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【4】彼らが入った捕虜収容所の管理者は「まあ捕虜収容所は私怨で運営されんように、別地域の部隊が管理するのが良いやけどな。遠い南の地やし部隊派遣の都合がつかんかったんかな? 自分らが行った捕虜収容所を管理してたのは、ちょっと前まで戦い合った敵兵達でな。まぁ俺らのせいで片目、片手、片脚とかになった負傷兵が運営してた。だいぶ後で交代の兵士達が来たけど、それまでの間は大変やった。まあ言ってみれば『お前らの顔みると古傷が疼く』みたいな敵兵も何人かはいた。」(ラバウルでは160名のオーストラリア兵の虐殺の記録がある(ラバウルの戦い)。カビエンでは少なくとも23名のヨーロッパ兵の虐殺の記録がある(カビエンの大虐殺)。戦闘に加えて捕虜を虐殺した事も捕虜収容所での日本兵の立場に少なからず影響していたと思われます。敵(捕虜)を人道的に扱う国の教育があれば、捕虜収容所で助かった日本兵が亡くなる事は相当数避けられていたかも?と思う。)「捕虜収容所では遅礼と言ってな、挨拶の敬礼が一瞬遅れただけで失礼にあたる。普通は軽い処罰で済むところ、相手さんが我々が負傷させた敵兵だと大変。遅礼という事で、即座に銃で頭を撃ち抜かれ呆気なく死んだ兵士もいたよ。なるべく目を付けられないように刺激しないようにね、する必要がある。 」「自分は幸いにも機械の修理技術を持っていた。機械の調子が悪くなると「Hi Nemu! (仮名)」と呼ばれて直しに行ってサンキュー言うてもらえる。そうやって可愛がられ生き延びる事ができたわ。機械を修理できる日本兵は貴重やから、そうそう簡単には殺されずにすんだ。」「どの国でも敵国を憎む教育はされると思うけど、戦争行って捕虜にもなって生きて帰って来れて思うわ。敵味方どちらにもいい奴と悪い奴とクズは等しくいると 。帰国して町工場で働いて、海外とも取引して『おたくの工場でないとこの部品は無理』とか日本では理解してもらえなくて海外から認めてもらった事も何回かあった。で、思うんやけど、国で線引くのではなく身分や職種や性格で線引く視点は大事やわ。」「今でこそ笑い話かも知れないが 遅礼で頭ぶち抜かれる例の収容所でエビス(仮名)というクズが俺に寄って来て迷惑だった」と苦笑いする彼。 「とにかくエビスは手を抜く 土砂運びでもバケツリレーでも 巧妙に俺が手を抜いてるかのように偽装するんや。自分が重い岩を運ぶ距離を少しでも短くしようと細工する。等間隔でリレーしているのに、ワシからちょっとづつジワジワ離れていく。足腰が丈夫という事で仲間からも重宝されたぐらいやから、自分のが運ぶ距離が長くなるけど何とか頑張ったわ。でも頑張ったらその努力を認める奴と「まだいける」と仕事を増やしてくるクズっておるやろ?エビスはそのタイプ。俺が頑張ったら「まだいける」と思って更に遠のいて楽しようとするクズなんや。ちょっとずつ岩とかバケツがワシとクズの間に溜まっていく。結局は見張りの敵兵に見つかって連帯責任になる。しょっちゅうや。刑罰は鞭を使っててな、よくエビスと一緒に鞭でしばかれて転がされたと。鞭の扱いは本当に上手い!転がっても転がっても的確に当ててくる。「イタイ!イタイイタイ!」って、2人でよう転がされてたわ。笑えるけど、笑いごとじゃないわな。エビス(仮名)が1人で手を抜くと殺されるリスクが高いから どうしても作業が面倒で手を抜きたい時は敵兵の気にいられてる俺と一緒の時に手を抜くみたいでな。 そんなバカげた所業も戦争。 華々しい戦死だけじゃない 病死・餓死・敵を憎む教育と洗脳による自殺・収容所で復讐される戦死もある。」(餓死・病死・敵を憎む教育と洗脳による自殺・楽になりたくて?手榴弾で自殺・収容所で復讐のため?殺害。全てがまとめて英霊として祀られている。食糧を独占した海軍と盗みに入った陸軍との自国の兵士同士で犠牲になった兵も同じ場所。責任を取った現場指揮官と無罪放免となった上層部も同じ場所。「国を愛した尊い犠牲に感謝します」という言葉だけで本当に弔いの言葉になる? 