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1月26日 木曜日
いつもありがとうございます![]()
お尋ねのプロフィールの猫さんは
ちいちゃんです。
平成21年9月、仕事で伊豆の堂ヶ島に泊まりに行ってる日に
死んでしまいました。
今一緒にいいるのはその兄弟のにゃあちゃんです。
5人兄弟でみんな家で生れて
そのまま一緒にいました。
でも
今そばにいるのはにゃあちゃんだけです。
お母さんのももちゃんとおんなじ毛色をしています。
お母さんは避妊手術の直後に獣医さんで死んでしまいました。
泣きながら
ももちゃんの入った段ボール箱を抱えて
歩いて家に帰ったことを思い出します。
仔猫たちはまだほんとに小さくて・・・、
平成7年のことだったと思います。

今日はこんなことをして遊んでみました。

これは

そう、かえるです![]()


はじめまして。
水を得た蛙(かわず)です。

自分探しの旅がようやく終わりました。
結論
私は私だった。
です。
長い時間がかかりました。
偽りでもなく
そのままが自分だった。
幻想・観念・理想・・・。
ようやく闇から抜け出せそうな気がしています。
私が
エリザベス・キューブラ―・ロスを知ったのは
介護の学校で学んでいる時だった。
『死の5段階説』、
即ち死の過程の諸段階であり
また、致命疾患の自覚から死に至るまでの精神状態であり
これらの段階の順序が入れ替わったりせず
必ず順を追って現れるが、時には重なる事もあるということだ。
まず
《衝撃》に始まり、
『否認』
↓
『怒り』
↓
『取り引き』
↓
『抑鬱』
↓
『受容』
そして《虚脱》に向かう。
しかし始めは《希望》とは無縁であるが、
段階を経るごとに、
特に『受容』が始まると《希望》と寄り添うものである。
いくら信仰を持っていても
心の葛藤や恐怖を軽減出来るほどではない、
信念によって自らを支えきれるほどの人はほとんんどいない。
ということだ。
『怒り』の中間と後半と
『取り引き』の後半に《部分的否定》が入り、
『抑鬱』の後半と言うのか『受容』の前半と言うのか
『受容』の最初と最後と中間に2度、合わせると4回
結局『受容』の途中出たり消えたり《準備的悲嘆》が入る。
精神科医であるロス。
心療内科では睡眠薬は処方されるが
理論は教えてもらえない。
もっとも
今治療が必要だと心から泣き叫ぶ、
心が泣き叫ぶ状態では理論を聞いたところで
何も聞こえないだろう。
井の中の蛙大海を知らず。
「今、井の中にいるんだよ」とか「大海ってのがあるんだよ・・・」
そう何度聞いても分からなかった。
信じなかっただけだった。
否定!
いやきっとこうだ!と
理想と幻想の中に身を置き
それが真実だと信じ込んでいた。
固定観念ってのは凄い。
恐ろしい支配力だ。
ありのままがありのままだった。
今の私がいつでも本当の姿、私だった。
気付かなかっただけ。
生きる意義と喜びを見いだしたかっただけなのだ。
四角い平たい田んぼの中にいた蛙は
今、丸い和(輪)の田んぼの中にいる。
ゆるやかな曲線で透明な田んぼの中に・・・。
そう、何も変わっていない同じ姿で。
上の田んぼでも
浜の田んぼでもない。
今の自分にピッタリの器、場所でそのままの姿でいるだけ。
田んぼは蛙じゃダメなんて言ってないのに
いや私は鯉なの、でも本当は龍なのって
幻想・妄想・理想だけを信じて
これを昇ったら違う世界があるはずって。
そここそが本当の私の姿が現れる所!!!って。
鳥になりたかった
龍になりたかった。
翼が欲しかった
鯉の姿になって滝を昇りたかった。
でもカエルはカエル。
それで良かったんだ。
分相応。
それが幸せ。
夢から覚めるように
眼が覚まされる。
開眼ってこういう事?
特別じゃなくて
ただの私は難しいことは分からないけど

水の底には虹が見えた。

おぼろげな光が見えた。
今日も私は自由に生かされるところで自由に生きてる。
こんな私でもいいんだ。
世界人類が平和でありますように