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年末から今年にかけて腹立たしい事ばかりが続いて、この国は一体何処へ行こうとしているのか・・・。小泉改革を花よ蝶よと持ち上げてた連中は今のこの現実をどう見ようとしているのか。製造業の派遣が自由になり企業が人件費にコストをかけなくなった。やがてそれらは人間にもかかわらずいらなくなれば紙くずのように捨てられる。何が「世界のトヨタ」だ。何が「技術のソニー」だ。片腹が痛い。企業側の言い分は我々凡人が聞いても解る事で、決して納得出来るものではない。今の経営者は株主を優先し社員を蔑ろにしてきた。景気の良いときも給料を上げず利益を内部留保して貯めてきた。赤字だ、赤字だと声高に叫んでいる企業には実はお金はあるのである。トヨタなど何十兆というお金を貯め込んでいる。それを崩しても己の期間従業員ぐらいの給料は出せるはずだ。せめて契約期間は面倒見るのが「世界のトヨタ」の最低限の仕事だろう。いくらコマーシャルで良いことを言っても所詮、トヨタもこの程度である。ある中小企業の会社社長などは「売り上げが減っても一人とも解雇しない。社員は会社の宝である。」こういった企業で働ける社員は幸せだ。会社の質、経営者の能力というものは会社の大、小で決まるものではない。人が将来の見えない、夢の描けない国てなんだろう?ピンボケ総裁を頂いた日本国民は悲劇である。それにしても寒風吹き付ける派遣村に心が痛む。
2009.01.20
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます「おはよう!」「おはようございます!」彼は非常に明るく元気に挨拶をしてくれる。車ですれ違った時にも軽く笑顔で会釈をしてくれた。彼が16歳の時にバイクの免許証を取得し、自分の貯めた貯金で目新しいバイクを磨いていた。よほど嬉しかったのか毎日のように磨き、手入れをしていた。「バイク、かったんか」「はい、めちゃよう走るんです」彼ははにかみながら嬉しそうに喋るもバイクをふく手を止めなかった。彼は中国残留孤児三世である。幼いときに一家で日本に永住してきたのだ。小学校、中学校と卒業し、家族の事を思ってか彼は夜間の高校を行きながらボクシングの世界に飛び込んだのである。口べたながらハングリーに満ちたその目は意志の強さを表す。プロの試験に合格したものの、さすがにプロの世界は厳しく、なかなか勝ち目に恵まれなかった。しかしやっと彼にも勝ち運が巡って来るのである。そして今年の5月、東京で東西新人王戦が行われた。勝った方が日本新人王チャンピオンとして輝く。単身彼は東京へと向かう。彼は世界をみていたであろう。拳一つで頂点に上ってやろうという野望があったに違いない。5月4日試合のゴングがなった。彼の体調が悪かったのか、相手のパンチの当たり所が悪かったのか、彼はリングに崩れる様に沈んでしまった。病院に運ばれ緊急の手術が行われたが2週間後、再び目をさますことなく逝ってしまったのである。脳内出血だという。若干22歳、あまりにも若すぎる生涯である。彼の夢は天上の様に大きかった。彼の志は大海の様に深かった。彼の遺影は、笑いながらファイテングポーズをとる姿であった。見ると涙が止まらない。人生長い、短いは問題ではない。いかに生きたかが大切だ。とはいうもののやはりどう考えても若すぎる。彼の短くも濃い生涯が我が生き方に恥ずかしくないのか、もう一度考えてみたいと思うのである。 合掌
2008.08.05
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます今年の暑さはなぜか体に堪える。夏バテか・・・あまりにも冷たく、あっさりした物の食べ過ぎなのだろう。お茶漬けも冷たいご飯に、冷たいお茶をかけ、食べるのがこれまたうまい。おかずは胡瓜の浅漬けのみ。これでは体に良くないしスタミナはつかない事はわかってはいるが止められないのだ。ところで最近、小麦粉の高騰でパンなどが上がりめっきり米飯が多くなった。日本人にはお米の良さを改めて知る良い機会かもしれない。我が家でも昔はほとんど米飯であった。朝は卵かけかお茶漬けに胡瓜の古漬だ。このお米、我が家では実に多様な使われ方をしていたもので、米粒は指で潰し、糊の替わりに紙や封筒の接着として使っていた。なぜかフエキ糊がなかったのである。フエキ糊という存在を微かに知ったのは幼稚園の頃で入園早々鯉のぼりを作るときだった。もちろん各園児のお母さんも来ていた。その時に初めてチューブに入ったフエキ糊を見た。チューブから出た綺麗でトロッとした糊は新鮮で衝撃であった。母は用事があると言って、我が家自家製のご飯粒糊を持たしてくれた。母が朝に自分の指で潰した米粒である。濡れた布に包まれた特製糊は幼心にも恥ずかしかった。母の用事は内職で来られないのである。少し母を恨んだ記憶がある。他の園児のお母さんはやたらと優しく綺麗に見えた事を今でも思い出す。園児一人で鯉のぼりなど出来るはずがない。思うように出来ない焦りと恥ずかしさで涙が出てきた。見るに見かねた隣のお母さんが私の鯉のぼりをハサミで切ってもらった。フエキ糊も貸してもらった。嬉しかった。指でなめらかに滑るフエキ糊を初めて使ったのだ。あまりの嬉しさか鯉のぼりの口と尾びれまで貼ってしまうという大失敗を犯してしまう。これでは鯉のぼりの体をなさない。その時のセピア色の集合写真に、勢いよく泳いでいる鯉のぼりの中で、なぜか一匹だけ情けなくたれ下がっているのは紛れもなく私によって口をふさがれた鯉のぼりであった。
2008.08.01
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます関西地方も桜が満開に近づいてきた。青空の下の桜は美しい。またその下でお弁当を広げながら食べる人たちの顔が実にいい。皆、穏やかで怒り顔などは皆無である。桜の名所もいいがなんせこの時期、人の波でごった返す。そういう雑踏を避け、私はいつもきまった小さな公園に花見弁当を持って行く。ここならあまり人も多くなく、弁当を広げる場所も探さなくてすむし、のんびりと花を眺めながらお弁当をつまむ事ができる。ここの公園に来る訳は桜以外にもう一つある。かわいい雀たちに会う事である。いつもきまった石の上に座り、お弁当を広げるとどことなく数羽の雀たちがやってくる。雀たちは砂浴びをしたりお弁当からこぼれたご飯粒をつついている。驚く事はこれからである。私は手のひらにご飯粒を置くと私の手のひらに雀が恐れもせず平気で乗ってくる。手乗り雀とはこのことで、もう何年も前に遊び半分でしたその行為がここまで雀たちが慣れるとは思わなかった。その光景は周りの花見客を驚かすだけのインパクトがある。なにやら私には雀に好かれる理由があるのかもしれない。誰に言っても信用はしないし無理はない、ただ一度友人がその光景を目のあたりにして驚きを隠さなかった。雀は非常に警戒心が強く、人が近づくだけで飛び立ってしまう。しかしここの雀は行くたびに肩、腕、手のひらに乗ってくる不思議な雀だ。なぜ自分だけに近寄って来るのか全く解らない。ただ来たときには雀語で「チュンチュン」と挨拶はするがまさかそれだけで寄って来るとは信じがたいが、好いてもらっているのは有り難い事だ。桜にウグイスとはいかないが桜と雀も趣があっていいものである。桜の満開とともにあの雀たちに今年も会えるかと思うと少し嬉しさがこみ上げて来る。
2008.04.03
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます春だというの心がうきうきとするはずなのに我にとっては誠にうっとうしい時期である。花粉と黄砂の容赦ない襲撃である。花粉歴約30年、おそらく花粉症という名前の無い時期からのつきあいで、幼い頃マスクを付けないで野山を駆け抜けた想い出がやけに懐かしい。この花粉症、昔は無かった。誰も鼻水を流していなかった。杉で花粉になっていたら山林業に携わっているいる者は皆、花粉症に悩まされなければならない。おそらく高度経済成長の頃あたりから発病者が出ているところを推測すると、そう日本がモーターリゼーションの時代に入ってからどうも発病者が出ている。私自身はディーゼルエンジンの排気ガス中に含まれる微粒子 (DEP) や、ガソリンエンジンからも排出される窒素酸化物 (NOx)、が各花粉に化学反応を起こさせたのではないかと信じきっている。温暖化により春先の病気が秋冬とずれ込むのではないか。年中悩まされるのかと考えるだけで頭が重いのである。もう一つは黄砂。春の風物詩などと暢気な事など言ってはおられない。花粉以上に恐ろしいのは黄砂である。この黄砂、地球温暖化のせいで年々酷くなりつつある。中国ゴビ砂漠の砂が偏西風に乗り日本にやってくる。車がドロドロになるのはまだ許せるがどうもあのパウダー状の粉、中国の大気汚染されたところを通り、たっぷりと体に悪い危険因子を含んで飛来して来る。これがやっかいなことに花粉用のマスクをすり抜けるくらいに微細らしい。他国に餃子、環境で迷惑をかけるのは大人の国ではない。軍事力増強する金があるならば砂漠に木を緑を植えてはいいのではないだろうか。過去の四千年の歴史なんぞなんの自慢にもならない。大事なのは今の時代でありいかに行動するかである。
2008.03.13
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます大相撲は大好きで暇があればテレビやラジオで"観戦"しているが今場所の最大の注目はなんといっても朝青龍である。良くも悪くもマスコミから叩かれるこの横綱、少し可哀想な気もするが、何せ己の身から出た不祥事である。仕方がないのである。しかし私自身、この横綱は嫌いではない。17歳からモンゴルから単身、文化も違う国に来て頂点を極めたのだから、それは並大抵の努力では言い表せないだろう。彼には良く横綱の品格がないと協会、マスコミから問題視されるが果たして、27歳の男に品格を求めるのがおかしくて社会人でいえば新入社員なみの歳なのである。品格とは歳と共に身に付くものでありそれはいわば裏返せば社会的責任感と双璧なのである。20代の男に品格をやたらと求める方がおかしい。そんなに品格を求めるなら、気兼ねの高砂親方や姿が見えない北の湖理事長の品格のなさにはあきれてしまうのだ。いつの時から品格という事が言い出されたのか解らない。このブログにも前回書いたが『日本書紀』には、人間としての力士同士の戦いで最古のものとして、垂仁天皇7年にある野見宿禰と當麻蹶速の戦いである。この中で「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、宿禰が蹴速を蹴り技で脇骨と腰を折って蹴り殺したとされ、當麻蹶速は可愛そうかな命を落としている。人を殺めた加害者側を大相撲の始祖として今日祭られているのだ。野見宿禰などは品格など微塵も見られないしヒールの朝青龍など相手を蹴り殺した野見宿禰の足下にも及ばないのである。そんな事を考えているともう少しおおらかな気持ちで大相撲を見るのも楽しいし、朝青龍が40、50歳になったとき、きっと素晴らしい品格を備えてた親方になり若い力士を育てているとは思うのは私だけだろうか。
2008.01.22