大切な何かを加えるべきでは? 写真と生き残り兵の言葉は 我々に何かを問いかけている。 敵国の住民全部を憎むだけで愛国になるの? 市民同士の交流は不必要? 教育はこのままでいいの?憲法改正で消え行く人権の条文こそ犠牲になった兵士と住民の本当の供養じゃないの?)(ご高齢になり 複数の病が重なり そうそう何十年も行きられないかも?という事で 他人である私に戦争体験を話されてました。部隊によっては捕虜や住民の虐殺などあったようですが何も語られず。) ただ「今思い出すと愚か過ぎて笑えて仕方ない」と笑いながらも、涙が溢れ出していた横顔を思い出します。読んでくださってありがとうございます。大事な話をされてる横で家事疲れ軽度認知症もあり奥様はずっと居眠り。 彼の最後の話 「辛いばかりの記憶だが良い記憶は2つ太いロープでみんなで釣り上げた大きなクエは美味かった そして海は本当に青く美しく もう1度、その海を見たい 」写真 カビエン近海
2018.09.30
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【3】敵を憎む教育が自国の兵を殺す「戦争行って、捕虜収容所入って、生きて帰って来た。鬼畜米英とか敵はみんな悪い奴と教わったけど、結局的にも味方にもいい奴悪い奴どっちもいた。 日本軍は古参の現役兵と赤紙で徴収された新兵との格差がひどかった。例えば自分は足腰丈夫で古参兵の分も仕事するし、機械も修理できるから良かったけど、目を付けられるとね・・・。上下の立場でも人間性が変わるけど、例えば食糧物資を管理する立場でも人間性が出る。物資が枯渇すると数をちょろまかすぐらいの事が生死に関わる。下っ端だと生存競争も大変だ。 なのでトカゲでも何でも食べれそうなモノは何でも食べた。一番嬉しいのは漁をする役目が回って来た時。あれは良かった。大物はみんなの食糧になるが、小魚捕まえを食べながらするので助かる。そこで食い溜めする。」(最初聞いた時は「そうそう沢山小魚獲れるものか?」と思ったが、今思うと、ノミで遊べる域に達してはったので余裕なのかもしれない。人の良い方だから極力他者のモノを奪はず小動物を食べて生き残ったのだろう。)(古参兵現役兵の下が馬でその下が赤紙で徴収された新兵達という話は良く聞く。パワハラだらけだったろう。父方の祖父は柱に掴まりセミの真似をさせられ上官にイジメられたそうだ。それを聞くと遠い昔の遠い地での話ではなく、今の日本の正社員と非正規労働者の格差と同じ構図があったと思っていい。いわゆるそのブラック体質で食糧と医薬品が枯渇すると、非正規雇用(新兵達)にはどんな過酷な地獄が待ち構えているのか?(NHKの証言特集「飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~」https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210035_00000この戦争証言でも熾烈な現実が語られています。ミレー島では食糧を管轄した海軍と配給をカットされた陸軍が殺し合いになったそうです。横暴な小隊長を殺害(射殺・窒息死)させた部下の話もあります。闇夜で味方兵の肉を食う兵士を見た話しも語られています。戦後彼らは生き残り帰国します。餓死した戦友の家族が訪ねて来ても「餓死」と言ってしまうと自分が見捨てたと思われるので「爆弾破片創 頭部縦断貫通」と語ったという話もされています。『華々しくない戦死』は想像以上に多く、語られず消えていく事実が沢山あると思いました。)「親切な隊長に気に入ってもらって助かった」(と彼は何度か言います。戦闘中のみならず飢餓状態の時も人格者ゆえ助けてくれた人だったのでしょう。)「戦争が終わり、ラバウル周辺エリアの日本兵が大勢集められ、集団で捕虜収容所へ歩いて移動する事になったんだ。使われないままの大量の武器弾薬を積んだトラックが併走していた。我々が海沿いの崖近くを通ったんだが、トラックの運転手が「鬼畜米英に武器を渡すぐらいなら死ぬ!天皇陛下万歳!」