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1835年(天保5年)大坂(現大阪市)の中津藩蔵屋敷で生まれた福澤諭吉は、1歳6か月の時、父の死去により帰藩し、19歳までこの場所で過ごした。
福沢諭吉旧居・福沢諭吉記念館のHPは こちら
駐車場から見た福沢諭吉旧居
敷地内から見た福沢諭吉旧居
現存する家は16歳の時に買って移り住んだもので、母屋の他、自らが改造して二階を勉学に使った土蔵が残っている。幼少の頃の家はすぐ前の土地にあった。諭吉は、幼少の頃の家の間取り図を自ら描いて、忘れないようにしようとした。
刺客に狙われた話
福澤諭吉はたびたび暗殺されそうになりました。諭吉の自伝『福翁自伝』には、今残されている旧居を舞台にした次のような話が記されています。
明治3年(1870)10月、諭吉が母と姪のいち(兄三之助の長女)を迎えに東京から中津に帰った時のことです。中津の若い藩士のなかには、諭吉を西洋かぶれと嫌い暗殺しようと狙う者がいました。いよいよ暗殺を決行するその日に、たまたま諭吉の親族である服部五郎兵衛がこの家を訪ねてきました。諭吉と五郎兵衛は、いつまでも酒を飲みながら夜中を過ぎても話し込みました。諭吉が寝入るのを狙って外で待っていた刺客はその機会を逃し、諭吉は命拾いをしました。諭吉は後にこのことを知って大変驚いたそうです。
こちらが小さなころ自ら土蔵の2階を改造して勉強していた土蔵です。
土蔵の2階をのぞくと小さな福沢諭吉像が・・・
薄暗くてよくこんな所で勉強したもんだと思える所で
一生懸命勉強されたそうです。
旧居の他にも福沢諭吉記念館があったのですが、
撮影禁止だったので残念ながら撮影できませんでした。
「学問のすすめ」の原本や遺品などを展示していました、
福沢諭吉ゆかりの地
耶馬溪競秀峰(青の洞門)
の所ですが、明治27年(1894)に帰郷した福澤は、景勝の地として知られるこの一帯の土地が売りに出ていると聞き、景観が損なわれることを心配、人目を引くことを嫌って少しずつ他人名義で土地を買い上げて保存に尽力しました。これは、日本におけるナショナルトラスト運動のさきがけともいわれ、福澤が終生郷里を心にかけていたことを今日に伝えています。
後福沢諭吉と言ったら1万円ですね
1番の新旧の1万円が飾ってありました。
プレミアついてるだろうな~![]()
いくら位するんだろうね
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