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます一枚の年賀状を見ている。懐かしいと同時に嬉しさで一杯になった。もう20年以上も昔のことである。私が大学で助手をしていた頃、ある企業の顧問デザイナーになった。当時そのときの会社の経理部長をされていた方である。性格は豪放磊落、年は50前にもかかわらず頭はややそり込みが深くなり自分なりにかなり気にされていた。私はなぜかその部長とは良く気が合い、共に会社は何を目指すのかそして社員はどうあるべきか・・・。よく仕事が終わった後に近くの赤提灯で議論したものでそのときの弁舌が鮮明に頭に焼き付いている。暫くして私がこの会社を辞め、翌年にその部長は会社を辞めたらしい。詳しい理由は解らないが巷の噂では社長との折り合いが悪く、辞職したと後から聞いた。そして起業家として再出発されたのである。在職中の会社の連中はどうせ失敗するに決まっていると大半のものが考えていた。小さなマンションの一室から始まったこの事業、設立当初はオフコンの受託開発を中心に生産管理、販売管理等のビジネスアプリケーションの開発を行っていたそうだが私個人的にはその内容はさっぱり解らない。しかし熱く語るその姿は鬼気迫るものがあり是非とも勝ち取って欲しいと陰ながら応援していた。元部長は時代を見る先見の目があったのだ。暫くして大阪本社の移転、東京営業所、名古屋営業所、京都営業所と次々に開設、そしてこのたび神戸営業所を開設された。なんと従業員170人、年間売り上げ20億円、創業19年ながら立派なIT産業に育てあげられた。現在は、時代のニーズに応える為、オープン系ウェブ系からメインフレーム系さらには組込み、制御系、エンジニアリングまで守備範囲を広げ、また業務的にも製造業、金融業、通信業官公庁など数多くの企業、団体との信頼関係を構築されているのだ。ただならぬ努力と涙と汗の結果である。私などは悲しいかな足下にも及ばないが私自身も夢だけは"元経理部長"には負けずでっかい夢を持っているのである。夢を実現するためには死にものぐるいで頑張らなてはだめなのである。
2008.01.05
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じますあけましておめでとうございます。今年も皆様に幸多き年になりますよう祈っております。今回の写真、私どもの看板犬?「ユキ」である。あまり外に出たがらないのがこの犬の欠点だが、なかなか最近では性格も比較的に丸くなり可愛さもひとしおである。ユキが来たのはもう4年になると思う。もちろん血統書もなく、生年月日も不明である。ある小さなペットショップで目と目が合ったのが最初で、もちろん犬など飼う予定など全く無かった。ただ眺めているとやたらとこの犬が気になりだしたのである。黒いまん丸の目が、もの悲しさを語っているようで、一年間も買い手が見つからない。値段も信じられないくらいに値崩れをおこしていたにもかかわらず買い手が見つかっていない。1.5キロにも満たない小さなからだはマルチーズとシーズのMixである。可愛い顔をしているにもかかわらず気性がかなり激しい犬で今まで数人のお客の手を噛んでいる。そんな事とはつゆ知らず、決して品が有るとは言えないペット屋の奥さんに無理矢理抱っこさせられてしまった。私が2~3日この犬が気になりゲージの中を見ていた姿を目敏く憶えていたのだろう。案外お互い落ちこぼれなのか気が合いこの犬がたまらなく愛おしくなってきた。「・・・よし、買い手が見つからんなら、俺が面倒みたろ・・買うわ・・」これも何かの縁だろう。しかしこの犬「ユキ」はかなり性格的に問題があり、何かにすぐ脅え、また反対に些細な事で攻撃的になるのだ。「ユキ」と呼んでしっぽを振りながら来たのはおそらく半年ぐらいにたっての事だと思う。ゲージに1年間も入れられていたのが性格にも反映したのか、それは解らない。ただ人間と言うものにかなりの不信感は持っていたのは確かな事だと思う。今では完全とは言わないけれどほぼ気をゆるしてくれている。犬に血統書が有ろうと無かろうと、Mixで有ろうとそんなことには興味が無い。ただ商売のためにいい加減な掛け合わせなど許される訳がないし、止めて頂きたい。新年早々「ユキ」の寝顔を見ながら、少しでも幸せな一生を送らせてあげたいと心から思うのである。
2008.01.01
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます年の瀬も押し迫って来るとボーとしていても何やら忙しく感じるものである。最近ではおせち料理を作らなくなり外注する家庭も多いとか。確かに労力を使わず、いろんな食材が入って美味しそうだし、これなら一日、二日で綺麗に無くなる。確かに昔と違って食べ物はいろんな食材があふれているし、今の若い世代には口に合わない物が多いのも確かである。さすがに三日ぐらいになるとおせち料理も見るのも辛くなる。ただそれによって各家庭の受け継がれてきたおせちの味が消えてしまうのもそれ以上に辛いものがあるのだ。従来のおせちは保存食であり元来それほどおいしさを追求したものではなく、食材に意味を込め新年の幸を祈ったものでそれが御馳走であった。業者の作るおせち料理はもはや保存食ではなくただの豪華な正月料理に変わってしまった。それが現代のニーズならそれもいいのかもしれないと最近では思う。しかし子供たちが成人し家庭を持ったときに完全に伝統の味が食卓から消えてしまうのも切ないものを感じてしまうのは私だけか・・。そんなつまらない事を考えながら今年も数日で終わりに近ずいてきた。健康に暮らせた事が一番の幸福か。来年も健康に仕事が出来ればそれでよい。みなさんも体をいたわり新年を迎えて頂きたい。そして来年は"偽"のない年にしたいとおもうのである。いつも愛読して頂いている皆々様、有り難う御座いました。良いお年をお迎え下さい。今年はこれにて終了に致します。また来年、宜しくお願い致します。
2007.12.28
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます都会では全く餅つきの風景が見られなくなってしまった。昭和30年代の頃には年末になると町角の至る所で餅つきが見られたもので年末の慌ただしさを感じさせてくれる歳時の一つだった。庭があろうとなかろうと関係ない。その日は家の前に杵臼をだし、公道を半分占拠した格好だ。我が祖父の家でも年末の餅つきは恒例で、その日は祖母以下、親戚の女性たちがこの日のために奮い立つ。全く祖母などは指揮官の様に各女性たちに"命令"を下すのである。早朝の寒さからか餅米を木製のセイロからもんもんと白い湯気が出る。餅米が蒸し終わると祖母の一喝で男たちの出番である。男たちもやたらといきり立っている。石臼に入れられた餅米は真珠の様に美しい。祖父と祖母がまずは一番突きで、なんと言っても二人の合いの手が良く見事に息が合っている。つかれた餅は女性たちの待っている片栗粉のまかれた板に運ばれ手際よく丸餅にされる。よもぎ餅、あんこ餅、エビ餅は大の好物でよくつまみ食いをしたものである。"デキの悪い"叔父などは朝っぱらから酒を飲み、自分が突くときにはもうすでに出来上がっている。石臼を杵で叩くは、合いの手の叔母さんの手の甲に杵を落とすは散々である。皆からさんざん罵倒を受けていたのを憶えている。周りに集まった近所の人たちにもあんこ餅が配られ美味しそうに食べている姿は見るからに楽しい年末の行事だった。今ではそんな風景もなくなり、寂しい限りだがこれも時代の流れなのだろう。実家に帰ると当時の石臼が埃をかぶりながら、今も物置に鎮座している姿を見ると当時を振り返り感傷的になってしまうのである。
2007.12.21
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じますチリン、チリン、チリン・・・毎日夕方になると決まって聞こえて来る鐘の音がある。豆腐売りの兄ちゃんの鳴らす鐘の音である。兄ちゃんが来ると皆こぞって家から鍋を持って出てくる。ここの豆腐が美味しいという事もあるのだがそのほかにも何せこの豆腐屋の兄ちゃん若くて独身、その上男前であるから奥様連中の人気者である。顔を見てはおばさん連中の"口撃"が始まる。はよ嫁さんもらえとか、結婚はせん方がええとか、好き勝手な事を言い出す。口べたな豆腐屋の兄ちゃんは、はみかみながらただ笑っているだけである。豆腐屋の兄ちゃんの自転車が去った後も近所の奥様連中の井戸端会議が続いているのだ。元気というか下品というか強烈な笑い声が炸裂し、家の中まで聞こえてくる。我が家の今晩のおかずは豆腐一丁だけである。誰もおかずが少ないとか文句も言わないしこれが普通だと思っていた。ただ父親だけは絹ごし豆腐で母親以下我らは木綿豆腐であった。いつも父親の肌理の細かい絹ごし豆腐が私の羨望の的で、昔は確実に父親だけは何事にも別格だった。豆腐の他にも一品我らにはないものが付いているし、それを「食べてみるか」などと言う"やさしい"言葉も聞いたことがないのだ。そのお陰もあってか今でも木綿豆腐の愛好者ある。最近スーパーで"男前豆腐"とやらが凄く売れているらしい。パッケージにも蟇目鉤鼻の涼しい男前の男性の顔が描かれている。この豆腐を見ながら、当時の元祖男前の豆腐屋の兄ちゃんの事をふと思いだしてしまった。ところでこの男前の豆腐屋の兄ちゃん、今は当時の面影すらないが好好爺になり、息子夫婦と仲良く暮らしている。
2007.12.19
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます白黒テレビが我が家にやってきたのは今から40年以上の昔になる。シャープの14型ブラウン管、かなり重かった。当時では珍しくリモコン式のテレビだった。もちろんホースのような太さの線が本体から延びており、チャンネルを変えるときそのリモコンの音はけたたましく、大きなモーターの音がする。しかしその先進性の新しさには幼心にも大きな驚きを感じたものだった。昭和40年代カラーテレビの時代に入るがどうしてもカラーテレビを欲しがったのは自分ではなく、母親である。ある懇親にして頂いている個人病院の自宅でその年の紅白歌合戦を見てしまったのである。さすがに強烈なカルチャーショックを受けたようでその色の美しさ、衣装の豪華さを父親に熱心に、熱く語っていた。要は欲しいのである。しかし当時カラーテレビなどは一部の人だけで我々庶民には皆無に等しい代物なのだ。約30~40万ぐらいはしていた。まだまだ高嶺の花である。やがて放送局にもカラー放送が増えてくる様になり白黒テレビの右下にカラーという文字がにがにがしく映し出されていた時期を思い出す。そして5年後ついに我が家にカラーテレビがやってくる。母親の嬉しそうな顔はその日の精神状態を十分に表していた。カラーは日立がいいと訳のわからない噂を真に受けて18型の日立製のテレビを買った訳だが後から思うと母親がカラーテレビをどうしても欲しい理由は紅白なんかよりも恐らくプロレスの流血場面を見たかったような気がしてならない。血の気の多い母はそれは毎週毎週プロレスの番組を見て奇声をあげていたことを覚えている。それから数十年テレビはハイビジョンになりアナログのテレビは消えつつある。ハイビジョンは美しい。ただフォーカスをかけた曖昧な雰囲気もまた楽しく想像をかき立てる。世の中何事も美しく写ることがすべていい事ではない。美しく見たくないものも沢山有るのだから。
2007.12.11
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます仕事の打ち合わせで箕面の方へ行って来た。間近に迫る北摂の山並みのなんと美しいことか。赤、黄、緑のまるで錦織りを想わせる。それもそのはずでもうここから箕面の滝は車で10分の所である。箕面と言えばまず頭に浮かぶのが紅葉であり滝であり、そして猿。それからもう一つ、もみじの天ぷらを忘れてはいけない。「名物にうまいものなし」と言うが私はなぜかもみじの天ぷらが大好きなのだ。関西の人には馴染みが深いがそれ以外はあまり知られていないらしい。天ぷらといってもご飯のおかずに成るわけでなく、お菓子といった方がいい。それもかりんとうの様なもので、中国のマーファににている。ゴマの入った衣に菜種油であげた素朴なお菓子で、もみじも1年以上塩漬けにした物を使う。歴史は古く役の行者が修験道場を訪れた人に振る舞ったと言うからもう1300年の伝統があるわけでそれだけに関西では有名な一品である。これがなぜか食べ出すと止まらないのだ。もみじの味よりもかりんとうの味が勝っているこのお菓子、揚げたてを箕面の紅葉を見ながら食べるのもいい。もみじの天ぷらを食べたかどうかは知らないがあの野口英世も母親と一緒にこの地に訪れて、天下一の紅葉を楽しんでいる。・・・ふと仕事に向かう車の中で北摂の錦秋の山並みを見てそんなつまらない事を考えていた。紅葉とはかけ離れて少し俗っぽいが箕面の龍安寺は江戸時代に寺社などで流行った富くじ発祥の地でもあり宝くじの発祥の地とされている。そちらの方に心血を注いで居る人あらば一度、お参りに行くといいかもしれない。
