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テーマ一覧一通り見て、未熟児がテーマってないなぁ・・・とか思ってたのに、さっき改めて一覧見てたらチラッと超低出生体重児の文字が見えた気が(汗どうしよ、ママン。っつーか、ママはあたしかwま、他のテーマも似たようなテーマ乱立してるみたいだし、このまま突っ走ろ♪前にちょこっと使っていたIDでの日記HPをそのまま流用したものだから、その時にこの存在を知っていた人が訪問してくれたっぽ。某MMORPGで知り合ったんだけど…一部とはいえ、リアル自分を晒すのはやはり照れる(*ノノ)キャ
2004年11月15日
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ウテメリン、マグネシウム、抗生剤、増血剤…さまざまな点滴を打たれたが、なかでもウテメリンとマグネシウムが辛かった。副作用として、心拍数があがるのはわかっていたが、点滴ペースは上限の限界値くらいの高さ。少しでも体を休めようと思っても、苦しくて眠れない。お腹の子に栄養を送って、少しでも育ってもらおうと思っても、食欲がない。無理に食べたら、一旦は胃が受け付けてくれたのに、忘れたころに気持ち悪くなり戻してしまった。氷まくらと、額のタオルを何度も取り替えてもらい、一夜が明ける。入院初日の夜が、一番頻繁にナースコールして、お世話になった気がする。なんとかうつらうつらすることはできたが、寝た気がしないうちに朝が来た。検診の結果、昨夜より容態が良くなっているとのことで、点滴のペースを落としてもらえた。体が少し楽になり、気も軽くなったせいか、この日は一日中、安定していた。このままいけば、26週までもつかもしれない、安静は必要にしても妊娠のまま退院も夢ではない、と手応えを感じる。希望を胸に、その夜は比較的ぐっすり眠れた。入院3日目、前日よりは体が辛かったが、慣れもある上、初日よりはぜんぜん楽だったので、これくらいのブレは許容範囲内だろうと勝手に思い、気楽に過ごした。入院4日目。2日目ほどいい感じではなく、でも3日目よりはいい…まさに2歩進んで1歩下がっている状態だ、と思っていた。朝の診察が終わり、しばらくしてデータの分析が済んだらしく、例の女医さんが来た。なんでこんなに難しい表情をしているんだろう、ただでさえ近寄りがたい雰囲気なのに、余計キツそうに見える…と余計なお世話を内心思う。けれど、告げられた状況はより深刻で、先生の表情が険しいのも無理なかった。抗生剤の投与にもかかわらず、感染の値を示す数値が下がるどころか上がっている―――――。もはや、妊娠の継続は母子ともに危険だった。延ばし延ばしにしていた出産方法を、もはや決めなくてはならない。いや、調子の一番良かった2日めに、一応の結論は出していた。24週なら母体の保護優先で経膣分娩で、25週までもったなら子供が生き延びる方に賭けて帝王切開で、と。でも、それは少なくとも26週まではもつだろうという予想の上で出したとりあえずの判断だった。3日しか引き延ばせなかった―――――。苦しんだことが無駄だったとは思わないけれど、希望に変えるにはあまりにも短い期間。心の中が、絶望の色で塗りつくされていく。お腹の子の死が確定ならば、そして見捨てることができるならば、どんなに楽な気持ちになれることか、とさえ思った。考えてはいけないことも考えた。どうせ生きれない子ならば、次こそはきちんと自然分娩できるよう、傷のない子宮を選んだ方がいいのではないか。仮に生き延びても、障害を負った子を愛せるだろうか。反面、文字通り自分の身を削ってでも、生かしてあげたかった。既に胎動を感じて2ヶ月め、まだまだ小さくてもその生命を体で感じていたから。それに…彼女にはなんの落ち度もなかった。自分がどうしたいのかがわからない。混乱。何を思ったのか、口から出た言葉は「もう一度、小児科の先生の話を聞きたい」。聞いてどうにかなるものではない。改めて質問したいことも特になければ、同じ話を聞いたところで、結論の判断材料にもならない。それでも、先生は来てくれた。再度聞く話。無事に育った実績も、週数が低いほどない。本当にどうなるかわからない、なんとも言えない微妙な週数であることを再認識。逃げの姿勢とも取れなくもないけれど、希望を持たせず、かと言って絶望に陥れないその話し振りを誠実に感じた。「どの道を選ばれても、我々は最善を尽くすだけです」縁のない医者が、頑張ってくれようとしているのに、私がこの子の事を諦めては駄目なんだ。気持ちを立て直した。そして何かの拍子におっしゃった言葉。「少なくとも帝王切開の場合、生まれてすぐに死亡ということはないです」小児科医も、産婦人科医も、経膣分娩だと死亡しやすくて帝王切開だと助かる、というふうに思いこまないよう、言葉を工夫していたけれど、それでもこの情報にすがってみようと思った。「切ってください」手術に向けて皆が動き出してくれる。そして、私のウテメリンとMGのペースは落とされた。