と叫び崖から海へ突っ込んでいったんだ。隊長達が「やめんかぁああ!」と叫んでも連鎖反応が止まらずトラックと歩兵が次から次へと突っ込む。隊長達が顔を真っ赤にして「貴様ら!止まれぇぇええ!」と体張ってやっと止んだ。敵を憎む教育とか洗脳は戦争だから当然あるけど、そのせいで助かったハズの日本兵が大勢いたことだけは知っておいて欲しい。」(日本兵同士が殺し合うような戦争だった。鬼畜米英などと憎んでいれば捕虜の扱いがどんなものか?想像を上回る残忍な事もあったと思う。連合軍の捕虜を虐殺したとして戦犯として処刑された捕虜収容所の所長も多い。連合国軍にも捕虜への虐待はあったと思うが、多く聞く話は「気が付いたら捕虜になっていた。日本だったら負傷兵の捕虜の手当てなんぞしないのに、敵兵は手当てしてくれた。」という話。だから思うんだけど、戦争に負けたから戦犯として裁かれた。という側面はあるが、日本軍が日本の兵士に人道的な教育をしていたら、戦犯として処刑される日本兵はもっと少なかったのではないか?という側面。カビエンの生き残り兵の言うように、敵を憎む教育と洗脳が助かったハズの日本兵の命を奪うという側面は多いにあるのではないでしょうか?)(今の日本を取り巻く課題を考える上で彼らの視点は大事にしたいと思う。私個人の意見は置いといて、彼らの視点を大事にしたい。靖国神社で「名誉の戦死を遂げられた英霊」という言葉だけで本当にいいのか?ミレー島で食料を奪い合って死んだ海軍と陸軍も同じ場所に供養されている事実とか。例えばトカゲの尻尾切りみたいに現場の兵隊の(地獄で苦しんだ)責任者は処刑された。でも東條英機内閣の太平洋戦争開戦時の重要閣僚である岸信介は無罪放免である。「あの戦争は正しかった。政治に復帰してそれを証明するのが贖罪」的な謎理論だった。昭和の妖怪とも呼ばれた岸信介の孫が安倍総理。「『お父さんの自衛隊は違憲なの?』という子がいる!みなさんどうですか?」と言って、「そんなの今時いない」と対抗者に言われている。こういう今の日本の一コマを生き残り兵の視点で眺めるのは有意義。別の感想と別の答えが出てくる。いくつもの答えや意見があっていいと思う。ただ『華々しくない戦死』をした方々の魂を踏みにじる答えはおかしいと思う。ちなみに開戦時に岸信介は商工次官(軍需次官)。物資の量と流れを知る立場にいた。反主流にはなったが南方に物資が届かない事態も知っていたはずである。無罪放免となったが米軍とどういう取引があったのだろう。権力者と米国との結びつき。どう受け継がれているのか?その辺も考慮に入れて今の日本を考えたいと思う。私は知らない事が多い。)
2018.09.19
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【ギルバート・マーシャル諸島の戦い(Wikipedia)】■その他の島1944年1月30日、米軍による上陸作戦が直接行われなかった島に対しても空襲や艦砲射撃による攻撃が行われた。マロエラップとウオッゼにはマーク・ミッチャー少将指揮の攻撃部隊が、ミリとヤルートにはジョン・フーバー少将指揮の基地航空隊が攻撃を行った。これらの島はクェゼリン陥落後、日本本土からの食糧などの補給が困難となり、終戦時まで飢餓に悩まされることになる。ミリ環礁(ミレー島)のクェゼリン陥落から終戦までの悲惨な状況は、「NHK 戦争証言 アーカイブス 証言記録 兵士たちの戦争」の「飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~」に多くの証言が記録されている。■結果ギルバート諸島・マーシャル諸島は、日本軍の防備強化が進まないうちに、アメリカ軍の飛び石作戦により突破された。日本海軍が戦前から研究していたマーシャル海域での迎撃型艦隊決戦構想は、実行できないまま崩壊した。アメリカ軍が上陸した島の日本軍守備隊は玉砕し、上陸しなかった島でも日本からの補給が途絶して孤立・遊兵化した状態で終戦を迎えたがこの間、食糧不足による飢餓や医薬品不足による疫病流行により、多数の餓死者・病死者を出した。