2007.11.30
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます雨に濡れながら新聞配達を懸命に励む青年を見ると「つらいやろなぁ・・」と思ってしまう。と同時に自分の幼い頃の映像とだぶるのである。小学校四年の頃か、朝刊の配達のアルバイトをしたことがある。どうしてもこずかいが欲しくて親にも言えずそれなら自分で稼ごうと思った。当時の月収は7,000円だった様な気がする。朝四時に起きて冷たい空気を顔で切りながらチャリンコで販売店までいくともうそこは男たちが喋らず黙々と裸電球の下で仕事をしている。ただ聞こえるのは新聞の切れる音と店長の咳払いのみである。自転車で配達出来るのは中学生からであり、小学生ごときはいわゆる昔ながらの新聞配達の少年の姿で小走りに手際良く配るのである。分厚いチラシ入りの日は嫌だった。何しろ重い、肩に紐が食い込む。雨の日はもっと大変である。入って早々大雨の日に悲劇は起きた。新聞紙のバランスが悪かったのか体の後ろから全部滑り落ちてしまった。新聞紙は雨に濡れてびしょびしょである。一瞬頭の中が真っ白になり、ただ呆然とする自分がいる。店長と従業員の二人が飛んできたがほとんど配っていない今日の朝刊がびしょ濡れになり民家の軒先に無造作に積んでいた・・・それをするのが精一杯であった。俺は泣いていた。ずぶ濡れになり泣いていた。店長は笑顔で「泣かんでええ!心配すんな。」もう一人の若い従業員も笑いながら「気にせんでええ」二人もずぶ濡れになりながら後かたずけをしている。それから二人は他の販売店を必死に回って枚数を確保してくれたのだ。嬉涙がまた流れてきた。小学校四年といえども人の情は心に浸みるほど解るものだ。それから約三年間、最年少の私は店長を始め皆に可愛がってもらい、我が息子のように接して頂いた。辛くても続ける事ができたのは、今から考えると仕事はやはり上に立つ人間の魅力で好きにもなれるし嫌いにもなると言うことだ。人生が大きく変わってしまう。小さな下町の新聞舗のオヤジさんは今でも元気に老体に鞭を打って頑張っておられる。そう魅力のある人間はやはり顔がいいものである。
2007.11.22
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます今年の11月から"家族の日"とやら、ちょっときな臭い日が出来る。もちろん祝日ではなく、11月22日か11月23日あたりが有力とか、今月のことなのにまだ日にちも決まっていないとはやや失笑してしまう。少子化対策、家族団らん、地域行事への参加などに積極に参加して欲しいと言ういわゆる官製記念日である。確かに家族団らんなどは死語に近く、家族でそろって夕食をする家庭が少ないのも事実で、私が驚いたのは1月1日に全員家族がいるのにかかわらずそろわない家庭が40%もいるらしい。なぜこんなに殺伐としてきたのか・・・。私の考えではおそらくコンビニの出現あたりからどうも胡散臭い。24時間営業、365日無休、それにつられて大手スーパーが元旦から店を開け出す。それを見た百貨店がまたまた2日からあけ出す。もちろん店が開いたら従業員は仕事に出なくてはならない。そこまでして家族を犠牲にさせるスーパーや量販店の罪は大きい。某大手スーパーなどは、我社はいかにも環境にやさしい、地球にいいことをうたっているが実際彼らがやっていることは全く正反対のことをいかにも正しいかのように言っているだけで一日中電気をコウコウと照らし、冷房をガンガン冷やし、売れ残った物はまだ充分食べられるにもかかわらず惜しげもなくゴミ箱入りである。車でしかいけない様な郊外型の大型店を懲りずに出店している。そんな連中がレジ袋有料化を叫ぶ・・・笑わせるなと言いたい。原価2円のレジ袋を5円~10円で売るらしい。レジ袋で商売するとは片腹が痛い。日本の正月風景を破滅させ、正月の家族の風景を殲滅させた彼らの許し難い大罪である。あるコンビニは24時間営業を辞めることが決まった。採算の問題らしいが、理由はともあれそれの方がよっぽど環境にいいし、青少年の教育上にもいいのである。年中無休、24時間営業などもはや時代遅れの恥ずかしい商法である事がまだ気がつかないバカな経営者がいるらしい。昭和30年代を舞台にした「三丁目の夕日」がヒットしているのも貧しくても、家族に絆があり、人間の温かみが滲み出て皆が共感出来からだろう。もはやこんな時代には後戻りは出来ないがただ日本の美しい文化と伝統だけは守って行きたい。やがて来る官製"家族の日"とやらに苦虫を噛みながら、社会の仕組みに憤懣やるせない、私のささやかな反骨的精神である。
2007.11.16
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます大学の助手時代に共に悩み、励ましあった友がいる。お互い配置された学部は違ったものの同じ学科を出た同期である。彼は恐ろしく頭のいいやつでどんな問題でも理路整然と説いていく。いつも彼の頭の中はどうなっているのかと感心しきりであった。ただ少し世間知らずの所があって時々私を唖然とさせたものである。そんな彼と夕方には集まって今日の授業の反省をするわけだが口を開くと諸先生の批判が機関銃の弾の様に連射され、糾弾する。彼の批判はもっともで私も同調する一人の同志だ。声が大きく、実名がポンポン出るその口先は返って敵をつくり取り返しのつかない事になりかねない。予想は的中し数日後二人は数人の教授に呼ばれこっぴどく叱られたものである。がしかし彼はその"口撃"にはひるまず反撃に出たのである。彼に立ち向かえる理論武装家など誰もいない。教授たちは茹で蛸の様に真っ赤になり激怒した。彼は助手歴12年、この大学を知り尽くした男である。相手の客論を撃破する爽快感は彼の強みでありまた弱みであった。また12年間助手に甘んじている意味もそこにある。要するに上から見れば出来すぎて可愛くないのである。正倉院の古代の染織を復元したり、古代ペルーの貝紫の染料の研究など助手といえども日本で彼の右に出るものはいない。しかしこれほど出来る男を世間は捨ててはいなかった。自ら母校に三行半を叩きつけ、自ら沖縄へ行ってしまったのである。数ヶ月後、再会した彼はなんと国立琉球大学教育学部の講師に採用されていた。彼のしたずみの苦労を考えると正直嬉しかったもので、数年後、教授に昇格、琉球大学始まって依頼の若さの抜擢であったという。今、染織の研究で世界中を飛び回っている。しかし世の中、捨てる神があれば拾う神あると言うことで人生どんなきっかけで変わるか解らない。毎日の行動を天が見ている、おろそかに生きてはならないと言うことか・・・肝に命じておこうと思う。
2007.11.04
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます田中一村という日本画家がいた。知っている吾人もおられるかと思うが私はこの田中一村と言う画家に異常な興味がある。今から約20年ぐらい前に偶然にも一人の記者によって脚光を浴びる事になる。人は彼を孤高の画家、日本のゴーギャンとも今では呼ばれるが、そんな生易しく簡単に彼の生涯を語る事はできない。明治41年に栃木県に生まれ、彫刻家の父を持つ彼は幼い時より実力を発揮、神童と呼ばれ東京美大に入学、同期にあの東山魁夷がいた。しかし一村は家庭の事情で3ヶ月しか在籍していない。ここからの彼の生きざまが凄まじい。中央画壇や友人との絵画の激論でことごとく絶交していく。若い頃から自分の才能をひたすら信じ、アルバイトをしながら両親、病人を養ってきた。絵を描きお金がなくなるとまたアルバイトに精を出す繰り返しで、結局何度と日展に出品するも連続で落選する。飢えと闘いながら自分の信念を押し絵をひたすら描いてゆく。彼は50歳になって奄美に移住することになる。ただ一人で・・・トタン屋根の小さな借家を借りて大島紬の染工として働きながら・・・そして69歳で生涯を閉じる。誰にも看取られずに・・彼は生前語っていた「紬工場で、五年働きました。紬絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き者と云われる程働いて六十万円貯金しました。そして、去年、今年、来年と三年間に90%を注ぎこんで私のゑかきの一生の最期の繪を描きつつある次第です。何の念い残すところもないまでに描くつもりです。画壇の趨勢も見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず只自分の良心の納得行くまで描いています。一枚に二ヶ月位かゝり、三ヶ年で二十枚はとても出来ません。私の繪の最終決定版の繪がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、畫の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せる為に描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから。 そして、その繪は全部、又奄美に持ち帰るつもりでもあるのです。私は、この南の島で職工として朽ちることで私は満足なのです。私は紬絹染色工として生活します。もし七十の齢を保って健康であったら、その時は又繪をかきませうと思います。」同期でありながら東山は日本画壇の大御所になり、一方は己の信じるがままに貧しいながらも生涯走り向けた。一村は没後3年にしてようやく世間に認められる様になる。果たしてどちらが画家として幸せだったのか・・・我ら凡人には一概には判断出来ないが一村の様に周りに流されずただひたすらに日本画に打ち込む人生もまた趣があって良いのではないか。http://www.cc.toin.ac.jp/MA/orgn/tanaka/index.html
2007.11.01
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます草木も眠る丑三つ時、青い軽トラのエンジンがけたたましくなる。オイル切れかエンジンのカネキリ音がやたらとやかましい。恐らく半径50メートル内は騒音で悩まされていたに違いない。今から蛸やのオヤジが昨夜の安い酒の匂いも切れず長靴と腹巻姿で中央市場へ出勤である。この50歳ぐらいのオヤジが近所では名も知れた通称「蛸やのオヤジ」で、この辺りではちょっと名の知れた悪オヤジである。もっとも皆は「蛸やのオヤジ」とは呼ばず、「タコ」「タコ」と呼んでいた。このオヤジ昼間から二級種の安酒を飲み、一日中タコの様な真っ赤な顔をしていた。仕事をしては喧嘩して辞めさせられたり、仕事がキツイといっては辞め、なかなか永続きしなかった。何故か今の仕事は珍しく続いている。どうも仕事が蛸の納品だった様で、それから「タコ」と呼ばれるようになった様である。気性が荒い性か、よく夫婦喧嘩や子供を暴力で痛めつけていた。パチンコ、競馬、競艇などは熱心に足蹴なく通うが当然ギャンブルで金儲けなど出来るはずはなく、いつも奥さんはお金で苦労していた。我が家に来ては泣きながら相談し、いつも母親に慰められていた事を覚えている。そんな「蛸やのオヤジ」はギャンブルでは飽き足らず近所の後家さんにまで手を出してしまったが、その噂が広がる頃には奥さんも堪忍袋が切れたのか、かなり歳の若いツバメをつくり、家を出てしまったのである。残された子供が悲惨である。「蛸やのオヤジ」と残された二人の子供の生活は涙なしでは語られないとよく母親が言っていた。ところが天罰とは恐ろしいもので数年後、「蛸やのオヤジ」は深夜、ワンカップ酒を飲み信号機の前で青になるのを待っているところに車が猛スピードで突っ込んできた。皮肉にも飲酒運転である。昔そんな事があったと思う程度だったが最近この話を思い出すたびに、やはり人間晩節を汚さず綺麗に生きたいと思うことがひしひしと心に感じるのである。その後子供たちは親戚に引き取られ立派に育った。一人は有名なお店の料理長。もう一人は大手のスパーの役員で活躍されている。なるほど親は無くとも子は育つとはなかなかの名言ではないか。
2007.10.31