2004年10月31日
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見知らぬ病院にたどり着くと、救命救急センター外来(後でわかった)に運びこまれ、救急車の搬送用ベッドから、病院の搬送用ベッドへ。それはいいのだけれど、家族ともずっと付き添ってくれていた助産師さんとも引き離され、その病院の看護士さんによって産婦人科の階へ。天井しか見えず、ここはどこ?状態な上、独りで心細い。エレベータから降ろされた後、やはりすごい速さで搬送される。「×××の部屋でいい?」「いや、そっちは使ってるから×××で」実際にはそんなに複雑な造りではないけれど、迷宮内に護送されたような気分。何回か角を曲がって突っ込まれた部屋には、またもや大勢の人が待ち構えていた。治療用のベッドに移ると、周囲から手が何本も出てきて、衣類をすべて剥ぎ取られた。目まぐるしい状況の変化に羞恥心どころではなく、宇宙人に連れされれて今にも実験台にされそうな地球人の心境。右腕、左腕、下半身…あちらこちらで一斉に処置が始まり、しかもどれも痛い。陣痛がかわいく思えるほどだ。そっちでは「痛いのはわかるけど、力入れないで」と言われ、そっちでは「注射の針刺すから力をぎゅっと入れて握ってね」と言われ。そんな器用なことはできないっつーの!!騒動が落ち着き、何人かだけが残っていなくなり、家族の入室が許可された時にはぐったり。導尿はされているは、両腕に点滴はあるはで、なんとも、無力な自分。数時間前までとはかなりかけ離れた予想もつかない姿に唖然とした。高飛車そうな若手の女医さんが担当医ということで、キビキビと説明してくれる。産院からは出産間際と聞いていたけれども、子宮口は開いていないため、妊娠継続が見込めること。感染症があるため、絶対安静の必要があること。24週での出産は赤ちゃんにとって危険であるため、1日でも妊娠を継続した方がいいこと。ただし、赤ちゃんまで感染すると、より危険となるため、慎重な観察が必要ということ。出産してしまえば感染源は取り除ける見込みがあるし、妊娠を維持しても抗生剤で感染源を取り除けるよう働きかけるが、事態が深刻な場合、子宮除去や私の死亡もありえること。小児科の先生という、優しそうなオジサンも説明をしてくれる。もし今生まれてしまっても、小児科としては最大限の努力はするが、リスクを少しでも下げるために1日でも赤ちゃんが子宮内にいた方がいいこと。「流産」ではなく「早産」の対象となるのは22週からだけれども、正直22・23週では厳しいこと。24・25週では微妙なところ、せめて26週まで頑張ってほしいこと。それから未熟な状態で生まれるがゆえに、生き延びたとしても障害が残る可能性があること。逆子は通常は帝王切開を勧めるけれど、あまりにも小さいので経膣分娩が可能ではあること。母体を第一に考えるなら、帝王切開を選ぶと、小さな子宮に大きな傷を入れることになるので、次回以降は必ず帝王切開となること。経膣分娩を選ぶなら、産道で胎児の頭がひっかかり苦しむ可能性があること。そうだった、妊娠後期に入ったら逆子体操をしようと思って忘れかけていたけれど、私の娘は逆子…。感染した原因に心当たりすらないのに、あまりにも厳しい話だった。【続】
2004年10月30日
