野までハッキリと見えます。名山に相応しい姿ですが、それも「ほんとうの空」の演出があってこそなんだと実感します。分水嶺から少し下ったところから、大玉村に入ります。市町村合併流行りの昨今ですが、大玉村は北の二本松市、南の本宮町、どちらとも合併せず、当面は自立の道を歩む模様です。その姿勢については何も言うことはありませんが、村内の奥州街道の整備状況、これは明らかに劣悪です。なにしろ歩道が殆どないんですから。旧道とはいえ自動車の通行量は少なくなく、側を通られる度に肝を冷やしました。まぁ、ここの道の管理者は県だから村に文句を言っても何の解決にもならないでしょうが…ただ、沿道の景色は、さほど悪くはありませんでした。南福島から延々と続いてきた勾配の連続が尽きて田園風景となり、田んぼには黄金色に実った稲穂。そして遠景には安達太良山と、よくある日本のイナカの風景が展開します。田んぼの真ん中には東北本線の線路も見えていて、何両も貨車を積んだ貨物列車が通過していきました。30分ほど歩くと大玉村を通過。本宮町に入ります。町内に入ってしばらくは大玉村に比べて人家が増え田んぼが減る程度の変化しかなく、しかも引き続き歩道がないためますます歩きにくい状況でしたが、中心街に近づくにつれ、道幅が広くなり、商店が増え… と徐々に「町」ではなく「街」らしくなっていきます。現在本宮町は東隣の白沢村と合併交渉が進んでおり、近々福島県内13番目の市「本宮市」が誕生する予定です。また、本宮の特徴は、市街地のすぐ側を阿武隈川が流れていることです。奥州街道を軸とした福島県中通りは阿武隈川の流域ということになっていますが、実は宿場町のすぐ側を阿武隈川が流れているケースは、驚くほど少ないんです。福島とこの本宮、あと郡山の南の笹川(安積永盛)と県南の白河ぐらいでしょうか。本宮の場合は三春やいわき市平とを結ぶ岩城街道の分岐点でもありましたから、川を渡る人々の数も多かったものと推察します。磐梯熱海、猪苗代を経て会津若松へと至る会津街道との分岐点が本宮の南の街外れで、その先は再び田園風景が続きます。そんな中で目立つのが、工場の数々。奥州街道の西側を走る国道4号線沿いにもソニーなどいくつかの工場がありますが、奥州街道沿いにもパナソニックの工場があり、規模では決して負けてはいません。これらの工場進出は本宮町の財政力強化にも繋がっている模様で、本宮町の財政力指数は、確か中通りの市町村でも指折りの好数値(0.7ぐらいかな。殆どの市町村は0.4以下だから、かなりいい方)だったと記憶しています。そうそう、本宮の企業で一つ思い出しました。パナソニックの工場の少し北側、奥州街道からちょっと脇に入ったところに、今福島県政界を騒がせているスーツ会社がありました。一応、書いときます(笑)話をパナソニックに戻すと、工場から少し先に、五百川という川が流れています。この川を越えるといよいよ郡山市に入りますが、今回はここで散歩を打ち切り、近くにある五百川駅から電車に乗って、帰宅することにします。五百川駅のすぐ近くにも、アサヒビールの工場があります。さすがは工業都市本宮です。ところで、鉄道路線の近くのビール工場といえば、宮城県名取市のサッポロビール工場や同じく宮城県仙台市宮城野区のキリンビール工場にみられるように、貨物側線があるのが常。電車が来るまで時間があったのでちょっと探してみたんですが、それらしきものも、また跡も、見つけることができませんでした。最後に、福島駅を起点とした目安表を、ここに記します。ただし、これは私の脚によるものであり、決して標準的なものではないことを、お断りしておきます。【出発地点を福島駅とした場合】30分後 福島市太平寺 オークラボウル前1時間後 福島市清水町 杉妻自動車学校前1時間30分後 福島市金谷川 福島大学正門前2時間後 福島市松川町 松川町バス停前2時間30分後 二本松市吉倉(場所を特定する構造物等なし)3時間後 二本松市油井 ベイシアスーパーセンター安達店入口付近3時間30分後 二本松市竹田 家具の町竹田坂4時間後 二本松市大壇 岳下小学校入口4時間30分後 二本松市杉田町 杉田橋(杉田川)5時間後 大玉村大山 セブンイレブン大玉大山店前5時間30分後 本宮町中條 本宮郵便局前6時間後 本宮町仁井田 五百川橋北側(五百川)(五百川橋北側~五百川駅 約13分)
2006.09.24
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