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます今、世間では嘘の賞味期限やの偽装産地表示で大揺れである。まぁ欲も懲りずに次から次へと出くるもので一度嘘を付くとどうしても嘘の上塗りになり、最後には八方ふさがりになり結局、テレビやマスコミの前で醜態を見せることになってしまう。私自身、産地偽造や嘘の内容表示は許すことは出来ないし、"本物""正直"な物を作っている業者に同情してしまう。ただ賞味期限に付いては嘘を表示することはいけないが、自身あまり賞味期限を気にしたことがない。あまり見ないで食べてしまうことが多いのだ。業者のことだから食べれると分かっていても2~3日短めに表示していると勝手に思いこんでいる節がある。もっとも、納豆や漬け物などは新鮮な物より賞味期限が過ぎたころの方がおいしいのである。そう考えると、少し賞味期限に関してはややもすれば過剰反応の様な気がしないわけでわない。昔は生鮮食料品には賞味期限など書いてはいない。少し古くなると、もう個人の感に頼るしか他はないのだ。色、艶を見てこれはおかしいとか、臭いをかぎ、これはやばいとか、口に含み少し変だぞと思うと食べることはしなかったし、反対に異常がなかったらいくら古くなってても胃袋に入っていたものである。それで腹が痛くなって転げ回る事はなかし病院にお世話になることもなかった。言うならば昔の人間は"五感"が皆、異常に発達していたのだ。その点、現代はあまりにも表示を気にしすぎて人間本来の"五感"がもはや衰えてしまったのかも知れない。暴論だが賞味期限などあまり気にすることはない。それよりも自分自身の"五感"を鋭く磨く事を勧めたい。あまり業者のいい加減な表示に振り回される事なく、まずは己の"五感"磨き、信じる事である。
2007.10.26
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 すべての写真の著作権はCAROLにあります。個人で楽しむ以外は無断使用を禁じます数年前、仕事の関係で四国の今治に行くことになった。四国の仕事は楽しい。魚はうまいし、人情が豊かである。例により夜10時発のフェリーを神戸から乗るわけだがどうも駐車場の車がいつもと比べて様子がおかしい。黒や白い最上級のベンツが多いのである。その車を取り巻いている人物も人相がいいとは言い難い。四国で総会でもあるのかと訝ってはみたものの数十台の最高級ベンツはそれなりの壮観さはあるもので、我がポンコツ車も粛々とベンツに混じって乗船する。デッキに出て潮風に当たって周りの風景を眺めていると、どうも近辺にいる人物はかたぎの者ではない事が解る。見るからにその筋の者である。楽しみにしていた四国の仕事が初っぱなからこれでは居たたまれない。早々に部屋に帰り風呂に入ることにしたが、イヤな予感がなかった訳でもない。確かに脱衣場は誰も居ず、まだ奴らは入ってないなと睨んで浴場に入ったがすべては甘かった。50人前後の極道が目に入った。全員が全身入れ墨である。まだ20代前後の若衆は線だけで迫力に乏しいが若頭位になると般若、鯉の瀧登り、登龍など強烈なインパクトがある。入って回れ右も出来ず、至って顔は冷静を保ちつつ正直、内心辛いものがある。普通のすっぴんの素肌は私ともう一人位でお互いに浴槽の隅に身を寄せ、伏し目がちの自分がとても情けない。カラスの行水の如く慌てて風呂から出ていったものだ。部屋に帰ってから独り言のように「あんなん入れたらあかんやろ・・」「かたぎが迷惑や・・」「今度からもう乗らんぞ・・」と一人、粋がっていたものの所詮、負け犬の遠吠えである。「大和小野子の行く末は、赤き衣か、青き衣か」彼たちの末路である。・・・もう同じ乗船はまっぴらである。
2007.10.24
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 今も鮮烈に残っている。初めてポラロイドカメラを見たときの衝撃だ。小学校の秋の遠足の頃だからかなり昔の出来事である。それは紅葉の盛りの奈良公園を我らデキの悪い一団が屯しているときに"事件"は起こった。おそらくアメリカ人観光客の一行だろう。アメリカ人という確証はないが当時は外人と言えばアメリカ人しか私の頭では想像は出来なかった。その陽気なおばさまグループがニコニコしながら私たちに近よって来た。どうやらこのカメラで写真を撮ってあげようと言っているらしい。黒く、大きく、ロボットの様な形はどう見ても普通のカメラには見えない。外人と"会話"している我々を目敏く見つけ、他の連中や担任まで集まりだした。ピカ!とストロボが光った途端、カメラの横から黒い紙を引っ張り出したもののもちろん意味が解らない。得意満面のそのおばさんはしばらくして、徐に黒い紙を捲った。ただの白い紙が徐々に画像が浮かび上がってきたとともに「ウォー!」と、歓声とも奇声ともいえる声があがった。おばさまは得意満面の笑みで自慢しているようにもとれる。まるでマジックを見ている様な感覚であり、何か不思議な気分になったもので、一番後ろにいた先生はすでに生徒を押しのけ最前列にいる・・。「これがポラロイドカメラだ!」「すぐに写真になる」「コダックだ!」と訳の分からない事を自慢げに言うが多分自分も初めて見たに違いない。おそらく一番奇声を発したいのはだれあろうこの先生だったかも知れない。
2007.10.21
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館大和川は今年もワースト1の川に落ちぶれてしまった。大阪と堺の間を流れるこの一級河川は奈良の飛鳥川を支流に持ち、古代から船での人物往来の盛んな川であった。もっとも柏原あたりから堺にかけての河川は江戸時代に付け替えられたもので比較的新しい。古代は柏原から北に折れ大阪の平野を通り生野あたりから河内湖に注いでいた様である。現在の平野川が旧大和川である。実はこの”新”大和川、昭和40年代までは非常に綺麗な天井川で中州も美しくゴミなどは落ちていなかった。我が一家総出で、その大和川を自転車をこぎ、ブリキのバケツを持って目指すのである。目的はシジミである。当時は河口近くの堺あたりはシジミの宝庫であり、一時間ほどでバケツ一杯になったもので、我が家庭ではシジミ汁は比較的たやすく口にする事ができた食材であり、器に山ほどシジミが盛られていた事を憶えている。「シジミは体にいい・・体にいい・・肝臓にいい・・」と母は念仏を唱えるように言っていた。今では、もうそんなことすら想像できない川になってしまった。信じられないことに汚染の原因は家庭内排水、下水道の普及率の低さからである。ところで東京の人はシジミ汁のシジミを食べないとか・・・。それの方が粋がいいのだろう。しかし我が家では箸の先できっちりとほじくっている。ケチくさいと言われてもいいのである。そんなことより、おいしいし、何よりもったいないではないか。
2007.10.19
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館阪神大震災のすぐ後か、一羽の文鳥の雛を買い求めた。ペットショップで文鳥の生まれたての可愛い姿を見ていると一羽の、がさつな雛の目が私を追っている。衝動買いと言うべきか、その愛らしい姿が震災での心の痛手が救われそうな気がしたからである。毎日のスポイドでの餌やりは私の日課になった。日に日に成長する姿は楽しく、すっかりこの雛の虜に成りはてるのである。文鳥の名前は「ピー助」雄である。このぴー助、成鳥すると全くの私の可愛い息子になってしまった。羽根はビロードの様に美しく、体型はこれが文鳥の見本の如く均整がとれている。このピー助、非常に忠誠心が強く、「ピー」と呼べばどんな所に居ても私の肩に止まる。一度、窓から抜けだし、庭の木に留まって居たときは半分あきらめかけていたが「ピー!」と絶叫するとこれがなんと戻ってくるではないか。それは嬉しかったものでその後の異常な可愛がり方が分かるというものである。そんなピー助も晩年は飛ぶことも出来ず何時も私の手に握られていた。それから数週間後、約7年半の生涯を終える事になる。早春の早朝、誰にも看取られず落鳥しており、その姿を見ると自然と涙が流れてきた。感謝の気持ちと寂しさである。庭に埋めてやり目立つように自然石をおいてやった。今でもその自然石を見るとピー助との楽しかった日々を思い出す。たかが文鳥と言う事なかれ、命あるものはどんなものであれ別れは辛いのである。
2007.10.18
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館昔、住んでいた近くを仕事帰りに車で通ると「あっ・・まだパン屋さんがある」と嬉しさと同時にやたらと懐かしい想い出がよみがえって来たのだ。随分と昔のことである。それは日曜日の早朝になると友達の馬のえーちゃんと近くの中小のパン工場にカラの大きな紙袋を持ち自転車をぶっ飛ばす。目当てはパンのみみである。その工場は平日は食パンだが日曜日に限って特別なパンケーキも作る。イチゴジャムをカステラの様な生地で包みそれをパンでさらに包む。仕上げの時にその左右のみみが多量に出るのだ。味は出来たてのせいもあるが甘く、口の中でとろけそうな感があり、特にイチゴジャムの甘さは幼い私を虜にしてしまった。我々はそのみみを食べたいが為にパン工場に走るのである。60センチ×30センチのトレーには焼きたての柔らかいパンのみみが大盛りに積んである。トレーの数は5~6ヶはあったような気がするがその大盛りが10円で分けてもらえたのだ。カラの紙袋が満杯になりそのみみを囓りながら馬のえーちゃんとこの上ない笑顔で高級な味を味わっていた。母親はこの行為をあまり好まなかった様で、近所の手前もあるのだろうがそんなことは私には全く関係のないことである。ただ馬のえーちゃんは両親の至上命令で必ず手に入れなければ可哀想に親の罵声を浴び、へたをすると鉄拳を食らう事になるのだ。えーちゃんの笑顔の中には今から思うと複雑な意味があったようでそれを考えると今更に胸が痛む。ちなみに文句を言いつつ、おいしい、おいしいと人一倍食べていたのは誰あろう我が母親であった。
2007.10.17
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館この週末は辛かった。カレンダー撮影や野外の公園、海での撮影と右往左往していた。一度撮影に入ると休憩どころか昼食にも口に入らない。それに対して不満などない。お客様のために身を粉にして働く事はこの上ない喜びである。しかし夏の疲れが出てきたのも事実で毎日栄養ドリンクのお世話になっている。もう十年ぐらい昔になるか、八千代町奥深く撮影に行ったときそこに小さな村落があった。石垣に囲まれた昔ながらの風情のある母屋はなぜか時を越えて懐かしさを憶える。その年の夏は雨が多く、この日は珍しく晴れていた。石垣にカメラで覗いているとなにやら動くものがあるのだ。まさか石が動く訳はない。よく見ると石垣の間に巨大なマムシが住み着いていた。これがなんと一カ所だけでなく至る所に石垣の隙間に屯しているのである。こんなにたくさんのマムシを見たのは初めてとあってあわててそこの家人に知らせると穏和な血色の良い顔の老人が何事かの様な態度でゆっくりと出てきた。事情を知ると笑ったように「今年は雨が多いからなぁ・・・水気のない石垣で生活してるんや・・」老人は釜で一匹のマムシを石垣から引っ張り出し釜で腹を割いて肝を取り出し生で飲み込んでしまった。「元気になるし、精力絶倫になるで・・」不敵な笑いを浮かべながら私にも"一匹"勧めたが有り難くお礼をいい断らせて頂いた。肝のないマムシの肉を持って帰れとしっこくいわれたが私にはそんな肉を食べる習慣はないのである。そんなことを思い出しながら、ホトホトと今年の疲れを感じ、当時の老人 が言ってたようにマムシの生肝でも飲めば一発で治るとは思うが、なにせ意気地がない私の事ゆえ市販されている赤マムシ擬きのドリンクで十分である。
2007.10.16
