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のである。少しの迷いも戸惑いも私には無かった。高校を卒業して少しでも親の負担を軽くさ
せたかったし、早く一人前として自立したかったのも大きな理由である。早々に内定が決まって
を毎日毎日カラーインクで手を染めながら描いていた。昼休みにはバレーボールを楽しむ姿
は、まるで絵に描いたような工場での休憩風景である。この年、デザイン室には高卒の私と、
短大卒の女性が入社したのだが、数ヶ月経つ頃からか、彼女と仕事の内容に差がつきだし
た。彼女は東京出張、企画の立案などまかせられ、こちらは毎日毎日、黙々と筆を動かす仕
事のみである。このあたりからか"学歴"という目の見えない壁の存在がひしひしと重く圧し掛
かってきたのはいくら鈍感な私でも十分わかった。たかが2年如きの差でこれほど仕事の内容
が違うものか、やるせない気持ちが徐々に大きくなっていったのは確かである。毎日、仕事の
内容で悩む日々が続く事になり、悩んだ末の一つの結論が大学受験であった。「俺、大学受け
るわ・・」と母に言うと、なんともいえない嬉しい顔をしていたのを今、思い出す。結論を出した以
上その日から仕事が終わると猛勉強が始まった。半年間のブランクは大きい。自分自身でも
鬼の形相で毎日を過ごしていたと思う。たとえ不合格でも悔いの残らぬようにと自分自身に言
い聞かせていたものだ。ところが母の健康状態が急に悪化、新年早々、帰らぬ人となってしま
った。誰がこんな事態を想像していたか、完全に精神が萎えてしまった。母を想い出しては涙
が流れ、こんな精神状態で受験などできるのか。大学受験を断念しょうかと真剣に悩んでいた
時、父も見るに見かねてか、母が病床で「お前の大学受験・・・ほんまに喜んでいた」「あんな勉
強嫌いが大学受験するとはな。人生は判らんな・・」母の気持ちを汲んで受験しろと父は言う。
母の気持ち、43才の若い命でこの世を去る無念さを考えるとくやし涙と、ただただ悲しく、毎日
涙を流すことしかできなかった。2週間後の受験日、母親が内職の時に使っていた大切な日本
バサミをそっとを筆箱に入れ悲壮感漂う姿で14倍の難関にぶち当たったのである。