アメリカ軍が演習を兼ねた砲爆撃を行うこともあり、それによる戦死者も発生した。(写真にあるマーシャル諸島内の小島は食糧不足が深刻。飢餓とそして味方との(恐らくは食糧をめぐっての?)戦いもあったと言う。玉砕を希望するも大本営から玉砕を禁じられ孤立したエリア。洞窟に隠れ、ネズミと雨水で飢えを2年半凌いだ部隊も。)(マーシャル諸島の南、ニューブリテン島ラバウルを中心としたエリアも同様に補給を断たれ、飢餓と疫病に苦しむ事となった。そのエリア内、ニューアイルランド島カビエン近くの生き残り兵のお話)【2】種芋はもう無い「食糧が無いのは深刻で 芋を栽培して飢えを凌ごうと思ったが、育たぬ状態で食べないと死ぬ。」(そして種芋もなくなり更なる飢餓状態になったのが写真の状態と思われました。) 「時おり襲来する戦闘機の機銃掃射を受けて死亡するよりは 食糧不足による餓死や医薬品の不足による疫病による死亡が多いと思う」と言ってました「極限の飢餓状態になるとこうなる。上官の命令で戦闘機の襲来に怯えながらドラム缶で風呂を沸かしていたんだ。薄闇の中にトカゲの影が見えたと思った時には素早いトカゲより早く自分の手が動き捕まえている状態ぐらいに神経が研ぎすまされる。何も考えず湯を沸かしている炎でトカゲをあぶり、何の感情も抱かずトカゲを食べ、絶えず空に注意を払い敵機が来ないか?見張ってる。」と(生き残るとはそういう事。ネズミの糞だらけの洞窟でネズミを食べ「はー美味い」と思いながら2年半生き残ったと言う別の島の話もある。通常とは違う神経になるのだと思った。)「帰国する頃にはこうなってる。船の中で呆然と机の前に俺が座っている。机の上にはノミが1匹いるんだ。無意識にノミで俺は遊び出すんだ。ノミが飛ぼうとする気配が分かるようになってるんだよ。不思議だね人間は、極限状態になるとそうなる。飛ぼうとした瞬間に俺は指でノミを指で押さえているだ!しかも潰さずに!凄くない?それ!」(私はその時はひたすら驚愕した。今思うと〔まるで他人事のよう!〕。虐待を受けた子供が自分の苦痛を切り離し、客観的に眺めている解離症?のような逃避かも。)「ノミが飛ぶのに失敗したら指を離す。そしたらノミが飛ぼうとするので、飛ぶ刹那を狙って指がその上に乗っかってる。また指を離す。ノミは潰れてない!また飛ぼうとするから、邪魔をする!何度も!何度も!何度も!それでもノミは潰れない!ずっとそれを繰り返し、日本に着くのを待っている自分。戦争は人をそこまで追い込むんだ!追い込まれると人は、そんな状態になる!不思議だよ!今思うと変だよ!笑うしかない・・・」(寂しそうに悲しそうに笑う生き残り兵。きっと精神を守るため、苦痛を感じないよう呆然自失のまま他人事みたいに感じながらその時をしのいだ?今、思い出して、今、悲しくなって、でも受容できなくて、涙を浮かべ笑っておられると感じました。)(ここから下の文章。ご注意下さい。自殺した兵士の詳細。戦争の残酷な側面が記述されています。)「ラバウル周辺エリアの部隊は武器弾薬はあった。だから手榴弾を海に投げて魚を獲る漁は貴重な食糧源なんだ。海辺に桟橋があるんだけど岸に近い所は壊れていて、離れ小島みたいに入江の中ほどに桟橋があるんだ。終戦間際のある日、仲間が桟橋で手榴弾を投げようとした。魚群が集まる直前を察知して信管を抜きしばし待ち、着水直後に一番魚群が集まった状態で爆発すれば大漁となる感じ。味方兵はどっちに投げるか分からないので岸辺で待機。上官が全体を指揮している。俺は別の作業を命じられて仲間の方を見ていなかった。急に上官が「田中(仮名)何やっとる!貴様!投げんかぁぁぁ!」って叫んでた。もう戦争末期だったしね。絶望?心を病んでいる?もしかすると「あれ?これ投げなかったら楽になれる?」って誘惑に負けたのかもしれない。「死ぬぞ!投げんかぁぁああ!」と叫ぶ上官の声を聞きながら 手榴弾を投げずに身体が固まったまま手榴弾が爆発。「佐藤(仮名)行けぇぇぇ!救助ぉぉぉ!」の声と同時に下っ端の俺は桟橋まで泳いだ。必死で泳ぎついて倒れた仲間の手を引き起こそうとした・・・あの、あのヌルっとした感覚は忘れられない。」