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館男とは涙を流すときは親が死んだときだけだと母親から小言のように言われ続けていたが実際そんな強固な根性の男などいない。実際に親から言われると言うことはこの上もない泣き虫だと言うことである。幼い時はおもちゃを買ってもらえず泣き、青年時代は恋に泣き、大人になると仕事で泣く。なんと男というものは涙もろい事か。ところが最近は特に涙腺が緩くなっている。心に打つ事があれば一発で、それは悲しい事だけに限らないし吉本新喜劇でも涙腺がゆるむのである。どうやらこれは母親の遺伝かもしれない。母親はよく藤山寛美の舞台をみて涙を流している姿をこれとなく憶えている。特に「人生双六」が大好きでよく人生の悲哀をバカ息子に説いていた。それは仕事に失敗した二人が五年後に再会する話である。絵に描いたように一人は会社の社長に出世、寛美は人生の底辺を味わっていた。しかしこの芝居の良さは社長が何とか寛美を助け出してやろうと手を差しのべる姿勢だ。母親はこの社長の心が好きだった様である。よく心情を察し、涙していたものだ。人間、少しお金を持ち出すとややもすれば傲慢になる。その心をいさめているのだ。もう恋などで涙を流す事はないけれど仕事などで義理や人情を忘れた人間に出会うと怒りの涙よりなぜか哀れみの涙を流すのは歳のせいかもしれない。
2007.10.10
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 今年の夏は暑かった。当然水分補強と成るわけだがなぜか今年はラムネやサイダーなど少しレトロな飲み物を多く飲み干した気がする。ライムの味がほんのりするラムネは好物の一つで瓶の中で涼しげに転がるガラス玉の音は一時の冷を呼び、そのガラス玉を見ながら遙か昔の子供の頃を思い出すのである。あれは半ドンの土曜日、小学校が終わると昼ご飯もそこそこに机の引き出しからビー玉を袋一杯に取り出す。それを握りながら近くの公園と走るのである。もう悪友が集まり4~5店の露天の"店"を出している。露天の店と言っても地面に穴をランダムに10ヶほど掘ったよほど店とはほど遠いもので、ここでビー玉の商売が始まるのである。多いときでは20人前後が店を出す。もちろん私自身も店主になるわけだが、たかが子供のゲームといえども見た目には穴だらけの公園は壮観である。ライン上からイッキ玉で穴に入れるだけのなんと単純なゲームだが穴に入らなければ店主に奪い捕られる。穴には大小あり入ればジュッキ玉、ニジュッキ玉がもらえる。ルールが単純明快なだけにハマると結構これがおもしろい。ヒャッキ、ニヒャッキと一日で稼げる醍醐味は子供心にも興奮するものがあった。スルメを囓りながら、日が暮れるまでやったものである。そんな他愛もない事をラムネの玉を転がしながら汗を拭き拭き思い出すのである。ちなみにラムネの玉にならなかったものをB玉、ラムネの玉になったものをA玉と呼ぶ。我々は幼い頃からラムネの玉にお世話になったのである。
2007.09.27
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館この時期どこも運動会でにぎやかである。子供たちの必死で走る姿もさることながら親御さんたちのご子息に贈る声援はそれ以上のものがある。なんと微笑ましいひとときか・・・。時代は変わって、昔も親の気持ちの入れようも凄かったものだ。何しろ子供が多かった。運動会の場所取りだけでも近所のオヤジたちがゴザを脇に抱え、早朝のまだ夜が明けない町へと消えていく。もちろん、校門などこんな時間に開いているわけがない。オヤジたちは一斉に学校の塀をよじ登る。広々とした運動場のトラックの最前線にゴザを2~3枚、また近所の人の為にとゴザを次々と引くのである。バカ息子の為にである。塀を越えて場所取りをするこんなオヤジたちの悪行にも誰も文句は言わなかった。なんとのんびりした世の中か。勉強の出来ないバカ息子が一年で一回だけの晴れ姿なのだ。男連中は靴、靴下を脱いで裸足で走るという暗黙の掟があり、裸足で走るこそ男の証なのである。靴を履いて走るのは決まって学業優秀なお坊ちゃんたちで密かに心の中で軽蔑した事を憶えている。待ちに待った昼食は家族や親戚、近所のオヤジなど重箱のご馳走やおにぎりをほおばりながら他愛もない話に花が咲く。親がいない子供なども一緒に輪に入れ、オヤジたちは決して寂しい思いをさせなかったもので、自分の子供以上に愛情を注いでいた。今は昼食になると児童は教室で給食を食べ、親たちは親で弁当をつまむらしい。いろいろの配慮からと聞くが大いに疑問がわく。ご馳走が済むとなぜか青いみかんがおやつに配られた。今年初めて食べるみかんが運動会で食べる青いみかんであった。あの甘酸っぱい、皮のむきにくい青いみかんの味は果物に飢えていた我ら世代の永遠に忘れられない想い出の味である。
2007.09.27
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館最近どうも政治家とは滑稽な動物に見えてくる。まるで金銭感覚の程度は幼稚園児並 みと言わざるを得ない。単なる事務的な記載ミスで済まされるのか?そんな曖昧な事で許されるのか・・・庶民感覚からすれば誠に厚顔無恥の恥知らずな事である。日本人は昔から恥をかくと言うことがどんな事にも情けなく惨めだった。何よりも恥は屈辱である。最近はどうも恥などをかくことを何にも思わなくなった様だ。給食費の未払い、家賃の滞納、払える生活をしながら払わない。気にくわなかったら学校に乗り込む。義務を果たさず権利ばかりを口にする。恐らく悲惨な事ながらこんなバカ親に育てられた子息こそいい犠牲者である。また国費を湯水のごとき使っている能なし議員も同じである。一円単位の領収書を出すことがそんなに面倒な事なのか?歳費領収書をコピーし二重計上している全く知能程度が希薄な国会の虫どもがなんと多いことか・・。今の世の中の乱れ方は単発に興った者ではなくそれぞれがリンクしている。その原因が何かは分からない・・。’80年代以降のテレビゲーム世代か、`90年代後半の携帯電話世代か・・。低俗なマナーしか持ち得ない大人がなんと多いか。金でしか物事をはかれない愚かな人格はいずれ人が離れて行くだろう。そんなに金が欲しけりゃ一杯、懐に札束ねじ込んであの世とやらに行くがいい・・・そんな「恥知らず者」はエンマ様が心からお待ちである。
2007.09.07
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長い期間お休みさせていただきました。また新たに101章目を初心に戻って書き始めたいと思います。写真もワンちゃんに限らずいろんな写真をアップしていきたいと思います。
2007.06.26
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 祝100章最近の都会では余り雪は積もらない。昔は都会でも一年に二~三回は薄く雪化粧したものだが温暖化の為かさっぱり積雪は無い。そんな底冷えする早朝によく大人たちが道の隅で”とんと”をしていたものである。焚き火の事である。祖父が生花業を営んでいたので燃やす材料は困らない。”とんと”の回りには常に4~5人の男たちが、ぱちぱちと松脂の弾く音がする燃え盛る炎の回りを取り囲み、暖をとりながら昨日の野球の事やプロレスの試合の事など朝っぱらからどうでも言いことを興奮気味に喋っているのだ。長嶋がどうして打たないのか。とか、城之内がこうじゃとか、まるで評論家顔負けの詳しさである。幼い私もその輪に入れてもらう。このなんともいえない家族的な雰囲気がとても好きだった。どうでもいいような世間話に花が咲くのだ。やがて祖母が薩摩芋を3~4個持ってきて”とんと”の燃えている木の下の炭の中に入れるのである。横では七輪の上に乗せた茶粥が鍋の蓋の間から出る白い湯気は寒さのためにいっそう白く見える。こっそり鍋の蓋を開けて中を覗くと茶粥の中に焼餅が5~6個茶粥にまどろみながら踊っている。やがて男たちは仕事場へと行くが、後の”とんと”の管理は女たちが仕切る。いい色に焼きあがった薩摩芋は皮をむかれ適当な大きさに切られ茶粥に中に放りこまれる。しばらく七輪で煮込まれると美味しい美味しい焼餅、薩摩芋入り茶粥の出来上がりである。女たちの世間話も強烈な内容でここに子供が一人いる事を完全に忘れている節がある。朝の慌しい中のひと時の休息の時間なのである。”とんと”は体も心も温めてくれるのだ。通りすがりの人が少し暖を取りそしてまた行く。”とんと”の火種を持って行くおかみさんやら”とんと”の活躍はこの長屋ではすこぶる大きい。今ならすぐに消防署に通報されそうだがその当時は何もかものんびりとした時代でありながら、皆、貧乏ながら目だけは輝いていた事は確かである。お陰様で本日100章目という一つの区切りを書き終える事が出来ました。つまらない話ばかりでお叱りを受けそうですが、いつも楽しみにして頂いている方も居られ大変ありがたく思っております。今後は一週間に一つのペースで書いてゆけたらいいかなとも考えております。また時々覗いていただければ幸いです。
2007.03.01
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館最近デパートの大食堂がほとんど無くなったとの事。我世代には寂しさが募るばかりである。家族で買い物をした後は必ず七階の大食堂へ食事に行ったもので、私は決まってお子様ランチとクリームソーダを頼む。まさに年に二~三回心がウキウキする一瞬である。今から考えれば粗末な物の簡単な組み合わせだが一度にこれだけの種類の物が食べられるのはお子様ランチだけである。我が家での一菜一汁の献立からは夢のような代物で、寡黙なオヤジもこの時ばかりはやけに多弁になるのだ。ウェイトレスの紺の制服に白いエプロン姿がやけに清潔に見え、機敏に動き回っている。お子様ランチのライスの上には必ずアメリカの星条旗が刺してあった。訳は解らないし、何も疑問ももたなかった。しばらくして、突如日の丸に変わったが別に不思議な事だとも考えなかった。どういう経緯があったかは知らないが胃袋に入る幼い私にとってはどちらでもいい事である。皆、喋らず黙々と前のご馳走を食べている。親父は決まって中華そばに親子丼である。母も何故か中華そば、姉はオムライスとほとんど毎回メニューは決まっている。祖母が来ていたらおそらく"まむし"を頼むだろう。まむしと言ってもあのマムシではない。うなぎをまぶしているいわばうな重の事である。大食堂ののいいところは何でも好きな物が注文でき食べられた事に尽きる。昨今、個人の嗜好も変わり浅く広くよりも専門店の方が人気が有るのも仕方がない。確かに大食堂全盛の頃は順番を待たされたものでそれだけ皆が大食堂には魅力が有ったのは確かである。クリームソーダの強烈なグリーンの色に舌を染めながらクリームとソーダーのいわばどう考えてもミスマッチングの飲み物を美味しいと飲んでいた。そしてお土産を買って帰る。何故か今問題の不二家のシュークリーム、ミルキーを買うのだ。ささやかな庶民の休日の楽しみ方で誰もそれ以上のことは高望みしなかったものである。
2007.02.27
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館 もう何十年も前のことか、悪友と二人で東京に行ったことがある。モナリザの肖像画とパンダのカンカン、ランランがどうしても見たくて二人で格安の夜間バスに飛び乗った。モナリザなど我々には滅多に見れる代物ではないし、パンダも上野でしか見られない。二人はバスの中では精神的に高潮し美術評論家、パンダ評論家と変貌する。乗客が寝静まった夜中、走行中に隣の悪友が指でツンツンと横腹をつついてくる。「オイ・・・オイ・・・」小声で囁いている。悪友の目は大きく、ギラギラしており何かを私に伝えたい表情である。耳を口元に近ずけると「オイ・・・後ろのシートに横になっているオンナ・・・。」ゆっくり後ろを振り返った。確かに女性が横たわっている。「??・・・・あっ!」二人は目を見合わせたのである。二人はこの後やがて笑顔と歓喜に酔いしれることになる。我らのアイドル、女優の「宮下順子」である。この名前を聞いて"ニャ"とした吾人は青春時代"お世話"になった方であろう。当時全盛を極めていた「日活ロマンポルノ」の人気女優である。ちなみに私は「片桐夕子」の方が好きだった。理由はさて置き、バスは東京の八重洲口にもうすぐ到着する。それまでにサインを頂かなくてはと二人は手のひらに油汗を掻きながらスケッチブックを取り出し、いいタイミングを狙っていた。バスから降りた瞬間にスケッチブックを差し出した。気さくに笑顔で書いて頂いたサインはまさしく「本物」であった。その白き細い指先に二人は一瞬の夢心地を味わう。「東京へ遊びにきたの?」「気をつけてね」二人はもう硬直状態で頷くばかりであり、ただただ去り行く後ろ姿を拝むのみであった。人に揉まれながらのモナリザ鑑賞、立ち止まることを許さないパンダ見学。結局、パンダのお尻しか見えなかった。だが偶然にも格安深夜バスに乗り"女神"の素顔に触れられ随分と好印象を受けた。元々ファンで有った悪友は益々強烈な大ファンになり以後、せっせと映画館に通う日々が続くのである。