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結局、この病院に受け入れてもらうことに。後でわかったことだけれども、できてまだ数年の新しい病院だった。日ごろ、医者いらずの家族が知らなかったのも無理はない。救急車が来るまで、絶対安静!と言わんばかりの先生にお願いして、家族への連絡だけはさせてもらう。病院に来る前に、家族にも体調不良を訴えてはいたけれど、たいしたことないだろうと高をくくっていたらしく、「切迫早産」の報に驚いたようだ。すぐに、今いる産院に駆けつけてくれるとのことだったけれど、先生は着くまで待っている猶予はない、救急車が来たらすぐにでも出発だ、と言う。この後に及んでも実感が湧いてなかったが、間に合わなかったら…と目先のこのことに関しては、非常に焦った。到着した救急隊員は、制服を着てケロッとしている私を見て、この人が患者?と一瞬戸惑った表情を浮かべた。同感だよ、これから自分が搬送されるだなんて、まだ信じられないよ。ベッドに寝て、運ばれる。家族が間に合わないみたいだから、助産師さんがついて来てくれるのはありがたかったけれど、そんなに深刻だとは思えなかったし、ただでさえ人手の少ない日に、自分ひとりが貴重な戦力を占領してしまうのが申し訳なかった。無情にも閉まる救急車のドア。家族は間に合わなかった…。心の頼りは、もはやその助産師さんだけ。観念したときに、もしかして…との声。今にも走り出そうとしていたところを待ってもらい、パートナーが乗り込んで来た。「信じられない」と「どうしよう」同じ思いを抱えた仲間の登場に、ようやく少しだけ現実を直視する気になった。とりあえず、医者を信じて安静にしていよう、と。救急車の中では、助産師さんが呼吸をリードしてくれた。痛みが来たら、息を大きく吐く。これ、知ってる…息みすぎないように、お腹から力を抜く呼吸。確かに張っている感じはあるけれど、赤ちゃんを出そうとする力だなんて感じはぜんぜんしない。でも、やっぱり陣痛なんだ…。助産師さんが何度か測ってくれた陣痛の感覚は3分。それって、長いんだっけ、短いんだっけ、皆がこんなに焦っているなら、やっぱり短いんだろうな。今、どの段階かな。気になるけれど、聞くに聞けず。退院後、最初の産院のテキストで確認したら、分娩第2期の間隔。いつ産まれてもおかしくない状態…。遅まきながら、冷や汗が。子宮はまだ開いていなかったようだけれど、周囲の対応は間違いなく、その段階の妊婦に対する対応。危なかった…素人の独断は怖い。【続】
2004年10月29日
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この日は、朝から心なしか体調が変だった。それでも特に体に負担のかかることをするわけではないし…といつもどおりに過ごしていた。けれど、時間が経つにつれ、その違和感は大きくなっていく。お昼近くになるころには、精一杯意思で制御しなければ「普通」の状態が保てないほど、強い腹痛がきていた。掛かりつけの病院はお休みの日だったけれど、電話をかけて相談した。診察してくれるとの回答にほっとしながら、早退。それでも、診てもらって薬でも処方してもらって飲めば治まると思っていた。痛みはあるものの、それ以外は普段どおりだし、痛みの波間はそれこそなんともないので、自力で病院まで行く。その日は安静指示がでるかな、とは思ったけれど、また自力で帰れることを疑ってもいなかった。状態を告げ、診察を受けたとたん、先生の様子が変わった。緊迫した表情。助産師さんも普段から優しいが、さらに優しく体をいたわってくれる。この妙な雰囲気はいったい!?結果は、現在もう出産しかかっているとのこと。私の赤ちゃんはまだ24週にようやく入ったばかり。「今すぐに飲んで!!」リトドリンという薬を渡される。こんなに急かされて服用するなんて、後にも先にも初めてだ。このまま出産してしまっても、赤ちゃんを生かせる病院を…と電話で連絡を始める先生。救急車で移動!?え?え??ええっ???これが陣痛?だって、「産みの苦しみ」にしてはぜんぜん痛くないよ。先生や助産師さんとの間に距離感を感じた。先生が最初に電話したのは市内にある総合病院。以前に足の爪が剥がれた時に、救急外来で行ったことがある。知っている場所、という意味では安心できたけれど、その時の対応があまり好きではなかったし、出産という観点においても、やむをえなくそこに転院になった妊婦(産婦)さんが環境の悪さ(バースプランなどに対する激しい違い)で泣いたという話をいくつか聞いていたから、そこが満員で対応できない、との返事に思わずほっとしてしまった。ますます深刻な表情になる先生。次に連絡を取ったのは、聞いたことのない病院。この県に移り住んで、まだそんなに経ってないから、ちょっとでも離れている場所のことはぜんぜん知らないけれど…。日常の行動エリアから外れているのも不安要素となった。【続】
2004年10月28日
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