昨年夏(つまり2016年)にワーナーが廉価盤企画で多くのロックの歴史的な作品を発売しましたね。その中にゴードン・ハスケルがアトランティック/アトコから1971年にだしたセカンドソロ作品「It is and It isn't」もございました。アマゾンなど幾つかのサイトでは海外盤の説明に74年作品だとか72年だとか書かれてしまっていましたが、ワーナーからの再発商品説明には「71年」作品と明記されました。もうこれで安心ですねw(なにか?)。しかし、相変わらず邦題が「歳時記」とか勝手なタイトル付けられたままで難儀です。何で俳句の季語集なんだよ、ハスケルのアルバムが・・・ブツブツブツ。
ただ、このバンドの頃までコツコツと自作曲を書き貯めており、それを元にマネージャーとCBSに売り込んだところ、デビューアルバムであるSAIL IN MY BOATの発売が決定しました。ハスケル氏に以前うかがった話では、演奏家はプロデューサーのジミーダンカン任せ、アレンジはジョン・キャメロン任せでレコーディングがどんな様子かほとんど覚えてないそうですw 実はこのジミー・ダンカン、ジョン・キャメロンの二人はキューピッズ当時の仕事で既に顔見知りだったという関係もありました。
GORDON HASKELL - SAIL IN MY BOAT (1969) ハスケルが結成直後のキング・クリムゾンのリハを覗きに行っていたのもこんな頃の話なのでしょうね。当時から凄いけどボクとはスタイルが違う音楽だと思ってたそうですが。
その頃70年2月13日、ハスケルはアルバム曲をシングル用に録り直し発売してました。 Gordon Haskell – OO LA DI DOO DA DAY この1970年ハスケルは、共通の知人である音楽制作者ジョン・ミラーを介して、ジョン・ウェットンと初めて知り合ったということです。つまりモーガル・スラッシュと同じマネジメントに属していた訳。(上記シングルのみアレンジはジョン・アンソニー)
勢いで飛び出したがいいが、何も計画がない。そんなある日、ジョン・ミラーから「今ロンドンに、アーメット・アーティガン(アトランティックレコード創設者)が滞在してるよ」とホテルを教えてもらったハスケル。早速アーティガンに売り込み、彼の目前で自作曲をギターで5曲ほど披露する場を与えられた。アーティガンはその場で非常に気に入り契約を即断。ハスケルも契約で借金の肩代わりまでしてくれるというアーティガンに助けられた形。彼のセカンドアルバムIt is and It isn'tの制作は、ハスケルの希望通り名プロデューサーであるアリフ・マーディンに決まり、アリフがビネガージョーとレコーディングを予定してたスタジオで2週間掛けてレコーディングされた(その後ニューヨークでの追加録音もあったが)。
gordon haskell - It is and It isn't (1971) タイトルで名前が小文字表記なのでそれに準拠。アルバムの発売に合わせ71年11月末、ロンドンのレインボウ・シアターで初ソロステージ(競演はウィッシュボーン・アッシュ他)。当時既にウェットンはファミリーに加入してたのでココに参加した考えからは除外。この後ハスケルはスタクリッジやオーディエンスらとの英国国内ツアーも廻っていたそうです。一部で書かれてた米国ツアーはオファーが無かったから「アメリカツアーにはいってません」との事。
70年代末、ハスケルは60年代に最初の自作曲をレコーディングした南アフリカの歌手、ビル・キンバーに招かれRCAと契約。キンバーがこの当時RCAで重役となっていたのが幸いしたそうです。貯めに貯めたオリジナル曲から選りすぐってレコーディングし、待望のサードアルバムが制作されたのは世の中がパンクに溢れかえっていた時代。多くのベテランミュージシャンが仕事を失ってた時代でもありました。結局、サードアルバムServe at room temperatureは、制作後極少量がテストプレスされ印刷も何もない白ジャケットの姿で配布されたのみで世間には発表されませんでした。かろうじて3枚ほど出されたシングル盤レコードにアルバムから曲が収められ発売されましたが、私を含めマニアが買う程度じゃ売れ行きもたかが知れてました。