2007.02.22
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館庶民の味、鯨肉が食卓から消え去り久しいが未だに鯨肉の味を想い出す。牛肉は高く、肉といえば鯨だった。どこの市場にも一軒や二軒は「くじら」の専門店は有ったものでいつも奥様方で賑わっていたものである。真っ赤な巨大なサイコロ状の肉塊を店のオヤジは巧みな包丁さばきで切り落とす。母が鯨肉を買うともう我が家の夕食は「ハリハリ鍋」である。鯨肉を細かく切り落とし、沢山の水菜を鉄鍋で炊く。はるかに多い水菜にところどころ鯨肉が見え隠れしている。味は醤油と砂糖だけの全くの庶民の味でその「ハリハリ鍋」も最近では死語になりつつあるのは非常に寂しいものがある。飽食の時代、自分の好きなものは何でも食べれる時代だし、たかが鯨肉を食べなくてもどういうことはないが外国の訳のわからぬ屁理屈で鯨文化を絶やすことが非常に辛いものがあるのだ。鯨1頭で七つの村が潤ったといわれるぐらい鯨は捨てるところがなく髭の一本まで有効利用された。外国のように鯨を捕って油だけ絞り取っただけで捨てたのとはわけが違う。最近日本の調査捕鯨で鯨が大量に増えているらしい。そんな事をいくら説明しょうが彼らは聴く耳を持たない。それどころか日本の調査船に体当たりはするは、有毒な酸を投げつけるはまさしく環境保護の仮面をかぶったゴロツキである。鯨が増えているせいで鰯が大量に鯨の餌になり鰯が捕れず高級魚になろうとしている。自然界のバランスが崩れかけているのだ。同じ魂がありながら牛や豚は家畜だから食べても許されるというのはもはや彼らの宗教の考え方でいくら反論しても「ぬかに釘」である。日本も正論ばかりで反論するより、たまには訳のわからない理論で反論すればいい。「牛や羊は高等な動物だ。感情もあり、神様の使いである。食べるのは残酷だ。さっさとやめろ。」そういう気概のある少しずれた政治家、役人の登場を密かに熱望している。ところで、学校給食のときに食べた週一の「鯨の龍揚げ」まるで草履の底のゴムのような固さがあり、噛んで噛んで噛んで食べた記憶がある。お陰であごが強烈に強くなったのは鯨肉のお陰である。
2007.02.19
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館Jリーグセレッソ大阪の本拠地は長居スタジアムである。この長居スタジアムの前身はなんと競馬場であった。競馬場の記憶はほとんど残っていない。地元の反対と革新市政の誕生で地方競馬は次々と消えて行った。長居競馬場も閉鎖されてから数年間は荒れ放題なり格好の子供の遊び場として"地上の楽園"となったのである。コースの中に大池がある。それらもむき出しになり柵もなく自由に出入りできそこには両側にサル山と呼ばれた岩のむき出しがあった。池の周囲は400メートルぐらいの大きさがあったと思う。低学年の我ら二人、どうしてもこの池を縦に横断したかったのである。そう思えば作業が早い。廃材なら回りに捨てるほどありその廃材を集めていかだを作ることにしたのだ。学校が終わると自転車でサル山の隠れ作業所へと行くのである。なぜかこんな事には夢中になる。三日ほどでやや小ぶりのいかだは完成したのである。見るからに危なっかしい作りであるがそんないかだでも水に浮くと言い知れぬ嬉しさがこみ上げてくるものがあった。いかだはほとんど水の中に水没しており、二人は靴下を脱ぎ、ズボンをまくった。長い木の枝を拾ってきて櫂にする。いよいよ出航である。もはや我々はまぎれもなく"海の男"である。いかだは静かに進むがどうも全体の縄の縛りが緩いせいか丸太が左右に動くのだ。池の中ほどに来ると見知らぬオヤジが叫んでいる。「なにしとんじゃ!危ないことしやがって!!」こちらは必死の形相で"海の男"を演じているのだ。ところが中の丸太が縄の緩みから抜けそうに成り、やがて抜けてしまった。そうなればもう全体的に縄が緩んでしまいもう手が付けられない。徐々にいかだは分裂し小さくなっていくのである。ゴールは目の前ながら耐え切れず、二人は池に投げ出されてしまった。泳いでゴールに着いたもののそこには見ず知らずのオヤジたちが三人、仁王の様に立竦んでいる。大目玉をくらいオヤジたちの自転車の荷台に乗せられそれぞれの家に帰ったが"冒険家"に待っていたのは母の強烈な鉄拳のご褒美であった。やがて整備は進み今では市立自然史博物館の中の美しい植物園に様変わりし大変な賑わいを見せている。もちろんその池は当時と変わらない姿で植物園の中に鎮座している。
2007.02.17
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館人生いばって生きる必要はない。でも胸を張って生きたいものである。「正直に生きろ」「徳を積め」など小さい頃は陽炎のように漠然としたものにしか感じられなかったがようやくわかる年代になってきた。昔を振り返ってみると今の殺伐した時代ではなかったような気がする。昔が決してすべてが良かったわけではない。ただ人とのつながりは確実にあった。今の感覚では理解しずらい行いも合ったが皆、納得し柔然していた。皆が相対的に貧しかった事も人のつながりを強くしたことも大きな要因だと思う。貧しいながらも皆、一生懸命生きていた我々幼少時代、昔は市内の幹線道路以外は地道がほとんどで家の前がアスファルトに成るだけでも家族中騒然となったものでそれだけで親戚から中古のローラースケートを譲ってもらった。鉄のローラーである。滑るとやたらとデカイ音を出すのだ。今から考えるとこんなもので滑れるわけがない。また当時はゴミ箱といえば木のみかん箱であった。それがブルーのポリバケツになっただけでも人は話題にしたものである。ささやかな事に嬉しさや、面白さを見つけていた。それが徐々に皆が中流になり豊かになると新たな豊かさを求める様になり、人間悲しいかな欲が出、見栄を張る様になってくる。やがて汗をかいて働くことがダサク見え、机の上で金を転がして金を増やす事がまるで素晴らしい仕事のように馬鹿げた錯覚をする輩が出てくる。それは私の僻みかも知れないがもう一度、己の足元をしっかりと見つめて行きたいもので、人間生まれてくる時も裸なら死んでゆく時も裸である。ただ生を受けている限り常に人生「志」だけは忘れたくはなく、心に刻んで生きたいものである。
2007.02.16
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館幼い時、よく腸炎を起していた。冷たいものや少し食べ過ぎると必ずといっていいほど夜中に嘔吐、40度近い熱が出る。そのたびに近くの開業医に自転車の荷台に乗せられ運ばれる。五十前後の恰幅の良い先生とは大学病院以来の付き合いのせいか受診拒否はしない。いつもにこやかに対応してくれるのだ。やはり腸炎である。私の大好きなとても甘い飲み薬をいただく。私はこの薬の味がたまらなく好きでいつも目盛り以上飲んでいたものだ。その先生、決してお金は受け取らない。母がどんなに言っても受け取らない。恐縮しきった母は米搗きバッタの様に頭が床に届かんばかりの礼を何度も繰り返す。現代版"赤ひげ先生"は大学病院を退職され開業医になられた。いつも待合室は満杯状態である。"医は仁術なり"を地で行くこの先生、人望も熱かった様で、私の祖父も自宅でこの先生に看取られて逝った。病気で祖母がこの病院でないと入院しないと駄々をこねた時もやはりこの先生の人柄に寄る所が大きいと思う。祖母は万全の信頼をこの先生においていたのである。祖母はこの病院に希望どおり入院した。母は毎日看病に行っていたが、なぜか叔父の秀ジーがいつも仕事が終わるとそわそわとやって来るのだ。最初は祖母の体が心配で看病に来ていたと思いきや真実はそうではなかったのである。不徳ながら、ある看護婦さんがどうやら目当てらしい。その独身看護婦さんがいたって気に入り毎日、毎日やって来るのだ。母から聞くと、どうやら告白もしたらしい。プレゼントもかなり渡していた様である。そして指輪も渡して、二人はお似合いのカップルかと誰もが認知していた。もはや結婚かと言われたときに突然病院を辞めてしまった。秀ジーは全くその事は知らされていなかったらしい。"赤ひげ"先生も困惑気味で訳が解らない。その時の秀ジーのうろたえは察するものがあるが"赤ひげ先生"曰く、どうやら以前から好きな彼氏がいたらしいとの事、秀ジーは二股を掛けられていたのである。可哀想な秀ジーは親戚中から非難、罵倒をされ一気に肉体的、精神的にやつれはててしまった。貯金をはたいて好きな女性に貢いでた秀ジー、祖母は退院後、益々元気になったが反対に秀ジーはこれを境にしばらくは女性恐怖症になったのはまぎれもない事実である。
2007.02.15
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる! 関西初!CAROLはワンちゃんの写真館通称「黒田の悪ガキ」がいた。年は2歳上である。この悪ガキ、万引き、瓶のパクリ、喧嘩、果ては小金まで盗むという手の付けられない子供で時々警察のお世話になったこともある。おばさんがよく近くの警察に引き取りに行っていた。家に電話が無いせいかいつも我が家に警察から電話がかかって来る。おばさんは勝手に我が家の電話番号を警察に預けていたらしい。家は裕福ではない。おばさんは働き者で朝早くから石焼いもをリヤカーで売りに廻っていいる行商である。オヤジもいるにはいるがただいま別居中なのだ。働かないくせに女癖がやたらと悪く、家をほりだされているが懲りずに若い女性と同居中だ。全くおばさんには心休まる暇が無かったと思う。そんなクロちゃんに片棒を担がされた事がある。瓶のパクリである。クロちゃんは年下の私にパクリ方を"伝授"する。酒屋の外に空き瓶が無造作に積まれている。それを早朝にパクリに行くのだ。二人なら一升瓶の10本や20本は軽く拝借することが出来る。それを夕方に2~3の酒屋に分けて返却しに来た様な顔をしながら持ってゆく。すると一本10円が返ってくる。20本もあれば200円、当時の我々の金銭感覚からすれば"大金"である。クロちゃんはこんなところは律儀で自分が多く取る事もせず、ちゃんと折半してくれるのだ。そしてその日に使ってしまう事が大切らしい。私はその100円を使うことなくポケットに入れていたが母に見つかり、問い詰められた。いくら道で拾ったと白状しても、私の泳いだ目を見ると嘘をついているのがまる解りなのである。「怒らんから本当の事言うてみ」にこやかな顔で母は言う。ついその笑顔に騙されて本当の事を白状するや否や連続ビンタ、足蹴り、ほうきで殴られ、まさに半殺し状態にさせられる。悪いことは二度とせぬよう体で"教育"されるのだ。そのクロちゃん、中学校を卒業して大工職人に弟子入りをさせられた。その後かなり頑張った様である。今では独立し、家族仲良く小さいながらも立派に工務店を経営している。
2007.02.13