(獣がひっかくような手の形のまま細かく腕を振るわせ。黙って首を横に振る彼。しばし沈黙のあと)「頭にね・・頭に・・手榴弾の破片がめり込み、貫通して・・・・即死・・・即死だった・・・・」「勇ましくない・・ 華々しくない戦死もね・・あるんだよ・・・」(言葉もない。心を殺さないと生きていけない。呆然としたまま無感覚で生き延びても、ふと我に返った時に誘惑と条件が整うと死ぬ場合がある。Twitterのね「過労が続いてホームで電車を待つ。(死のうなんて全然考えなくても)電車が来た時に『電車に飛び込んだら楽になれるなー』って思う誘惑が怖い」という話を思い出した。なんかね、兵隊さんも企業戦士?も似たような条件と誘惑と呆然が揃うと死ぬのか?って思ったよ)(名誉の戦死。尊い犠牲。という言葉だけで片付けると「失礼」と思いますので、敢えて詳細に記述しました。不本意に残酷な描写を読んでしまった方に深くお詫び申し上げます。読んで頂いた方、誠にありがとうございます。)
2018.09.16
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【背景】第二次世界大戦太平洋の南西側の島々いわゆる南方の戦地でのお話1942年ニューブリテン島ラバウルを拠点に周辺地域や島々を日本軍が制圧戦後後半になると連合国はラバウル周辺の日本軍を孤立させる戦略をとりましたグアム島と硫黄島を攻略し補給路を断つ戦略ですニューブリデン島、ニューアイルランド島、トラック島などは武器弾薬は大量にあるが食料が無く、孤立した状態で過酷な自給自足の生活を強いられていました写真はマーシャル諸島のものですお話の舞台はニューアイルランド島ですが、南方の日本軍は孤立し自給自足、過酷な飢餓状態にあったとの事で参考資料として提示しました語ってくれた人は今は90才台、一番下っ端だったとの事画面左側の少年ぐらいの年齢でしょうか?ネットの検索によるとヤフー知恵袋には「昭和20年ニューアイルランド島カビエンで祖父は戦死した。どのような状況だったか?知りたい」という質問があり「日本兵は孤立し自給自足の状態だった。アメリカ軍の偵察をかねた爆撃で戦死されたのでは無いか?」という回答がベストアンサーでその他の回答も同意見でした。ニューアイルランド島カビエン近くで潜伏した部隊の生き残り兵の語ってくれた「公に話される機会の無い、華々しくない戦死」をお話ししたいと思います。【1】またも負けたか8連隊彼曰く「薩摩隼人のような勇敢な九州男児の部隊や田舎の出身の真っ直ぐで素直な部隊は、戦争初期は劇的な勝利で輝くしかし物資の量と新兵器開発を重ねる連合国の前に、やがてどんどん全滅する例えば大阪の歩兵第8連隊はその不甲斐なさ、士気の低さから「またも負けたか八連隊」と各地域からバカにされるぐらいだが、逆を言えば大阪の歩兵第8連隊だけでなく都市部の部隊は合理的に戦うんだよ」(戦いはもともと卑怯かつ合理的であるべきで、諸葛孔明などの戦略もそうなんじゃないかな?と私は思った)「智謀策略とか大層なもんじゃないけど、大阪みたいな部隊はしぶとくて連合国もなかなか全滅させられないんだよ。」と(上官の命ずるまま、軍部の思惑通り〔疑問なく突進〕する兵士を美化する所って日本はありがちだと思った。そうそう例のアメフトタックル騒動なんて〔疑問なく突進〕だと今になって思った)「上官に恵まれるというのは大きい。戦いがある毎に戦死者多数だから、その度に部隊を編成を組みなおすという事になるんだ。良い上官(合理的な上官?)に気にいってもらってたから、『おいお前、今度もこっちに来いよ』と誘ってもらい、それで生き残ったというのはある。」とラバウル周辺を拠点とした大量の武器弾薬を有したしぶとい合理的な部隊の集団連合国は直接対決を避け、グアム島と硫黄島を攻略し補給路を断つ戦略をとる事になったしぶとい集団を孤立させ、飢えさせたのである。
2018.09.16
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