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる!関西初!CAROLはワンちゃんの写真館ソンちゃんはでこが広く、目が大きくてとても利発な子供だった。学校でも頭が良く、よく学級委員に選ばれていたものだ。そんなソンちゃんが何故か勉強嫌いのこの私とよく気が合いお互いの家を行き来した時期がある。家同士は少し離れているが、市場の中でちょっと変わったお菓子屋をしていた。いつもいい服を着ていた。私みたいに継はぎだらけの薄汚い服ではない。ソンちゃんはよく喋るし早口で無口な私を捲くし立てるのだ。「あそこの冷し飴は美味いとかあそこのアイスクリームは不味い」とか話の中身はいたって他愛もないことである。そんなソンちゃんの家に遊びに行った時、その室内豪華さに驚いたことがある。螺鈿の椅子に机、その机の上にバナナやリンゴが無造作に積まれていた。バナナを見ただけでここは"お金持ち"のレッテルが貼られる時代である。二階建ての自宅の下はお菓子屋である。にもかかわらず店先にはキムチを売っている。当時キムチの食べる日本人なぞ皆無に等しいし反対にその匂いに毛嫌いしていたもので買うのは在日の人である。実はそんなお金持ちのソンちゃんも在日であった。その当時は日常茶飯事に残念ながら在日に差別が有った。でもソンちゃんが我が家のオンボロ長屋に遊びに来ても母は優しくソンちゃんに接していた事を覚えている。母は全く人種に興味がない。人間の価値は"誠と志"で決めてしまう人である。そんなソンちゃんが嬉しそうな顔で母に言っていた事があった。「国に帰るんや」「それはめでたいな・・ソンちゃんも一生懸命お国の為に頑張るんやで」と母も正直、喜びで一杯であった。頭が弱い私は何のことかさっぱり解らない。つまり在日の「帰国事業」である。ソンちゃんも慌しく北朝鮮に家族と共に帰っていった。「地上の楽園」と宣伝し希望を胸に祖国に帰って行ったのである。あれからもう何十年もの昔話であるが余りいい事を聞かない北朝鮮の現実の姿を見るにつけソンちゃんは元気で暮らしているのか・・・要らぬ心配をしながら当時を振り返る昨今である。
2007.02.12
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる!関西初!CAROLはワンちゃんの写真館我が家は皆、韋駄天一家である。運動会になると必ず一等賞だった。その中でも姉は地区代表になるくらいの健脚だったらしい。今では想像も出来ないくらいの体型にはなってはいるが昔の写真を見ると鉢巻を巻き見事な差を着けてゴールをしている。そんな韋駄天も二十歳前に近所に住むカメラマン助手に恋をし、駆け落ちをしてしまったのである。母はともかく何故か父は大反対をしていた。理由は解らない。カメラ助手と言う不安定な職業にも関係していたかも知れない。姉の姿が突然、神隠しのように消え伏せた時、母が涙を流しながらうろたえる姿は今も忘れることは出来ない。夜中にタクシーで、近場は自転車で、立ち寄りそうな場所を探し回っていた。幼心にも正直、姉の心配よりも憔悴しきった母の姿を見るのが非常に辛かったものだ。数日後、ある親戚筋から居場所がわかったと連絡が入った。実は近所の親戚の家に匿ってもらっていたらしい。一番最初に探しに行った所である。「嘘をつかれた!」と父は激怒していたが、いくら引き取りに行っても相手は「居場所はいえん」の繰り返しだった。実はこの相手、母の姉で「はるねえちゃん」と母は特に慕っていた。私にはなぜ姉なのに母を冷たくあしらうのが不思議で仕方がなかったし、妹の子供ならもっと母に優しく接してもいいものをまるで鬼の形相で母や父に対応していたのである。結局、この駆け落ちが功を奏したのか、私の姉はこのカメラマンと添い遂げる事にはなるのだが、これ以後、信じられないことが起こる事になる。このはるねえちゃん、ご主人が中小の鉄工所を経営しており社員も数十名いた。高級車を乗り、はぶりもすこぶる良かった。バブルの時はかなり美味しい思いもしたらしいが、バブルがはじけると一気に会社が経営難になる。借金を重ね莫大な借金地獄に陥ってしまったのだ。もうここまで来ると雪だるま状態である。可哀想で悲惨な事ながら二人、自ら命を絶ってしまったのである。"朝の紅顔、夕べの白骨"とは昔の人はよく言ったもので人生とは実に酷なもので、現世浮世を楽しんでいても一寸先は闇である。ところで皆に迷惑をかけたこの二人、結婚した後も優秀な子息に恵まれ世間並み以上の幸せな生活を送っている。めでたい事である。
2007.02.10
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる!関西初CAROLはワンちゃんの写真館近所に一つ年上のお兄ちゃん、通称「馬のえーちゃん」がいた。四人家族の末っ子で顔が馬のように長かった。このえーちゃん幼い頃、ネフローゼにかかり生死をさまよった経験を持っている。ここの家族と我が家は何故か特別に仲がよかった。母はよく言っていた「えーちゃんは偉い」「えーちゃんはよく働く」本当に中学生ながらよく働くのだ。朝は新聞配達、学校から帰れば夕飯の仕度、掃除、洗濯など毎日嫌な顔をせずこなしていたのだ。ここの家族、母親は全く家事はしないのである。朝から酒に浸り、新興宗教にはまっていた。酒豪のオヤジも働かず毎日二人でパチンコ通いである。パチンコで取ってきたチョコレートやドロップなど惜しげもなく私にくれたものでそんなせいかこの二人には非常にいい印象が残っている。そんな生活なのだからお金などある筈はなく、まさしくトタン屋根で出来た小屋に住んでいた。そんな両親を持つえーちゃんは新聞配達から帰ればすぐに自分のお弁当を作る。アルミの弁当箱に麦飯を入れ、おかずは卵一つの卵焼きだけで、それを新聞紙に包んで学校へと通学する。帰れば親父の二級酒の日本酒を買いに行く。何回か夕食をご馳走してもらったがいつもえーちゃんの作ったおかずである。まだ中学生である。まともな料理など出来るはずがなく、牛筋の入ったチャーハン、牛筋入りのカレーライス、目玉焼きなどたかが知れている。この親に対して少しは働けよとこの私でさえ心に思ったがえーちゃんは、文句の一言も言わなかった。母もそんなえーちゃんを見てこの放蕩息子にも少しはつめの垢でも煎じて飲ませたかったのだろう。母親もえーちゃんは別格に可愛がっていた。不憫を思っての事だと思がそんなえーちゃんも中学校を卒業前に引越しをしてしまった。卒業後印刷会社に就職したとの事らしいが、もう数十年も音信も途絶えている。優しいえーちゃんの事である。きっと幸せな家庭を築いているに違いない。またそう信じたいものである。
2007.02.06
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる!関西初CAROLはワンちゃんの写真館ある夕方に親子ずれの三人組が我が家を訪れ、なにやら一生懸命、熱弁を振るっている。60歳代の小太りな着物を着た女性に中肉中背、髪の毛がやたらと長く、三人とも眼鏡をかけている。二人の娘らしき人物が父と母になにやら説得しようとしているのだ。もう一人の母親は台所に正座し、なにやらお経を上げている。時々お経の合い間に大きなため息を出し、やたらと苦しそうな顔を見せる。「先祖が水をほしがっておる・・・」「ガラスコップに水を入れてすぐに机の上に置くように!」すると娘たちは「ほら・・泡が一杯!御先祖様が喜んでいらっしゃるんですよ!」ガラスコップは当時の我が家では父親のビール用のコップしかなかったもので我ら家族のガラスコップといえばモロゾフのプリンの入った入れ物しかなく、もちろんご先祖様もそのコップで辛抱して頂くのだが、そこは無学な我ら三人、その泡に驚き、思わず合掌してしまった。泡と言っても細かい泡がコップにへばり付いているだけである。今から考えるとコップの中に水道の水を入れれば水の中に酸素が微小ながら入っているもので、それを考えれば細かい泡などコップに付くのは当たり前の事である。それを泡が少ないと供養が足りないと言ってくる。両親はその"怪現象"に驚きになんと入信してしまった。後日、特性のガラスコップとお経の一節が書かれている描け軸が届いたがきっと玳瑁なお金を払ったんだろうと思う。そんな純朴な二人を捉まえては供養が足らん、寄付をしなさい。と迫ってくる。そんな執拗な言葉にさすがの父もなにやらうさんくささは感じていたようで、ある日、母から「寄付をしないとお宅の息子さんは19歳で亡くなる!」聴かされた。聞いた途端、血の気の多い父親は激高し怒り狂ったのである。コップをほり投げ、掛け軸はなんとマッチで火を付けて燃やしてしまった。母は罰が当ると慄いていたが父は平気である。全くその時の父親の顔は無敵戦士のような強さと非常なたくましさを感じたもので、「罰があたるぞ!」とほざいていた連中も父にすれば「ご先祖様が子孫に罰をあてるはずがない。あほか!」まさにこの父親の一言には万人を黙らす説特力があるのだ。ちなみに19歳で旅立つ予定だった私は脂ぎった顔をしながらまだ現世にいる。
2007.02.05
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CAROLが来ると笑いあり、CAROLが来ると楽しいぞ~CAROLが来ると福がくる!関西初CAROLはワンちゃんの写真館兎にも角にもなんと人の出入りの多い家であった。母に人徳が有るのは有難いことだが正直、回りの人間には迷惑な事が多い。家が狭いせいか客人が上がりも擦れはおちおちとだらけた姿を見せることも出来ないし、下着姿でウロウロする事も出来ない。作りたくない笑顔も作らなくてはならないのだ。叔父の嫁が帰ったと思いきや今度は近所の奥様の登場である。当時50歳ぐらいか、いつも和服を着こなしており、子供の目に写るその姿はいつも上品で美しかった。何故か来ると私を見つけては両手で優しく抱いてくれる。少し幼心に照れ臭さはあったもののあの奥さんの上品な着物の匂いは脳裏にこびり付いているのだ。ただこの奥さん、家庭に悩みがあったのかいつも旦那と娘の愚痴ばかりなのだ。上品な口調が段々と汚くなり美しい顔もやがて高潮しついに身振り手振りを入れる始末である。そして最後にはテーブルをたたき出す。非が全くない私の意見の正当性を改めて認めて欲しいのだろう。人の悪口を言ったことが無い母も内心へきへきしていたと思う。いつもなだめては二人で一緒に買い物に出かけていった。経緯のはっきりとした事は解らないがどうやらその奥さんは二号さんだったようで、旦那は前妻と別れ、娘を引き取り再婚したらしい。娘もなつかない。当たり前のことである。いろんな事情があるにせよ苦労を覚悟で奪略婚したのだからその罪は限りなく大きいのである。しかも当時はこんな浮ついた話は一杯あった。近所に住む親戚のオヤジは平気で愛人を連れ、なんと法事にやって来たし、並びのお菓子やの奥さんはどうやら近くのアパートに住む若いツバメと仲が良いと噂になっていた。もっともショックだったのは近所に住む幼なじみの悪友のお母さんが若い男と駆け落ちしてしまった事である。乱れて嘆いている昨今とて昔と同じである。倫理観など少しも変わっていないのだ。悪友の父親が家に来て母の前で大粒の涙を流しながら泣いていた姿が目に浮かぶ。男に悔し涙を流させる女は罪である。
2007.02.04
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皆様に愛されてCAROLは4周年若干19歳の叔父の嫁はお昼時に狙ったようにやって来る。「おね~ちゃん、おはよ~う~」何時ものの挨拶である。買い物籠の中には必ずお菓子が一袋入っているのだ。幼い私が見てもそれほど美しくない女性がどうして叔父が気に入ったのか解らない。上がり込んではすぐに叔父の悪口が始まる。それも毎日よくネタが切れずに喋り事が出来るものかと驚愕するぐらい早口でまくし立てるのだ。持参しているお菓子の袋は開いて一人で食べている。よく一人で食べれるもんだと感心しながら聞き上手な母は時々なだめたりするがエスカレートする一方で全く人の言葉を聞き入れようはしない。他に話題が無いのか、人をこき下ろすことが快感だったのに違いない。この礼儀知らずな小娘の顔を見ると嫌な気分にさせられたもので、母親に何とかしてくれと懇願したが苦笑いするのみである。しかしそんな新婚生活はやはり長く続かず、全くなまなましい話ながら、家に間男を引きこんでいた処を母に見つかり、この嫁の浮気がばれてしまった。もちろん即、離婚である。この悲しい話に密かに喜んでいたのは誰でもなく私で、もうあの嫁の顔を見ないで済むかと思うと嬉しさが体から滲み出てくる事がわかるのだ。可哀想なのは叔父であるがその数年後、私もお気に入りの素晴らしい女性と巡りあい再婚することになり子宝にも恵まれ今では幸せに暮らしている。余談ながら嫁の親戚筋から聞いた話だが離婚した嫁は間男と別れ、数ヵ月後に"医者"と結婚し幸せな生活をしていると聞いた。おそらく全くの眉唾ものであると思うが、それがもし本当の話ならこれほど良いことはない。"医者"といわれる方には多少の同情はするが幸せになって欲しいものである。
2007.02.03
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CAROL下町のせいかそれとも母の人柄かとにもかくにもこの小さな長屋は人の出入りが激しかった。学校に行っているときは見えなかったが、夏休みなどの長期休暇にになるとその凄まじい我が家の一日のサイクルがわかったのである。近所の奥様連中、叔父の嫁、弟の嫁、新興宗教の支部長、内職のオヤジ、町工場で働くにいちゃん・・・それも決して鉢合わせすることなくうまく廻っている。おそらく相手側がうまく調節していたのだろうか、だいたい来そうな時間が決まっているのだ。朝の8時頃には町工場で働くにいちゃんが自転車でやってくる。町工場に入る前のわずか10分程度ながら我が家に寄り玄関先で座る。母の出したインスタントコーヒーをうまそうに飲みながら世間話をするのである。それが日曜日以外毎日のようにやって来る。何をそんなに毎日話すことがあるのか幼い自分には不思議で仕方がなかった。母とにいちゃんの大きな笑い声が玄関から外に漏れていたのは間違いない。ただこのにいちゃん、少し障害があったが非常に明るく、私も大好きな一人だ。小さかった私を見つけてはポケットからビー玉やベッタンなどくれ、可愛がってもらった記憶がある。母は不憫に思ったのかそれとも障害に負けず明るく働くにいちゃんを応援していたのか理由は解らない。にいちゃんはコーヒーを飲み干すと母に礼をいい元気に出勤するのだ。次が来るであろう来客の合い間に家の掃除である。もちろん躾に厳しい母は私を召し使いのように使う。言うことを聴かなかったら何が飛んでくるかわからない。掃除が終りかけに時計で測ったように次の来客がやって来る。叔父の嫁である。私はこの嫁が大嫌いであった。
2007.02.01
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テレビがまだ普及していない頃、映画は庶民の楽しみの一つだった。母は無類の映画好きで特に邦画の時代劇ファンであった。市川雷蔵、大川橋蔵、片岡龍之介など主演の映画が封切られると映画館へ愛車の自転車をこいでゆく。私も自転車の後ろの荷台に乗せられ、草履姿で付き合わされる。映画館に入ると思いきや映画館には目もくれず、斜め向かいの長屋の民家に入り込むのだ。中から若い奥さんがニコニコしながら出てくる。その言葉使いからしてどうやら内の母と友達らしい。母は奥さんと世間話をしながら映画の話をしている。話をしながら切符を二枚受け取る。お金はどうやら払っていないようだ。その切符を入り口で渡して映画館に入るのだがどうやらタダで映画を見ていたふしがある。このやり方、どういうからくりがあるのかいまだに解らない。ただ今のチケットとは違って当時はバスの切符の一回り大きなもので切符には映画の名前も日付けも刷られていなかった様な記憶がある。当時のおおらかな世界が垣間見ることが出来る。映画館に入るともうそこはレジャーランドであり家から持ってきたお弁当、お菓子、など食べながらの鑑賞である。何も気にすることは無く、皆そうしていながら映画を見ている。母は橋蔵が大好きだったようで、それは母のささやかな楽しみでもあったに違いない。一時的に忙しい日常生活を忘れさせてくれ夢の世界に浸してくれる。又明日の活力につながる映画は一幅の清涼剤だったのだろう。今、目を閉じるとカラフルなのぼりが立ち並び、屋根の軒には東西の大御所の似顔絵の書いた看板が額に入れられ派手派手しく並んでいた。やがて時代劇が下火になり裕次郎、旭の世界がやってくる。そして私を精神的におかしくさせたゴジラ、ガメラ、ギララの怪獣映画の一次黄金期が到来するのである。
2007.01.30
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もうすぐ節分がやってくる。さすがにもう豆まきのする年ではなくなったがやはり節目だけに心が凛とする。そして翌日は立春である。豆まきもさることながら、関西、特に大阪では昔から恵方巻きといって巻き寿司の丸かぶりがある。最近になってこの行事、全国区の市民権を得るまで浸透してきた。一時はすし屋の売り上げを考えたつまらない行事と冷たい視線を浴びていた。しかし、これは江戸時代から大阪の船場でずっと受け継がれてきたまさしく伝統行事なのだ。それをすし屋、海苔業者がパクッタに過ぎない。我が家では昔から、祖母や母親は朝から一生懸命巻き寿司を作っている後ろ姿を見ている。何本も積み上げられた巻き寿司を見ると子供心にもワクワクするもので黙って中身の干瓢や卵を抜いて食べたものである。見つかるたびに母親に鍋のふたで殴られる。夕食の献立はお皿に巻き寿司が一本、鰯である。それを黙って恵方の方に向かって丸かぶりする。皆が一方方向に喋らず黙々と巻き寿司を食べるにだからちょっと異様に見えるかも知れない。縁を切らない、福を巻き込むといった理由からか決して包丁を入れてはいけないのである。昔の人は特に節分は正月同様大切にしてきた行事で、正月が一年の節目なら、節分は季節が冬から春になる節目である。邪気をはらう重要な日でもある。最近なにやら恵方の方に向かって笑いながら食べるという誰が考えたかわからない"邪道"があると聴いた。益々不気味な光景ではないか。ちなみに今年の恵方はハンフリー・ボガードの"北北東に進路をとれ"である。
2007.01.27
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幼い頃にはラーメンと言う呼び名が無かった様な記憶があるが定かではない。一般には"中華そば"と呼んでいたと思う。それがラーメンとして呼ばれるようになったのは"チキンラーメン"の出現からだと思う。このラーメンは衝撃的だった。熱湯をかけるとわずか3分で出来上がる夢のような食べ物である。チキンラーメン後、ワンタンメン、サッポロ一番、チャルメラなど各社がそろって新製品を打ち出してきた。その中に余りメジャーでない"王様ラーメン"と言うインスタントラーメンがあった。このラーメンの凄いところはなんと当時、すでにかやくがセットされていたことで、お粗末ながらも乾燥ネギ、蒲鉾、椎茸、麩などが入っていたのだ。このアイデアは幼心にも他のラーメン群を圧倒するだけのインパクトがあったもので、それ以来「王様ラーメン、王様ラーメン」と母親にせがんだものだ。その後"サッポロ一番"のスープに乾燥ネギが入り、"出前一丁"にラー油の小袋が付き出した。それを考えると王様ラーメンの偉大さ、先進性が解る。やがてインスタントラーメンブームがやってくるが、各社大手は"駅前ラーメン"、"長崎ラーメン""大阪ラーメン"など新製品を次々出してきた。それと共にあの王様ラーメンは各社新製品に押され店頭から消えていくのである。この"王様ラーメン"の味が何故か今頃になって懐かしい郷愁を呼ぶ。この幼いラーメン評論家の体を気にしてか祖母と母はラーメンは体に悪いと言い出してきた。世間もそんな風潮であった。祖母などは酷かった。ラーメンは体に毒、石油で出来ているなど、もうめちゃくちゃである。何事でも初めて出る商品には皆、敏感で根も葉もないことを、ありも真実の如く言い出す。そんな祖母や母も安全で美味しいものである事がわかるとちゃっかりチキンラーメンを袋から取り出し、生でおやつ代わりにポリポリとかじっていたことを想い出す。
2007.01.24
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最近"おねえちゃん"にあった。昔の面影が少し残っており、今では孫もいるらしい。このサザエさん似の"おねえちゃん"には幼い頃の思い出がある。長屋住まいで内風呂が無く、近くの銭湯へ母親に連れられて行くのだが、もちろん母親と一緒に女湯へと入る。そこにこの"おねえちゃん"がいるのだ。銭湯で働く女性である。まだ独身でやたらと訛りのある大きな声が記憶に残っている。当時は女湯は赤ちゃんが非常に多かった。お母さんが風呂から上がる前に赤ちゃんをこの"おねえちゃん"に渡す。母親から受け取り手際よく赤ちゃんの体を拭き、木綿のオシメをし、ベビー服を着さす。"お姉ちゃん"の仕事は非常に激務である。そんなおねえちゃんは私のよき遊び相手でよく可愛がってくれたもので、そんな銭湯通いは私にとっては楽しみの一つであり、また遊び場であったのだ。湯船は小さながらもプールと同じ感覚なのである。隠しもってきた水中眼鏡を持ってきては素もぐりの練習である。回りにとっては非常な迷惑小僧である。母親には風呂桶で殴られ、エコーの聞いた大浴場は母親の怒った声で響く。風呂から上がっても脱衣場では走りまわりベビーベッドを飛び越える。とうとう頭にきた"おねえちゃん"私を捕まえて、ベビーベッドの下の脱衣入れの箱に閉じ込められてしまった。子供が一人入るぐらいの大きさであり外から鍵が閉められる。「うちのあほたれどこに行った?」「吉本に渡した」こんなありさまの話が聞こえる。もちろんおねえちゃんはおもしろ半分で閉じ込めたに過ぎないが、当時は吉本に売られるということはもう幼い人間にとってはこれほど恐ろしいことは無いのである。私も高学年になり学校の同級生の女の子と会う時があり、さすがに一緒に女湯の湯船に浸かっているのはバツが悪くその後、慌てて男湯に変わったが私がいる事を知っておきながら恥ずかしがらず、妖しい笑みを浮かべる女の子の堂々とした裸体の姿と美貌のお母さんの裸体の姿は情けないことに、この年になってもまだ目に焼きついている。
2007.01.22
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小気味よく小太鼓の音が町内に響く。トン、トン、トン・・・。独特の節回しのある小太鼓の音を聴いたら、いても経っても居られない。親にせがんでもらった貴重な20円を握り締め、玄関を飛びだす。まるで飛び出して来るのを予感してたかのように家の斜め向こう側にオヤジが屋台を止めているのだ。吉備団子屋である。当時5円で一本の吉備団子が買えた。竹串に刺された一円玉ぐらいの大きさの団子が八つ、それを甘いきな粉にまぶしてくれる。吉備団子自体は今から考えるとそれほど美味しい物ではなかったと思う。ただ甘さに飢えていたせいか甘いきな粉は途轍もないご馳走だった。それを二本、両手にもってこの上ない幸福感に浸るのである。口の回りをきな粉だらけにしながら、残り10円でわらび餅を買う。無愛想なオヤジは子供の目から見てもやや汚い日本手ぬぐいで氷の入った冷水の中のわらび餅を手馴れた感じですくい取り、その薄汚れた手ぬぐいで握り締め水分を逃がす。少し干からびたわらび餅はきな粉、砂糖、ゴマ、青のりの順に4種類の入れ物に分けられる。まぶされたわらび餅は、やや大きめの網目の茶越しにかけられる。私はゴマと青のりが特に好きで、オヤジはそれを見抜いていたのか、いつもゴマと青のりは比率的にきな粉に比べて愕然と少ない。今から考えればヘンコオヤジのイケズではなくきっとゴマと青のりはきな粉に比べ高かったのだろう。そう信じてたい・・。杉皮の笹船にのったわらび餅は色とりどりで視覚的にも美しい食べ物であった。その影響を引きずっている訳ではないけれど時々スーパーに行くとパックに入ったわらび餅を買うがどうも昔のわらび餅の粘りがない。どうやら聞くところによると今のわらび餅はジャガイモの澱粉質で出来ているらしい。なるほど、科学の力は素晴らしいと、いやに納得しながら昔食べた粘りある本物のわらび餅の美味しさを懐かしんで想像していたのである。
2007.01.19
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